自分は悪くない
先日、日韓チャットで例によって韓国人の無礼を叱り飛ばした時のことです。
叱られた韓国人は、一応謝りました。が、謝罪の言葉のすぐ後に付け足します。「それぐらいのことでそんなに怒らなくても良いじゃないか」と。
それを受けて、「全然悪いと思っていないから、そんなことを言うのだ。口先だけでいくら謝っても、それでは全然謝っていることにならない」と私が更に叱りつけると、その韓国人はこう言い返しました。
「私は謝った。だいたい、それぐらいのことで怒るお前が間違っている。 お 前 が 謝 れ 」と。
また例えば、日韓併合時に日本が朝鮮半島に施したインフラについて、日本人がこれを「日本は韓国に対して良いこともした」と主張すると、韓国人は「それは韓国のためにやったことではないから、評価するに値しない」と反論します。
その同じ口で彼らは「朝鮮戦争は日本の戦後復興に大きく寄与したので、日本人は韓国人に感謝するべきである」と言います。日本人がこれに対して、「朝鮮戦争って、日本のためにやったのかよ?」と突っ込んでも、彼らは自論の何について突っ込まれたのか理解出来ません。
このように、韓国人の考えがぐにゃぐにゃと変化するのも、「I am NEVER wrong」という考えに基づいていると思えば、それほど翻弄されることもありません。実際、日韓チャットで韓国人と話をする時は、彼らが「自分は悪くない」と考えていることを理解していれば、彼らの行動が実に簡単に予測出来ます。予測出来ても、不快感が無くなるわけではないのですがw
韓国人の「I am NEVER wrong」という考えは、対日本人に限定した考え方ではありません。韓国人同士でも同様の考え方が行なわれているようです。この考え方は、韓国の諸悪の根源と言っても良いかもしれません。彼らの虚言癖も無責任も責任転嫁もケンチャナヨ精神も、この考えに基づいて行なわれていると考えれば、実に容易く理解出来るからです。
この考え方が韓国人から払拭されない限り、彼らは何度でも同じ過ちを繰り返し、何度でも自らの国と国土と民族を損なうでしょうが、ま、それは我々日本人にはとりあえずどうでも良いことです。彼らが彼ら自身の選択で、滅ぼうと傷つこうと、日本に直接的な影響がなければ、我々日本人の知ったことではありません。
日本人は、割と「自分が悪かったのかも知れない」と考えるのが好きです。どれほど相手が悪かったとしても、「自分にも何か悪いところはなかっただろうか」と考えがちです。相互にこのような考え方であれば、たとえ対立することがあったとしても、互いに一歩ずつ譲り合って必要以上に傷つけあうことを回避することができます。
しかし、この考え方で韓国人と接すればどのようになるでしょうか。相手は、自分が悪いとは絶対に思わず、こちらは、「何か自分に落ち度はなかっただろうか」と頼まれもしないのに考えます。この両者に損得が絡んだ関係が生じれば、その結果は子供でも容易に想像がつくと思います。
韓国人の「自分は絶対に悪くない」という思想に基づく主張を、徹底的に木っ端微塵にして初めて対等に話が出来るということを、韓国人と接する可能性のある日本人は、すべからく肝に銘じておくべきだと思います。
それが日本人的美徳に反するとお考えの方は、日本人的美徳を貫けば良いと思います。その結果は、韓国人の足の下に頭を突っ込むことになりますが、個人的にはそれこそが日本人的美徳に悖ると思うのですが、考え方は人それぞれです。
それこそが日本人的美徳と思う方は、好きなだけ韓国人の足の下に頭突っ込めば良いと思います。ただし、その時は是非ご自身の頭を突っ込んでいただきたいと存じます。
どうもそういう方は、往々にして自分の頭ではなく、他人の頭を突っ込みたがる傾向が強いので。
個人ではなく社会。
コメントにもありましたが、私は一分の隙も無い堅物などではありません。どちらかと言えば「ダメな子」の割合の方が大きいと思いますw
普段のチャットではけっこうシモネタも飛び出しますし、バカ話でゲラゲラ笑っていることもしょっちゅうあります。と言うか、本来私が望んでいるチャットとは、そういう他愛のないものなのです。そういう他愛のないチャットでずっと盛り上がっていられるならば、日韓チャットは実に平穏です。しかし、往々にしてそこへ飛び込んで来てぶち壊しにする韓国人がいます。
乱入韓国人には、本人としてはまったく悪気の無いタイプから、悪意満々で来るタイプまで、いくつかのバリエーションはありますが、彼らが招く結果は同じです。
