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韓国人による大量殺人事件における韓国社会の責任

再び米国バージニア工科大学における韓国人による大量殺人事件についてです。

日韓チャットで、この事件の話をしていると、聞きもしないのに韓国人が横から割り込んできて「今回の事件について韓国人も驚き恐れ悲しんでいる」と主張します。韓国の ウリナラチラシ 新聞を見ても、同様の主張がてんこ盛りです。

しかしそれらの主張はどれもこれも韓国や韓国人に対する非難を、全力全開全速斜め上で回避しようとするものばかりです。彼らの場合、驚きはともかく、恐れは韓国人への迫害が強まることへの恐怖であり、悲しみはそのような立場に立たされたことに対する悲嘆です。何の罪もないのに命を奪われた被害者の無念や恐怖、残された遺族の悲しみに共感したものとは、到底思えません。

日韓チャットで私たちがこの件について意見を交わしていると、韓国人らは「気分が悪い」「その話はやめろ」と言って話をさえぎろうとします。何が気分が悪いのかと聞けば「それなら日本は」と答えます。これは日本の非を穿つことが免罪符になると思っている彼らの常套句です。しかし「それなら」だろうが「それから」だろうが、この件に日本を持ち出しても、彼らの免罪符になどなりはしません。部屋の話題が気に入らなければ、黙って出て行けば済む話なのに、本当に自己中心で自分勝手な連中です。

ところで、今回の事件に関して、日韓チャットでは韓国に責任は有りや無しやという話が出ました。

今回の事件は、確かにひとりのキチガイが起こした偶発的な事件ではあります。しかしその根底にあるものを考えると、私は韓国という国や社会にも少なからぬ責任があると考えます。

韓国では、子供には「他人に負けるな」「一番になれ」と教育するのが一般的だそうです。

日韓チャットで聞いた話ですが、韓国では、子供に嘘をつくことを推奨する家庭があるそうです。子供が嘘をついてその場をやり過ごすと、「世渡り上手だ」と言って褒めるのだそうです。

日本では考えられない教育方針ですが、人々が皆ことごとく呼吸をするがごとく嘘をつく韓国では、子供に嘘をつくことを教えるというのも、生きていくための知恵なのでしょう。

日本では、「他人に勝つこと」を目指す時、他者をしのぐ能力を身に付けるために自分自身を徹底的に鍛え上げることを「努力」と考えます。

しかし韓国では、「勝つためにあらゆる手段を講じること」が「努力」と考えられているようです。嘘も、剽窃も、捏造も、暴力も、犯罪も、すべて「勝つため」に行われる、彼らにとっては崇高な「努力」なのでしょう。

日韓チャットにおいても、韓国人たちのこの「努力」は常に行われております。討論に勝つための嘘や一方的な勝利宣言などはまだ可愛いもので、誇大妄想、捏造、歪曲、誹謗、延々と悪口を貼り付け狂ったようにチャットルームへの出入りを繰り返す力技、そしてハッキング等々、彼らは本当にどのような手段でも用います。

これはネットだけの話に留まりません。1988年のソウルオリンピックや、2002年のW杯でも、自分たちの勝利のためなら如何なる手段であっても、躊躇なく用いる彼らの姿が見られました。

企業間の競争においても、特許の無断使用やデザインの無断借用ダンピングなどで、韓流努力を怠りません。もちろん学術分野においてもプロフェッサー・イエロー事件に象徴されるようなことを平気でやります。そう言えば、韓国は昔から核に異様な執着を見せており、2004年にはウラン濃縮実験をやっていたことが発覚して(※1※2)国際的にも大問題になりました。これも「勝つための韓流努力」だったのでしょう。どこの国に「勝つ」ためだったのかは知りませんが。

しかし彼らの考える「勝ち負け」とは、極めて短絡的かつ近視眼的です。私は以前から、彼らのこの習性を「王手飛車取りで飛車を逃がす」と評しておりますが、彼らは二手先で玉が詰むことより、一手先で飛車を取られることの方が我慢できません。

その結果、「彼ら的には」勝つためにあらゆる手段を尽くすという努力をしたにもかかわらず、何故か「彼ら的には」理不尽にも「負け」ます。この理不尽を解消するために、彼らが取る最後の手段は「相手に対する直接的な暴力」であることが珍しくありません。

韓国の過去を見ても、また現在韓国で毎日のように報道される彼らの犯罪を見ても、そういう傾向が濃厚に伺えます。今回の事件も、そういう彼らの習性が根底にあると私は考えております。

韓国では、どんな卑怯なことでも残虐なことでも、例えそれが犯罪であっても、自分が勝つためならば躊躇なく行う人間を、国をあげて養成していると言って過言ではありません。

「他人に勝て。もし勝てないなら相手の勝利を妨げる努力をしろ。そのためにはどんな手段を用いても構わない」という考えが、彼らの民族性を構成している要素のひとつであることは間違いないと思います。韓国内における殺人・強盗・強姦・放火等の凶悪犯罪が日本の数十倍の率で頻発しているのは、そういう教育の成果でしょう。

そういう教育を受けた韓国人の棲息域が韓国国内に限定されているのであれば、日本に居住する日本人である私にそれを咎める理由は特にありません。その教育を身に着けていることが、韓国人の韓国内での生存適応なのであれば、そこに近寄らないようにするのが外国人としての正しい対応であって、それを咎めたりやめさせようとしたりするのは、僭越というものでしょう。

しかしそういう教育を受けた韓国人が、自由に外国へ出て来れるのであれば、話は別です。

人を襲う可能性のある猛獣でも、頑丈な檻に入れて鎖で繋ぎ、厳重な管理で決して外に出られないようにしておくならば、それが隣の家で飼われていても、特に問題はありません。

しかし、それがどれほど人に馴れていようとも、人を襲う可能性を持つ猛獣が檻から自由に出入り出来るような飼い方をしていれば、その猛獣の管理者が地域住民から強く非難されるのは当然です。

「韓流努力」を教え、それを是として育てた韓国人を野放図に国際社会に放ち、今回のような惨劇を起こした韓国に責任が無いとは、私はまったく思っておりません。



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