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春窮麦嶺

「春窮麦嶺越え難し」という言葉を目にされたことがおありでしょうか。

朝鮮では、職人や商人を蔑む風潮があり、民衆の多くは農民でした。しかし朝鮮半島は農業適地とは言いがたい風土で、しかも支配階級の両班による搾取は過酷を極めました。農民たちは秋の収穫の七割を両班に取り上げられ、残る三割で冬を越さざるを得ませんでしたが、春麦の収穫までの端境期にはそのわずかな蓄えも無くなり、草の根や木の皮を塩水で煮て食いつなぐのが年中行事だったといいます。当然、その時期には大量の餓死者が出るのが通例でした。この時期を「春窮」と呼びます。

「春窮」は、実は李氏朝鮮時代だけの話ではなく、きわめて近年、具体的には確か韓国では1970年代頃まであった話です。そして北朝鮮では、まさしく現在、そしてこの時期に、春窮餓死者が出ていると推測されます。

李氏朝鮮時代の春窮は、確かに両班による過酷な搾取や、農業不適地での農業を強いられるという環境にも確かに問題はありますが、朝鮮人の刹那的な生活態度も原因のひとつと思います。

日韓チャットでの韓国人にも「今、この瞬間さえ良ければ良い」という態度がしばしば見られます。例えば、彼らはしばしば私たちの話に激昂して反論するのですが、その反論は、たいていの場合次の瞬間に粉砕され、そのまま反論を向けた相手に突っ返されます。

将棋に例えると、こちらが王手飛車取りの手を打ったところ、相手側が飛車を逃がしたので、こちらが次の一手で玉を取るようなものです。

ところが韓国人は、玉を取られるまでそれが王手飛車取りということに気づいていません。また仮にそれが王手飛車取りと気づいていても、今は飛車を取られることに我慢が出来ないので、平気で飛車を逃がします。そして日本人が玉を取って「はい、詰んだ」と言うと、そこで初めて玉を失ったことの重大さに気づき、火病発作を発症するのです。

他に朝鮮人の刹那主義を挙げると、韓国の国史教科書に、朝鮮開国直後のこんな話が載っています。

----------以下引用----------
 開化運動が進んでいくうちに、いろいろな問題点もあらわれた。綿布を売るわが商人の商店より、絹織物を売る外国商人の商店に押しかけた人が多く、なべ、農器具、灯油など各種の輸入品を買うためには、多量の穀物を売らなければならなかった。
 これを利用して、前もってお金を貸して、秋の取りいれのときにとほうもない利子をつけて多量の穀物で返させる日本人もあらわれた。

----------以上引用----------
国定韓国小学校社会科教科書の日本語翻訳版(97年の新年度から小学校6年生用の「社会科1」教科書)より引用

これなどは、日本人の悪辣さを強調したいがために書いたものだと思われますが、よく読むと「綿布より絹織物を売る店に押しかける」とか「なべ、農機具、灯油などの各種の輸入品を買うために、多量の穀物を売る」など朝鮮人の無計画な経済観念を露呈しているものになってしまっています。

そもそも、「毎年決まって春窮に苦しみ、餓死者が出る」というのがわかっているのに、どうして対策しないのかという疑問もあります。「どうせ両班に搾取されるから」という理由を見たことがありますが、こんな理由は「元寇の時に、日本を攻めるのが嫌だったから、自分たちが渡海するための船を手抜きして作った」という理由に通じる荒唐さがあります。結果的に自分の命が危険に晒されることになるのに、そんなことが理由になるわけがありません。

考えられるのは、「働くのが嫌だから」、「今さえ良ければ、明日のことまで考えてないから」という理由です。そう考えれば、朝鮮で春窮による餓死者が出るのが年中行事になるのも頷けます。