乱入韓国人によって盛り上がっていた部屋の空気はいっぺんに冷め、日本人も韓国人もなくゲラゲラ笑いながら、ただ単に楽しく語り合っていたメンバーが、それを境にぶっつりと日韓に分かれ、部屋には重苦しい空気が充満します。
その部屋の日本人の脳裏には、今までに体験した韓国人の嫌がらせが一気にフラッシュバックし、その部屋に居る韓国人は飛び込んで来た乱入韓国人に対し非難も擁護も出来ず固まります。
こういうシーンで私が気の毒だと思うのは、そういうシーンに出くわすことの多い常連韓国人たちです。
韓国人の常として、自分たち(彼らにとっての「ウリ」)が悪いという状況は極めて受け入れがたいものです。それは対話可能な常連韓国人といえども例外ではありません。
ですから、初めのうちはなんとか乱入韓国人の擁護を試みる常連韓国人もおります。しかし、その擁護した尻から、また同胞がそれをぶち壊します。「こんな韓国人ばかりではない」と言えば、すぐに「こんな韓国人」が舞い込んで来て暴れるのです。そんなことを繰り返すうちに、やがて常連韓国人は、同胞を擁護する言葉を失います。
それではと、逆に同胞を諌める方向へ持っていこうとすれば、常連韓国人に向けられる同胞の言葉は、日本人が韓国人を責める言葉の数十倍を優に凌駕する罵倒語の掃射です。
結局常連韓国人は、どちらにも何も言えません。本当に気の毒だと思います。思うだけですが。
おそらく日韓チャットの中だけの話ではなく、現実の韓国社会でまったく同じようなことが行なわれていると思います。
これはこのブログを書き始めた時から幾度も申し上げていることですが、韓国人の中に日本を理解しようとする韓国人、対話可能な韓国人が全くいないわけではありません。しかし、そういう韓国人は、韓国内では何も言えないようになっているのです。それは日本人側から見れば、結果的にはそういう韓国人がいないのと同義です。
実際、「そういう韓国人」は自分の意見を押し殺して韓国社会に留まるか、韓国社会から抜け出て自分の意見を言うしかありません。
対話可能な韓国人、比較的マトモな韓国人が幾人現れようとも、そういう韓国人と日本人との間でどれほど意見の一致を見ようとも、韓国社会がそれを受け入れられない限り、「そういう韓国人」は少なくとも韓国には存在しないのと同じです。
韓国人個人とならば意見の交換が可能でも、韓国人全体としての意見交換が不可能である現状、私たちが十把一絡げで韓国人を語っても、何の矛盾も問題もないなと確信する今日この頃です。
普通のチャット風景
今回のログについて最初に申し上げておきますが、基本的に内輪ウケです、すみません<(_"_)>
と言うか、これが普通のチャット風景です。単なる馴れ合い、ふざけあいですから、その場にいなかった人が見てもあまり面白くないかもしれません。そう思って今までこの手のログは出していませんでした。
しかし、いつも韓国人をシバキ回し蹴り飛ばしているログばっかりご覧に入れているせいか、どうも「ブログ月見櫓の筆者は、日韓チャットで韓国人に喧嘩を売り歩いてる」「韓国人と喧嘩するためにチャットをしている」という印象をお持ちの方が少なからずいらっしゃるようです。
ここでご覧に入れているようなチャットは、実はそんなに多くありません。だいたい、そんなチャットばっかりしてたら、いくら私の神経が図太いと言ってもあっと言う間に焼き切れてしまいます。けっこう簡単に凹むんです、これでも。
しかし「私は喧嘩を売られたら買うが、こちらから売りに行くことはない」と何度言っても半信半疑の方がいらっしゃるようですので、今回はある常連韓国人との日常的なチャットログをご覧に入れます。ま、たまには良いでしょ、こういうのも。
このログに登場する常連韓国人、実は過去のチャットログにも登場したことがあります。かなり賢いお嬢さんでして、日本人におもねるでもなく張り合うでもなく、いつも穏やかです(「売られた喧嘩は高値買取」が、私の日韓チャットでの対韓基本方針ですので、無駄に張り合おうとするのは大変危険ですw)。
また彼女は日本人の発言内容も、かなり高いレベルで理解し、きちんと応答しています。相手の発言に対して正しく応答出来るだけでも、韓国人としては稀少ですが、例えば日本側からの「おはよう」は、翻訳されると「アンニョン」(「アンニョンハセヨ」の省略形。時間帯を問わない挨拶)になるのに、ちゃんとこれを朝の挨拶と理解している点や、「キボンヌ」などという日本語スラングを理解している点にご注目ください。
yujin(K) さんが入場しました。
yujin(K) : こんにちは
fetia (J) : (=ΦェΦ)ノ おはよう!
