何を信じれば良いのか
さて自民党の政権奪還が確実になってからというもの、マスコミを始めとする反日勢力が陰に日向に、自民党に対するネガティブキャンペーンに勤しんでいます。よほど、日本を取り戻されては困るのでしょう。
それ自体は普通に想定の範囲内でしたが、少々意外だったのはそのネガティブキャンペーンに乗せられている人々が思った以上に多いということです。その中には煽動工作要員もいるのでしょうけれど、結構真面目にそれに乗せられている人もいるようです。
自民党はまだ実際に政権に就いたわけではありません。今はその準備段階です。仕事には優先順位があるということは、社会人一年生で誰もが教わるはずのことです。一企業の一セクションの仕事であってもそうなのですから、国の仕事となれば量的にも質的にも、比較にならないほど膨大でしょう。
既に弊ブログのコメント欄で述べておられる方がいらっしゃいますが、日韓の国交断絶は、優先順位としても決して高くありませんし、一朝一夕に実現出来ることでもありません。と言うか、私は「日本側から韓国との国交断絶を申し出る」のは、おそらく不可能だろうと思っています。
何故なら、国交断絶とは戦争の一歩手前の段階とも言えるからです。日本は現在、国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄すると憲法に明記しています。つまり日本から積極的に国際紛争を解決する手段は、対話のみに限られているのです。ですから日本側から、唯一のカードを捨てるような真似はおそらく出来ないでしょう。
ただし相手から吹っ掛けられたら話は別というのも、これまた戦争と同じです。つまり日韓断交を望むのであれば、日本は戦略的に韓国が断交を言い出すように仕向けるしかありません。それは、今すぐ直ちに速やかに断交!さっさと断交!という人々から見れば、迂遠でもどかしい作業に違いないでしょう。それに、必ずしも日本の思い通りに韓国が断交を申し出てくれるとも限りません。その場合はどうするんだと思う人も多いでしょう。
ぶっちゃけた話、私個人としてはそれならそれで良いとも思っています。韓国に対し一切の容赦を与えず、彼らが泣こうが喚こうが哀れみを乞おうが、決められたことは決められたこととして厳密に実行し、それで韓国が傷つこうが弱ろうが知ったことかと切り捨てられるだけの強さを日本が持ち得たならば、韓国との国交を継続しても良いと思いますし、日本が甘やかしてくれないとなれば、韓国の方から発作的に国交断絶を言い出す可能性も高まるでしょう。どちらに転んでも、日本に損はありません。
そういう日本に、今すぐ直ちに速やかになれるのかと言えば、どう考えても不可能です。ひとつひとつ、段階を踏んでいくしかありません。
ですがネットの巷では、早くも自民党は特亞に対して弱腰だと非難する声が上がっています。それらはたいてい、マスコミが発信したものがソースです。つまりは、マスコミの煽動工作が一定の効果をあげているということでしょう。
しかし、ならば何を信じれば良いのかという話になります。マスコミは信じられない、ネットの情報もマスコミに煽動されたものが多い、2chは便所の落書きです。これでは、いったいどこからの情報を信じれば良いのでしょうか。
答えは簡単です。マスコミもネットも2chも、全て重要な情報源として大いに活用すれば良いだけです。
大切なことは、「事実」を見極めることです。そこに書かれたことを鵜呑みにしないことと言っても良いでしょう。
何事であれ、一面的に判断出来ることは多くありません。たいていのことは、多くの側面を持ちます。一方向から見ただけの情報で全てを判断すれば、判断を誤る確率は跳ね上がります。
ひとつの事柄であっても、多方面から見る癖を付ければ良いのです。どんなに権威や権力を持つ人や機関の言葉であっても、そのまま鵜呑みにしないようにすれば良いのです。一人で考えるだけではなく、可能な限りいろんな人の意見を聞き、また自らも自分の意見を発してみると良いのです。自分の頭の中で漠然と漂うイメージをつなげて文章としてまとめることは、自らの意見を整理し、また自覚するのに高い効果があるでしょう。
最も危険なのは、情報を収集する窓口が限定されることです。テレビしか見ない人は、どうしてもテレビの意見に同調しやすいものですし、新聞も一紙しか読まなければどうしても情報は偏ります。ネットは極めて多くの窓口とつながっている点が非常に便利ですが、だからと言って情報の窓口をネットに限定するのもまた危険です。
様々な情報を様々な窓口を通して、様々な角度から見聞きし、自分なりに考え、更に他人と意見を交わせば、自ずから見えてくるものはありますし、自分が見えていないものがあることもわかってきます。
それはとても面倒なことですが、やってみるととても楽しいことでもあります。今まで他人に手を引かれ誘導されるまま、どこへ行くのかもわからず歩かされていたのが、自分の足で、自分の思うとおりに、自分の行きたい方向へ歩けるようになることでもあるからです。
どうか一人でも多くの日本人が、そのことに気づき、誰かに引きずられるのではなく、自分の足で歩きたいと思い、実際に歩くようになることを心から願う次第です。
繰り返し見聞き考えることの大切さ
さて、長らく韓国に関するブログを書いていると、書くネタに詰まることは一度や二度ではありません。
めぼしい時事ネタがあればそれを取り上げたり、他所の韓国ウォッチブログや在韓日本人のブログ(但し親韓在日日本人、親日韓国人のブログはほとんど見ておりません)を読んで、思いついたことをネタにすることもありますが、それでもネタがない時は、自分のブログの過去記事を読み返すことがあります。
何か言い足りなかったことや、その時は気づかなかったことを付け足すようなことがあればと思って読み返すのですが、期待するほど過去記事がネタになることはありません。それどころか、1年前2年前に書いたことがつい先日のことのように思えるぐらい、韓国は変わり映えがしないのです。