しかし、もし私が日韓チャットをしていなければ、こんな理由は思いつかなかっただろうなとは思いました。




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特亞の男女出生比率

昨晩、近い身内に不幸があり、ちょっと落ち込んでおります。なんと言うか、人生って果かないですね。でもまあ、生まれてこれただけでも幸せなのかな。

ところで、「生まれてくる」で思い出したのですが、出生時の男女比率というのは、自然な状態ではわずかに男子の方が多いそうです。しかし出生後に死ぬ確率も男子の方が高く、最終的には男女がだいたい同じ比率に落ち着くようになっているそうです。

以前、竹島論議のことを調べるうちに、アメリカのCIAが作成したWorld Fact Bookというサイトに突き当たりました。

これには世界各国の様々な情報や数値等の資料が記載されており、当然ながら竹島が日本と韓国との領土紛争地であることも記載されております。

この中に、興味深い資料があります。それは各国の男女の人口比です。

ちなみに、このWorld Fact Bookには「World」という項目もあり、そこでは各国同様に世界の情報や数値的資料も載せられております。世界の男女比率の数字も、もちろん載っておりますので、参考のためにご覧ください。

----世界----
Sex ratio(性比率):
at birth(出生時): 1.06 male(s)/female (女1に対して男1.06)
under 15 years(15歳以下): 1.06 male(s)/female (女1に対して男1.06)
15-64 years(15-64歳): 1.03 male(s)/female (女1に対して男1.03)
65 years and over(65歳以上): 0.79 male(s)/female (女1に対して男0.79)
total population(総人口計): 1.01 male(s)/female (女1に対して男1.01) (2005 est.)
----世界----

次に日本の数値をご覧下さい。
----日本----
Sex ratio:
at birth: 1.05 male(s)/female
under 15 years: 1.05 male(s)/female
15-64 years: 1.01 male(s)/female
65 years and over: 0.73 male(s)/female
total population: 0.96 male(s)/female (2005 est.)
----日本----

次に韓国の数値です。
----韓国----
at birth: 1.08 male(s)/female
under 15 years: 1.11 male(s)/female
15-64 years: 1.03 male(s)/female
65 years and over: 0.67 male(s)/female
total population: 1.01 male(s)/female (2005 est.)
----韓国----

韓国の15歳以下の男女比率が、世界平均や日本平均と比べると、かなり強い偏りを見せていることにお気づきになったかと思います。出生時の比率は実はこの3年でかなり改善されております。確か2002年の資料では、韓国の出生時男女比は、女1に対し男1.11だったと思います。

韓国では明らかに、男女の出生に関して何らかの人為的操作が行われているということが、この数字から容易に読み取ることが出来ると思います。そして【何らかの人為的操作】というものが何かということは、皆さんにも想像がついていると思います。

男子偏重の余りに行われる操作は、韓国の社会にも強い影響を与えておりました。最近はかなり改善されたようですが、それでも第一子と第二子が女児であれば、第三子が男児であることを期待する周囲のプレッシャーは、日本の秋篠宮妃殿下が現在受けられているプレッシャーと等しいと思われます。

そうは言っても、韓国はまだ中国よりマシなんですけどね。でも中国は、公表されてない部分も多いんで、あんまり参考にならないんですが。

一応、参考までに中国の数値を載せておきます。
----中国----
Sex ratio:
at birth: 1.12 male(s)/female
under 15 years: 1.13 male(s)/female
15-64 years: 1.06 male(s)/female
65 years and over: 0.91 male(s)/female
total population: 1.06 male(s)/female (2005 est.)
----中国----

ちなみに北朝鮮は、出生時点では何気に優等生な数字です(その後がえらいことになってるけどw)
----北朝鮮----
Sex ratio:
at birth: 1.05 male(s)/female
under 15 years: 1.03 male(s)/female
15-64 years: 0.97 male(s)/female
65 years and over: 0.53 male(s)/female
total population: 0.94 male(s)/female (2005 est.)
----北朝鮮----




