檀君神話をご存知ですか?Vol.3
Windows Updateの馬鹿。
さて気を取り直して、続き行きます。
檀君神話解釈について、私が立てた仮説は以下のとおりです。
神話における天の国とは中国を、桓因(天帝)とは即ち中国皇帝を意味し、桓雄とはその臣下の一人を意味するのではないでしょうか。
桓雄を「庶子」と表現しているところをみると、彼は重臣ではなく、むしろ化外の地(中華文明の及ばない僻地)であった朝鮮半島しか与えられない程度の下級臣下か、あるいは多少注目されていたり地位があったりしたかもしれませんが、何らかの理由で重く用いられることのなかった家臣だったことを思わせます。
神話の中で、天帝の庶子桓雄は、何不自由ない天の国に安住することを望まず、未開の人間の国に降臨することを強く望んだとされています。
華夷思想では、中国皇帝の教化の及ぶ範囲こそが「人間の国」であって「中心の国」です(「中国」という名称はこの華夷思想が由来です)。「天の国の住人の国から見た人間の国」とは、「中国から見た化外の地」ではないかと思います。
下克上の期待できない中国で一臣下として皇帝に仕える生涯を送るか、たとえ文化果つる地であれ一国の王として君臨するかの選択を与えられたとき、臣「桓雄」は後者を選んだのではないでしょうか。
そう考えたとき、「風、雨、雲を司る三人の神」と「部下三千を率い」、「天符印三個」を持って朝鮮半島に降臨したというくだりからは、「桓雄」が天候や農業に詳しい知識人、そして一族と郎党を率いて、先進技術や農業器具を携えて未開の朝鮮半島に進軍する様が彷彿とされます。
文化的に優越した「桓雄」一族が、武力で朝鮮半島に進出したかどうかについてはよくわかりません。しかし伝説から垣間見る当時の朝鮮半島は、新規入植者と間に争いが起こるほど多くの原住民は住んでいなかったのではないでしょうか。あるいは当時の朝鮮原住民には、土地所有の概念がまだなかったかもしれません。
その朝鮮半島で、桓雄率いる新規入植者たちが、中国の先進技術を用いて原野を開拓していくのを見た原住民には、桓雄が神のように見えたでしょう。何しろ原住民は「穴ぐら」に住むような生活をしていたのです。
従来の解釈では、「熊」と「虎」をそれぞれ別の部族と解釈していますが、「同じ穴ぐらに住んでいた」とわざわざ念を押すように述べられていることからも、この二頭の獣=原住民は違う部族とは思えません。私はこの獣らは同部族で、「熊」を女性、「虎」を男性と考えています。
さて、未開の荒野を先端技術を駆使して開拓し、豊かな収穫を得る桓雄一族を見た原住民たちは、桓雄族に「私たちにもその技術を教えてください」と願い出たでしょう。「熊」や「虎」に擬されるほどの未開人たちですので、桓雄族はまずは基礎的な知識の学習から教えたと思われます。
中華文明において、文化伝達にはまずは漢字の読み書きが出来なければ話になりません。その学習過程において、「熊」に擬された女性原住民は比較的素直に知識を吸収して桓雄族に溶け込んでいきましたが、「虎」に擬された男性原住民は学習そのものに耐え切れず、充分な文化伝達を受けられなかったので桓雄一族には融和できなかった、と考えるのは比較的好意的な方の解釈です。