小国韓国に対する私の絶望
日本語の堪能な韓国人が書いたものと思われますが、何が言いたいのかよくわかりません。よくわかんないんですがとりあえずネタにしてみようと思いました。
それではパスティーシュ論文「小国韓国に対する私の絶望」です。
韓国が小国なのは紛れもない事実です。経済力、人口、国土はもとより国民の民度に至るまで、あらゆる面において日本は南北朝鮮をあわせたものより秀でております。日本が追求する国家利益が韓国の国家利益と同一であるはずがないのは改めて言うまでもないことであり、南北朝鮮が自国の利益だけのために日本を利用しようという企みを持って日本に近づいてこようとする以上、これを拒み退けることが日本の国益にとって不可欠であるということは、冷厳たる国際的現実であることを、南北朝鮮人にはよく理解していただきたいものです。貧困退治と世界平和に向けた日本の寄与と努力を逆手にとろうとする国家と国民が日本の周辺にあることは、最近ようやく日本でも知られつつあり、日本ではこれに対して警鐘を鳴らし始める人々も出てきております。このような日本の努力を、韓国が非難し妨げようとし続けているという現実を鑑みると、韓国の行動や言動が日韓両国間の諸懸案の解決過程のみならず、東北アジアの平和と安定維持にも反映されることは、未来永劫ありえないと絶望しております。
次に歴史認識に関する問題です。今年の3.1節記念辞のみならず、盧武鉉大統領は再三再四日本を敵国とみなす発言を繰り返しております。これに関連して日本の一部のマスコミは韓国に迎合するかのような報道をしていますが、それは盧武鉉の発言の意味を意図的にすりかえて解釈しているものです。言い換えるならば、盧武鉉の発言は自国民におもねるために、韓国にとって最も重要な国家間の信頼を毀損して、既に数回にわたってなされた日本の謝罪を蔑ろにする行動を正当化しているのです。
第3に、韓国の盧武鉉政府と社会全般に対する認識の問題です。政権が交代すれば当然政策を推進する人間もその内容も変わるのは民主主義の利点でもあり同時に欠点でもあります。これに加えて韓国では、政治圏のみならず社会全般の主導勢力が、大戦後の世代に代わっていく転換期にあることはよく承知しております。このような過程において、韓国では日本語を駆使する世代が韓国社会から退けられつつあります。これはすなわち、過去を知らない人々が過去の歴史観や観念あるいは慣行に対する恣意的な再解釈と再構築をし始めていることを意味しています。このような過程において、過去の両国関係、ひいては外部に対する認識の変遷も、当然の時代的命題となっています。このような前提の下に、私は日本の指導者たちが「過去と同じ道を歩みつつある韓国の現状」に対して、断片的であれ接近するのではなく、日本の国のありかたと歴史観に対するパラダイムの変換に留意しつつ、韓国現政府や韓国社会の動向と情勢を注意深く監視することを強く期待します。日本は東北アジアの未来を拓いていく先導者であり、出資者であります。日本が真実と誠意を持って和解に臨んだにも関わらず韓国の態度が百年前と変わらないことは両国間の不幸ではありますが、禍を転じて福と為す知恵が日本にはありますので、韓国及び北朝鮮という東北アジアの未来に対する障害物を除去することは可能でしょう。
冬のソナタを起爆剤として、日韓の文化交流を捏造しようとする連中がまだ日本にもいることを憂慮します。同時にその企みが韓国において誇大に報道され、日本と、日本の文化に対する興味と執着が深まっていることを危惧しておられる方も少なくないと確信します。3月初めに発表された日本の調査結果をみますと、韓国の高校生たちの中で日本に関心のある生徒は72.1%であり、漫画やアニメーションを見たことのある生徒は81.4%、日本メディアにアクセスした人々は36.6%、日本製の品物をもっている生徒は69.5%に達しています。韓国の学生の日本に対する関心や熱意は、日本の生徒たちの韓国に対する興味よりは遥かに高くなっていることを端的に示しており、彼らはこれからの70~80年間を、より日本文化の影響を感じつつ暮していくことでしょう。受験地獄に喘ぎつつも、日本の小説や漫画、アニメーション、商品等に熱狂する韓国の高校生たちに、日本人の皆さんは日本文化の起源に対する危機感を持つべきでしょう。文化とは、水と同じで、淀みで混ざることはあっても、基本的に高い方から低い方へ一方的な流れるものです。また流れを止めることもできません。日本人が何冊かの本や数編の映画、ドラマに接したために、韓国に対して一時的に肯定的な考えをもつということはあります。しかし、しょっちゅう接していれば、日本人の韓国に対する理解の幅は広がるでしょうし、それが積み重なれば韓国に対する認識の基礎となり、嫌韓が韓国に対する一般的且つ普遍的な対韓感情になるでしょう。現在私たち日本人がなすべきことは、一般国民、特に若者たちから「自国に対する自虐的な歴史観」を取り去ってやることだと思います。それに対する障害は、小国韓国の非人間的思考と価値観に相応する行動でありましょう。また崩壊しつつある韓国社会に対する、より深層的な理解と忌避の心が必要であると思います。