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檀君神話解釈 あとがき

「檀君神話シリーズ」全4回、如何でしたでしょうか。

このシリーズは、実は半年くらい前にこのブログとはまったく無関係に書いたもので(そもそも、当時はブログを始めていませんでした)、日韓チャットの常連日本人に見せたことはありますが、基本的にはどこにも発表せずしまっておいたものを焼き直したものです。

実は数日前から風邪を引いてしまい、ゼロから文章を構築するには、頭痛が邪魔をしてどうにもならなかったという事情がありまして、昔の文章を引っ張り出すという姑息な方法を取りました。これが案外好評だったのには、正直なところ驚いております。

この仮説自体は、2年くらい前から持っていたのですが、これをまとめて文章にしたのが半年ほど前です。この時、日韓チャットの常連日本人たちに見てもらって意見を聞いてみました。その意見の中に「この論を裏付けるためには、中国の文献にこれと対応する資料があるかを確認しなきゃね」というアドバイスがありました。

なるほど、そういうものかと思って、中国の文献資料を探してみようと思い、実際幾つか当たってみたのですが、正直なところ箕子伝説以上にこの伝説に近い話を探せませんでした。

さらに調べるうちに、現在朝鮮で行われている檀君神話解釈もなんらの根拠資料も無く、中国の文献資料との照合も行われていないことがわかりました。と言うわけで「なあんだ、根拠無しでも、恣意的な解釈でも良いんじゃん♪」と私が思ったとしても、許していただけると思います。

つまり4日に渡って繰り広げた拙論は、現在朝鮮で行われている解釈論と同レベルの「無根拠恣意的解釈論」です。この点あしからずご了解ください。



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でも従来論より説得力ないですかね?
あると思った方も、あるかボケと思った方も
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檀君神話をご存知ですか?Vol.4

檀君神話解釈、最終回です。

さて、前回は「比較的好意的な解釈論」を述べました。今回は比較的好意的ではない方の解釈を述べます。

神話の中で、原住民たちは、ヨモギとニンニクだけという粗末な食物を与えられ「日に当たらず物忌みせよ」と桓雄に命じられます。このことから想像するに、彼らはあまり条件の良くない土地に押し込められたのではないでしょうか。

桓雄族が朝鮮半島に入植した際、彼らは開墾しやすい土地を占有しました。それは武力によってか、あるいは平和的な方法だったかはわかりませんが、獣に擬された朝鮮半島原住民はおそらく農業を行っていなかったでしょうから、桓雄族が入植した時点では土地争いは起こらなかったのではないかと思います。

しかし原住民たちが入植者に農業を教わろうとしたときに彼らに与えられた土地は、新規入植者が開拓をためらったような土地だったのではないでしょうか。

原住民は、桓雄族に教えられたとおりに開墾作業をしてはみましたが、目に見えるような変化がすぐには現われないのが農業です。それを不満に思った原住民が、桓雄族に対して反乱を起こします。しかし圧倒的な文明の差で、原住民側はたちまち鎮圧・駆逐されます。

通常、支配民族と被支配民族との関係においては、男子は根絶されます。しかし女子は残され、支配民族と混血するのが常です。この檀君神話においても、まさに熊=女性原住民は桓雄と交わり子供を産んでおります。

つまり檀君神話は、支配民族と被支配民族との関係を投影したものではないかというのが、私の仮説です。

さらに大胆な仮説を試みるならば、檀君神話にも登場する箕子こそが「桓雄」ではないかと考えます。箕子は、中国の王族の出身であり賢者であったが、時の皇帝に迫害され狂者のふりをして逃れたといいます。

現在箕子の実在を裏付ける考古学的資料は皆無ですが、それは「中国人が朝鮮の祖であることは認めたくない」という現代朝鮮人の感情的理由から、箕子伝説についての調査・研究がなされてないだけだと思います。

