韓国人を見たらなお思え。
韓国が起源や所有を主張するのは、ひとりソメイヨシノばかりではありません。実に様々な日本の文化、文物、伝統が似たような憂き目にあっています。
たとえば、韓国には「釜山から対馬までの距離はわずか50kmだから、対馬は韓国領だ」という主張があります。また、日韓の言語には類似点が多く見られるから、日本語の祖語は韓国語(正確に言えば朝鮮語)という説もあります(但しこれは日本人が言い出した説が元になっているようです)。更には、日本のナントカ文化は韓国のナントカという文化が元になっているから、日本のナントカ文化の起源は韓国という説も、非常にしばしば耳にします。
この類の話を聞くたびに、どうして日本では誰もその逆を唱えないのかと不思議に思います。
韓国人の寝言に正面から泥仕合を挑む気は毛頭ありませんが、単に距離が近いからという理由で自国領を主張しても良いならば、逆もまた真です。対馬から釜山はわずかに50km。よって釜山は日本領土と言っても良いでしょう。日本がかつて倭国と呼ばれていた時代に、朝鮮半島南部にその勢力を及ぼしていたのは、歴史的事実です。
話はちょっと逸れますが、以前韓国人がよく使っていた竹島領有の根拠のひとつに、「ドクトでは韓国の携帯電話が使えるニダ。だからドクトヌンウリタン」というものがありました。その主張を真に受けるつもりはありませんが、「釜山では日本のテレビ番組が受信出来るようなので、釜山は日本領土と言っても良いですか?」と切り返していたら、最近携帯電話説は聞かなくなりましたw まあ、多分携帯電話のコマーシャルか何かでそう言ってたのを、受け売りで言ってただけじゃないかと思いますが。
次に、日本語に朝鮮語と似た単語があるから日本語の祖語は朝鮮語だという説ですが、やはりこれも逆に考えれば、朝鮮語の祖語が日本語だったのではあるまいかという考察が許されると思います。
確かに、日本列島では人類が発祥しておりませんので、大陸方面から人と共に言語も流入したであろうことは否みません。しかし少なくとも現代韓国語においては、その6割から7割以上が漢語由来とされており、現代韓国語における朝鮮固有語の割合は極少です。
その6割から7割を占めると言われる漢語由来の韓国語のうち、【国語】【約束】【哲学】【自由】【野球】などの和製漢語は、かなりの量を占めると思われます。さらに和製漢語とも言えない単語、たとえば「大売出」「立替」「台詞」「海女」などの訓読み熟語も、その発音を朝鮮語音に変えただけで使用されております。【鞄】【靴】【着物】などに至っては、その発音まで日本語のままです(但し韓国人は「ツ」音が発音出来ないために、「靴」は「クドゥ」と発音していますが)。
以上はかなり近代の例ですが、もう少し遡った時代の例をあげましょう。
朝鮮語でサツマイモのことを「コグマ」と言います。これは日本から朝鮮にサツマイモが伝わった際に、「孝行芋(コウコウイモ)」という名前で伝わったのですが、これが朝鮮語化する際に「コウコウイモ」→「コウゴウイモ」(語中の濁音化)→「コゴイモ」(長音の脱落)→「コギモ」(連音化)→「コグマ」と変化したことがわかっています。
それから、朝鮮固有語では「水」は「ムル」と言います。これは日本語の「ミヅ」が語源と考えることも出来ます。なぜなら、日本語で「鬱・悦・乙・活・察・失・説・卒」などは、それぞれ音読みすると「ウツ・エツ・オツ・カツ・サツ・シツ・セツ・ソツ」と読みますが、朝鮮語読みでは語尾が「ウル・ヨル・ウル・ファル・チャル・シル・ソル・チョル」となり、すべて語尾が「ル」(正しくは母音を伴わない【r】)となります。
この現象にならって日本語の「ミヅ」は朝鮮に渡って「ミツ」(語尾の清音化)となり、やがて「ミル」(「ツ」から「ル」に変化)→「ムル」となったのです、ってのは私が今考えたデタラメですが、朝鮮語をわずかに知っているだけでも、こういう説が容易に作り得るという実例を出してみました。
