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愚民のためのハングル

韓国人がハングルを自慢するということは、以前にもご紹介したことがあるような気がします。

自慢するのは別に構わないのですが、連中の自慢は往々にして他者に対する侮蔑を伴うことが多く、ハングル自慢に関しても例外ではありません。

曰く「ハングルは世宗大王が作らせたオリジナルの文字だが、日本のひらがなカタカナは漢字の劣化コピーである」と。

彼らがハングルを熟知しているべきなのは当然として、漢字とひらがなとカタカナを熟知した上でその対比論を言うのならば、討論の余地があります。しかし彼らの漢字やひらがな、カタカナに対する知識は、日本の小学生、それも低学年レベルにすら達しておりません。

実はハングルに関しても、彼らは熟知しているというレベルに無いことが少なくないのですが、それを言ってしまうと話が始まらないので、ひとまずそこには目をつぶりましょう。

とにかく、彼らは比較対象についての知識も無く「ハングルは日本のひらがな、カタカナより優れている」と自信満々です。対する日本人はと言えば、たいていの人はハングルについて、知識の有無以前に読めません。読もうともしません。だから韓国人が「ハングルは優秀な文字である」とほざけば、素直にそうかと思う人が多いようです。

しかし日本のひらがとカタカナは、ハングルとはその成り立ちからして違います。

ひらがなは、日本人の「日本語を日本語として表記したい」という欲求から創出された文字で、言わば「日本語を書き表すための文字」です。

これに対して、ハングルは朝鮮語を書き表すためではなく、漢字語(中国語)を読むための発音記号として作られた文字で、あえて日本の文字で言えばカタカナに相当します。

カタカナは、当時の学識エリートである僧侶たちが使っていたものがその起源と言われています。

仏教は、皆様既にご承知の通りインドで発祥し、中国を経て日本に伝わりました。そのため、日本に伝わった仏教の経典はすべて漢文で書かれておりました。当時の僧侶はこれを日本語として読み下さず、書かれた通りに音読みしておりました(朝鮮では経典のみならず、中国より伝わったあらゆる文献に対してそういう読み方をしていたそうです)。

物が漢文ですから、日本人がそれをすらすら読むには相当の学識が要求されます。けれど僧侶が皆ことごとく博識とは限りません。特に新参の小坊主なんかは、漢字が読めない方が普通だったでしょう。

ですが読めないからと言って、小坊主であっても僧侶が経典を読まずに済ませるわけにはいきません。彼らは先輩僧が読む経を耳で聞き、必死で経典の字面を追いながら覚えようとしました。その際に、覚書程度に経典の行間に漢字の発音を書き記したのがカタカナの発祥と言われております。カタカナがひらがなとは異なり、漢字の部首の一部から作られ、直線で構成された画数が少ないものが多いのは、経典を読むスピードに合わせて書き記す必要があったためです(ひらがなは漢字の草書体から発祥しているので、ひらがな一文字に対し漢字一文字を元にして作られ、曲線と画数が多いものになっています)。

こういう成り立ちの違いによって、日本のひらがなとカタカナは、それぞれ異なる性格を持つようになりました。即ち、ひらがなは主に日本固有語、いわゆる「やまとことば」を書くために使われ、カタカナは外来語や擬音を書くために用いられるという風に。

翻ってハングルはと言えば、これは訓民正音序文(國之語音。異乎中國。與文字不相流通。故愚民。有所欲言。而終不得伸其情者多矣。予為此憫然。新制二十八字。欲使人人易習。便於日用耳。)にもあるように、その成り立ちからして有識者のためのものではなく、漢字が読めない無学者のために作られた文字です。

朝鮮語を読み書きするためではなく、漢字を読めるようになるためにと、漢字の構成要素を取り入れて、漢字と一対一対応するように作った文字がハングルです。「自国語ではなく外国語(漢字)を読むため」という意味では、その成り立ちはカタカナと似ています。しかしハングルはカタカナとは異なり、音読に合わせて速記する必要がなかったため、漢字の構成を真似た画数の多い文字になっています。

原則的にハングルという文字そのものには、発音を表す以上の意味はありません。ハングルの教本などに「ハングルの構成は天地人を表す」とか何とか書いてあるのを見ることがありますが、苦しいこじつけです。

もしハングルが朝鮮固有語を書き表すことを企図して作られた文字であれば、確かに朝鮮人にとっては優秀で合理的な文字でしょう。しかし現実は、日韓チャットでもハングルを正確に使いこなせる韓国人がきわめて稀(本当に稀です)であることからも容易に想像できますが、彼らにとってもハングルはそれほど優秀でも合理的でもありません。

漢字文化圏の民族が表音文字のみを使用する最大の弊害は、語彙の概念が理解出来なくなることだと思います。

日本の場合、概念を漢字で表す習慣が古くから根付いており、ちょっと足りないDQN連中でさえ、足りない脳みそを振り絞って「かっこいいイメージ」の漢字を使おうとします(例:夜露死苦、愛羅武勇)。

漢字文化圏ではない、英語などの言語圏における文字は、ラテン語が基礎となって単語を構成していると仄聞します。つまり漢字における「扁」や「旁」の働きをする文字列を単語内に含めることによって、高度の概念を表現することが出来るようになっているそうです。

と言うことは、英語圏においてラテン語の素養がない人間にとっては、ある単語が何故そういう文字列で構成されるのかが理解出来ないという弊害があります。丁度漢字を理解出来ない人間が、漢字の音だけを知っていても、その単語の意味を理解し難いように。

日韓チャットや日韓翻訳掲示板では、韓国人が漢字を知らないがゆえの壮大な自爆を、実にしばしば披露して日本人を笑わせてくれます。あれだけ何度も盛大に自爆を繰り返していれば、多少は懲りても良さそうなものですが、彼らに懲りる気配はまったくうかがえません。これも、韓国政府が漢字を廃してハングル偏重教育を推し進めた成果のひとつと言えるでしょう。

韓国がこの方針を貫き続ける限り、韓国に対する日本の文化的優位は決して揺らぐことはないと、私は確信しています。しかし、それが日本と日本人にとって、喜ばしいことかどうかについては少々疑問です。

決して彼らの文化的発展を積極的に望んでいる訳ではありませんが、彼らがこの先未来永劫対話不能な生物であり続けるのが、日本と日本人にとって長期的に見て良いことでしょうか。私にはとてもそうは思えません。

だからと言って、彼らを押さえつけて漢字を学ばせる気も当然ありません。斯くなる上は韓国を含む朝鮮半島全域を中国に吸収してもらって、否応もなく漢字を習得せざるを得なくなるような環境に強引に持っていくか、あるいはこのまま民族自立の美名の下に、着々と愚民化を推進して、史上初の朝鮮人の滅亡を目指すかでしょう。

その場合、より現実的かつ合理的なのはやはり前者だと思います。

朝鮮人を滅亡させるのは、ゴキブリを絶滅させるのと同じくらい困難だと思いますので。



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