今回も、時事関連さえめぼしい韓国ネタが無かったので、昨年同月と一昨年同月の過去記事を読み返しておりましたが、言い足りないどころか、「このまま日付だけ変えてもう一度掲載しても全然不自然に感じないんじゃないだろうか?」と思えるほどでした。
昔、日韓チャットで常連日本人たちが韓国について談義していると、その光景を見て常連韓国人青年が嘲笑混じりに言いました。「毎日のように同じことを同じメンバーで言い合っているあなたたちは、進歩がない」と。
日韓チャットにいれば、量産型韓国人のサンプルは比較的容易に観察出来ます。量産型韓国人を見れば、私たち日本人は飽きもせず(いや、実際はかなり飽きてるんですがw)何度でも何故韓国人はああなのだろうと慨嘆します。確かに、傍目にはいつも同じことを言ってるようにしか見えません。
それはまるで螺旋階段を昇っているときに見える風景のようです。幾度回っても、巡る景色は以前に見たものとそっくりなのです。しかし、きちんと誠実に昇っていれば、必ず上に向かっています。目に映る風景は、一周回二周回前とそっくりに見えても、ずっと前に昇り始めた時に見えた風景とは全く異なっているはずです。
韓国や韓国人について、何度も何度も繰り返し話したり聞いたり読んだり考えたりすることは、一見進歩がないように見えるかもしれません。そんな暇があるならば、韓国や韓国人に関する新しい情報を仕入れたり、それまでとは異なる主題で討議する方が建設的という意見もあるでしょう。
しかし、日韓チャットでそう言って日本人をさらっとひとわたり見て話して理解したつもりになって去っていく韓国人たちと、韓国人を見て話して、なんでこいつらはこうなんだと、何度も何度も問い合い答え合い考え続けてきた日本人とでは、相手に対する洞察と理解に桁違いの差がついてしまったことを、後に件の日韓チャット常連韓国人青年は認めざるを得ませんでした。
しかもその知識や見解は、少なくとも日本のネットユーザーの間ではかなり広く共有されつつあると言って良いでしょう。最近では、親韓寄りの日本人の間にも、私たちが唱え続けてきた韓国人観を唱える人を見ることがあって、かえってこちらが驚くぐらいです。
書籍などでも、一度読んだだけで著者の訴えたいこと全てを理解することは凡人には不可能です。一度聞いただけで、その時は全てわかったようなつもりになっても、実際には半分もわかっていなかったということに気づいたことは、私には幾度もあります。多分、今でもその癖は治っていませんw
だから、同じ対象について何度でも何度でも繰り返し見聞き考えることは、多分良いことなのではないかと思います。そうすることで、早飲み込みや早とちり、薄くて浅くて上っ面な、早く言うと「朝鮮侮り」的理解を回避出来るのではないかと思うのです。
韓国は、何度でも言いますが薄くて浅くて上っ面です。だから弊ブログでは、言いたいことは既に概ね言い尽くしました。それでも、弊ブログではまだ韓国を見て聞いて話して考えて書き続けています。
弊ブログの膨大な過去記事を最初から律儀に追い掛けている方もそれなりにおいでのことと思いますが、読破を急がなくても大丈夫です。多分、ブログ2年目以降からは、半分ぐらいは同じことを言っています。
その上で、同じことを繰り返し述べることの大切さも、これまた何度でも述べたいと思います。何度も繰り返し述べ、また読むことで、韓国の薄さ浅さ上っ面さを、より一層正確に理解出来るようになるでしょう。最新の韓国ニュースで見た韓国人の奇矯な思考の根源や理解に苦しむ行動の原理を、弊ブログの過去記事の中に見つけることもきっと出来るはずです。
そうやって一人でも多くの日本人が、韓国について侮らず深く正しく理解し、彼らにどのように対応すれば良いかを判断出来るようになることが、日本を韓国の侵食から守ることにつながり、ひいては日本と日本人について真摯に誠実に考えることにつながっていくのだと、私は固く信じています。
カツカレー騒動に思う
さて、このところネットを見ればカツカレーの文字を見ないことはないような状態で、これはどこぞのカレーショップのステマではないかと勘繰りたくなるぐらいです。
私はカレーは好きですがトンカツがさほど好きではありません。ですのでカツカレーを食べることは滅多にありません。そんな私でも、これほどまでに何度もカツカレーという文字列を見ると、なんだか食べたいような気になってくるのですから、これが本当にステマだったら物凄い効果だろうと思います。
今回のカツカレー騒動は、もちろんカレーショップのステマなどではなく、親特亞マスコミの安倍自民党新総裁バッシングが意図せぬ方向に走ってしまっただけでしょう。けれどもし親特亞マスコミの思い通りの方向に意見誘導されていればどうなっただろうかと思うと、背筋に冷たい粘着物を貼り付けられたような心地がします。
もっとも今回のような親特亞マスコミの意見誘導は、まさにいつもの手で、既に何度も使い古された手です。その手を親特亞マスコミが臆面もなく使ってくるということは、彼らが愚民相手なら何度でも同じ手が通用すると考えている証拠と言って良いでしょう。
しかし今回、親特亞マスコミのいつもの手は、少なくともネットを活用出来る人々に対しては不発に終わりました。むしろ逆効果だったと言っても良いでしょう。今回のようなあからさまなやり方は、ネットに親しんだ人々にはもはや通用しません。いまだネットに馴染めない人もいるでしょうし、ネットの情報も相変わらず玉石混淆ですが、ネットを上手く使える人々は着実に増え、着実に成長していると感じます。
マスコミとネットの情報の違いは、誰か特定の人物や団体の恣意が働くか働かないかの違いではないかと思います。
マスコミと言うと、何万、何十万、何百万部もの新聞や雑誌を出版し、何千万人もの視聴者に訴えかけることが出来、関連業者も非常に多岐多数であることから勘違いしやすいのですが、紙面や番組の意見や主張や方向性を決めるのは、実は極めて少数の人々です。
また、スポンサーの意向も、紙面や番組作成に当然に大きな影響力を持ちます。マスコミはどこも不偏不党を謳ってはおりますが、安倍自民党新総裁バッシングを社是とする大手新聞社があったり、公営放送であるはずのNHKですら韓流捏風等への大きな偏りを見せているのは、ある程度ネットを用いて情報を探すことに慣れた人なら、周知の事実です。
