不変不滅の朝鮮人
日韓チャットに来てからの嫌韓は、来る前は親韓だった人が多いようです。考えてみればそれも当然で、親韓じゃなければ好き好んで日韓チャットなんかに来るはずもありません。
日韓チャットに来る前から嫌韓な人は、現実社会でも韓国人との付き合いがあった人が多いようで、嫌韓と言うよりは笑韓や呆韓、諦韓の割合が高いように思います。
私はどちらかと言えば前者ですので、生韓国人と付き合いのあった人の話は実に参考になります。そして、生韓国人と付き合いのあった人の話を聞いて、やはり彼らは生でもネットでも同じだなと再確認します。
生韓国人を知る人の話で、特に興味深かったのは在日朝鮮人と付き合いのあった人の話です。
在日朝鮮人と子供の頃から付き合いのあった人の話では、同年代の在日朝鮮人の考え方や行動様式は、若い頃は日本人とそれほど変わらなかったそうです。しかし年を重ねると、彼らはことごとく立派な朝鮮親父になってしまったそうです。
産経新聞の国際欄に掲載されているコラム「ソウルからヨボセヨ」は、いつもはソウル支局長の黒田記者の筆ですが、1月15日付けのコラムは久保田るり子記者が書いていました。テーマは韓国の若い世代「2030世代」についてです。
韓国人は物事を数字で象徴するのが好きです。朝鮮戦争は勃発した日を取って「625」(朝鮮語読みでユギオ)動乱と呼びますし、ソウルオリンピックは1988年の開催なので「88」(朝鮮語読みでパルパル)オリンピックです。1990年代には、30代で80年代に大学生だった60年代生まれを「386」(朝鮮語の読み方を聞いたことがないのですが、多分サムパリュクと読むんじゃないかと思います)世代と呼んでいました。
今回「ソウルからヨボセヨ」で久保田記者が取り上げたのは、韓国の不幸な時代を一度も体験せずに大人になった20~30歳代を指す2030(これ、朝鮮語音で何と読むのかわかりません。「イーシプサムシプ」じゃないかと想像しますが、確信はありません。ちなみに、私は日本語でニーマルサンマルと読んでいます)世代です。
子供の頃にIMFを体験した程度で、日帝時代も625も、北朝鮮より貧しかった70年代の韓国も知らぬ彼らは、幸福な利己主義者とか超現実的などと揶揄されますが、同時に幸福に育ったゆえの屈託の無さで、これからの韓国を変えていく世代として期待されてもいるようです。
確かに彼らは、韓国には今までに無かったタイプです。無かったと言うよりも、有り得なかったと言った方が正しいかもしれません。いずれにしても、韓国の旧世代の人々や親韓派日本人がこの新しい世代に変化を期待する気持ちはわからなくもありません。
しかし、私は彼らが韓国を変えることなど、叶わぬ望みだと思っています。だって彼らの歴史を振り返ってみればわかります。朝鮮半島には過去に何百年と続いた王朝もありましたが、彼らはことごとくそれらを滅ぼしてきました。あの地でどんな世代が台頭しようと、どんなに有能な人材を輩出しようとも、過去に彼らが彼ら自身で国を変えたことなど、ただの一度もないのです。
しかしながら彼らの歴史の中で、唯一変わらぬものがあります。それは朝鮮人自身です。他国に蹂躙されるだけでは飽き足らず、同胞同士で互いに食い合い殺し合って、彼らは何度も国を滅ぼしてきました。しかしあれだけ過酷に国と同胞を損なってきた彼らですが、彼ら自身、即ち朝鮮民族だけは今日に至るまで滅びなかったのです。
前述したように、日本で生まれ日本人同様に育ったはずの在日朝鮮人でさえも、長じれば結局朝鮮人になってしまいます。まして本国で生まれ育ったのであれば、幸福だろうが満ち足りていようが今までに無かった世代であろうが、彼らは間違いなく今までどおりの朝鮮人であり続けるでしょう。
コラムから薫り立つ、2030世代が韓国を変えるのではないかというほのかな期待を感じつつ、それが叶うことは、少なくとも今世紀中には決してあり得ないだろうなと思った時、私は胸をかきむしられるような切なさと物悲しさを覚えましたが、もちろんそれは朝鮮人の行く末を案じてのことではありません。
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