平成18年 年末ご挨拶
今年は公私共に色んなことがありました。最も喜ばしきは悠仁親王殿下のご生誕でした。逆に年も押し迫ってからの枚方市の「人権課題に関する意識調査」には本当に凹みました。
ネットで自分の住む街が、住民もろとも(当然私自身も含まれます)悪し様に罵られるのは、本当に身の縮む思いがします。朝鮮人みたいに、「悪いのは一部です」とか「一部を見て全体を判断しないでください」とか「私だけは違う」とか「そんなこと言うもまえらはそんなに偉いのか」などと言ってしまいたくなる衝動に、何度駆られたでしょうか。
まったく彼らは、本当に優秀な反面教師だと思います。彼らを見つめ評し続けている効能がこんなところに現れるとは、人生どんなことでも無駄な体験というものはないなあと痛感いたしました。
人間として言ってはいけないこと、やってはいけないことというものがあります。しかし、それをつい言ってしまったりやってしまったりするのも、また人間です。そこで開き直ったり責任転嫁したりせずに踏みとどまれるか否かが、日本人と朝鮮人を分けるところでしょう。
誰だって弱い部分があります。自らそれを認め省み正そうとすれば、その弱い部分を晒してしまっても日本人として踏みとどまることが出来ます。しかし「誰だってこんなところあるんだから、自分にあっても良いじゃん」「私にもそういう部分はあるが、お前にもあるじゃないか」などと言って誤魔化すようになれば、それは朝鮮人化しつつあると言わざるを得ません。
実際、朝鮮人化しつつある日本人も目に付くようになってきました。増えたわけではありますまい。昔からそういう人たちは少なからずいたと思います。でも、昔はそういう人たちは排除されてきました。私より年配の方などでは「朝鮮人じゃあるまいし」という言い方で無作法を叱られた人も少なくないと聞き及んでおります。
戦後左傾民主主義教育では、この「朝鮮人じゃあるまいし」という台詞を「人種差別」のレッテルで封じ込めました。その結果、朝鮮人化した人々がおおっぴらに世間を闊歩するようになったのが、実際のところだと思います。
私のブログは、この「朝鮮人じゃあるまいし」という台詞が、人種差別ではないということをずっと述べてきました。人間として、少なくとも日本人として、言ってはならないこと、やってはいけないことを言ったりやったりするということはどのようなことかを、朝鮮人の投げつける汚物にまみれながら見つめ論じ続けてきました。
その結果、少なからぬ皆様にご支持をいただき、更新頻度を引き下げたにも関わらず、昨年に引き続き人気ブログランキングアジアカテゴリでは首位をキープしたまま2度目の年越しを迎えることが出来ました。
本当にありがとうございました<(_"_)>
今後も皆様の応援に、全力執筆で応えていきたいと思っておりますので、来年も変わらぬお引き立ての程、よろしくお願いいたします。
それでは皆様、良いお年をお迎えください。