ではネットはどうかと言えば、これはもうマスコミとは比べ物にならないほど多様多数な立場の人々が意見を持ち寄っています。当然、それぞれの意見には偏りや誤りがあることも珍しくありませんし、サイト管理者によってある程度の意見誘導は可能です。
が、ネットの場合、意見の偏りや誤りは比較的リアルタイムで指摘し、是正することが可能ですし、サイト管理者による意見誘導さえも、対抗するサイトを開設することで指摘や是正が可能です。リアルタイムの情報交換は、ネットの得意分野と言って良いでしょう。
リアルタイムの意見や情報は精製されていない分、虚実が綯い交ぜになっているだけではなく、剥き出しになっています。慣れるまでは情報の取捨選択に苦しみ悩むことも頻繁にあるでしょうけれど、慣れてくれば判断の勘所がわかってくるようになります。
ネットでそれが出来ない人は、マスコミの恣意的な意見誘導にも、軽々と転がされまくる人でもあると思って良いでしょう。ネットでさえ適宜の情報選択が出来ない人は、マスコミにとっては非常に良いお客さん、もっと露骨に言えばネギを背負ったカモです。
ネットと比べると、マスコミはとても便利です。日本では、テレビのスイッチさえ入れればたいていの地域でいつでも何かしら番組が放映されていますし、新聞も、余程地理的条件が悪いところでない限り戸別に毎朝毎夕配達してくれます。巣の中で口を開けて上を向いていれば、あとはピヨピヨ鳴いてるだけでエサを入れてもらえるようなものです。
その点ネットは、検索ワードでさえも自分で考えなければ始まりませんし、首尾よく情報に接する事が出来ても、それを親切に解説してくれる人はいません。自分で考えるか、最低限自分から質問する必要があります。そういうのが面倒くさい人にとって、マスコミの情報発信はとても親切に感じられるでしょう。
そういう点では確かにマスコミは親切ですが、彼らによって口の中に入れられるのが常に美味しい、その人のためになるエサとは限りません。人々を囲い込み、思考力を奪い、マスコミの恣意で操れるようにするためのエサかもしれません。その判断は、自分がしなければ誰もしてくれないのです。
ネットもマスコミも使いようです。今回の安倍自民党新総裁バッシングでわかるように、いくつかのマスコミは明らかに自分たちの恣意で人々を誘導しようとしていました。それが何のためなのか、誰のためなのか、どこへ向けて誘導しているのかを知るには、マスコミだけを情報源にしていては不可能です。
次の衆議院総選挙は、遅くとも衆議院任期満了の来年夏には必ずあります。その際にマスコミの恣意に乗せられず転がされず、もちろんネットの嘘情報誤情報にも翻弄されず、それらの情報ツールを上手く用いて、自分の意見や主張を自分で考え、それに基いて判断し、責任ある一票を投じる日本人が一人でも増えるようにと、心から願う次第です。
親特亞日本マスコミと韓国言論のわかりやすい反応
以前から申し上げております通り、韓国人は対人関係を常に上下で考えます。これは個人レベルの話に限りません。国家レベルでも全く同様です。ですから彼らは、何かにつけて韓国は世界第何位と言いたがり、ホニャララ大国やホニャララクラブ(例:IT大国、20-50クラブ)と言って他国との上下を計ります。そのためか、韓国人にはWin-Winの発想もありません。
通常、その国の政治家はその国とその国の国民のことを第一に考えるのが普通で当然なのですが、日本に関しては必ずしもそうとは言えません。もちろん、日本と日本人のことを最優先に考える政治家もいないわけではありませんが、中国や韓国などの特亞を最優先に考える政治家が、日本には少なからず存在します。
何事も上下でしか考えられない韓国人にとって、韓国を優先しない政治家は、たとえそれが他国の政治家であっても、悪い政治家とみなされるようです。ましてや日本は、韓国人の主観では絶対悪の国です。絶対善たる韓国に常に頭を下げ、謙っていなければならない国です。
その日本の政治家が、日本を最優先する=韓国を第一に考えないなどということは、韓国人の主観では許しがたい不道徳な行為であり、そういう政治家が日本の舵取りを行なうなどということは言語道断な事態なのでしょう。
つまり、日本のある政治家に対する韓国の評価が高いということは、その政治家は韓国人から見て「韓国のことを最優先に考える政治家」ということであり、逆に韓国から嫌われ、特亞に媚を売る日本のマスコミから叩かれる日本の政治家は、日本と日本人のことを最優先で考える政治家と考えて、概ね間違いありません。
「特亞に嫌われる政治家」であれば必ず日本にとって良い政治家であるとまで言えば、それは極端に過ぎますが、少なくとも「特亞に好かれる政治家」よりは日本のことを優先して考える政治家であるとは、十分言えるでしょう。
私は特に安倍氏を支持していたわけではありませんが、まだ総理になったわけでもないのに、これほどまでに親特亞マスコミに叩かれ韓国に嫌われる政治家ならば、これはもう間違いなく日本を最優先に考える政治家と思って良いと断言出来ます。
おそらく次の総選挙で自民党は政権与党になるでしょう。即ち何事も無ければ、今回自民党総裁に選出された安倍氏が日本の次期総理大臣になる可能性が極めて高いと考えて良いと思います。
東日本大震災からの復興や、中露韓との領土問題、長引くというよりも定着した感のある不況、少子高齢化問題等、日本がこれから片付けていかねばならない課題は文字通り山積しております。どれもこれも、打つ手をひとつ間違えれば、後々の大きな禍根となることばかりです。
この難しい時代に、少しでも日本のことを最優先に考えてくれる政治家が、近々日本の舵取りに就くであろうというのは、既に開けてしまったパンドラの箱の底にかすかな希望を見つけたような心持ちがします。
今後の問題は、韓国言論はともかくとして、日本の親特亞マスコミと、それに転がされる日本人有権者でしょう。安倍氏や麻生氏が総理だった頃、箸が転んでも彼らを叩くマスコミにまんまと載せられ転がされ、結果的に民主党に政権を渡してしまったのは、他ならぬ日本の有権者です。
