嫌韓を非難する日本人こそが、実は韓国人を最も見下している。
嫌韓を非難する日本人たちの韓国人観は、残虐無比で悪辣な日本人に蔑まれ虐げられた可哀想な人たちというものであることが少なくありません。そして不思議なことに何故かその「残虐無比、悪辣非道な日本人」の中に、嫌韓を罵る人自身とその関係者は入っていなかったりします。
自分と自分の関係者以外の残虐無比悪辣非道で強い日本と日本人が、純真無垢清廉潔白で弱い韓国と韓国人をいじめるのは許せないという彼らの正義感は、実は彼らが無意識のうちに持っている自らが韓国人より優れているという意識から来ていると思います。
すなわち嫌韓を非難する人々は、韓国人を「貧弱で無能力な庇護すべき存在」とみなしているのではないかと思います。
筆者は嫌韓ですが、韓国人を含むコマ人を貧弱で無能力な庇護すべき存在とは思っておりません。コマ人にはそれなりの能力があると思っています。むしろ彼らにはそれなりの能力がありながら、それを人道的に使う知性に欠けてるが故に、常に怠りなく監視して警戒していなければならない相手と思っております。
そういう意味では、筆者は嫌韓ですが韓国人の力量を正当に評価しているという自負があります。
しかし嫌韓を非難する人々は韓国人の力量も何も全然知らないままに、ただひたすら韓国人を弱い存在と定義して庇おうとします。それは、韓国人には嫌韓に対抗する力が無いと思っているからだろうと思います。
たびたび犬を引き合いに出して犬には大変申し訳ないのですが、例えて言うならば嫌韓を非難する人々というのは、野良犬を捕まえようとしている野犬捕獲員に向かって「可愛いワンちゃんを捕まえて殺そうとするなんて残酷だ。なんて酷い奴だ。ワンちゃんだって自由に生きる権利があるんだ」などと叫んで飛び出してくる子供のようなものです。
そうやって野良犬と野犬捕獲員の間に立ち塞がるのはその子供の勝手ですが、そうやって庇った野良犬に背後から噛まれても、そしてそれが元で狂犬病に罹ったとしても、その子供は変わらず野良犬を庇い野犬捕獲員を非難することが出来るのでしょうか。その辺りは興味深いものがあります。