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愛国心についてダラダラ考えてみた。

今回、愛国心とか、愛国心教育について書こうと思いました。思ってから数日。書きかけては煮詰まり、煮詰まっては消し、消してはまた同じようなことを書き、また書いては煮詰まるという繰り返しを数度重ねました。

結局余りにもまとまらないので、まとまらないままダラダラ考えてみることにします。

何度も何度も「愛国心」と書いては消してを繰り返してみて、しみじみ思います。「愛」という文字は何気に照れ臭い、と。口に出せばたちどころに嘘臭くなりますし。

即ち、「秘すれば花」とは愛でも言えることでありましたか。

しかし哀しいことに、黙っていては誰にも何も伝わりません。目と目で通じ合うことが出来る間柄になるまでには、まずは言葉で通じ合うようにならねばなりますまい。

そこで照れ臭さを堪えて、もう一度「愛国心」について考えてみます。

対象が何であれ、一言で愛と言っても色々な愛があるようです。親が子を想うそれと、恋人同士の間で交わされるそれは、どちらも「愛」と呼ばれるべきものではありますが、決して同一のものではないでしょう。と言うか、それが同一だったら問題です。

だから「愛国心」という言葉も、人それぞれで少しづつ違うのではないかと思います。それゆえに人によってそれぞれ受け取り方も違うのではないでしょうか。ただ、大枠、即ち「国を大切に思う気持ち」という点は、共通であるべきかと思います。

突然「愛国心」と言うと、何故かたいていの日本人はぎょっとします。多分、日本人はシャイな民族だから、「愛」だなんて白昼堂々と口にするのははしたないと思っている人が多いのだと思います。

確かに、白昼堂々と「愛国心」について語るのは、なんだか気恥ずかしいものがあります。さらに過剰反応されたりすると、なおさらにこっ恥ずかしく感じます。

ところで、「愛国心」という言葉に過剰反応する人は、たいてい何故か躍起になってこの言葉を否定しようとするように思います。それは「愛」という言葉に何か別のものを感じて過剰反応しているようにしか思えません。丁度、中学生ぐらいの頃「性」という文字(それが「性格」の「性」であったとしても)に、やたら過剰反応する奴がいたように。

こういう風に人によって受け取り方は様々になりがちな概念だからこそ、「愛国心」についてはきちんと教育するべきじゃないかと思います。

そもそも、国を愛することなんて、自然発生的に生じるものではないと思います。教わらなければ分からなくて普通です。

これは自分を産んでくれた親への敬愛が、教わらずとも自然発生的に生じるものかどうかを考えれば、ご理解いただけると思います。

実際に自分を産み、育ててくれた親に対してでも、教わらなければ敬愛など生じません。子供にとって親は自分を庇護養育して当然の存在です。それに対して教えもしないのに、物心ついたら自然に親を敬愛してるような子供がいたら、それは多分お釈迦様かイエス様の生まれ変わりです。直ちに宗教家の道を歩ませましょう。

冗談はさておき。

実の親でも、そのありがたさ愛おしさは、教わるか離れるか失いかけるかしなければ気づかないものです。ましてや「国」という触ることも見ることも出来ない存在に対して、教わりも離れも失いもせずに気づくことは至難と言って良いでしょう。

人は、自分が何に属するかを強く気にする生き物です。上野動物園のパンダは、自分の出自や所属など気にもしないだろうし、そこにアイデンティティを求めることもないでしょう。

しかし人間は、自分の出自や所属が判然としていなければ、自分自身を見失います。何不自由なく育てられていても、実は自分が養子だったと知れば、人は実親を探してしまうのです。

もし人が自分自身の出自や所属を否定したり嫌悪したりすれば、それはやがて巡り巡って自分自身の否定や嫌悪となります。自分自身の否定や嫌悪は、多分自分自身を殺すことの次ぐらいに強い自虐行為だと思います。

誰もが、幸せに生きたいと思っているのではないかと思います。自分自身に誇りと愛情を持てない者は、幸せにはなれません。「愛国心」を持つことは、巡り巡って自分自身の肯定と尊重につながります。それは幸せに生きるための条件の一つだと思います。自分の国に誇りも愛情も持たない者は、自分自身にも誇りや愛情も持ち得ないでしょう。

地球に暮らす国や人を俯瞰してみれば、日本で日本人に生まれたことは間違いなく僥倖です。個人的には、これだけでも、日本人にとって日本という国は感謝し愛すべき国ではないかと思います。

もちろん我々はたまたま日本人に生まれただけです。自ら望んだわけでも選んだわけでもないし、嫌だからと言ってその事実を変えることは出来ません。

それでもどうしても日本を愛することが出来ないというのであれば、日本という国は、国民に対し国籍離脱の権利と自由も与えてくれています。

自分を生んでくれた国も愛せない人間が、どんな国を愛するつもりか知りませんが、どうしても日本を愛することに拒否感を覚えるのであれば、きちんと日本国から離脱するのが筋ではないでしょうか。その上で、思う存分日本を無視するなり嫌うなりすれば良いと思います。

私は、「愛国心」は日本人であれば当然持っているべき徳目のひとつだと思っておりますし、徳目ってのは教わらないと身に付かないものだと思っております。



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美と情

前々回の記事で、「日本人の行動規範は【美】である」という話をしました。これがアメリカならおそらく彼らの行動規範は【正義】になるでしょう。中国は何でしょうか。ちょっと思いつきませんが、きっと何かあると思います。

日本人の【美】という行動規範は、日本人にとっても決して楽なものではありません。

先日もチャットでその話になったのですが、例えば韓国では、葬式の時に泣き喚くのが礼に適ったことになります。しかし日本では、むしろ悲しさを押し殺して涙を堪える姿に美しさを見出します。日本人だって、親しい人を亡くせば、はらわたが裏返るほど泣きたいと思います。しかしそれを抑えて、くちびるを噛んで堪える方を、日本人であれば「美しい」と思ってしまいます。