私は民主党に投票しなかったと言いたい人は大勢いるでしょう。私だってその一人です。ですが、それは国内向けでの議論でしか通用しません。日本という国単位で見た時、うかうか民主党に政権を掴ませてしまったのは、紛れもなく私たち日本人有権者なのです。
そのことを私たち日本人有権者が自覚し、反省し、今後の教訓とすることが出来るかどうかが、これからの日本の行方を定めるのではないかと思います。
今回の安倍氏の自民党総裁当選をきっかけに、日本人それぞれが日本と日本人のことをきちんと考え、どの政治家、どの政治団体に日本の舵取りを委ねるのかを、韓国からの騒音や親特亞マスコミの恣意や誘導に惑わされることなく決められるようになればと、願う次第です。
日本国民の望み
「月見櫓がコピペをしている」という意味であれば、弊ブログにおいて引用部分は確かにほぼコピペです。しかし引用したものはきちんと引用であることを明白にするよう努力しております。それ以外の部分は基本的に私の頭の中からひねり出したものです。
私がウォッチしているブログには、よそからコピペした文章を自分が書いた文章であるかのごとく誤認させているブログもあります。そういう場合、それがコピペかどうか判断するのは極めて簡単です。コピペと思しき文節を抜粋して、それをキーワードに検索すれば、コピペである場合は必ず全く同じ文章がヒットします。もし弊ブログで怪しいと思う箇所があれば是非お試し下さい。
「月見櫓のコピペがある」ということであれば、どこでコピペされているのかお教えいただかない限り、これは私にはどうしようもありません。ネット上ではコピペしたりされたりはある程度避けられないものです。それがきちんと引用であることを明示している限り、むしろ弊ブログの宣伝になりますので歓迎です。
最後の「吉野家コピペ」のような「月見櫓コピペ」があるということでしたら、どんなコピペなのか知りたいと思います。書いてる当人としては、あまり定型的にならないように気をつけてはいるのですが、書いてる人が一人ですから、どうしても書き癖はあるでしょう。それが「月見櫓コピペ」と名付けられるほどのものであれば、それを書いた本人として知っておきたいと思いますので、是非ともお知らせ下さい。
そんなことより聞いてくれよ>>1よ、というわけで本日のお題です。
北朝鮮のミサイル発射失敗に関しては、確かに意外でした。というのも、朝鮮人が素直に失敗を認めるのは大変珍しく、嘘でも「人工衛星の打ち上げは成功したニダ」とか言って、北朝鮮以外どこの国にも確認出来ない人工衛星からの、北朝鮮以外どこの国にも聞こえない通信を傍受するのではないかと思っていたからです。
あの北朝鮮がそれをしなかったということは、嘘も言い訳も通用しないぐらいに明らかな失敗をやらかしてしまったのだろうかと思います。
しかしそんなことは正直どうでも良くて、問題は今回の北朝鮮ミサイル発射に対する日本側の危機管理対策のお粗末さでしょう。
今回日本政府は、北朝鮮のミサイル発射に備えて沖縄県石垣島にPAC3を配備すると共に、北朝鮮がミサイルを発射すればただちに全国瞬時警報システム「Jアラート」を作動させるはずでした。
しかし実際には、北朝鮮のミサイルが発射されたにも関わらず日本政府はJアラートを発信しなかったのです。
その理由を日本政府は、「北朝鮮のミサイルがレーダーに映らなかったから」などと説明しているようですが、Jアラートはミサイルが発射されれば発信するはずだったものです。レーダーに映ろうと映るまいと、発射されたことが確認出来ていれば遅滞なく発信しなければ何の意味もありません。それを日本政府の恣意的判断で発信しなかったのですから、まことに現在の日本政府は日本国民の生命・財産を守る意思が極めて希薄なのだとしか考えようがありません。
なお、自衛隊の名誉のために申し上げれば、自衛隊は北朝鮮のミサイル発射直後に信号弾を発射して、早期警戒を知らせていたことが確認されております。
東日本大震災の時もそうでしたが、現場はやるべきことをきちんとこなしていても、中枢でそれを阻害しているというのが、現在の日本の状態と言えます。
今回のように事前に予告されていたミサイル発射でさえこの醜態ですから、もし日本に対して予告なしの攻撃が行なわれれば、どれほどの被害が出るか想像するのも恐ろしいほどです。
前回も申し上げましたが、北朝鮮も韓国もさほどに恐ろしくはありません。恐ろしいのは、日本国内の中国や北朝鮮、韓国に加担する反日勢力であり、その彼らが決して小さくない権力や権威を既に手中にしていることです。
しかもこの期に及んで、日本の防衛副大臣は韓国軍との連携や情報共有体制の構築が必要だという認識なのですから、手のつけようがありません。
何度でも繰り返し申し上げますが、北朝鮮と韓国は標榜する主義が異なるだけの一卵性結合双生児です。更に言えば、韓国は既に北朝鮮による赤化工作が浸透しており、韓国内には北朝鮮の工作員が多数潜伏しているのは、恐らく間違いないでしょう。もちろん韓国軍も例外ではありません。
そんな韓国軍なんかと連携した日には、今でさえグダグダの日本の危機管理対策が更にズタボロになるのは必至です。
昨年の東日本大震災と今回の北朝鮮ミサイル発射で、日本の現政府には万一に備えることも、万一が到来した場合の対応も、全く期待出来ないことが明らかになりました。それでも日本国民がそれに否やを唱えないのであれば、日本国内の反日親特亞勢力に、それが日本国民の望みだと思われても仕方ないのではと思います。
元を断たねばいたちごっこ
ググッてみると、なるほどそういう報道もありますので、すべてが事実かどうかはわかりませんが、単なる噂ではないでしょう。ただこれは、特に建設会社に限った話ではなく、現政権が全力をあげて行なっている日本破壊工作活動によって現れた現象のひとつだと思います。
個人的に私は、土建業界に良い感情を持っておりません。それはある建設会社の社員がブログで、「土建業界こそが日本を支える絶対にして至高の存在。かつての阪神淡路大震災の復興も今回の震災も、すべて土建業界が多大な犠牲を払って主導した。だから政府は土建業界に公共事業費をジャブジャブ注ぎ込むべき。そうしなければ日本はホロン部」と執拗に喚き散らしていたためです。
