信じる日本人、信じない韓国人
韓国人のそういう習性を、「他力本願」とは言いたくないということは、以前にもちらっと述べたことがあります。
先だって、呉善花氏の「ワサビの日本人と唐辛子の韓国人
呉善花氏によると、韓国人にとって他力本願という思想は、理解出来ないものだといいます。悪いことをしても、南無阿弥陀仏と唱えさえすれば極楽往生が叶うならば、誰もが悪いことをするようになって、秩序が保たれないではないかというのです。
浄土宗は朝鮮にも、李朝末期頃に伝わったそうですが、それが根付くことはありませんでした。それは「他力本願」の本質が朝鮮人には理解出来なかったためではないでしょうか。
他力本願とは、他人を使って自分の願いを叶えることではありません。「(阿弥陀如来の本願を)徹底して信じ抜くこと」です。阿弥陀如来という、自己を含む全ての人間を遙かに超越する存在を信じ、その力を全身全霊で信じ抜くことです。この「信じ抜く」ということが、朝鮮人にはどうしても出来ないようなのです。
そういえば呉善花氏は同じ本の別章で、日本人が「祟り」や「罰(バチ)」の存在を信じていることにも困惑しておられました。韓国人に言わせると、「祟り」や「罰(バチ)」などという非科学的な迷信を信じているのは、日本人が未開だからということになるようです。
実はこの「祟り」や「罰(バチ)」を信じる心にも、日本人の「自己を含む全ての人間を遙かに超越した存在」を信じる意識があることに、韓国人は気づきません。
誰も見ていなくても、悪いことは悪いことです。悪いことをすれば、いつかその報い(=祟りや罰(バチ))が返ってくるはずだという意識が、日本人には普遍的に在ります。その意識があるからこそ、「悪事を働いても南無阿弥陀仏と唱えさえすれば極楽往生が叶う」という教義に、「それならいくらでも悪いことし放題じゃないか」などと日本人は思わないのです。
韓国人にそういう意識はありません。悪いことをしても、見つからなければ、彼らは悪いことをしたとは思いません。むしろそれが当然だとか、下手をすれば賢明だとさえ思っています。
ですが(彼らにとっては至極不当なことに)、世の中には彼らの悪事を咎める人々がいます。ですから彼らは、渋々悪事を控えているのです。
前述したとおり、彼らは他人をあてにすることが非常にしばしばあります。あるいは、相手と何の約束もしていないのに、相手が自分に都合の良いように動くことを確信的に期待します。
結果、彼らの期待通りになることも絶対皆無ではないかもしれませんが、大抵は彼らの期待通りにならないことの方が多いでしょう。
すると彼らは、「裏切られた!」「信じていたのに!」と叫びます。しかし彼らが信じているのは、全てが自分だけに都合の良いように展開することであって、他人など最初から全く信じていないのです。
この、「他者に対する絶対的な不信」こそが、韓国人そのものであると言っても過言ではありません。朝鮮半島においては、「他者に対する絶対的不信」こそが、生存競争を勝ち抜く条件だったのでしょう。つまりこの「他者に対する絶対的不信」によって、朝鮮人は絶滅を免れてきたのかもしれません。
しかし「(他者を)信じること」にさほど抵抗のない日本人と、「他者に対する絶対的不信」が種の存続の条件であった韓国人とでは、共存など出来るはずがありません。
もし韓国人が「信じること」を覚えれば、あるいは今後の日韓関係にも改善の余地が出来る可能性もあるでしょう。ですが、「他者に対する絶対的不信」こそが韓国人を韓国人たらしめていることを考えれば、「信じること」を覚えた韓国人は、韓国人ではいられなくなります。
即ち、韓国人が韓国人である限り、そして韓国人が韓国人であるためには、「他者に対する絶対的不信」が、必要なものかどうかは私にはよくわかりませんが、不可欠なのは確かです。
ならば韓国人に「他者を信じること」というスキルの獲得を期待する、あるいは義務付けるということは、韓国人の絶滅を期待、あるいは企図することと同義になると言えます。
嫌韓を自認する私ですから、韓国人の絶滅を全く願わないと言えば嘘になるでしょう。しかし、身の程をわきまえない過ぎた望みの実現を願えば、それこそ「罰(バチ)」が当たります。
ですからそこまで過分な望みは持ちません。身の程を知ったささやかな願いを、今すぐ直ちに速やかに叶えろとも言いません。緩やかでも良いから静かに穏やかに、しかし確実に、日本が韓国との関係を解消することを願うのみであります。
コメント
先生のおっしゃるとおりで、オ・ソンファさんはそれを指して「韓国人は本質的に道徳がない」と表現していました。
ところで、先日、先生は『誅韓論』という本が出版されたことに触れられていました。
おそらく「本気で日韓断交を目指す」という意志というか目的については、先生の価値観や志と、その本の内容は、ピタリと一致するのではないかと想像します。