この【美】に対する崇拝に近い行動規範は、時に善悪すら超越します。そしてその【美】の基準は実に微妙で曖昧です。今この瞬間は醜悪だと思われた物が、次の瞬間に美しいと判断されることもしばしばあります。

そのために、日本人であることは、かなり難儀で息苦しい思いをすることが多いと思います。

さて、韓国人の行動規範は何かと言えば、【情】ではないかと思います。こう考えると、日本人と韓国人の齟齬がよく見えてくると思います。

韓国人は、情に基づいて行動します。その美醜は二の次です。それに基づかない行動はすべて「冷情」と言われ非難されます。

反面、日本人の場合は美意識に基づいて行動します。情は二の次です。それに基づかない行動はすべて「恥ずかしい」と言われ非難されます。

どちらが楽かと言えば、間違いなく韓国人の方が楽だと思います。彼らは嬉しければなりふり構わず大喜びし、悲しければ吐くほど泣き喚き、腹が立てば狂ったように怒鳴り散らし、楽しければ所構わず歌い踊ります。世界のどこかで韓国人がちょっとでも誉められれば、まるで自分が褒め称えられたが如く自慢し吹聴します。

その点、日本人は窮屈です。嬉しくても悲しくてもそれを押し殺し、腹が立っても我を失わず、楽しくても周りの空気を乱さぬように気を使わなければなりません。世界のどこかで日本人がちょっとでも誉められれば、嬉しい反面、その評判を自分が損なうようなことがあってはならないと思って身が縮むような気がします。

おまけにこの【美】という行動規範は、隙が多いというか、付け込まれやすいというか、とにかく脆弱です。狂ったように吠え猛る相手に対して、出来るだけ見苦しくなく且つ礼を損なわぬように接するということが、どれほどストレスになるかは、職務でクレーム処理をしたことのある方ならご理解いただけることだと思います。ああいう時に、相手に合わせてなりふり構わず吠え猛ることが出来ればどれだけ楽でしょうか。

ですから、韓国人に「日本はどうのこうの」とか「日本人はああだこうだ」とか気楽に言われると、無性に腹が立つ今日この頃なのでした。



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今日は竹島の日です。

小林少年様執筆のブログ「フィオリーナの以心伝心」で企画された「竹島プロジェクト」は、今回で2度目を迎えたわけですが、270を超えるブログが参加を表明され、なかなか盛況の由、誠に慶賀に存じ上げます。是非とも毎年恒例の行事にしていきたいですね。

私が日韓チャットに首を突っ込んだ2002年頃には、日本で「竹島」と言っても芳しい反応は返ってきませんでした。北方四島については、私が小学生の頃でも誰もが知っていましたが、竹島については、そういう島があることさえ知らない日本人が圧倒的に多かったと思います。ましてやそこが韓国に武装占拠されてるなどということは、まったくと言っていいほど知られていませんでした。などと毎度毎度偉そうに言ってますが、もちろん私も知らなかった一人です。

しかし、韓国が執拗に繰り返す攻撃努力が実って、日本でも竹島問題は人口に膾炙するようになりました。まさに雉も鳴かずば撃たれまいに。韓国伝統芸自爆自演。韓国人が国内外を問わず行なった竹島に関する日本と日本人に対する執拗な努力は、日本で日本人が行なう竹島問題の宣伝活動の何倍、いや何十倍もの成果があったと思います。こればかりは韓国の執拗な努力に感謝したいと思います。

それでもいまだに、「韓国人と竹島論議になったら、揉めるのは面倒くさいので韓国領土だと言っておこう」なんて言う日本人は多いようです。

確かにそう言えば、その場限りは収まるでしょう。そればかりでなく、「お前は良い日本人だ」と韓国人は躍り上がって大喜びするでしょうし、以後大親友として接してくれるようになるでしょう。

そしてその韓国人は「私の知っている日本人は、ドクトを韓国領土だと認めた」と吹聴するようになります。日本政府を始め、他の日本人がどれほど竹島を日本領土だと主張しようとも、「でも私の知る日本人は韓国の地と認めましたね」と言い張ります。

たった一人の日本人の何気ない阿諛迎合が、日本人全体の発言として韓国社会に広げられるのだという危機感を、我々日本人は持つべきだと思います。

日韓友好のために、多少の譲歩は必要だとかなんとか言い訳する人もいるようですが、阿諛迎合が無ければ築けない友好など、最初から築くべきではありません。

そもそも、すべての日本人が、竹島問題を始めとする領土紛争問題についての専門家である必要はありません。竹島問題について詳しくないのであれば「私は竹島問題について詳しくない」と正直に言えば良いだけのことです。実は韓国人だって全然詳しくありませんからw

「それでも日韓どちらの領土と考えるのか、意見を表明しろ」と迫られれば、「私は日本人であるから、当然に日本政府の見解と主張を支持する」とだけ答えて、あとは日本政府と専門家に聞いてくれと丸投げすれば良いだけです。

その上で四の五の言う韓国人には、私は「わかった、そこまで言うならお前が国際司法裁判所に出て来い」と言ってます。日韓チャットでの経験では、一人として「わかった、私が国際司法裁判所に出る」とは言いませんでした。ほぼ百パーセントの韓国人が「私は専門家ではないから」とか「私にその資格はないから」と言って尻込みします。

日本政府の政策やイデオロギーに注文や不満があって、素直に日本政府の見解や主張を支持すると言いたくない日本人も少なからずいらっしゃるかもしれません。しかし事は政策やイデオロギーではありません。日本の領土問題です。こればかりは日本人であれば右も左も関係ないと思います。「日本人であれば」ね。

ですから「私は韓国人であるから、当然に韓国政府の主張を支持する」と言う人がいれば、私個人としてはその姿勢を認めます。ですから是非とも、きちんと自らの立脚点を表明してから四の五の仰っていただきたいと存じます。