もちろん、そのブロガーの意見が土建業界の総意とは限りません。が、このご時世、苦しいのはどこの業界も同じです。例えば、私が個人的に詳しい旅行業界などは、風評や自粛による旅行需要の激減のみならず、インフラ面でもほぼ全方位的に壊滅的打撃を被っております。それでも政府から予算が下りる見込みは、土建業界と比べれば、ゼロとは言いませんが限りなくゼロに近いでしょう。
あるいは農林水産業も同様です。前述した旅行業界については、旅行しなくても人は死にません。ですから、政府のバックアップが後回しだったりなかったりするのも、しかたないという面はあります。しかし農林水産業は違います。人間は、食わないと確実に死にます。その食べ物を供給する最初の第一歩が農林水産業です。「農は国の本なり」などと言いますが、そのとおりだと思います。その農林水産業も、今回の震災で甚大な被害を受けており、農林水産業者に対する補償はどうにか出来るかもしれませんが、得られなかった収穫はどうにも出来ません。どんなに金を注ぎ込んでも、蒔かない種子が実を結ぶことはないのです。
「パンが無ければケーキを食べれば良いじゃない」とばかりに、「足りない農作物は、他国から買えば良いじゃない」と思う人は少なくないようですが、どこの国も基本的には自国の需要を満たしてからです。仮に、十分に食糧が輸入出来るとしても、国内の農林水産業者に補償した上で更に他国から農作物を買えば、いくら日本で作るより安くても費用はかさみます。もちろん「食の安全」という問題もあります。
他にも報道にもあるとおり、流通や運輸業界も非常に苦しんでいるでしょうし、その他の各種業界も、苦しんでないところを探す方が早いぐらいです。その中で、土建業界が全く苦しんでいないとは言いませんが、莫大な復興需要が見込める分、他業界と比べればむしろ恵まれているとも言えます。
なのに、どこからの受け売りか知りませんが、仮にも端くれでも業界関係者が、これ幸いとばかりに土建屋用に「100兆円規模の大型補正予算を組め」などとは、それこそこのご時世、あまりにも不謹慎の謗りを免れないでしょう。しかもそれをまるで土建業界の本音を代弁してるが如くにブログに書いて世界中に発信している以上、土建業界に直接的関わりを持たない者が、「なるほど土建業界とはそういう性根の業界なのか」と受け取るのも致し方ないと思います。
しかも「仮設住宅で、韓国・中国などの海外製品が納入される理由とは?」と、中韓からの仮設住宅資材調達を、土建業界関係者自らがある程度受け容れてるのですから、門外漢がとやかく言う気にはなれません。
もっとも、この手の「国内で十分需要が満たせるのに、中韓からあえて輸入する」というのは建築資材に限った話ではありません。例えばインスタントラーメンやミネラルウォーターも、いまだスーパーの店頭で山積みになっております。おそらく、もっと目立たない分野でも同様の例があるでしょう。
これらは、要するに中韓に便宜を図りたい、良い顔をしたいという日本人が各業界の上層部に存在するという証左です。その最たるものが、日本の現政権であり、現内閣であり、現総理大臣です。
日本に工作活動を仕掛けてくる中韓人は間違いなく存在し、それが仮設住宅資材やインスタントラーメン、ミネラルウォーター、韓流報道などに現れていることは事実です。しかしもっと根源的な問題は、そういう工作活動にホイホイ乗ったり、あるいはその工作活動を庇護したり助長する日本人が少なからず存在するということではないでしょうか。
それを監視したり、警告する日本人の存在は、中韓工作員やその工作活動を庇護したり助長する日本人にとっては目障りこの上ないようで、スキあらば牽制し、その意欲を萎えさせようとするのは、つい先日弊ブログでも見られたとおりです。
結局、「建築資材やインスタントラーメン、ミネラルウォーターなどを韓国から必要以上に輸入する」という現象は、あくまで枝葉末節です。枝葉末節を無視しろとか切り捨てろなどとは言いませんが、その現象が生じている原因は何かを冷静に見つめ、それを改善したり解決するには何をどうすれば良いのかを、それぞれ真摯に考えることが、今後の日本人には必要なことではないかと思います。
こんな時期だからこそ
それでもこの期に及んで、尚も「今はそんなことをしている場合じゃない」とか、「民主党がダメだと言うなら、自民党なら出来ると言うのか」という意見が少なからず出ていることに、少々驚きと言うか、呆れる気持ちを禁じ得ません。
「経験・人材不足の民主党が上手く対応出来ないのは予想できたこと」と言って、「自民党や、民主党政権に批判的な人々も、この国難の折には、利害を捨てて現政権与党をフォローすべきだった」などと言う人がいます。
ですが政権交代前に、民主党には無理だ止せやめろと散々言われていたにも関わらず、ケンチャナヨ、もとい大丈夫と言い張って政権を獲ったのは、一度やらせてみてダメだったらやめさせたら良いと嘯いて獲らせたのは、いったい誰だったのでしょうか。
そうやって政権を獲っておきながら、あるいは獲らせておきながら、いざ有事が勃発するや「ウリが上手く出来ないのは、ウリに無条件協力しない人々がいるからニダ」とは、責任感がないにも程があります。
そもそも、現内閣はいまだに「我が党には復興対策能力がない」とは全く言ってません。いまだに「明日から本気出す」を毎日言ってるような状態です。
それにもし、自民党なりその他の政党なりが、一切の見返りを求めず全てのリソースを惜しみなく注ぎ込んだとしても、それを民主党が主導して上手く活用出来るかどうかと言えば、正直大きな疑問符が付きます。
もしそれで上手く行けば、その手柄を民主党が独り占めで持って行くのは火を見るより明らかですが、それでも上手く行けばまだ御の字というものです。
最悪なのは、民主党が主導して自民党やその他の政党の持つ全てのリソースを注ぎ込んだ挙句、上手く行かなかった場合です。もしそうなってしまったら、日本全体として打つ手は完全になくなります。震災以後の現政権の対応を見る限り、それは決して杞憂でないのです。