実は、日本語の祖語は朝鮮語であるという主張を唱える人のほとんどは、言語学者ではありません。それどころか、日本人の朝鮮語初学者あるいは朝鮮人の日本語初学者であることが少なくありません。英語を習い始めたばかりの中学生に「日本語と英語は似てるんだよ、【名前/name】【坊や/boy】【道路/road】【~の音/note】【字引く書なり/dictionary】ほらね」などと言ってやれば、ころりと騙される早とちりがいるのと同じ現象です。
日本や韓国では、周期的に日本語の朝鮮語起源説が唱えられます。そのたびに朝鮮言語学の碩学、李基文ソウル大学教授のところには日本から問い合わせの電話がかかるそうです。李教授はその都度、流暢な日本語で「はっはっは、またですか。まあ言わせておきなさい」と笑い飛ばすという話を何かで読んだ記憶があります。
次に、さまざまな日本文化の起源云々については、皆様既にご存知の通り、柔道、剣道、盆栽、寿司、サッカー・・・じゃなくて茶道などの、世界的に有名で評価の高い日本文化を、彼らはことごとくウリナラ起源だとほざいております。そこでこの逆を唱えてみようかと思ったのですが、「世界的に有名で評価の高い朝鮮伝統文化」が思いつきませんでした。しかたがないので、彼らの唯一無二のウリナラ伝統文化と言い得るキムチを槍玉にあげてみたいと思います。
キムチの原型は、ただの塩漬け野菜です。それが現在の「キムチ」になる為には、日本から伝来した唐辛子が不可欠でした。と言うことは、その文化の発生にわずかでも関与しておれば起源を主張出来るという韓国式の文化起源説を援用すれば、キムチは日本が起源と言うことも出来ます。別に言いたかぁないですが。
以上のような韓国起源説に対する対抗論を声高に主張する日本人の学者や権威を、筆者は寡聞にして存じ上げません。それは、日本で韓国の文化の起源は日本だなどと声を大にして言えば、その学者は学問とは無関係に、何か特殊で偏った思想信条を持っているか、もしくは認知症を発症しているかのどちらかだと思われるからでしょう。
しかし、何故かその逆の場合、すなわち日本の文化文物を韓国起源と主張する韓国の学者がいる場合、それが韓国で否定的に取り上げられることはまずありません。日本側でも、今でこそネットの普及でダウトを叫ぶ人も増えてきましたが、以前は疑問や反論をぶつける日本人は、あまり多くはなかったように思います。仮にいても、元になった韓国起源説ほどは注目されないようです。その逆に、韓国で主張された韓国起源説を裏付ける説や主張を唱える日本人学者がいれば、そちらはかなり注目される傾向が強いと思います。
これはおそらく、日本人の持つ舶来偏重癖と、こちらが善意好意誠意で接すれば、相手からも必ず善意好意誠意が返って来ると信じている無邪気さとが原因だと思います。
日本人的には、自国文化の礎となったであろう渡来文化や文物を尊び、他人を信じて無闇に疑わず、もし他人から誤解に基づく非難を受けてもあえて言い訳せず、対戦相手がイカサマをしていることに気づいてもそれを殊更に非難せず、自分は正々堂々と対抗する姿勢を取る方が、確かに美しくはあります。
しかしその美しさを理解出来るのは、日本人だけだと思います。いや、日本人でもその美しさを理解出来ない人がいるでしょう。相手に理解出来ない美しさを盾にどれほど頑張っても、それが防御になる望みはありません。それどころか、それがあだになることも少なくないでしょう。
日本人はもっと疑り深く人が悪くなっても良いのではないかと思います。それは日本人的美意識に背くことではありますが、害意を持って襲ってくる相手に美意識で立ち向かうのは、無駄であり無謀であり無意味です。
最近、ネット普及の功あってか、ようやく韓国人の無根拠な主張や非難や発言に対して、まずは眉に唾する日本人が増えてきました。しかしまだまだ足りません。
「人を見たら泥棒と思え」ということわざがあります。これは、あまりにお人好し過ぎる日本人には、それぐらい疑い深くてちょうど良いという意味ではないかと思う今日この頃です。
少なくとも、韓国人を相手にする際には、肝に大文字フォントで銘じておくべきであると、私は確信しております。