最後になりましたが、竹島の日に寄せて、日本の国土竹島から韓国武装警察を駆逐し、日本の漁師さんたちが竹島近海で安全に漁業を営めるようになることを心より祈念します。



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懸念していたことが現実になっています。

19日の夜、以下のようなニュースを見て驚くと同時に「やはりな」と思い、そして暗澹たる気持ちになりました。

改名容易化の韓国大法院決定悪用、不法再入国の女逮捕

以下に記事全文を引用します。
 不法入国で強制退去処分を受けた韓国人ホステス(44)が、入管難民法で処分後の5年間は再入国が認められないのに、韓国で名前を変えて旅券を再取得し、退去後に2回、日本に再入国していたことがわかった。

 韓国の最高裁にあたる大法院が2005年11月、改名を容易にできる決定を出したこともあり、同種の手口による不法入国が増えているといい、入管当局は水際の警戒を強めている。

 大阪入国管理局や大阪府警曽根崎署によると、ホステスは、姓が「崔(チェ)」、名が「美景(ミ・ギョン)」だった昨年4月、旅券を持たず大阪市北区の飲食店で働いているところを入管難民法違反(不法入国)で摘発され、強制退去処分を受けた。

 ところが強制退去後、韓国で名を「允栄(ユンヨン)」に改名。退去から3か月後の昨年8月、旅券を再取得して日本に入国し、同じ店で2か月間働き、昨年10月にいったん帰国。今年1月、再び入国して同じ店で働いていたが、今月1日、情報提供を受けて立ち入り調査した同入管と曽根崎署によって逮捕され、現在、大阪府内の入管施設に収容中。

 調べに対し、ホステスは「強制退去処分を受けたので再入国のために名前を変えた」と供述しているという。

 韓国の事情に詳しい関係者によると、韓国・大法院が05年秋、「本人の意思と必要性があれば、犯罪目的でない限り原則として改名を許可すべきだ」と決定し、許可率は100%近くに上昇したという。

 改正入管難民法の施行で、今秋までに、国際空港などの入国審査窓口で指紋や顔写真の照合も始まる。大阪入管は「秋以降は水際で同一人物かどうか判断できるので、こうした不正入国は防げる」とし、それまでの間も取り締まりに全力を挙げるとしている。

(2007年2月19日14時41分 読売新聞)

この記事で目を引いたのは「強制退去後、韓国で名を「允栄(ユンヨン)」に改名。退去から3か月後の昨年8月、旅券を再取得して日本に入国し、同じ店で2か月間働き、昨年10月にいったん帰国。今年1月、再び入国して同じ店で働いていた」という箇所です。

この韓国女は、正当な就業ビザを持ってではなく短期滞在、即ち「無査証」で来日して就業していたに違いありません。もし正当なビザを取得して来日・就業していたのであれば、入管に踏み込まれても捕まるはずもありませんし、捕まらなければ改名による不法入国がばれることもないからです。

そして短期滞在可能期間の3ヶ月以内で一旦韓国に帰国し、再度日本へ無査証で入国しています。この方法を用いれば、3ヶ月に1度、日本から出国する必要はありますが、無査証のまま半永久的に日本に居住し、就業することが可能です。再入国許可や外国人登録さえも不要です。犯罪目的ならば、願ったり叶ったりの待遇でしょう。

しかもこの事件の経緯を見ると、実にスムースです。05年4月に強制退去処分となり韓国に帰国。そのわずか3ヵ月後に改名した旅券で日本に再入国です。

強制退去で韓国に帰国するとすぐに日本への不法入国の意図を持って改名手続きを開始。改名の許可が下り、改名手続きが完了し、新しい名前での戸籍が取れるや否や間髪を入れず新しい旅券を申請・受領し、日本に不法入国したとしか考えられない手際の良さです。

これは改名による旅券の再取得と、日本への不法入国という手口が、この韓国女一人で考えた犯罪ではなく、この手口を指南し支援する者や組織が存在することを示唆します。と言うことは、かなりの規模でこの犯罪が行なわれているということでしょう。

韓国司法が「本人の意思と必要性があれば、犯罪目的でない限り原則として改名を許可すべきだ」と決定」したとありますが、「不法入国」「不法滞在」「資格外活動」はすべて違法行為、即ち犯罪です。韓国では「日本に対する違法行為は犯罪とはみなさない」と判断されているのであれば話は別ですが、そうでないならばこの韓国女は虚偽理由による改名申請を行なっているわけですから、韓国国内法にも抵触する可能性があります。

ところで、福島瑞穂社民党党首のホームページにあるQ&Aには「外国人の犯罪率は高いよね?」という質問があります。これに対し福島瑞穂党首のホームページでは「外国人の入国者数が明らかでないので、犯罪率が高いというのは憶測に過ぎません」という題で回答しています。そして次のように述べます。

「そもそも、正確な入国者数が明らかでないので、外国人の犯罪率は確かではなく、犯罪率が高いというのは単なる想像です。さらに、外国人の犯罪は凶悪だという意見がありますが、検挙される外国人犯罪のうち多くを占めているのは軽犯罪です。外国人の多くは、出稼ぎ労働者で、路上販売をさせられているので、道路交通法違反などでつかまる人が多いのです。たしかに、不法で入国している労働者に関しては、犯罪率が高いという統計もあります。しかしそれは、不法労働者は無許可で日本に滞在しているため、不法滞在が見つかったときも犯罪として数えられるからです。少なくとも、「不法労働者は罪を犯す危険な人たち」ということではありません。 」

この回答は福島瑞穂社民党党首自身が述べているものではありませんし、Q&Aのページ上部に「作成:福島みずほボランティア大学生Q&A作成チーム (注)福島みずほ事務所ボランティアが作成したものです。ボランティアのみなさんがみずから調べ、考え、文章にしたものです。この政策が、福島みずほ、ならびに社会民主党の政策と必ずしも合致するものではありません。」などと逃げの注釈を打っております。しかし、福島瑞穂社民党党首のホームページに掲載されているQ&Aですから、政策とは合致しなくとも福島瑞穂社民党党首及び社民党全体の見解とは合致していると考えて良いでしょう。

