畏れ敬うべき神を持たない朝鮮人
ところで、今日はコメント欄に日本語がおかしい奴が紛れ込んでいます。どうやら弊ブログをEnjoy Koreaに無断転載した方がいらっしゃるようで、そちらから大量に韓国人が紛れ込んできているせいかと思われます。
別に韓国人に見られて困ることは書いていませんが、無断転載については、韓国人に何か言いたいことがあるなら他人の言葉を丸パクしないで自分の言葉でやれよと思いました。
それとも韓国人様に、「こんなこと書いてる日本人がいますぜ」ってご注進したかったのですかね。まあどっちでも良いけど、他人のふんどしで相撲を取ろうとするのはどうかと思いました。
あと、パンダ兄さんとこに巣食ってるのが月見についても何か言ってるらしいですが、「昭和40年代生まれ」を「40代」と読み違える読解力では、私のブログは理解できないだろうと思いました。昭和40年代生まれは、まだほとんどが30代ですw
ま、そんなのに関わりあってられるほど毎日更新ってのは楽じゃないんで、サクサク本日の記事行きます。
韓国人というかコマ人全般(特亞全般と言っても可)、日本人が見れば見るほどトホホな連中です。毎日毎日これを論っている筆者ですが、では世界にこいつらに比肩するほどのトホホな連中はいないのかと言われれば、実は世界中にこんなのはいくらでもいたりします。
その辺りはブログ「黒猫の巣」の「香ばしき国々」シリーズをご参照いただくとよくお分かりいただけるかと思います。さらにマンガで恐縮ですが、「T.E.ロレンス」 神坂智子著を読むと、アラビア人のどうしようもなさに既視感を覚えます。
作中、アラビア人は戦闘中に略奪を始め、物資の奪い合いで仲間割れを起こし、自分が略奪した物資に満足すれば戦闘が終わってもいないのに、勝手に戦いを中止してしまいます。
目先の利益に惑わされて長期的な損害を理解しようともしないアラビア人と、朝鮮人の「王手飛車取りで飛車を逃がしたがる」点は、傍から見ると身悶えするほどもどかしいのですが、当の本人たちは気楽なものです。
しかしそういうアラビア人に翻弄されるT・E・ロレンスの憤懣と慨嘆に共感しつつも、アラビア人には畏れ敬うべき神がいる点で、まだまとめやすいなと思いました。
アラビア人には、畏れ敬うべき神が厳然と存在します。それは現世のあらゆる物を超越した絶対的存在です。神を掲げれば、アラビア人をまとめることが出来ます。
翻って朝鮮人はどうでしょうか。彼らには畏れ敬うべき神はいません。彼らにも宗教はありますが、彼らが神を畏れても敬ってもいないのは明白です。
彼らが日本人の靖国参拝を理解しないのも、彼らには畏れ敬うべき神がいないからです。彼らが畏れているものは絶対権力者だけで、敬うものはほぼありません。そういう連中をまとめるには、独裁者による恐怖政治以外に無いというのは、北朝鮮が実践していることからもご理解いただけると思います。
そういう連中を相手にしなければならない日本の悲哀は、どこの国の人々であれば理解してもらえるでしょうか。
世界にはトホホな国も民族はいくらでもありますが、朝鮮人のトホホさは、「彼らが畏れ敬う神を持たない」という点で、世界でも特殊なタイプなのではないかなと思いました。