そこで、今度は、この本を実際に読んでみた先生の感想(つまりは書評ですね)を、ぜひとも読んでみたい気になりました。なにとぞ、よろしくお願い申し上げます。
この辺は、神様が見ているって認識と
自分自身の罪を犯している自覚なんでしょうね
朝鮮半島に神は居ないと言われているのと、同じような認識なのかもしれません
神は自分の外側から全てを見ていると、自分の内側から全てを見ている
この両面があってこその信仰が、あると思うのだけども
あの連中は現世利益しか見ていないので、その視点は存在しないのでしょう
干支の成り立ちの物語で「なぜネズミが干支で最初の動物になったか」という話があります。猫をだまして日にちを間違えさせ、本当の一番乗りである牛の背中に乗って楽々一番ゴールを果たす賢いネズミ、と要約するとこんな感じですが、韓国人の考える賢いというのはそういうことを言うんだろうな、と思ってました。
アメリカの武力を利用して、日本人の富と人のよさを利用してwというのが韓国人的賢さの理想なんでしょうが、実際にこんなネズミのマネをすれば後々どうなるかというところまで頭が回らないのが韓国人的賢さの限界といいましょうか。
賢く振る舞いたい、賢いと思われたいと思って用日なんて言葉を振りかざして行動すればするほど、自分達がちっとも賢くなんかないことを周りに暴露してしまうというのは皮肉なことだと思います。
うーん、別に皮肉でもないか。要するに自業自得ですね。
つまり月見櫓さんは罰が当たらないなら韓国人の絶滅を願いたい。
まあそれが普通ですよね。わかります。でも願ってこっちに罰が当たると困るし怖いので願えませんよね。
「みずきの女子知韓宣言」を見ていると、まあ韓国人は気軽に恐ろしい言葉で日本を呪ってますね。言葉選びに迷いが無いです。罰畏れてないんですよね。
日本人としては罰当たるのが怖いので韓国人の不幸を願うことはできないので、罰関係ないところで韓国人の嫌がることをしてはどうでしょう?
私は時折中央日報のコメント欄にコメントを書くのですが、大概が韓国非難のことばかりなのでほとんどが「推薦」の評価を受けています。
たまに「反対」の評価は貰うのは韓国非難プラス韓国の実態をもっと広報して世界の人々に知らせようという呼びかけた時ばかりなのです。それを見て韓国人っていうのは私達が思っている以上に世界が韓国を見る目を気にしているのではないかということです。
ま
あ韓食の世界化を目指すのも、突然の桜原産地アピールも日本や中国の文化を盗むのも、
現代やサムスンCMで日本メーカーのふりをするのも、オリンピックで効率良くメダルを獲ろうと競技を選ぶのも、日本へのいやがらせとして世界で告げ口外交続けるのも、それが日本にとって一番ダメージ近いだろうと予測しているからだと思うんですが、同時にそれが韓国にとって一番やられたくないことなんだろうなと思います。
私達が今やれるのはその韓国が嫌がることなのではないでしょうか? 世界で韓国の恥ずかしい李氏朝鮮の歴史、恥ずかしい実態をアピールする。朝鮮戦争の洋公主、ベトナム戦争での女性のレイプ、子供の虐殺など積極的に広報する。ベトナム戦争のテーマパークなど信じられないものがあります。それを日本に住む日本人だけでなくて、世界に住む日本人が力合わせて広報する。
>名無しの日本人さん
韓国の恥ずかしい実態を日本人が世界でアピールしても、
彼らに「日本人が自らの悪事を誤摩化す為に我々を中傷してしてる」と
何倍もの大きな声でやられると思いますよ。
その結果主張の内容は聞き流され、どっちもどっち、仲良くしろ的な反応に。
効果的なのは日本人ではなく第三国、
できればアジアではなく欧米人に発信してもらうことですが、
素晴らしい発信をしているテキサス親父さんも影響力は限定的ですし、
日本人が操っているなどと韓国人がレッテル貼りにいそしんでいるので、
これまた、なかなか難しいですがね。
外人っての原則的に中国人辺りと同レベルってのに、なんか理想化してる人が多いような・・・ボソッ
某ベンゲルさんが昔言ってた通り欧州でさえ野獣の集まりってレベルなのにさ・・・ボソボソッ
モホゥ使いさん。
体験的にけっこう同意です。
日本ほど平均的なレベルの人間が多い国というのはないからねえ。
欧米でさえも上下の差は結構あるからな。
そうそう、外国人(特に西洋人)は基本的に特亜人と何ら変わらないですよ
中国からの四文字文化
「天網恢恢疎にして漏らさず」なんて中国からの外来語なんて知らないんだろうな~。漢字捨てちゃったしね。
業
でも「カルマ」は信じてる(概念は理解出来てる)っぽいですね。311の時、やたらカルマカルマと騒いでたので。
「罪」と「カルマ」が同義かは分かりませんが、ざっくりとした因果応報という概念は一応理解はしてんじゃないですかね?