しかしこれは明らかに間違った見解です。外国人の出入国者数や犯罪者数、そしてどのような犯罪が行なわれたかは、きちんと法務省の白書で毎年報告されております。しかもこの回答文では、「不法入国」「不法滞在」そのものがれっきとした犯罪であるという認識に欠けた文まで見られます。この回答が質問者に対する意図的なミスリードを狙ったものでないのならば、回答者の見識が極めて低いということになります。

個人的な見解をチラシの裏に書いてるだけなら、いちいち指摘などいたしませんが、「参議院議員」「社民党党首」という権威を持った者の意見表明を行なっているホームページで、こんな見解を晒されては困ります。しかも確か福島瑞穂社民党党首は弁護士出身だったと思うのですが、自らの事務所のスタッフの遵法意識の低劣さを党首ご自身はどう考えているのか、法律の専門家としての見解を、機会があれば聞いてみたいものです。もっとも、韓国では弁護士出身の大統領が「国際法なんて遵守する必要はない」と放言して憚らないのですから、韓国でなら通用する理屈かもしれません。

しかし、彼ら福島瑞穂社民党党首及び福島瑞穂事務所スタッフにとっては極めて残念なことと思われますが、ここは日本です

ちなみに韓国では、戸籍上の生年月日の変更も極めて容易です。姓の変更が容易かどうかはわかりませんが、韓国では姓の数が極めて少ないのは皆様既にご承知の通りです。つまり改名と生年月日の変更が容易に出来るならば、書類上別人に成りすますことは極めて容易ということです。

こんな連中にさらに無査証入国を許すということは、まさに「盗人に追い銭」を地で行く愚行。こんなことを許可した外務省と、それを煽った国交省は腹を切れと言いたいくらいです。

今後生体認証が導入されるということですが、一刻も早く実施されることを切に望みます。



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換言もほどほどに。

昨今、日本人のモラル低下がしばしば指摘されます。それも、まだ物の分別がつかない少年少女たちだけの話ではありません。いい年をした大の大人が、誠に薄みっともない行動を公衆の面前で披露して、更にこれを恥じません。

日本人のモラル低下を「溶解する日本人」と題して批判と分析を試みていたのは、確か産経新聞であったと記憶します。「日本人としてあるべきかたち」を失ってぐにゃぐにゃどろどろとだらしも締まりもなくなった日本人を指して「溶解する」と称したのは、言い得て妙ではあります。

しかし、この表現は「言い得て妙」であるがゆえに、小綺麗に過ぎると思います。表現が小綺麗に過ぎるがために、批判された当人も「溶解して何が悪い」となりかねません。批判された人や周りの人々がそれを聞いて「これではいけない」「改めなければだめだ」と思うには「溶解する」という言葉はインパクトも説得力もありません。

ルース・ベネディクトが「菊と刀」で、日本を「恥の文化」と称したのは、西洋の「罪の文化」と比して日本を差別的に見たものだという説があります。しかしベネディクトの本心が那辺にあるかは知る由もありませんが、私は彼女が日本を「恥の文化」と称したことそのものは、容認します。それは単に、ある物事をどちらの側面から見たのかという問題に過ぎず、呼称にかかわらずその物事自体の本質は変わらないからです。

「恥の文化」とは、正確には「恥を恐れることによって形成された文化」の謂です。これは裏返せば、「美しさを行動規範とする文化」であると思います。

「恥」とは「醜態を晒すこと」であって、日本人がそれをしでかしてしまうことを恐れ、それをする者を唾棄するのは、その行為が「美しさ」を毀損し、否定する行為だからです。

「美しさ」が行動規範である日本人は、西洋人が神の怒りに触れ罪を得ることを恐れるように、「美しさ」から外れ恥を晒すことを恐れます。しかも日本人が考える「美しさ」とは、金ぴか極彩色という分かりやすいが単純な「美しさ」だけでは品が下がります。複雑にして深遠で曖昧な日本人的「美しさ」の基準は、時に日本人自身の理解をも凌駕する不可解さを纏います。しかし、その不可解ささえも、「美しさ」として理解しようとするのが日本人だったりするのです。

「溶解する」という言葉が、日本人の危機感をそれほど刺激しないのは、その言葉の小綺麗さゆえではないでしょうか。「溶解」という言葉は大して美しくはありません。しかし嫌悪感を催すほど醜くもありません。少なくとも「溶解する日本人」が体現して見せるものほどは、醜くないのです。

醜態を晒す輩を指して「あいつは溶解してる」「日本人としてあるまじき溶解状態だ」などと言って、どれほどの人がその言わんとするところを理解するでしょう。非難されてる本人はもちろん、それを聞いた周囲の人々も何のことやら分らないに違いありません。語彙と想像力の貧弱な連中に至っては「"ヨーカイする日本人" ってカッコよくね?」などと言い出しかねません。

これはやはり、日本人でありながら日本人として見るに耐えない醜態を晒す輩に対しては、その醜態に相応しい語彙を用いて正しく批判し、且つ非難することで、本人の自省や周囲の人々の自戒を促すべきではないかと思います。

即ち「朝鮮人ではあるまいし」と。



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反日日本人が夢想する日本とはどのような国なのか。

15日の15時半頃に、ブログの管理画面をいじくってて、全然関係ない記事(って言うかテンプレ)をUPしてしまいました。その時ご覧いただいた皆様におかれましては、さぞやご不審に思われたことと存じますが、単純な操作ミスです。どうぞ笑ってお忘れください<(_"_)>

さて、韓国の反日を日々論っている筆者ですが、より深刻なのは、実は日本の反日日本人の方だということは忘れておりません。

最近、日韓チャットで韓国人とあまり話さなくなったせいか、反日日本人についていろいろ考えることが多くなりました。彼ら反日日本人は、特亞人の尻馬に乗ったり、時に率先して日本を罵り蔑んでいますが、いったい彼らはこの日本をどのような国にしたいのでしょうか。

彼ら反日日本人は、必ずしも日本を悪くしようとは思っていないようです。ただ彼らの考える「善なる日本」の方向性が斜め上を突っ走っているために、特亞人と同調してしまいやすいのでしょう。