確かに、被災地や被災者のことを思えば、党利党略などは一旦措いてと言う人の気持ちはよくわかります。私も震災発生直後は、強烈にそう思っていました。被災地では、選挙どころではないというのも、現実問題としてよくわかります。
しかし当の内閣が、政権与党が、その党利党略を手放さないのです。このまま現政権現内閣に復興対策を任せておけば、事は「上手く出来ない」などという事態で収まるとは思えません。というか既に、もうそんな事態ではないのです。
「だったら現政権与党でなければ上手くやれると言うのか」などと言うのは、「現政権与党では上手く出来ない、出来ていない」という事実から目を逸らすための、卑怯な問題のすりかえです。
神でも仏でもない普通の人間がやる限り、誰がやろうとちちんぷいぷいで何もかもが上手くいくような魔法の呪文はありません。それでも、震災発生後3ヶ月近くも経って何も出来ない、やろうともしない連中に任せておく方が良いとは、私には微塵も思えません。
現政権与党のやり方が拙いとか、経験不足ゆえの不手際とか、事態はもうそんなレベルではないのです。今、政権にしがみついている連中を、一刻も早くひっ剥がさないと、本気で日本が死んでしまうというところにまで来ているのです。
以前「日本の政治に朝鮮人が関わればどうなるか実験中」という記事で書きましたが、まことに日本を滅亡させたいと願っている、朝鮮人のような人々が現政権を構成しているとしか思えません。
もし現政権として、現在の事態に不満があるとすれば、それは彼らがコントロールして日本を死なせようとしているわけではないという点でしょう。地震のような不測の事態に頼るのは、おそらく彼らの本意ではないと思います。
それでも今現在、日本が彼らの望みどおり瀕死の状態に陥ってるのは事実です。日本を滅亡させたい人々にとっては、これは何が何でも逃したくないチャンスなのでしょう。だから彼らは、必死で政権にしがみついているのでしょう。一日でも長く彼らが政権にしがみつけば、その分日本の寿命が縮むのですから。
そんな連中を支持する人々も、ひいては日本の息の根を止めたいと望んでいる人々なのだと思います。
日本に帰化するということ
と言うと、「朝鮮人が日本に帰化することを認めるのか!」と非難がましい口調で言われることが幾度かありました。
確かに、これまで何度か述べてきたように、何代日本に住んでも朝鮮人は朝鮮人だと思います。それどころか、ほとんど日本人血統なのに、何分の一か朝鮮血統が入るだけで、全身全霊で朝鮮人になってしまう例さえ、いくつか見たことがあります。
張景子にしても、白眞勲にしても、日本に帰化していながら結局は朝鮮人かと思う言動をする帰化日本人はいます。そんな連中に対する嫌悪と、そんな連中が日本に増えることを憂慮する感情は、もちろん私にもあります。
だからと言って「朝鮮人である」という理由だけで日本への帰化を拒むことは、現実問題として可能でしょうか。
日本では、どれほど嫌韓が台頭しようと、「朝鮮血統を持つ者には帰化の権利を与えない」などと条文に明記することは出来ないでしょう。生まれながらにその国の国籍を持っていても、血統上敵国の人種ならば問答無用で強制収容所へぶち込んだり、64分の1でも黒人の血統が混じっていれば黒人とみなすことを法律に明記している国のような真似は、日本には絶対に出来ないと思います。
ならば帰化を希望する外国人には、日本人以上に日本人となることを求め、帰化した以上血統が何であれ思想がどうであれ、徹底的に日本への忠誠と日本人としての義務と責任を求め続ける方が、よほど現実的ではないかと思うのです。
たとえ便宜のためであろうと、帰化日本人は、基本的には全て自ら望んで日本人となった人です。故に、生まれながらに、本人の希望の有無とは全く無関係に日本人で、そのために日本人としての意識が薄弱な日本人などよりも、ずっと日本人たるべき意識を強く硬く持っているはずですし、また日本国と国民から、そうであることを強く求められるのも当然でしょう。
もちろん、かつての祖国に対し、好意や共感を持つのは各人の自由です。生まれながらの日本人でも、ある国に強い好意を持ち、「ドコソコ国は俺の第二の故郷」と言う人はいるでしょう。「だから俺は、日本とドコソコ国の友好のために尽力したい」と言う人もいるでしょう。そう言ったからとて、直ちに「さてはお前、ドコソコのスパイだな」などと言う人はいないと思います。
しかしそう言う日本人がドコソコ国の利益のために、あえて日本国の不利益になるようなことをすれば、これは立派な売国行為です。本人の意識や実態がどうあれ、スパイと呼ばれるに相応しいと思いますし、日本国と国民から強く非難され、程度や場合によっては処罰の対象とされるべきだと思います。
それと同じことを、帰化日本人にも求めれば良いだけのことだと思うのです。
かつての祖国に好意や共感を持つことまでは咎めないが、日本とかつての祖国の間に利害がある場合は、疑うことなく迷うことなく日本の利益を優先するのが、帰化日本人ならば当然です。何しろ彼らは自ら望んで帰化した日本人なのですから、生来の日本人よりも更に強くそれを求められるべきでしょうし、日本に帰化した当人も、他人から求められるまでもなく、その姿勢を明確に周囲に示すべきです。
しかし現在の日本では、「帰化したとはいえ元々朝鮮人だから」という主張が、何故かまかり通ります。これは帰化日本人側が一方的に主張するだけではなく、在来日本人側も、それを認め受け入れてしまっています。
生まれながらの日本人が反日的な言動をしたり、主義主張や行動がどれほど朝鮮人のようであっても、決して「国籍や血統は日本人でも、思考が朝鮮人だからしかたない」などと言わないでしょうに、元々が朝鮮人の帰化日本人に対しては「国籍が日本でも、血統が朝鮮人だからしかたない」などと言って納得してしまいます。
それではその帰化日本人は、いわゆる「在日特権」を持ったまま、日本国籍も得られたようなものです。それを日本人側から認めてしまってどうするのでしょうか。
