百済史跡訪問 前編
それからすぐに身支度して出かければ良いものを、また日韓チャットに行ってひとしきりくっちゃべり、さらにブログの更新なんかしたりして、結局家を出たのは16時半でした。
普通こんな時間からサイクリング行かんだろと思いつつ、まあ涼しくて良いと考えることにして出発しました。
最初の行き先は百済王神社です。
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百済王神社は今から1300年ほど昔、第31世百済王義慈の王世子(次期王位継承者)豊璋と共に日本に人質として来ていた弟善光(あるいは禅広)を祖とする百済王(クダラノコニキシ)氏ゆかりの神社です。
百済王神社のすぐ隣には百済王氏の氏寺であった百済寺址があります。
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今回は発掘調査をやっていました。
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ところで現在の百済寺跡の敷地は公園になっています。2002年に見に行った時、この公園のトイレの案内板はこうだったのですが・・・。
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今回はこうなっていました。
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しかし靖国に祀られている朝鮮系の英霊についてはいつまでも四の五の言う韓国人ですが、この百済王神社の話を韓国人から聞いたことがありません。桓武帝の母系よりもずっと由緒正しい百済王の直系で、思いっきり百済王神社の祭神になっていますが、韓国人的には良いのでしょうか。
もっともその百済を滅したのが今の韓国人の祖である新羅人です。百済人からすれば彼らは祖国を滅ぼした敵、祖先の仇なのですが、彼らにその辺りの整合性を理解させるのは犬に代数を理解させるより難しいでしょう。
また日本人側でも、特に嫌韓な方(当然私も含みます)で顕著なのですが、こういった日本にある半島系の史跡の存在を苦々しく思う方が少なくないようです。しかし百済王神社は写真をご覧いただければ一目瞭然ですが、一片の半島臭も無い純然たる日本の神社です。
過去に日本に半島人が渡来していたことは純然たる史実であり、百済王氏が存在したことも史実です。それを無闇と否定したり抹消しようとしたりするのでは、歴史を捏造する朝鮮人と同じ穴の狢になりかねません。
百済王神社で二礼二拍手一拝し、半島関連というだけで眉をひそめる自分自身への戒めとしたいと思いました。あいにく小銭が無かったので賽銭はあげませんでしたがw
さて次に向かうは王仁公園と伝王仁墓です。百済王神社からは5~6km離れておりますが、まだ17時を回ったところ。暗くなる前に何とかたどり着けるでしょう。(明日に続く)