彼ら反日日本人の夢想する理想の日本とは「雨にも負けず風にも負けず、決して怒らずいつも静かに笑っている、あらゆることを自分を勘定に入れず、誉められもせず苦にもされない」国のようです。まあ、多少の注文も無くはありませんが、ここまでは良しとしましょう。

何故かそこから彼らは「支那と結びアメリカと袂を別ち、韓国が竹島を武力占拠すれば行って対馬を付けて譲ってやり、北朝鮮に日本人が拉致されれば行ってまず日帝統治期の強制連行を反省し、毎年特亞に謝罪と賠償をし、日本に住む特亞人には帰化せぬまま日本人と全く同じかそれ以上の権利を保証してやり、日本に来る特亞人が日本の援助で思う存分学び力一杯稼げ本国に好きなだけ送金出来、望めば本国から一族郎党を呼び寄せて日本に住み着くことも無条件で許される」国という方向へ突進して行きます。

しかし想像してみましょう。彼らが夢想する通りの日本が実現したとします。さて、そこは果たして日本と言えるでしょうか。

さらに想像してみましょう。そこに日本人は住めるでしょうか。

日本に特亞人が溢れれば、彼らは我が物顔でテリトリーを広げるでしょう。彼らは彼らのコミュニティを作り、彼らのルールで行動し、日本人を駆逐するでしょう。

これは被害妄想でも何でもなく、実際に現在日本で起きている現象です。

これは聞いた話ですが、あるテナントビルに在日韓国人が入居し営業を始めたそうです。そのテナントビルは元々ブティックが主な入居店舗で、在日韓国人の店舗もブティックとして契約したのですが、その在日韓国人はなんとそこで韓国生鮮食品屋を始めたそうです。

もちろんそれは契約違反なのですが、そう言うと民族差別だと大騒ぎされるので、オーナーも迂闊に文句が言えません。やむなくその韓国生鮮食品店の営業を黙認せざるを得なくなり、その結果「おしゃれなブティックの集まるビル」というイメージはぶち壊しになりました。

さらにその店では、どこで仕入れて来るのか、韓国でしか売っていない野菜や魚などを売り始めました。それにつられて在日韓国人がその店に集まるようになると、それに比例して日本人は寄り付かなくなります。

そうなると、それまでそのビルで営業していた日本人経営のブティックはどんどん逃げ出します。そしてその後に入ってくるのは在日韓国人の店ばかりというコリアスパイラル。もうオーナーと言えども手のつけようがありません。やがてそのビルは否応もなく、在日韓国人向けテナントビルになってしまうでしょう。そのテナントビルのオーナーは「あのビルの周辺は、遠からずコリアンタウンになっちまうんだろうなあ」と嘆じていました。

似たような現象は、東京なら新大久保や鴬谷界隈でも見られるのではないでしょうか。京都では祇園界隈が深刻な状況のようです。大阪は鶴橋を始め、伝統的にそういう場所が多いようです。この現象が日本全体に拡散される可能性はないと考える間抜けがいるとしたら、そういう間抜けが彼らの次のターゲットになるでしょう。

もし日本全体にその現象が拡散されれば、日本は日本でなくなり、日本人は日本に住めなくなります。反日日本人は、それが望みなのでしょうか。

しかし、日本が日本でなくなれば、そして日本に日本人がいなくなれば、そこは日本と言えるでしょうか。

この日本は誰が作ったのでしょうか。当然、日本人です。特に現在の経済大国日本は、日本の先人達の比喩でない粉骨砕身によって築き上げられた国です。その先人達の遺産を受け継いだ我々が、放蕩息子よろしく総花式に外国人にその遺産を分け与えてしまうことが、我々のために身を砕き骨を粉にした先人達の願いでしょうか。

支那や朝鮮、近世では欧米から渡来した人々が、日本の文化や経済、技術の発展に寄与したことは否定しません。しかし、それを受け入れ実行し、稼働させ、運営し発展させたのは日本人です。日本人でなければ、渡来した文化や技術を日本のものにすることは出来ませんでした。

日本が日本らしくあるためには、日本人が日本人らしくあらねばなりません。日本人を両親とし、日本で生まれ育った日本人でさえ、日本人らしくあるのはなかなかに難儀です。ましてや日本で生まれて日本で育ちながら、朝鮮人であることを固持し続ける在日韓国・朝鮮人が日本人らしくあろうことなど、韓国年で10年間はあり得ません。当然、特亞を含むニューカマーの外国人にそれを求めるのは余りにも酷に過ぎます。

日本に住むために日本人らしくあろうと努力し、実行している極めて少数の限られた一部の外国人が、もしかしたら存在するかもしれないということは否定しません。しかし圧倒的多数の、特亞人を含む外国人は、日本に住んだぐらいでは日本人らしくあろうともしないでしょうし、したくとも出来るはずがありません。

その彼らに、野放図に日本人と全く同じ権利を与えたり、日本という国の運営に携わらせたりすることは、日本を日本でなくす行為にほかならないと私は考えます。

そもそも反日日本人どもが夢想する理想の日本が、日本ではない国になってしまった日本なのであれば、わざわざ日本で彼らの理想を実現する必然性は全くありません。彼らの理想の実現は、日本以外の、彼らの理想を受け入れてくれる国(そんな国があるならば、ですが)で思う存分やれば良いと思います。



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「恨」について

朝鮮人の「恨」という感情は、朝鮮人を語る上では外せぬ基礎知識のひとつとなっております。

しかしこの「恨」、よく語られているわりによくわからないものです。私も朝鮮人ならぬ身ですので、「恨」について完全に理解しているのかと聞かれると、少々答えに詰まります。ですが、ひとまず私の理解の範囲内で「恨」について述べていこうかと思います。

「恨」とは、字面こそ「怨恨」の「恨」の字ですが、いわゆる「恨み」とは異なるとされています。gooの辞書で検索すると「ハン 1 【恨】 〔朝鮮語〕植民地時代の抑圧の中で、朝鮮の民衆の中に蓄積されてきた痛恨・悲哀・怒りなどの感情。」と説明されています。しかし実際に見かける「恨」は、そんな悲壮なものでも切実なものでもありません。むしろもっと低俗で卑近で幼稚なものの方が多いと思います。

