日本人に自らが持つ負の部分を投影する韓国人。
しかしそんなことでいちいち言いくるめられていた日には、日韓チャットに年単位でなど居座れません。こういう時は、人それぞれやり方は異なりますし、私の場合は無視することの方が圧倒的に多いのですが、そうでなければ私の場合は「自称慰安婦という婆さんの証言集を読んだことがあるが、全員朝鮮人の女衒に騙されて慰安婦にされたと証言していたぞ」と答えることにしています。
これで素直に納得する韓国人などほとんどありませんが、それでも一瞬ぐらいは返答に窮してくれます。しかし中には活きの良い韓国人も少なくありません。
過去記事でも軽く触れたことがありますが、そういう活きの良い韓国人の中には「私のおばあさんが体験しました」と放言する者があります。
自発的であれ強制的であれ、孫に自分が慰安婦であったことを話す婆、失礼、祖母がいるのかと少々驚いてさらに突っ込んで聞いてみると、「幸い、私の祖母は早く結婚していたので慰安婦にされるのを免れました」と答えたりします。
結局、その祖母も、慰安婦であったわけではないにもかかわらず、まるで自分が慰安婦にされたことがあるかのように孫に語っているわけです。
もっとも、これにいちいち驚いていたら日韓チャットに年単位で居座ることはできません。
ここで注目するべきは、韓国人が嘘吐きであるということではなく「既婚女性は慰安婦にされるのを免れた」という部分です。
韓国人が持つ日本人のイメージは、日韓チャットに居れば嫌ほど見せ付けられます。それはまるで人の皮をかぶった悪魔です。飢えたケダモノでもあれほど悪辣ではありません。そしてその悪魔は、誠実で実直でか弱い朝鮮人を陥れ、虐げ、辱め、蔑みます。
道で朝鮮人の男を見れば理由も無く殴るか蹴り飛ばします。町で朝鮮人の女を見れば所構わず裸に剥いて陵辱します。里で朝鮮人の子供を見れば、面白半分に足をつかんで振り回し、頭を手頃な立木か地面に叩きつけます。金目の物は手当たり次第奪い取り、朝鮮人を死ぬほどこき使い、反抗すれば考え得る限りの残酷な方法で嬲り殺します。
韓国人が抱く日本人のイメージとは、こんなイメージです。
そんな日本人が、「既婚者である」という理由だけで、何故妙齢の女性を諦めるのでしょうか。
この疑問は、以前から心の奥底に沈んでいたのですが、先日偶然見つけた日帝時代の朝鮮人老人の手記を見て、また同じ疑問が再び浮かんできました。
この疑問を韓国人にぶつけても、まともに答えてもらえないのは火を見るより明らかなので、あえて日本人に聞いてみました。そして答えてくれた日本人の回答は実に明快でした。
「朝鮮人なら諦めるから」
なるほど言われてみればそうです。彼らが抱いている日本人のイメージとは、ほぼ日本人から見た彼ら自身のイメージに近いものがあります。日韓チャットではお馴染みなのですが、彼らは日本人を罵る時は、いつも彼ら自身のイメージを我々日本人の上に投影しております。
そもそも、彼ら自身が言うのです。日本人の悪辣非道さを刷り込まれて育ってきて、日本人とはそういうものだと思っていたのに、実際の日本人に会うとその温厚さ誠実さ几帳面さ、そして気配りの細やかさに驚くと。
彼らが生まれた時から刷り込まれたケダモノよりも狡猾で残虐な悪魔のごとき日本人など、まず見られません。彼らの想像上の日本人と、現実の日本人とのギャップに驚いた彼らは、この捻じれを日本人の「ホンネ」と「タテマエ」で理解しようとします。
つまり日本人の本性はケダモノよりも狡猾で残虐な悪魔だが、それを温厚篤実な「タテマエ」で覆っているのだと考えているようです。
だから彼らは、私たちが彼らを問い詰め論破すると、必ずと言って良いほどこう言います。
「やっぱり日本人はこうだね」
私たちが韓国人を理由もなく罵ったり蹴ったりすることなど決して無いのですが、彼ら的にはたとえ原因が自分自身であっても、自分が悪かったなどと自らを省みることはほとんどありません。もちろん皆無ではありませんが、無いと言っても誤差の範疇で済むほどにありません。
ですから、彼らの感覚では、彼らが日本人と接してやり込められたり論破されたりすれば、それは常に日本人が理由もなく彼らを虐げたということになります。そしてこの見解は、彼らが抱く日本人のイメージと合致します。
韓国人は、意識的であれ無意識的であれ、こういうイメージで日本人を見ているということを、韓国人と接することのある日本人は知っておくべきだと思います。
もっとも、彼らに日本人が韓国人と比べると馬鹿みたいにお人好しで温厚であることに気づかれると、連中大喜びで日本人を侮ってかかってきますので、それはまたそれで厄介なのですがね。
つくづく付き合い難い連中だと思います。