実際、現代朝鮮人は自分たちの思惑から外れた考古学的発見は良くて黙殺、悪ければ破壊してなかったことにしてしまうことがありますから、あり得ない話ではありません。

文化でも歴史でも、本来の発生時期よりも早い時期に朝鮮半島で発祥したと唱えるのは、現在でも朝鮮人が日本の優れた文化を朝鮮起源と唱える際によく見られる方法です。すなわち日本でその文化が発祥したとされる時期よりも上代の話を捏造して、日本文化の本当の起源は朝鮮にあったと言い立てる例の手法です。

三国遺事が書かれた十三世紀末といえば、高麗が蒙古軍に屈服した時期です。箕子伝説を知る僧一然が、箕子伝説に擬して更にそれよりも上代の伝説を作って民族意識の高揚を図ったと考えるのは、少々飛躍しすぎでしょうか。



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檀君神話をご存知ですか?Vol.3

書きかけていた原稿が、うたた寝している間の強制再起動でぱぁになりました(TωT)
Windows Updateの馬鹿。

さて気を取り直して、続き行きます。

檀君神話解釈について、私が立てた仮説は以下のとおりです。

神話における天の国とは中国を、桓因(天帝)とは即ち中国皇帝を意味し、桓雄とはその臣下の一人を意味するのではないでしょうか。

桓雄を「庶子」と表現しているところをみると、彼は重臣ではなく、むしろ化外の地(中華文明の及ばない僻地)であった朝鮮半島しか与えられない程度の下級臣下か、あるいは多少注目されていたり地位があったりしたかもしれませんが、何らかの理由で重く用いられることのなかった家臣だったことを思わせます。

神話の中で、天帝の庶子桓雄は、何不自由ない天の国に安住することを望まず、未開の人間の国に降臨することを強く望んだとされています。

華夷思想では、中国皇帝の教化の及ぶ範囲こそが「人間の国」であって「中心の国」です(「中国」という名称はこの華夷思想が由来です)。「天の国の住人の国から見た人間の国」とは、「中国から見た化外の地」ではないかと思います。

下克上の期待できない中国で一臣下として皇帝に仕える生涯を送るか、たとえ文化果つる地であれ一国の王として君臨するかの選択を与えられたとき、臣「桓雄」は後者を選んだのではないでしょうか。

そう考えたとき、「風、雨、雲を司る三人の神」と「部下三千を率い」、「天符印三個」を持って朝鮮半島に降臨したというくだりからは、「桓雄」が天候や農業に詳しい知識人、そして一族と郎党を率いて、先進技術や農業器具を携えて未開の朝鮮半島に進軍する様が彷彿とされます。

文化的に優越した「桓雄」一族が、武力で朝鮮半島に進出したかどうかについてはよくわかりません。しかし伝説から垣間見る当時の朝鮮半島は、新規入植者と間に争いが起こるほど多くの原住民は住んでいなかったのではないでしょうか。あるいは当時の朝鮮原住民には、土地所有の概念がまだなかったかもしれません。

その朝鮮半島で、桓雄率いる新規入植者たちが、中国の先進技術を用いて原野を開拓していくのを見た原住民には、桓雄が神のように見えたでしょう。何しろ原住民は「穴ぐら」に住むような生活をしていたのです。

従来の解釈では、「熊」と「虎」をそれぞれ別の部族と解釈していますが、「同じ穴ぐらに住んでいた」とわざわざ念を押すように述べられていることからも、この二頭の獣=原住民は違う部族とは思えません。私はこの獣らは同部族で、「熊」を女性、「虎」を男性と考えています。

さて、未開の荒野を先端技術を駆使して開拓し、豊かな収穫を得る桓雄一族を見た原住民たちは、桓雄族に「私たちにもその技術を教えてください」と願い出たでしょう。「熊」や「虎」に擬されるほどの未開人たちですので、桓雄族はまずは基礎的な知識の学習から教えたと思われます。