まあまさか自分達が対象になる訳がないってのが大前提なんでしょうが。
う〜ん、これは欧米人アゲの話じゃなくて、
名無しの日本人さんの、韓国人の実態を世界中に広報すれば?という話を
日本人がやると姑息なカウンターを繰り出して無効化されかねないので、
韓国人が反撃しにくい欧米人ならどうかってことなんですけどね。
欧米人の資質の問題ではなく、韓国人の態度の違いによるんで。
欧米の人間が仮に中国辺りと民度が変わらないとしたら、朝鮮人の反日キャンペーンなんかも単純に信じてしまいそうですね。
そうであれば朝鮮人や中国人の反日キャンペーンを放置するのはよくないってことになります。
奴らがやっていることに反論する。それも明確な証拠を挙げて。それはどっちもどっちなことではないと思いますし、どっちもどっちと受け取られることもないでしょう。
欧米人は過去の歴史からは、そんなに善意を期待できないことは明らかですが、特アと同じレベルのアホではないと思います。
身の程を知ったことでないと失敗する可能性が高くなるでしょうね。だけど、それで罰が当たるとは思いません。
一方、朝鮮人が卑怯なことをしているからといって罰が当たるとも思いません。チベットを抑圧している中国に今のところ罰が当たる気配もないですし。
もちろん、愚かな者が暴走したら、その結果近い内に大きくつまずくかもしれませんが。
基本的に許容範囲を超えた被害を受けているなら、相手をつぶしにいくことは悪いことではないと思います。自分を守るためなのですから。方法は工夫が必要だと思いますが。
世界は日本を信じられるか
少し前にNHKでドキュメンタリーを作ってくれないか、とありましたが、ややもすると危険なのではないかと危惧するようになりました。
植民地の研究に関する書籍を少し読んでいたところ、植民地側は善政であれ、悪政であれ、支配する側を「悪」としか評さないとの事です。
それからすると、日韓併合時の日本の統治が良かったと(世界的に)信じてもらえる気がしません。
朝鮮側の言い分の方が、(欧米は植民地支配を行ってきた経緯から)信じやすいでしょう。
朝鮮人は愚かな者たちではありません。権謀術策に長けた卑劣な連中です。
だからと言って、黙って嘘を垂れ流すのを見過ごすというつもりはありません。
事実は強い、とは思いますが、「その時の勢い」にはその時は勝てません。
「朝鮮人の言っていることはおかしい」と当たり前に言われるようにならなくては、事実も受け入れてはもらえないのではないでしょうか。
「天知る、地知る、我が知る、貴方も知っている」って認識は、我欲を抑える為のテクニックだと思うのです。
内(我)外(天、地、貴方)両面から、俺の生き様は監視されている!
故に、姑息、怠惰、卑怯等、厭うべし!
と、制御する訳ですね。我欲に溺れがちな自分自身を。
天地を神と言い換えても、意味は同じでしょう。「仮想の監視者」って事で。
其れの実在を問うのはナンセンスですよね。
祟りや罰は、「仮想の監視者」が下す「仮想の痛み」であり、
同様に実在を云々する事に意味は無いでしょう。
其れは、神でも天地でもなく、自分が自分に下すモノ、なのでしょう。
不快感や自己嫌悪といった形で。
思うのです。
韓国人が「仮想の監視者」を持っていないのなら、
彼らは自身の姑息、怠惰、卑怯を不快に感じないのでは?と。
其れを悪、とも思わないのでは?と。
つまり連中が真摯に反省することなぞ無いのでは?と。(連中の反省は、一時凌ぎの嘘、なのでは?)
もしもそうならば、
韓国人視点で考えた時、誰も信用できません。
相手も自分と同じ嘘吐きだ、と仮定し対処するのが安全だからです。
それでは社会生活が成り立ち難いので、「ウリ」という仕組みがあるのかな?と。
「僕は君であり、君は僕である。」
其処まで徹底的に皆を同化する事で、社会から不信感を取り除いているのかな?と。
(ウリって「徹底的な付和雷同」な生き方だと思ってるんですが、違いますかね?)
参考までに
キムチ速報
http://kimsoku.com/archives/8526872.html
【朝鮮日報】慰安婦問題に関し、塩野七生氏「繰り返せば自ら信じるようになる」「問題解決は日本人の対応にかかっている」
呉善花さんは敬虔なクリスチャンなんだそうです
毎年新しい聖書を買われるそうですが
その際、古い聖書はごみと一緒に捨てるそうです
特亜と欧米が同レベルということはよく分かります
鎖国して日本の事だけ考えて生きて行きたいと思う事すらあります
昔は世界が平和になればいいなと思っていましたが、それは過ぎたる願いなのでもうやめました
日本が良くなれば他はどうでもいいです
もう外国なんか助けたく無いです
なんかの本で、「韓国人は『日本人は神でもないのに自身が神のように振る舞う』と思っている」、というようなのを読んだときのことを思い出しました。お天道様が見ている、という感覚が・・・ないんでしょうなああ・・・
~「他者に対する絶対的不信」によって、朝鮮人は絶滅を免れてきたのかもしれません。~
8割でパペクトな寒国人がよく民族として絶滅せずに生き残ってきたのはなぜなんだろうと長年疑問に思っていたのですが、上記の文を読んで思わず「なるほど!」と手をうってしまいましたw
断交は無理としても、日本人の知韓レベルが上昇し、TOK(助けない・教えない・関わらない)の原則が周知されるのが待ち遠しいですね。