【善意】の人々
(1)よい心。善良な心。 (2)他人のためによかれと思う心。好意。 「―でした行為」 (3)物事をすべてよいように受け取る心。いい意味。 「―に解釈する」 (4)〔法〕 法律上の効果を生じうる一定の事実を知らないこと。私法上、一般に善意の行為は保護され、責任は軽減されることが多い。 |
いつも思うのが、韓国に対する【善意】の人とは、本人はたいてい(1)~(3)の意味のつもりで善意なのだろうなということです。しかし韓国を知る者から見れば、彼らの【善意】は(4)の意味となります。
そして【善意の第三者】という言葉があります。
これは同じくgooの辞書によりますと、
ぜんい-のだいさんしゃ 【善意の第三者】 〔法〕 当事者間に存在する特定の事情を知らない第三者。 |
単純な事件であっても、この【善意の第三者】というものが入ると途端に話が厄介になります。対韓問題でも同様です。
韓国のことを何も知らないで、あるいは中途半端な知識で、もしくは「自分の知ってる韓国人はそうじゃない」という根拠で、筆者の主張を覆そうとする方などは、まさにこの【善意の第三者】以外の何者でもないなあと思います。
通常、【善意の第三者】という人は、本人が望んだわけでもないのに事件に巻き込まれることが多いようですが、対韓問題に関しては何故か【善意の第三者】氏は呼んでもいないのにしゃしゃり出てきます。
不思議なことに呼ぶと来ないことが多いですしね。
私は、人には自分の信じたいことを信じる自由と権利があると思っています。ですから、親韓な人や擁韓な人の首根っこをふん捕まえて、無理やり月見櫓に引きずり込んで、小一時間説教を食らわして説得しようなどとは思いません。
そんなに親切でも暇でもないですから。
しかし親韓や擁韓な【善意の第三者】様の中には、私のブログに土足で上がりこんでくる方がしばしば散見されます。
別に上がりこんでくるのは構いませんが、来るなら来るで人んち上がる時は「挨拶をする」、「靴は脱ぐ」、「勝手に冷蔵庫を開けない」といった程度の最低限の礼儀と知識は備えてきていただきたいと存じます。
また、既に何度もこのブログ内で語ったことを繰り返し論われても困ります。
筆者はチャットで同じことを何度も何度も何度も何度も何度も何度も(中略)何度も繰り返し語らされるのにうんざりしています。しかし発言が消えて無くなるチャットであれば、同じことを繰り返し語らされるのもある程度やむを得ないとは思います。
しかしこのブログ月見櫓は、過去1年の筆者の主張が残されております。筆者の主張に反論を掲げられることは、筆者としてもやぶさかではございません。むしろ歓迎いたします。ただし、既に過去に筆者が記事で主張していることを読んでいないのが明らかな反論は素無視します。
筆者に反論を試みようとする方におかれましては、半年ROMってから来いとは申しませんが、少なくともこのブログの最初から最後まで目を通して来るぐらいのお行儀の良さを身に着けてから、お越しくださいませ。