中華文明において、文化伝達にはまずは漢字の読み書きが出来なければ話になりません。その学習過程において、「熊」に擬された女性原住民は比較的素直に知識を吸収して桓雄族に溶け込んでいきましたが、「虎」に擬された男性原住民は学習そのものに耐え切れず、充分な文化伝達を受けられなかったので桓雄一族には融和できなかった、と考えるのは比較的好意的な方の解釈です。



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檀君神話をご存知ですか?Vol.2

さて、昨日の続きです。

朝鮮ではこの神話を「古代、朝鮮半島が部族国家の時代に、桓雄(指導者的人物を意味するとされる)が率いる部族(仮に桓雄族とする)と熊を崇拝する部族(同じく熊部族とする)と虎を崇拝する部族(同じく虎部族とする)があり、部族間の抗争で台頭した桓雄族が熊部族を統合し、虎部族が駆逐されたことを意味する」という解釈がなされています。しかしこの解釈にはいくつかの不自然な点があります。

その最大のものは動物崇拝です。この神話では「天帝の子である桓雄と、人間の女に化身した熊が交合して生まれた子供が、朝鮮開祖の檀君である」とあり、これはいわゆる獣祖伝説にカテゴリされるでしょう。

獣祖伝説とは、本来狩猟や牧畜などで動物と深く関わる習慣のあった民族によく見られる始祖伝説で「人間に無い、動物の不思議な力や生命力」を崇拝の対象としています。モンゴルのチンギスハンが「蒼き狼」を祖先としている例などは典型例と言えるでしょう。

獣祖伝説を持つ民族は、たいてい祖先である動物を現在も崇敬し誇りに思っているものです。ところが不思議なことに現在の朝鮮人には、熊に対する崇敬も誇りも見られません。日韓チャットで「韓国人の祖先は熊」と言うと、猛烈な反発が返ってきます。学校教育で「事実」と教えているにもかかわらず、です。

さらにこの檀君神話の中では、熊にせよ虎にせよおよそ崇敬の対象とは思えない描写です。崇敬の対象ではないというよりもむしろ、熊も虎も明確に「人間より格下の存在」として描写されています。なにしろ熊と虎が「人間にしてくれ」と懇願するのですから。

そして通常獣祖伝説においては「獣=神」ですが、獣神であっても人と交わるために便宜上人間になったりすることはあります。この檀君神話の中においても、桓雄が熊女と交わるために一時的に人間に化身しています。しかしながら檀君神話においては、熊は最初から熊女に変身するまで、一貫して獣としての熊です。虎に至っては、人間にすらなっておりません。この伝説から、熊や虎に対する崇拝の念がまったく感じられないのは、私だけではないでしょう。

これらの点から、私は従来朝鮮で行われている『檀君神話が「熊を崇拝する部族」と「虎を崇拝する部族」の対立抗争』云々の説には強く疑問を感じており、従来の解釈とは異なる仮説を立てております。




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檀君神話をご存知ですか?Vol.1

生でもチャットでも、韓国人と張り合う人に朝鮮の歴史は必修科目となります。朝鮮半万年の歴史とか何とかの起源とか、こちらが朝鮮の歴史を知らないまま聞いてると、連中いくらでも捏造と歪曲を繰り広げますので。

さて歴史の突っ端は、どこの国でも始祖伝説や神話です。朝鮮には幾つかの建国神話がありますが、その中でも有名なものは「檀君神話」と呼ばれるものです。この檀君神話、韓国の歴史教科書では「事実」として教えられております。ですからこの神話については、韓国人と渡り合うつもりの方は最低限知っておくべき知識です。

檀君神話は十三世紀末の朝鮮僧 一然によって「三国遺事」に記され、現在に伝えられています。その話の大要は以下のとおりです。

『天の神である桓因(=帝釈天)の庶子(嫡子でない子)桓雄は、いつも天の下の国のことを考え、そこに住む人間の世界を治めてみたいと願っていた。桓因は桓雄の志を知って、広く人間のためになることをするようにと、彼を下界に遣わした。