yujin(K) : w 朝ですね
Fahyah (J) : ( ━@π@)ノ メンソーレ
fetia (J) : あと15分で、一旦閉店です^^ (筆者註:このチャットは毎日午前4時10分に一旦リセットされます)
yujin(K) : メンソレw
anonymous. (J) : こんにちは
yujin(K) : ああw ここは閉店時間があったw
anonymous. (J) : 何故こんな時間に登場するのかw
Fahyah (J) : ( ━@π@) 不便ですな
yujin(K) : そうですね~
Fahyah (J) : ( ━@π@) yujinは他の部屋で男とツーショットw
fetia (J) : ええええええ!
yujin(K) : あら?
Fahyah (J) : ( ━@π@) 俺見てたw
fetia (J) : soに続いて、yujinにも男が!!!
Fahyah (J) : ( ━@π@) soちゃんも売れちゃったね
fetia (J) : と、anonymousの叫びを代弁してみました。
yujin(K) : いやw idが rokoさんに似ていて入って行きました w
anonymous. (J) : あら、yujinさんも恋人が?
fetia (J) : ロコは、仕事が恋人になってしまいました(/_;)
yujin(K) : ないが..
Fahyah (J) : ( ━@π@) みんな春だねぇ
yujin(K) : 夕方 7時に眠って微妙な時間に起床したので;;
anonymous. (J) : なるほど
yujin(K) : 昨日は疲れ気味であって^ ^;
Fahyah (J) : ( ━@π@) 早寝 早起き
fetia (J) : yujin老人説。
yujin(K) : 年寄り.....
fetia (J) : 老人は、早寝早起き。
Fahyah (J) : ( ━@π@) 変な時間に起きる人いるよね
yujin(K) : そうですねw
fetia (J) : それか、今日はyujinのハルモニがチャットしてる。 (筆者註:ハルモニ=朝鮮語で「おばあさん」)
yujin(K) : T^T そうです.
fetia (J) : ハルモニー、アニャンセヨー (筆者註:「アニャンセヨー」は「アンニョンハセヨ」を崩した言い方です)
yujin(K) : そういえば昨日から腰が痛くなってw
Fahyah (J) : ( ━@π@) むしろ yujinの中の人が ハルモニの方向で
yujin(K) : .........('A';) しくしく
fetia (J) : 腰を使うようなことをしたのですか!!!
Fahyah (J) : ( ━@π@) いいなw
Fahyah (J) : ( ━@π@) 腰が破壊
yujin(K) : ただベッドで起きた時急に痛みが
yujin(K) : 老けました,T T
Fahyah (J) : ベッドのマットレスが軟らかいんじゃないの?
fetia (J) : (´-`).。oO(どう見てもセクハラです。本当にありがとうございました。>自分
Fahyah (J) : ( ━@π@) 乙ですw
yujin(K) : !!!!!!!
fetia (J) : yujinは、セクハラと気づいてなかった模様w
anonymous. (J) : いろいろ想像する事ができました。本当にカムサハムニダ
yujin8999(K) : 腰を使う仕事...