例えば、「入りたかった大学や会社に入れなかった」「買おうと思った物が(品切れや予算オーバーで)買えなかった」「日本料理屋でキムチをオーダーしたら断られた」「全財産をはたいて宝くじを買ったが、期待した当籖金が当たらなかった」などに起因するものが、よく見聞きする「恨」です。

朝鮮人は、「自分の望みは常に十全に満たされるべき」と考えています。その十全に満たされるべき望みが実現されなかった時、「恨」が発生するようです。

実際問題として、望みが常に十全に満たされることなどあり得ません。むしろ叶わないのが普通で当然です。しかしそれを「当然」と受け入れらず、否定的に抱え込むと、それが「恨」となります。

例えば腹を空かせた朝鮮人がいたとします。この朝鮮人に何か食わせてやれば、ひとまず空腹から脱した朝鮮人は満足するでしょうか。多分、満足しません。「どうせ食べるならもっと美味しい物を食べたかった」などと不満を言うでしょう。

それでは、この朝鮮人にもっと美味しい物を食べさせてやれば満足するでしょうか。おそらくこの朝鮮人はきっと「これっぽっちじゃ足りない。どうしてもっと食べさせてくれないのか」などと言うでしょう。

では、もっとたくさんのごちそうを食べさせてやれば、この朝鮮人は満足するのでしょうか。おそらくこの朝鮮人は口一杯にごちそうを頬張りながら、「最初からこんなごちそうを出してくれれば、ごちそうだけで満腹になれたのに、最初につまらないものを食べさせられたせいでこれ以上このごちそうが食べられないじゃないか」と不満を言うでしょう。

「自分の望みは常に十全に満たされるべき」と考えるということは、このように、ひとつの望みが叶えられても、すぐにより一段階上の願望が発生し、それが叶えられればまたひとつ上の願望が生じるということの繰り返しとなります。

果てしない願望が常に果てしなく叶え続けられるなどということは、絶対にあり得ません。つまり、そう願う者の望みも結局永遠に叶えられません。こうして満たされることのない願望が「恨」の発生源になります。

単なる不満と違うのは、不満を不当と考えている点でしょうか。不当な現実を押し付けられことに対する悲しさや憤りを心の底に蓄積させ、発酵させたものが「恨」になるのでしょう。

要するに「恨」とは、「果てしなく生じる願望に対する果てしない追求に応じ切れない現実世界に対する不満から生じる負の感情」と考えれば、だいたい間違っていないのではないかと思います。

ちなみに、「日本人が世界中から嫌われ孤立し、孤独に耐え兼ねた日本人が韓国人に土下座して友誼をこいねがう」というのも彼らの切なる望みですが、それが叶えられないこともやはり彼らの「恨」になっています。

しかし、 自らが抱いた願望を貪欲に追求したいのであれば、自らの生活や技術の改善も積極的且つ貪欲に行われるべきだと思います。しかし、なぜか朝鮮人が生活や技術の改善を積極的に行っているという話を聞きません。そのかわり、改善の過程をすっ飛ばして結果だけを貪欲に追求する余り、日本で行われていることを片っ端からパクリまくるという話は鬱陶しいほど聞こえてきますが。

日本には「上見て暮らすな下見て暮らせ」とか「吾唯知足」とかいう戒めの言葉があります。十全でなくとも、現状に感謝し満足することが日本人的には美徳とされています。そのくせ日本人は生活や技術の改善を代々飽くことなく続け、それを蓄積し続けています。現状に満足も感謝もしないくせに、改善は他人任せの朝鮮人とは、誠に好対照だと思います。



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鞭か、さもなくば断交を。

今冬、中国で行われた冬季アジア大会で、また韓国人がくだらないことをして物議を醸してくれました。スケートのショートトラック競技で二位に入った韓国人チームが、表彰台で「白頭山は我が領土」と書いた即席のプラカードを掲げたのです。

白頭山は中国と北朝鮮の国境に跨がる山です。中国では長白山と呼んで、自国領としています。ですから、この山を北朝鮮人が自国領と言うならば「国境を接している」という微妙さで一分の理も無くはありませんが、一寸たりとも地を接していない韓国人にその領有を主張される謂れは、中国人的には毫ほどもないでしょう。

中国は、あれだけばかでかい国土を持ちながら永代貸しだったはず(九九年の租借とは、「久久年の租借」と同音で、意味的には永代貸しと同義)の香港やマカオを取り返し、チベットを侵略し、台湾に恫喝と脅迫で迫り続けているぐらい領土拡大欲が旺盛です。その中国に向かって、ああいうパフォーマンスを行なうということの意味を、韓国人は理解していません。あのパフォーマンスは、食い飽くことを知らぬ餓虎がくわえている肉に手を出したも同然の行為です。

さて、この馬鹿パフォーマンスをやっている連中の写真を見ると、当の本人たちの表情は実に誇らしげです。本当に、心の底から、一点の迷いもなく良いことをしたという自信に満ちた顔付きです。

韓国人の、あの顔付きには見覚えがあります。例えば、連中が「ドクトウリタン」と叫ぶ時の顔付きです。例えば、連中が「日本に核を撃ち込んでやりたい」と吠える時の顔付きです。そして、日帝時代に「天皇を処断する」と言って、両手に爆弾を持って記念撮影に臨んだ抗日テロリストと同じ顔付きです。

彼らのあの顔つきを見ているうちに、韓国人にこういう癖を付けてしまったのは日本ではないかという思いが頭をよぎりました。思えば心当たりがあり過ぎます。過去、日韓で何か揉め事が起きるたびに、日本は穏便に済ませようとするあまり、必要以上に彼らに譲歩し続けました。

その結果、彼らは「外交において、何か気に入らないことや獲得したいものがあれば、相手が言うことを聞くまでゴネれば良いのだ」ということを学習してしまいました。それを教えたのは、ほかならぬ日本です。

