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反省は敗者の屈辱

韓国人と話をしていると、時に言いがかりとしか思えないような難癖をつけられることがあります。それに対して冷静に対応すると、次第に落ち着いてきて、こちらの話を聞くようになる韓国人も、まったくいないわけではないのは、以前のログでもご覧に入れたとおりです。

問題は、そこでこちらの意見を受け入れ、素直に反省できるかどうかでして、もしそこに、ふたり以上の韓国人がいれば、彼らは決して自らの非を認めることはしません。

それは、彼らが「反省は、敗者の屈辱」と考えてるからではないかと、最近思うようになりました。

日本人の場合、何か失敗したり迷惑を掛けたりした人でも、反省していると分かればそれ以上追い詰めるようなことは、あまりしません。しかし支那・朝鮮では、過去の歴史において、敗者は勝者によって徹底的に辱められるのが常でした。

その為、彼らは勝つためならどんなことでも平気でします。卑怯だろうが、反則だろうが、八百長だろうが、それらは勝つためなら当然の努力とさえ彼らは考えています。敗者は生き地獄に落とされるのが彼らの常識で、だから彼らは、勝てば嬉々として敗者を生き地獄に叩き落します。それが勝者の権利だからです。

そのせいでしょうか、チャットでもそうですし、実際のスポーツ大会などを見ていても、彼らの勝利に対する執着は凄まじいものがあります。

勝利に執着するのは結構なのですが、勝ち負けは戦の常です。百戦不敗なのは北の将軍様だけです。勝ったときは素直に勝利を喜んでいても良いと思いますし、負けたら負けた原因を自己分析し、反省し、次に活かせば良いと思うのですが、韓国人に「負けたとき」の発想はありません。

自らの負けを決して認めない彼らは、彼らの主観においては常に勝者です。だから彼らは、敗者の屈辱たる【反省】などは、間違ってもしません。反省とは、実質的勝者の彼らに相対する、実質的敗者である対戦相手がするものなのです。

「反省だけなら猿でも出来る」という言葉がありますが、「反省すら出来ない朝鮮人」は果たして何なのでしょう。




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