韓国人は自らの非を認めない。
彼らは、とにかく自分の非を絶対に認めません。九割九分自分に非があるとわかっていても、残りの一分は他人が悪いと思えば、彼らは全力全開でその非を責めます。
もし相手側に一分たりとも非がなくとも、即ち彼らが完璧に100%疑う余地なく悪いとしても大丈夫。それを責められれば、「他人の非を反論出来ないくらい一方的に責めるとは、なんて酷い極悪人だ!」と叫べば万事解決です。
これに対して、日本人はいつも自分に幾分かの非があるのではないかと思っているようです。仮に一分たりとも非がないと確信していても、だからといってかさにかかって相手を責めないのが日本人的美徳です。
過去のチャットログには、韓国人が発したわずか一言か二言の失言や些細な無礼に対し、筆者が非情とも思えるほど執拗かつ徹底的に彼らの非を穿ち、追い詰めるシーンがあったと思います。
これを見た方の中には「なんて酷い」「あれぐらいのことでそこまで追い詰めなくても良いじゃないか」「お前みたいな奴は日本人の恥」というご意見をお持ちになった方が少なくなかったようです。それは日本人としては、誠に正しいご意見と思います。
ただしそれは日本人同士であればの話です。互いの非を相殺して、たとえ敵対する相手であっても必要以上に傷つけ合わぬように慮る姿勢は、日本人なら理解出来るし、日本人的には美しいと思います。
けれど残念なことに、その姿勢は韓国人相手には通用しません。例えば韓国政府が国策として行なったキーセン観光なのに、その客になったという理由で一方的に非難されるのは日本人です。他民族による統治としては、史上類例を見ない善政を行なった日韓併合でさえ、朝鮮人にかかれば史上類例を見ない残虐無比な暴政とされるのです。
もっとも、これは日本人の方が国際標準から外れてると言った方が良いでしょう。日本の場合、「まず最初に謝るべき」という考え方が一般的ですが、日本以外の国では「謝るのは後からでも出来る」という考え方が標準です。海外で事故を起こした時は、たとえ自分が悪いと思っても決してアイムソーリーとは言うなと言われる所以です。今、米国で取沙汰されている「いわゆる従軍慰安婦」に関する決議案に関しても、「謝ったんだから悪いのは日本だ」と思われていることでしょう。
これに対抗するには、日本人的な美意識に反しようと泥仕合に陥ろうと、自分の非には徹底的に目をつぶって、相手の非を徹底的に非難するしかありません。あるいは、あえて日本人的美徳に殉じて、自分の非のみを一方的に認め反省し、相手の非は一切穿たず言い訳もせずひたすら許しを乞い、償い続けるかです。
ただし、もし後者を実践されるならば、韓国人が絶対に自らの非を認めないのは、彼らが他者の非を絶対に許さないからだということをあらかじめご承知おきの上で、必ず個人的に行なってください。日本人的美徳を貫くのであれば、他人に迷惑をかけないという美徳も併せて貫かれんことを願います。