韓国のこういう態度が日本に対する時のみに限定されるのであれば、これは日本の身から出た錆、自業自得、因果応報と観念することも出来なくはありません。しかし、韓国の「幸福な利己主義者」たちは、その屈託の無さゆえに見境なく我意の矛先を日本以外の国にも向けるようになってしまいました。

東アジア情勢を少しでも知る者なら、あのパフォーマンスがどれほど中国を挑発するものなのか、そして中国を考えなしで挑発することがどれほど危険なことなのかは、容易に理解することができます。

しかし続報を見る限りでは、あのパフォーマンスをやらかした当の本人たちはもとより、彼女たちの周辺も、本国の韓国人たちも韓国政府も、その意味と危うさに気づいてる気配がありません。もちろん日韓チャットの韓国人たちも同様です。あのパフォーマンスを「よくやった」「痛快だ」と言う者はいても、この後の事態を懸念する者はいません。

韓国マスコミの中には、薄々事の重大さに気づいているような筆致の記事も見かけることもありますが、それを積極的に国民に伝えようという姿勢は、やはり微塵も見当たりません。

東アジア情勢は、現在微妙な緊張状態の中で平和のバランスを保っています。もしこのバランスが何かの弾みで失われれば、板子一枚下は地獄です。我々東アジアの住人は、いつ荒れ狂う海に身一つで投げ出されることになるか知れないという危機感が、韓国人にはありません。

韓国人に空気が読めないのはしかたありません。その能力を彼らに期待するならば、彼らの種としての進化を待たねばなりますまい。それを待てるほど人間社会は悠長ではありません。しかし、だからと言って、彼らのその習性をわざと見逃すだけでなく、助長してより増長させて国際秩序を乱す原因にしても構わないという理由もないのです。

日本と日本人は、公につけ私につけ、「彼らがゴネたら(火病ったら)譲歩する」という甘やかしを続けてきました。その結果がこのざまです。これ以上同じ愚を繰り返し、彼らをより一層増長させ、その結果彼らによって国際秩序が乱されることになれば、国際社会は日本にその責めを求めるかもしれません。

仮に責任を免れることが出来たとしても、彼らの挙動によって東アジアの平和が乱されることがあれば、火の粉は間違いなく日本と日本人の頭上にも降りかかるのです。

日本人は忘れる民族です。韓国人の残虐行為も侮辱も悪罵も中傷も、みんな忘れてしまいます。たとえ覚えていたとしても、水に流すを潔しとするので、いつまでも根に持ったり恨んだりしません。しないと言うより、出来ません。

しかし中国人は忘れない民族です。今回の事件も、中国人は決して忘れないでしょう。そして今回の事件は、一見鎮まったかのように見えても、灰に隠れた埋み火のように密かに保たれ、いつか思わぬところで炎を吹き上げるかもしれません。そうなれば、日本がその炎に焼かれずに済む保証はないのです。

過てば改むるに憚ることなかれと言います。既に遅くはありますが、遅きに失してもやらないよりはずっとましです。日本と日本人は、一刻も早く韓国に対する甘やかしを改めなければならないと、私は考えます。

英語のことわざに「Spare the whip and spoil the horse」(鞭を惜しんで馬を損なう)ということわざがあります。韓国に対する鞭を惜しんだ結果、損なわれるのが韓国だけなら構わないのですが、巡り巡って日本にその咎が降りかかる可能性は極めて高いと思います。私はそれを強く危惧します。

ですから、日本は韓国に対し、惜しむことなく鞭を振るうべきだと思います。もしそれが出来ないのであれば、日本は韓国との関係を断つべきだと思います。



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不変不滅の朝鮮人

日韓チャットのに日本人に嫌韓は少なくありませんが、その嫌韓日本人も大別すると日韓チャットに来てから嫌韓になった人と、来る前から嫌韓な人とに分けられます。

日韓チャットに来てからの嫌韓は、来る前は親韓だった人が多いようです。考えてみればそれも当然で、親韓じゃなければ好き好んで日韓チャットなんかに来るはずもありません。

日韓チャットに来る前から嫌韓な人は、現実社会でも韓国人との付き合いがあった人が多いようで、嫌韓と言うよりは笑韓や呆韓、諦韓の割合が高いように思います。

私はどちらかと言えば前者ですので、生韓国人と付き合いのあった人の話は実に参考になります。そして、生韓国人と付き合いのあった人の話を聞いて、やはり彼らは生でもネットでも同じだなと再確認します。

生韓国人を知る人の話で、特に興味深かったのは在日朝鮮人と付き合いのあった人の話です。

在日朝鮮人と子供の頃から付き合いのあった人の話では、同年代の在日朝鮮人の考え方や行動様式は、若い頃は日本人とそれほど変わらなかったそうです。しかし年を重ねると、彼らはことごとく立派な朝鮮親父になってしまったそうです。

産経新聞の国際欄に掲載されているコラム「ソウルからヨボセヨ」は、いつもはソウル支局長の黒田記者の筆ですが、1月15日付けのコラムは久保田るり子記者が書いていました。テーマは韓国の若い世代「2030世代」についてです。

韓国人は物事を数字で象徴するのが好きです。朝鮮戦争は勃発した日を取って「625」(朝鮮語読みでユギオ)動乱と呼びますし、ソウルオリンピックは1988年の開催なので「88」(朝鮮語読みでパルパル)オリンピックです。1990年代には、30代で80年代に大学生だった60年代生まれを「386」(朝鮮語の読み方を聞いたことがないのですが、多分サムパリュクと読むんじゃないかと思います)世代と呼んでいました。

今回「ソウルからヨボセヨ」で久保田記者が取り上げたのは、韓国の不幸な時代を一度も体験せずに大人になった20~30歳代を指す2030(これ、朝鮮語音で何と読むのかわかりません。「イーシプサムシプ」じゃないかと想像しますが、確信はありません。ちなみに、私は日本語でニーマルサンマルと読んでいます)世代です。