日本に帰化する以上、生まれながらの日本人よりも強く深く硬い日本への忠誠の提示を求めるべきですし、それを拒否する外国人は、日本への帰化を認めないと宣言することは、たとえ日本であっても十分可能なはずです。
ところが現実は真逆です。
かつては、帰化に際し日本への帰化を希望する作文(帰化の動機書)を、申請時に係員の前で音読する必要があったと言います。しかしそれは、朝鮮人などの特定外国人にとっては極めて屈辱的であるということで、現在音読は行なわれなくなっています。更に特別永住資格を持っていれば、その作文の提出さえ免除されます。
つまり現在の日本では、帰化を受け付けるに当たって、その外国人の日本に対する忠誠心など、全くと言って良いほど確認していない=求めていないのです。
それで反日意識を濃厚に持ったままの朝鮮人が日本に帰化しまくってると言っても、これは朝鮮人側の問題と言えるでしょうか。私はそうは思いません。結局は日本人側の意識の問題だと思います。
先にも述べましたが、日本において、特定の国家の国民であることを理由に帰化を拒否すると明記した法律を作ることは、まず不可能でしょう。しかし反日思想や、日本に害意を持つ者の帰化を拒むことならば、十分に可能なはずです。帰化を希望する以上、その条件に日本に対する絶対的な忠誠の提示を求めることを法律に明記し、その確認を実行することも、決して不可能ではないはずです。
日本に帰化するということは、そういうことであるということを誰よりもまず日本人側が強く意識し、帰化を希望する外国人に対しては、断固としてそれを要求し続けることこそが重要なのであって、感情論で「朝鮮人の帰化など認めるな」と叫ぶことは逆効果になることはあっても、得られるものは皆無だと私は思っています。
日本の復興の行方を占う第17回統一地方選挙
今回被災された皆様のお気持ちは如何ばかりかと思うと、本当に申し上げる言葉もございません。今回の震災に対し、何の知恵も力も持たない私ですが、せめて私に出来ることを出来る範囲ですることで、わずかでも復興の力になりたいと、少なくとも足枷にはならぬようにしたいと思います。
さて、震災被害の対応と復興に向けて、最も知恵と力を持っているべき日本政府ですが、現在までの対応は評価にさえ値せずとしか言いようのないレベルです。
震災発生から一ヶ月近く経っているのにこの体たらくですから、おそらく今後も同様でしょう。とにかくやることなすこと後手にまわるわ決断力に欠けるわ責任感は無いわで、韓国にさえ「日本(政府)が無能だ」などと言われております。そういう発言が出た経緯はさておき、日本政府が無能という一点については返す言葉もありません。
というか、以前「日本の政治に朝鮮人が関わればどうなるか実験中」という記事で書きましたが、現政権を牛耳る朝鮮人のような人々が、この機に乗じて日本を永眠させるつもりなのではないかと勘ぐりたくなるほどの酷さです。
そこまで言うなら、もし現在も自民党政権であれば、今回の震災に際し一点非の打ち所のない対応が出来たと思っているのかと、民主党支持者や「民主党に一度やらせてみれば良いじゃない~」などと言ってた方々は、きっと言いたくなることでしょう。
私は積極的自民党支持者ではありませんが、仮に自民党に対して信仰に近い信頼を抱いている支持者であったとしても、「自民党なら今回の震災に際し一点非の打ち所のない対応が出来たはずだ」とは思わなかっただろうと思います。だからこそ、震災直後は現政権で対応していくべきだと思いました。何故なら一刻を争う対応が必要なこの時に、政策云々で指導層が混乱を起こせば、それだけで対応にロスが出るだろうと思ったからです。
今回の震災に「一点非の打ち所のない対応」など、誰であろうと神ならぬ身の人間に出来ることではありません。誰が何をどのようにやろうと、絶対に百点満点の対応は出来ません。その時点で考え得る最高の対応をし、最高の選択をしようと、それに対する批判や非難は、後から必ず出てきます。それは現政権が自民党であろうと民主党であろうと同じです。
ただ今回の事態は、戦争にも匹敵する非常時です。自らが持つ権力と責任において、たとえそれが民主主義に悖ると非難されようとも、強権を発動してでも事態の収拾に当たるのが政権を担う者の責務です。それに対する責めは、事態が収束してから存分に受ければ済む話です。
どの政党がやろうと批判や非難は必至ならば、政権を担っているという責任感と覚悟さえある政党ならば、たとえ平時の政策に不満があるとしても、この非常時に足をひっぱるべきではないと思い、今は民主党政権の是非を言うべき時ではないと、震災直後は思いました。
しかし今までの民主党政権の対応を見る限り、現政権に「政権を担っているという責任感と覚悟」があるようには、全く見えません。
自民党が政権与党であったとしても、その対応は民主党政権と大差なかったかもしれません。しかし、ひとつだけはっきり言えることは、長年政権を担っていた自民党であれば「政権を担っているという責任感と覚悟」だけはあったでしょう。
ただ、もし仮に現在自民党政権であれば、民主党は全力を挙げてその足を引っ張っていたでしょう。それは現在の民主党政権の挙動から言っても、疑う余地がありません。それを思えば、今が民主党政権であることは、そうでなかった場合よりはオールジャパンの態勢が取れているとも考えられるのが、唯一の救いと思うことは出来ます。
とは言え、そのことだけで民主党の酷さを補うには限界があります。
以前「日本人としての意識と自覚を持つために」という記事で民主党を批判したら、「果たして「どこ党」が相応しいと言いたいのでしょうw 」などというコメントが付きましたが、そう言う方は私が「皆さん!ホニャララ党に入れましょう!」と言えば、何も考えずにそれに従うとでも仰るのでしょうか。それは、「一度やらせてみれば良い」というマスコミの煽動に乗って、深く考えずに民主党に投票するのと、どう違うのでしょうか。
明日は、第17回統一地方選挙の前半戦となる投開票日です。