fetia (J) : www
Fahyah (J) : ( ━@π@)w
yujin(K) : anonymousさんは何の想像をしたんですか?! プンスコ (筆者註:ある常連日本人が使う「o(`ω´*)oプンスコプンスコ」というAAが一部の常連韓国人に大人気で、この常連韓国人は怒ったときに「プンスコ」と言いますw)
anonymous. (J) : それは内緒w
Fahyah (J) : ( ━@π@) 想像豊かに
yosih (J) : @_@
fetia (J) : プンスコキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!
fetia (J) : 次は「これさあ」をキボンヌ。
Fahyah (J) : ww
yujin(K) : yosihさんはどうして変な目つきを!!
fetia (J) : www
Fahyah (J) : ( ━@π@) あの翻訳は感動だねぇ
yujin(K) : これさあw
Fahyah (J) : ww
fetia (J) : wwww
Fahyah (J) : yujinコギャルバージョンキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!
fetia (J) : イゴチャムキタ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(n‘∀‘)η゚・*:.。. .。.:*・゜゚・* ワー (筆者註:韓国語の「これ ちょっと…」(朝鮮語音では「イゴ チャム」)という発言を機械翻訳が「これさあ・・・」と誤訳してしまうのですが、発言のタイミングによってはコギャルが物憂げに(あるいは横柄に)「これさぁ…」と言ってるような雰囲気を醸しだすので、一部の日本人に妙にウケていますw なお、日本側から「これさあ」と日本語入力しても、韓国側に「イゴ チャム」と表示されることはありません。ここでもこの子が、私たちの発言をきちんと理解していることがわかります)
yujin(K) : ><;
fetia (J) : こんな一言でウケる日本人、お手軽だw
ログ採取日 2007年11月17日 午前4時前後
拙遅かもしれませんが
幸か不幸か、日韓チャットのみならず現実社会においても、私は在日韓国・北朝鮮人(以下在日と略します)と密接に関わる機会をほとんど得ません。日韓チャットは本国韓国人がメインで、在日もいることはいるのですが、日本IDを使用する日本語ネイティブの在日は、本人がカミングアウトしない限り、存在を認識されることさえありません。
韓国人側は在日に対して極めて無関心ですし、日本人が本国韓国人に向かって、在日問題について言うべきことはほとんどありません。あるとすれば「在日を韓国に引き取ってくれ」ということぐらいでしょうか。しかし本国韓国人にそんなことを言っても、答えはわかりきっているので、あえて言う人は誰もおりません。
日韓チャットの韓国人に、在日がどれほど日本を食い物にしているかということを訴えても、本国韓国人にとっては極めてどうでも良いことです。彼らから返ってくる言葉は「それなら(在日同胞を)海に投げ捨てるなり皆殺しにしてしまうなり、日本人の好きにすれば良い」という類の言葉でしょう。と言うか、本当に彼らはこう言いますw
そのため、私が在日問題について考える機会があるのは、ニュースで見かけた時ぐらいです。
そのニュースですが、三重県伊賀市の公務員による横領事件をきっかけに、在日に対する住民税の減免措置が実際に行なわれてことが発覚したというニュースには、本当に驚きました。
「在日特権」をどう定義付けるかは微妙なところがありますが、「いわゆる在日特権」では、在日に対する税の減免が常にささやかれてはおりました。けれど前出の「Korean the 3rd」でも否定的に述べられておりますように、それはある種都市伝説扱いでした。
しかし今回のニュースで、否定されていたはずの在日に対する住民税の減免措置が実際に行なわれていた、即ち「いわゆる在日特権」は、まったくの都市伝説ではなかった、ということになります。
こうなると、俄然在特会の存在意義は大きいものとなります。ただ個人的に、在特会の主張するところに異論はありませんが、主張方法や表現に関しては若干の異論が無くもありません。