子供の頃にIMFを体験した程度で、日帝時代も625も、北朝鮮より貧しかった70年代の韓国も知らぬ彼らは、幸福な利己主義者とか超現実的などと揶揄されますが、同時に幸福に育ったゆえの屈託の無さで、これからの韓国を変えていく世代として期待されてもいるようです。

確かに彼らは、韓国には今までに無かったタイプです。無かったと言うよりも、有り得なかったと言った方が正しいかもしれません。いずれにしても、韓国の旧世代の人々や親韓派日本人がこの新しい世代に変化を期待する気持ちはわからなくもありません。

しかし、私は彼らが韓国を変えることなど、叶わぬ望みだと思っています。だって彼らの歴史を振り返ってみればわかります。朝鮮半島には過去に何百年と続いた王朝もありましたが、彼らはことごとくそれらを滅ぼしてきました。あの地でどんな世代が台頭しようと、どんなに有能な人材を輩出しようとも、過去に彼らが彼ら自身で国を変えたことなど、ただの一度もないのです。

しかしながら彼らの歴史の中で、唯一変わらぬものがあります。それは朝鮮人自身です。他国に蹂躙されるだけでは飽き足らず、同胞同士で互いに食い合い殺し合って、彼らは何度も国を滅ぼしてきました。しかしあれだけ過酷に国と同胞を損なってきた彼らですが、彼ら自身、即ち朝鮮民族だけは今日に至るまで滅びなかったのです。

前述したように、日本で生まれ日本人同様に育ったはずの在日朝鮮人でさえも、長じれば結局朝鮮人になってしまいます。まして本国で生まれ育ったのであれば、幸福だろうが満ち足りていようが今までに無かった世代であろうが、彼らは間違いなく今までどおりの朝鮮人であり続けるでしょう。

コラムから薫り立つ、2030世代が韓国を変えるのではないかというほのかな期待を感じつつ、それが叶うことは、少なくとも今世紀中には決してあり得ないだろうなと思った時、私は胸をかきむしられるような切なさと物悲しさを覚えましたが、もちろんそれは朝鮮人の行く末を案じてのことではありません。



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英会話と自国評価の日韓比較

「英語が出来ない日本人」という台詞が、日本人に対する揶揄や挑発になると思っている日韓チャットの韓国人は少なくありません。実際は日本人の方が綺麗な英語を話せる人が多いのですが、日本人はあまりそれをひけらかさないからでしょう。

と言うか、日本人の場合は、ネイティブも舌を巻くほど話せないと話せるうちに入らないと思っている人が多いのではないかと思います。良く言えばシャイな完璧主義者で、悪く言えば引っ込み思案な小心者と言えるでしょう。

その点、韓国人は日本人と真反対です。韓国人の多くは無条件で「日本人よりウリの方が英語が出来るニダ」と信じています。

韓国人がそう思い込んでいる理由のひとつは、カタカナよりはハングルの方が英語の音に近い音を表現出来ると思っているからでしょう。そしてもうひとつが、朝鮮語にある子音終止や語尾の子音と語頭の母音がつながる連音現象が、英語にもあるからでしょう。

それが証拠に、彼らは必ず「チョッパリは舌が短いから英語が話せないニダ」「McDonaldと言ってみるジマ。何ニカその発音は。ウリマルのメッドゥナルドゥという発音の方がずっと英語に近いニダ」などと言います。つまり彼らの言う「韓国人は英語が得意」とは、単に表記と発音だけのことなのです。

文字については、確かに子音終止音を表現出来るという点で、ハングルはカタカナよりも英語の発音を表現するのに、わずかに有利ではあります。しかし、長音が表記出来る点や、FとPの区別についてはハングルよりカタカナが有利ですし(というか、朝鮮語にはFとPの区別が最初からありません)、RとLの区別が無いのや子音連続音が表現出来ないのはハングルもカタカナと同様です。

発音については、客観的に見て日本人の方が有利に思えます。McDonaldをMakudonarudoと発音してもハンバーガー屋の店員は特に困りませんが、coffeeをcopyと発音されては、事務員さんは困るのです。motherをmazarと発音してもなんとか通じますが、thereをchairと発音されたんじゃ通じる望みはほぼありません。

しかし韓国人は、自分たちの英語を正しい英語だと確信しているために、決して改めません。下手をすれば英語のネイティブスピーカーに対してさえも、自分達の朝鮮英語(Chonglish)の方が正しいと主張します。

日韓チャットでも、やはり彼らは自信満々で英語を使いたがります。その英語が正統派クイーンズイングリッシュであれば、一目でも二目でも置いてやるのですが、たいてい略字やスラングたっぷりの朝鮮英語をご披露くださるのですから、その痛さはかなりのものです。さらにそれがほぼ必ずと言って良いくらい間違っているので、見ているこちらの激痛は凄まじいものになります。あまりの激痛に耐え切れず、笑い飛ばすか蹴り飛ばすしかないくらいです。

この現象は、英会話以外でも見ることができます。それは、それぞれの国に対する評価です。

日本人は、日本に対する評価がパーフェクトでない故に、日本はダメダメな国だと思っている人が多いように思います。国であれ民族であれ個人であれ、パーフェクトな評価を得ることなど有り得ないと思うのですが、そこそこ英語が話せるくせに、それが完璧な英語じゃないからと「I can't speak English」と言って尻込みする日本人が多いのに似ているように思います(余談ですが、私はかつて海外でI can't speak Englishと言って、You speak Englishと言い返された経験がありますw)。

それに対して韓国人は、韓国の評価は無条件でパーフェクトであるべきだと思っているようです。ちょうど彼らが話すChonglishを、彼ら自身がパーフェクトな英語と確信し、ネイティブに対してさえもそう振る舞うように。そして韓国の評価がパーフェクトでないことを指摘されると、指摘した方が間違っていると言うところもよく似ています。

こういった日本人の度を越した謙遜癖と、韓国人の度の外れた自己過大評価癖を足して二で割るとちょうど良いかもとは思うことはあります。しかし奴らと混ぜ合わされるくらいなら、例え損をすることがあったとしても、度を越した謙遜癖を維持する方が良いなと思ってしまう私がいます。



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