桓雄は天符印三個を授かり、部下三千人を率いて太伯山頂にある神壇樹の下に降り立ち、そこを神市と定め、桓雄天王となった。風、雨、雲を司る三人の将軍とともに、農業、生命、病気、刑罰、善悪などの人間に関する三百六十余りの事柄を司り、人間の世を教化した。

その頃、一頭の熊と一頭の虎が同じ穴ぐらに住んでいたが、いつも桓雄に人間になれるように請い願っていた。そこで桓雄はヨモギ一束とニンニク二十個を彼らに与え、「これを食べ、日の光を避けて百日の間物忌みすれば人間になれるであろう」と言った。

熊と虎はこれを食い、物忌みすること三・七(二十一)日。熊は女の身体を得たが、虎は物忌みを続けることが出来ず、人の姿になることは出来なかった。

熊は人間の女の姿になったものの、結婚相手がいないため、また神壇樹の下で子供が授かるようにと毎日祈った。そこで桓雄は仮の姿となって熊女を娶り、子供を作った。この子供が、後に檀君王倹と号するようになる人物である。

壇君王倹は中国の堯帝の即位五十年 庚寅の年(堯帝即位元年は戊辰、その五十年は即ち丁巳であり、庚寅ではないので、それが事実かどうかは疑わしい。)平壌を都に定め(現在の西京である)、朝鮮と称し始める。また白岳山阿斯達に都を移し、またの名を弓(あるいは方)忽山、また今彌達という。国を治めて千五百年、周の虎王が即位した己卯年、箕子を朝鮮に封じ、檀君は藏唐京の都に移る。後に阿斯達に還り隠れて山の神となる。寿命千九百八歳であったという。

唐の裴矩傳によると、高麗はもともと孤竹国(現在の海州)である。周が箕子を封じたのを以って朝鮮とした。漢は玄菟、楽浪、帯方(北帯方)という三郡に分割した。通典でもまたこの説と同じである(漢書は眞臨楽玄の四郡に分割したという。今の三郡のことである。名前が同じではないのはどういうことであろうか)。』


この神話は、おそらくは民間伝承を元に、三国遺事の著者一然が仏教説話を加味して創作したものと思われます。当然実話ではありませんが、神話は常に「(神話が作られた時点の)現在を過去に投影する」という性質を持っています。ですから、この伝説を構成する要素のいくつかは、事実を元にしたものではないかと推察されます。



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壬午軍乱をご存知ですか?

壬午軍乱は、東学党の乱や甲午改革などの陰に隠れて、日韓ともにあまり取り上げられることのない事件ですが、私はこの事件にはかなり強く興味を持っています。

今はあまりありませんが、昔は日韓チャットの華は歴史討論でした。韓国人は日本を責めるネタだけは、義務教育でたんまり仕込まれていますから、並の日本人なら全然歯が立たないようなネタをぶつけてきます。

日清戦争すら詳しく教わっていない日本人が、その前後に朝鮮半島内で起こっていたゴタゴタを細かく知っているわけもなく、昔は歴史討論に持ち込まれると日本人はとても不利だったのです。

