30年前の韓国を眺めながら・・・。
と言うのも、この時期、韓国は朝鮮戦争の傷がまだ癒えぬ時期でして、政権は朴正煕。賛否は色々ありますが、軍事独裁政権だったことは事実です。うろ覚えなのですが、この頃に韓国を訪れた人が、市場をスケッチしていると警察にスパイ容疑で拘束されたという話をどこかで読んだことがあります。
私自身も1990年に韓国を訪れているのですが、その当時でも、韓国のガイドブックには、みだりに写真を撮るとスパイ容疑で拘束される恐れがあるという注意書きがありましたし、空港や高層の建物からの写真撮影は、堅く禁じられていました。以前にも少し触れておりますが、その当時、街に武装軍人が立哨しているのは、全然珍しくありませんでした。
ですから、今も昔もハングルは読めても朝鮮語は片言しかわからない私ですが、それでも「サジヌル チゴド テムニカ?(写真を撮っても良いですか?)」というフレーズだけは丸暗記していきました。
1990年でも、街の写真を撮るのにはそれほどの緊張感を伴っていたのですから、1970年代にこれだけの写真を撮るのは、どれほどの危険と隣りあわせであったかということを想像すると、これは本当に偉業と言っても差し支えないほどの作業だと思います。
人物の写ってる写真に、カメラ目線の写真が非常に少ないことに気づかれた方はいらっしゃるでしょうか。カメラ目線の写真は、そのほとんどが田舎で撮られたものです。それも同じ人物が何度も写っています。
反面、ソウルなどの都会や人の多く集まる市場の写真などには、ほとんどカメラ目線の写真がありません。これは写真を撮るときに、出来るだけ写真を撮ってることを気づかれぬように素早くこっそり撮った証拠です。
何故そう断言できるかと言うと、私が1990年と1991年に韓国で撮った写真と、印象が酷似しているからです。
これは私が1990年にソウルの南大門市場で撮った写真ですが、ポンテギの写真がどうしても撮りたくて、でもおばちゃんに話しかけるとマシンガンのように返ってくる言葉が怖いしわからないしで、おばちゃんがそっぽを向いているスキにこっそり撮った写真です。こんな写真が、「日本人人類学者が見た1970年代の韓国」にも多いという印象を私は受けましたが、皆様はいかがでしょうか。
実は私は、1970年代の韓国を写した写真集も持っているのですが、それと比べてもこの資料サイトは、ひとりの人間が目の高さで見たという印象の強い写真が多く、その場の雰囲気を強く伝えるものだと思います。
ところで日韓チャットで話す韓国人たちは、こういう時代を無かったものにしようとしているような印象を受けます。少なくとも、我々はこれらの写真を見ると、韓国に対する好悪の感情は別として、非常に強い興味を持って見るのですが、当の韓国人たちは、何だか面白くなさそうな素振りをするだけで、あまり強い感慨を受けているようには見えません。
日本では「Always-三丁目の夕日」に留まらず、昔から貧しかった時代を語り伝えることは普通に行われていました。私は昭和40年代の生まれですが、昭和30年代や20年代の話は、親や近所の大人たちから聞かされた記憶がありますし、また本や映画からも伝承の歌や遊びを覚えたものです。もちろん戦後左傾教育の成果で、戦中戦後の悲惨な生活は、絵に描けるほどに詳しく教え込まれております。
ところが韓国では、この時代を知る者たちは、この時代のことを必死で忘れ、無かったことにしようとしているようですし、知らない者たちは最初から韓国は現在のような豊かな国だったと思っているようです。と言うのは、彼らと話していて、先祖代々という大げさなものではなく、親から伝えられた彼らの親の時代の話というのが、まったく伝わってこないからです。
日韓チャットで韓国人と「伝統」に関する話をしていると、いつも必ずと言って良いほど、彼らの「伝統」というものに対するどうしようもない薄っぺらさを感じて眩暈がするのですが、それは彼らが「伝統」を伝えられても、受け継いでもいないからではないかなと、この資料写真を見ながら思った次第です。