在日朝鮮人の被害者意識
そのうち季節が変われば、この眠気も消えるのでしょうか。それを期待するばかりです。
さて、最近「在日朝鮮人ジャーナリストが書いた図説内側から見た朝鮮総連」というムックを読んでおります。在日朝鮮人2名を含む6名の執筆者によって書かれたものですが、特に目新しいことは書いていません。ただ、在日朝鮮人執筆者が文中唐突に「戦前から昭和にかけて在日を「鮮人」と蔑視する民族的差別があったことは事実であり、一部の人間がやったことだという見方は被害者に対する加害者の逃げ文句だ」と書いていますが、これは大いにオブジェクションを申し上げたいと思いました。
過去に日本で、在日朝鮮人を「鮮人」と呼んで蔑視したというのは事実だと思います。一部の人間がしたことで、多くの日本人はそんなことしなかったなどとは、私は思いません。明確に差別したり蔑視したりする人はそんなに多くなかったかもしれませんが、何かにつけ「あの人は朝鮮人だから」という眼差しで眺める日本人が多かったことは、想像に難くありません。しかしそれは多分に朝鮮人自身に問題があったからだと私は確信しています。
今でもそうですが、彼らには日本人より自分たち朝鮮人の方が無条件で優れているという意識があります。だからあらゆる面において、朝鮮人の方が日本人よりも良い待遇を受けるべきだという潜在意識があります。
ところが、現実は残酷です。ましてや日本では、在日朝鮮人は異邦人です。日韓併合の後でも、もともと他国の人間なのですから、日本人が朝鮮人を日本人とまったく同一視することの方が困難でしょう。仮に同じ日本人同士であっても、地方出身者を田舎者と蔑視する都会人は、今でも決して少なくないのですから。そしてまた、彼ら朝鮮人自身も、日本人との完全同一視を望んではいませんでした。
有名な例では、朝鮮人将官の洪思翊が指揮官として赴任する度に必ず「自分は朝鮮人の洪思翊である。唯今より天皇陛下の御命令により、指揮を執る。異議のあるものは申し出よ」と訓示していたという例がありますが、この例を見ても彼ら自身に「我々朝鮮人は日本人とは違うのだ」という意識があったことが汲み取れるでしょう。
日本人を侮蔑的に見ている彼らの眼差しに、日本人が「何だこの野郎、他人様の国ででかい面しやがって」と反発したとしても、それは当然のことだと思います。更に彼ら朝鮮人は、純粋な能力不足などによる区別も民族差別にすりかえる悪癖がありますので、それもまた日本人からは強い反感を買ったことだと思います。
それをもってして、「過去に民族的差別があった」などとふんぞり返られても、朝鮮人を知る者なら誰でも鼻で笑ってしまいます。そんな根性だから、いつまでも「これだから朝鮮人は」と言われてしまうんですよ、と本に向かってつぶやいてしまいました。