例えば、先日youtubeで在日参政権付与のデモに対する抗議の動画を見ました。これは主権回復を目指す会、新風を支持する17万人の会、外国人参政権に反対する会などの有志が集まって行なった抗議活動で、数千人の在日韓国人のデモ行進に向かって、わずか20人で「朝鮮人は朝鮮半島へ帰れ」というシュプレヒコールを繰り返し叫んでおられました。
この動画を見て、まず最初に感じたのは感動です。一昔前に天下の往来で「朝鮮人は朝鮮半島へ帰れ」などとシュプレヒコールをあげることは、間違いなく不可能でした。迂闊にそんなことをすれば、冗談抜きで命の危険もあったでしょう。「ああ、こういうことが天下の往来で堂々と言える時代になったんだな」という静かな感動を覚えました。
しかし続いて、まだこういう表現に対して、脊髄反射的な嫌悪を感じる人も少なくないだろうな、とも思いました。
確かに、一昔前と比べれば、朝鮮人が日本人と相容れない生き物であるということが知れ渡ってはきておりますが、きちんと理解している人はおそらくまだそれほど多くはないでしょう。きちんと理解するまでには至らずとも、漠然と感じているだけの人を数に入れても、何も知らず、あるいは多少知ってはいても、「差別」とか「人権」という言葉に無条件でひれ伏してしまう人々の方が、圧倒的に多いのではないかと思います。
相手は何も知らないだけでなく、善意の塊の人々です。より正確に言うならば、「他人から善意の塊と見られたい人々」です。そういう人の襟首をつかんで、いきなり問題の中に投げ込んでも、すぐに泳げるようになる人ばかりとは限りません。
そればかりか、下手をすれば泳ぐことそのものを嫌がるようになってしまいます。それでは元も子もありません。まずは水に慣れることから始める方が良いのではないかな、というのが、私の考えです。
しかし私の考えも、迂遠という批判を免れ得ないでしょう。実際、事態はかなり切迫しております。問題を理解してもらう以前に、問題が存在していることそのものを知らない方も多いのではないか、少しでも早く広めなくては間に合わないのではないかという危機感は、私もひしひしと感じております。それにどれほど慎重に言葉を選んだとしても、脊髄反射を起こす人は後を絶ちません。どちらにせよ、言わねばならぬことは同じなのですから。
人に何かを伝えるということは、本当に難しいと思います。しかし、それぞれが出来ることを、それぞれの信じるやり方でやっていくしかありません。それが巧遅であろうと拙速であろうと、さらに言えば拙遅であろうとも「何もしない」よりはずっと良いのです。
<丶`∀´>人の嫌がることを進んでやります^^
もし、まだ続けたい方がいらっしゃいましたら、コメント欄で続けていただいてかまいません。snow氏もまだやる気満々みたいですしw その辺については読者各位の判断にお任せいたしますが、私はしばらくスルーの方向で行きます。
すみません、面倒臭がりな管理人で(´・ω・`)
と言うか、snow氏はその読解力の低さゆえか、弊ブログの過去記事を既読と仰っている割に、韓国に関する基礎的な知識が無さすぎます。韓国に関する基礎的な知識が無いゆえに、弊ブログの記事が読み解けないのかもしれませんが、もし仮にそうであっても、snow氏一人のために、今から改めて韓国の基礎的な知識について一から弊ブログで解説するつもりはありません。
過去記事をお読みであるにも関わらず、韓国の基礎的な知識を得ることが出来なかった方に、今から改めて解説を始めたとしても、徒労に終わるのは火を見るより明らかですので。
鶏が先か卵が先かわかりませんが、いずれにしても韓国の基礎的な知識をお持ちでない上に、自分が変わることは絶対にないと宣言するsnow氏に、この先私が百万言を尽くしたとしても、その言葉が氏の脳に届く望みはないのではないかな、と思います。
Wikiの「嫌韓」の項目には「嫌韓流の支持者やネット右翼は、嫌韓流の作者と同様、韓国の実情や歴史について非常に不勉強で、せいぜい数冊の本を読んだ程度で歴史が分かったような気になっているが、そもそも実際に韓国へ行った事のある者は少数に過ぎず、誤解が多い」という記述があります。
