絶望の中の希望
体温計をくわえ、気持ち良く上昇していく数字を見つめながら(デジタル体温計です)、どうせなら40度まで行ったらんかい、と応援してみましたが、残念なことに39度5分辺りで頓挫。それでも近年稀に見る数字ではあります。
熱以外には、頭が痛いのと喉が痛いのと鼻粘膜が呼吸する度にヒリヒリするのとそのせいで鼻出血しまくったのと咳が止まらないぐらいで大したことは無かったのですが、この熱が一日では引いてくれず往生しました。
何しろ我が営業所は必要人数マイナス1名という人員配置です。正確には、閑散期基準の人員配置という無駄を省いた人事の采配。意識不明の重態にでもならない限り、這ってでも出勤しなければなりません。ちなみに我が社の「人事」は「ヒトゴト」と読むそうな。
いつか会社で勤務中に派手にぶっ倒れて入院し、労基局に「お恐れながらっ」と訴え出てやろうと思っているのですが、38度の熱で朝風呂に入って出勤してもびくともしない自分の頑丈さが恨めしい。
そんなこんなでせっかくの3・1節というイベントも全く追えませんでした。今年も例年に漏れず彼らなりのパフォーマンスを見せてくれてはいたようでありますが、マジで熱発している時にあんなパフォーマンスを見た日には下がる熱も上がっていたでしょうから、見そびれたのはむしろ幸いと言えるでしょうか。
彼らをウォッチするには、心と身体の双方の健康を整えておかないと、想定外のダメージを被ることがあると改めて認識した次第です。
さて、数日前のことですが、日韓チャットに懐かしい御仁が来臨しました。私の5年を経んとする日韓チャット歴において、唯一にして絶後の「信頼し尊敬し得る韓国人」の来臨です。
彼女は私より十数年年少ですが、年に似合わぬ博学と、旺盛な知識欲と、的確な分析力と、そして冷静な判断力を有しています。しかしそんなスペック上の事より何より、私が彼女を最も評価している点は別のところにあります。
以前、彼女を交えてのチャット中、もし朝鮮戦争が再開されたらという話になりました。それは話題としては、特別に珍しいものではありません。その時「そうなったら日本に逃げて来い」と口々に勧めるチョッパリ達に彼女は苦笑しながら「私は韓国人だから、戦争になれば私も銃を取って戦いますね」と答えました。
博学な韓国人や、知識欲の旺盛な韓国人はいます。的確な分析力と冷静な判断力を持つ韓国人も、あまり見かけませんがきっとどこかにいるでしょう。そういう韓国人であればあるほど、朝鮮戦争の再開は、自らの身の上にどのような運命もたらすかを理解しているはずです。
その上で「私は韓国人だから、私も銃を取って戦う」と彼女が言ってのけたことは、私には驚きでした。気難しいチョッパリ達が「日本に逃げて来い」と言っているにもかかわらずです。
こちらから招きも誘いもしないのに、日本に行きたいだの住みたいだの働きたいだのとさえずる韓国人はうじゃうじゃいます。彼らに共通するのは、強烈な無責任感と他者依存です。
今はとりあえず日本に、だがもし日本が零落したり、日本より都合の良い国が見つかれば、たちまち日本に後足で砂を掛けて他国に乗り換えるであろうことが容易に想像出来る毎度お馴染みの事大蝙蝠精神です。南北統一は、いつか誰かがするだろうと国民の多くの国民が思っているが、その中の一人として、自分がやろうなどとは1ナノミクロンも考えていない無責任さと、おのれさえ良ければ他人や他国はもちろん、同胞や自国を滅することさえ厭わぬ、あの忌むべき唾棄すべき性癖です。
それが彼女にはありませんでした。それは本当に無いのか、それとも隠しているのかはわかりません。しかし、仮に隠していたとしても、それはそれでかまわないのです。自らの内に秘むべき獣性を恣にさらけ出し、振り撒いて恥じ入るどころか開き直るのが韓国人の常です。
内に秘めた獣性を制御出来るか否かが、人と人でなしの違いと私は考えており、韓国には制御出来ない韓国人しかいないのかと思っていた私は、彼女と言葉を交わすようになって何か救われたような思いがしました。それは「朝鮮」というパンドラの箱を開けてしまった私が見つけた唯一の希望と言っても過言ではありません。
彼女を評価しているからと言って、彼女に対する私の発言や質問は決して優しくありません。他の韓国人には聞いても無駄だろうと思って聞かないことを聞いたり、他の韓国人ならこれ以上問い詰めたら火病るだろうからこの辺で止めといてやろうというところからさらに突っ込んだりと、むしろ厳しいときもあるとさえ思います。
しかし彼女は、私の質問に対し、常に逃げず逸らさず憤らず、真正面から実に誠実に受け答えをしてくれました。辟易することも何度もあったでしょうに。
先日彼女がチャットを再開するまでに、かれこれ3年近くの空白期間がありました。その間に何があったかは詳しくは聞いていませんが、色々あったようです。
それでも、彼女があの国で、色々あったであろうにもかかわらず、その宝石のような人間性を損なわず、また損なわれずいてくれたことを、私は大いに喜んでいます。絶望だけしか見出だせないものを見つめ続けるには、私はまだまだ修行が足りておりませんので。