ノ・ムヒョン? ノム・ヒョン?
ところで、先日非公開コメントで私のプロファイリングをしてくださった方が、また非公開コメントをくださいまして、しかも何故か前回のコメントとは別人のふりをなさっていらっしゃいます。意図がまったく理解できませんが、この場を借りて申し上げておきますと、私の四親等以内の親戚に、警察関係者はおりません。それより遠い親戚は、消息すらろくに知りませんw
友人知人の類では、友人の夫が警察官ですが、結婚式に招待された時に一度会ったきりで、その時もろくに話をした記憶もありませんし、もちろんその後はお目にかかったことすらありません。それ以外ですと、高校時代のクラブの7年先輩(当然在学中に会ったことは一度もありません)に、十数年前に同窓会でお会いした際に、警察官の採用試験を受けたという話を聞いたくらいです。
そんな関係でも、私は広義の警察関係者になりますでしょうか?
コメントを書き込む際に、以前と異なるハンドルネームをお使いになる方は他にもいらっしゃいますが、そんなに自分の意見に自信がないのか、それとも無責任なのかのどちらかと思ってしまいます。気づかぬふりしてレスしてますけど、一応ちゃんと把握してることはお知らせしておきますね。
さて、日韓関連ですが、本日は3月1日。韓国では祝日だそうです。3.1独立運動記念日とやらだそうですが、例によって盧武絃大統領が自国向けの香ばしいメッセージをほざいたそうです。内容については他のニュース系ブログの方が詳しいのでそちらにお任せするとして、いつも思うのが、「盧武絃」を日本で韓国語読みすることの無理さについてです。
日本語という言語は、音をある一定の数の塊でとらえる傾向がありまして、その傾向が顕著に表れてるのが俳句や短歌などの七・五調です。他には六・四調もありまして、例えば「ふるさと」という歌はこの六・四調で作詞されております。
日本人はどうしてもそういう塊で音をつかむ癖が強く、そのために長い単語はしばしば自分たちが把握しやすい音数に短縮したり、複数の単語は短縮した上で結合したりしてしまいます。日本語ではもっとも嫌われる音数が一でして、どうしても一音で表さなければならない語、例えば「気」や「手」などがありますが、これらの一音語をどうしても一音で使わなければならない場合、「気ぃ」「手ぇ」と語尾を伸ばして無理やり二音にする例は、特に関西では顕著です。
で、「盧武絃」ですが、これを韓国語読みすると「ノムヒョン」となり、日本人は何故かどうしても「ノム・ヒョン」と呼びたくなります。もちろん皆様既にご存知の通り「ノ・ムヒョン」が正解なのですが、それがわかっていても、どうしても「ノム・ヒョン」の方がしっくりくるので、つい使いたくなるのです。
最初から「盧武絃」に日本語の「ろぶげん」というルビを振ってあれば、韓国には以前に「盧泰愚」という大統領もいたことですから、多分日本人もそれほど違和感なく「盧大統領」と呼んでいたのでしょう。しかし「ノムヒョン」という音で聞かされては、日本人であればおそらく誰もがそれを「ノム・ヒョン」だと思うでしょう。と言うか実際そういう呼び方が定着していませんか?>ノムたん
それでなくとも「ノ」という一音と比較すると「ノム」という二音での呼び方は日本語では馴染みやすい音です。頭であれは「ノ・ムヒョン」だと理解していても、思わず知らず「ノムたん」と口走ってしまう気持ちはよく理解できます。
そして朝鮮語を少々かじったりしてる者からすると、「ノム・ヒョン」という音は、「ノム兄貴」という朝鮮語に翻訳されてしまい、朝鮮語でも「ノム」で違和感がなくなってしまいます。本来漢字の名前というのは、漢字そのものに意味があります。例え音が同じでもノムヒョンは盧武兄ではなく盧武絃という漢字でなければ意味がありません。
こう考えると、本当に漢字文化圏の人の名前を現地語読みするということは、大変失礼なことなんだなあと痛感します。それは漢字の名前を無視して、違う名前にしてしまうことになるからです。
朝日新聞などでは、最近中国の人名も中国語発音読みしていますが、これは本当に相手に対して失礼な行為だと思います。同様に、朝鮮語の発音を日本語のカタカナで表記するのは不可能です。そもそも日本語のカタカナで中国語のイントネーションや朝鮮語の発音が完全に表記できるわけもないのに、それを臆面もなくやっているのですから、賢いつもりのお馬鹿さんは、煮詰まると礼と無礼の区別がつかなくなるようです。
個人的には、どうしても朝鮮人の人名を朝鮮語発音で表記したいならハングルを、中国人の名前を中国語で表記したいならピンインを使えば?と思うのですが、そこまで踏み切った新聞はいまだ一紙も見かけませんね。