個人の一票は、確かに小さな一票です。あってもなくても大勢に影響なくね?と思ってしまいそうになる気持ちはわかります。しかし、現実にそういう一票が積み重なって、民主党なんかに政権を渡すことになってしまいました。その結果、失ったものは小さくも少なくもありません。
今回の投票結果次第で、何もかもが劇的に変わるなどということも、おそらくないでしょう。しかし小さな方向転換であっても、今ここで変えることが出来れば、将来到達出来る位置は必ず大きく変わってきます。
どうぞ有権者の皆様方におかれましては、各自よく見よく聞きよく考えた上で、責任ある一票を投じられますよう、皆様と同じ小さな一票を持つ無名の市民の一人として、申し上げたいと存じます。
今は被災地支援に専念する時
地震国日本では、大きな地震を体験した人は少なくありません。私にしても1995年に阪神淡路大震災を体験しておりますし、2004年の新潟県中越地震も非常に大きな震災でした。そういう具体的な自分たちの恐怖の体験に、更に津波と原発事故が重なった今回の震災を、我が身につまされる想いで見つめている人は多いのではないでしょうか。
これは謂わば日本と地震災害との戦争です。今は日本国民が一致団結して、事に当たるべき時です。少なくとも私は、そういう気持ちで今回の震災を見ております。
今回のような事態に直面すると、最も恐怖心を煽るのは情報の少なさよりは錯綜です。どうか読者諸姉諸兄におかれましては、デマの拡散に加担しないでください。有用な情報を得たと思っても、それをすぐに拡散するのではなく、その情報がどれぐらい信用のおけるとこから、誰の責任で発せられたものなのかを、必ず確認して下さい。弊ブログを読める方ならば、情報の確認はそれほど難しいことではありません。
特に今回は、原発事故の風評が甚だしいようです。確かに日本人なら誰もがたいてい、原爆の恐ろしさと共に放射能の恐ろしさを叩き込まれております。更に、放射線は目で見ることも出来ませんし、余程のレベルにならない限り肌に感じることも出来ません。まさに、見えない恐怖そのものなわけです。その上、今回は原発反対派が雀躍りしながら、その恐怖を煽る風評を広めております。
しかし、事故は最早起きてしまったことです。恐れても恐れなくても結果はさほど変わりません。無闇と見えない恐怖に怯えて騒げば、それは周囲の人にも伝染します。それよりも、少しでも多くの正確な情報を集め、それを元に冷静に判断する方が、どれだけ精神衛生的にも良いでしょうか。
今回の震災に際し、私も言いたいことはたくさんあります。特に現政権に対しては、本当に、何故今この時に、この政権なのかとホゾを噛む思いで一杯です。原発の是非についても然りです。
しかし今は、それを言う時ではありません。今は、幸いにも生き延びることが出来た被災者を、更に幸いにも、さほどの被害を受けなかった私たちが全身全力で支え、被害を少しでも小さく抑えるために日本国民が力を合わせる時だと思います。
でも、個人で出来ることには限界があります。ですから、個人で何もかも十全にしようと思わないでください。ユニクロの社長みたいに、誰もが個人で10億円も寄付出来るわけではありません。長者の万灯より貧者の一灯と言います。それぞれが自分の出来る範囲で、出来ることをしましょう。
個人で行なう被災地支援で、最も効率的で確実な方法は義捐金です。これは色んな方法で可能です。コンビニで買い物をしたら、そのお釣りを募金箱に入れるのも良いですし、さまざまなメディアも窓口になっております。ネットを通じて義捐金を送ることも極めて容易です。各自お好みの方法でなさってください。
しかし普段の生活を崩してまでする必要はありません。被災地への最も大きな支援は、被災しなかった地域がより活発な経済活動を行なって、被災地の分まで稼ぐことです。自粛ムードで日本経済を冷え込ませても、被災地には何の支援にもなりません。
さて弊ブログの性質上、韓国のことにも少し触れておきます。
韓国はいつもどおりです。地震当日、日本に居た韓国人どもはまさに泡を食らって韓国へ逃げ帰ろうと空港へ殺到したそうです。その勢いで、在日も全部帰ってしまえば良いのにと思います。
本国韓国人はと言えば、日本が地震と津波と原発事故のトリプルパンチを食らって苦しんでいることに、こみ上げる優越感を禁じ得ない者が多いようです。
世界中が日本に同情と励ましの視線を向けてる現在、そういった歪んだ優越感を露骨に示す者はさすがに韓国社会でもたしなめられておりますが、優越感を隠してるつもりで黄色いアンヨが見えてる連中は腐るほど見られ、吐き気がするほどです。
例えば私がしばしば取り上げる日本語が堪能な韓国人工作員「脳足りん君」のツイッターでは、「募金額ではなくコメントに感動する。1万ウォン(約1000円)募金しながら「愛憎の友人、日本よ!立ち上がれ!我々の子孫たちに住みやすい世界を作ってあげよう!」ってかっこよすぎだろ(笑)」というツイートがありました。
義捐金額の多寡を言う気は全くありませんが、「1万ウォン(約1000円)」というチンケな見栄の張り方(3月16日現在のレートでは、1万ウォンは720円足らずです)にも、「我々の子孫たちに住みやすい世界を作ってあげよう!」などという意味不明な上から目線も、これを「かっこよすぎだろ(笑)」と称賛する脳足りん君にも、吐き気がします。
こういう傾向が韓国の大手言論から個人に至るまで、概ね似たり寄ったりであることは、ネットでちょっと調べればいくらでも出て来ます。
韓国のこういう下衆な意識と比べれば、ベトナムのこういう言葉の方がずっと私たちの心に響きます。
今、日本は韓国などに構ってる場合ではありません。韓国の実態を暴き、それを解説するには精神衛生的に私自身にも余裕がありませんので、今はあまり詳しくご紹介いたしません。それにたとえ偽善であっても、思惑や下心があるとしても、日本に対して韓国から支援の申し出があることは事実です。そのことは、日本人としてひとまず評価するべきでしょう。
出来れば韓国は、足手まといになりそうな人的支援や、まず確実に独善的になるであろう物質的支援よりは、偽善で良いので金銭的支援に専念して欲しいとは思いますが。