もちろん私も、朝鮮の歴史など詳しく知るわけもなく、最初の頃は韓国子供にすら為す術も知らず一方的に責められるばかりでした。

ある日古本屋で韓国の国史教科書の邦訳本を見つけ、飛びつくように買いました。その本を読めば読むほど「ああ、こりゃ韓国人が反日になるのも無理ないわ」と思いました。

読み進むうちに混迷の朝鮮開国前夜の話になりました。
------------------以下引用------------------
 そのうち、新式軍隊ほどの待遇を認められなかった旧式軍人たちの不満が爆発する事件が起こった。
 両班の子弟で構成された新式軍隊は、旧式軍人と比べて待遇が非常によかった反面、旧式軍人は13カ月も米の配給が受けられなかった。そうするうちに、砂が混ざった米糠を配給された旧式軍人たちは、ついに、不満をおさえきれなくなって乱を起こした。旧式軍人たちが反発すると、民も軍人といっしょに力をあわせて日本公使館に攻めこんだ。日本公使館は焼かれ、日本公使は日本に逃げてしまった。この事件を壬午軍乱という。
 この事件によって興宣大院君が再び権力を握り、開化は後日を待つしかなかった。
 しかし、わが国への干渉をねらっていた清が、軍隊を派遣して興宣大院君を拉致したので、わが国は再び清の干渉を受けるようになり、国の自主権が脅かされた。
------------------引用ここまで------------------
これが韓国の国史教科書に載っている壬午軍乱の説明です。

これを読んで、私はあれっ?と思いました。

「何で日本公使館が襲われるの?」


新式軍隊ほどの待遇を認められなかった旧式軍人の不満が爆発したら、普通は新式軍隊に攻め込むんじゃないですか?

米の配給が13ヶ月も滞った挙句に、砂の混じった米糠を支給されたのならば、朝鮮政府あるいは朝廷に攻め込むのが道理じゃないんですか?

何故日本公使館に?


どうしてもわからなかったので、日韓チャットで韓国人を捕まえては片っ端から質問してまわったのですが、誰ひとり答えてくれる韓国人はいませんでした。

と言うか、東学党の乱や甲午改革は知っていても、壬午軍乱という事件を知らない韓国人が圧倒的多数だったのです。

お前ら日本に一分でも非があったら鬼の首取ったみたいに言い立てるくせに、自分たちに非がありそうなことは頬っかむりかよ、とかなりムカついた記憶があります。結局壬午軍乱について正確に解説出来た朝鮮人はいませんでした。

要するに、朝鮮人社会では不満が高じると日本と日本人相手に鬱憤晴らしをするのが、昔からの伝統なのねと思いました。




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更新速度が落ちてます。ガス欠寸前です。
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韓国を知っていますか?

日本人のお人好しさを如実にあらわすものに「知らない国は好きな国」というのがあります。

数年前まで、多くの日本人が持つ韓国に対する評価が、まさにこの「知らない国は好きな国」という評価でした。もちろん私も、そのひとりでした。

純真無垢で清廉篤実な朝鮮人を、悪辣無比残虐非道な日本人が騙し奪い蹂躙したと教えられていた私は、素直に、そして無意識のうちに朝鮮人に負い目を感じていたと思います。当時は嫌韓という言葉もなく、朝鮮人を悪く言う人は無条件で差別者と思われていました。そしてその頃、差別者と言われるのは、親殺しと言われるのと同じくらいのダメージがありました。

だからハタチ過ぎくらいまでの私は、普通に親韓で擁韓でした。

おとなになって、日韓チャットに出入りするようになって、韓国人と直接話す機会を得た私が最も驚いたのが、彼らの激しい反日意識でした。そして純真無垢で清廉篤実なはずの朝鮮人が、実際はきわめて傍若無人で傲岸不遜だったということにも驚かされました。

おかしい。私が教えられてきたことと何かが違う。そう感じた私はとりあえず歴史を中心に、日韓関係を調べました。調べれば調べるほど、かつて子供の頃に私が学校で学んだ知識が中途半端で偏向しており、それに基づく私の知識がどれほど浅く薄っぺらなものだったかということがわかりました。

韓国に親しみを持つのも、韓国を擁護するのも、私は非難いたしません。ただし、やるなら韓国を知った上でやってください。韓国の清濁すべて知り尽くした上で、それらを併せ呑んでみせてください。その上での親韓・擁韓ならば、私は決して責めません。

私には韓国の清濁を併せ呑むなんて、到底出来ませんでしたから。







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