しかし日韓チャットの常連日本人は、韓国人に「日韓チャットにいつもいる倭人どもは非常に該博で、ウリにはとても太刀打ちできないニダ。誰か日韓チャットのチョッパリどもをやっつけてくれる人はいないニカ?」と韓国人専用の掲示板で泣き言を言わせるぐらい韓国に詳しい方ばかりですし、Enjoy Koreaで名を馳せている常連日本人の皆様も、ソウル大学の教授を相手に渡り合う猛者揃いです。
私が知る限りでは【韓国の実情や歴史について非常に不勉強で、せいぜい数冊の本を読んだ程度で歴史が分かったような気になっているが、そもそも実際に韓国へ行った事のある者は少数に過ぎず、誤解が多い】のは親韓や擁韓が圧倒的に多く、何故これが「嫌韓」の項目に書かれているのかとすごく不思議だったのですが、なるほどsnow氏のような方が嫌韓を名乗っているならば、そう考える人が出て来るのもむべなるかな、と思いました。
ともあれ、繰り返し何度も何度も同じことを言わされるのは、日韓チャットの韓国人相手だけで、もうお腹一杯なのです。と言うわけで、面白い展開になってきたら、またネタにするかもですが、他に書きたいこともありますので、一旦離脱させていただきます。
あ、でもひとつだけ言っておきます。
日韓チャットの韓国人(おそらくナマも同じでしょうがw)は、ピヨピヨ言いながら口開けて上向くのが「正しい質問の仕方」と思ってる連中が多く、そういう無礼者は基本的にぶん投げることにしているのですが、真摯な態度で質問したり説明を求める韓国人に対して、私はかなり丁寧に答える方です。
しかし、相手が日本人の場合、質問されても気分によって「ググレカス(AA略」と言うことがありますw 何故なら、日本語を使える人ならば、韓国語しか使えない連中よりも広く深く検索出来るということを知っているからです。
という訳で、
日韓チャットのURLは、ご自身で検索してくださいね^^>snow氏
しかし、日韓チャットで韓国人に「私とペンパルになりたい日本人は、ここにメールを送れ」と言い捨てざま、ネイバーやダウムのメールアドレスを置いて出て行かれたことは度々ありましたが、今回のように質問に対する回答を、明々白々の捨てメアドを置いて「ここへ送って来い」だなんて、日本人から言われたのは初めてです。「美しい日本人」を目指す方として、そのやり方はいかがなものかと思います。そんなやり方、某巨大匿名掲示板でもそうそう見れませんよ?w
さて、前回前々回の記事に押されて後回しになっておりましたが、先日コメント欄でいただいたご質問を、今回のネタにさせていただきます。
皆様のコメントが、筆者にブログ継続のモチベーションを与えます(たまに奪うこともありますがw)。正直、皆様からのコメントがなければ、日韓チャットそのものを引退していても不思議はないくらいです。レス返しもしないずぼらな管理人にコメントをくださる皆様にこの場を借りて深く御礼申し上げます。引き続き今後も、どうぞよろしくお願いいたします<(_"_)>
すいません。前から気になっていることがあったので、質問させていただきます。 韓国人の行動パターンを見ると、率先して人の嫌がることに向けて全力投球しているように見えることがあります。 日本ではよく両親や学校の先生などから、 「人のいやがることはするな」 と諭されると思いますが、こういう教えや 考えって韓国にも存在するのでしょうか? もし、そういう教育が、されていた場合日本人は「人」の範囲から除外されているということなのでしょうか? 大変きになるところです。 2007.11.09 20:34 | 名無櫓 URL [Edit] Page top △ |
日本人から見ると、確かに韓国人は「人の嫌がること」を率先してやっているように見えます。これは「率先して人の嫌がることをやりましょう」と教育されているわけではないのですが、「人の嫌がることをしないように」という教育がなされていないのと同時に、「他者を慮る」ということを教えられていないからだと思います。さらに「他者より秀でよ、どのような手段を用いても」という教育は、極めて熱心に施されております。
多分彼らは、「こうすれば人が嫌がるだろう」と考えてやっているわけではありません。「自分が常に優位に立てるように、自分の思うままに行動した結果、それが人の嫌がることになっても気にしない」だけなのです。ましてや、ナチュラルに見下している日本人相手に、「こんなことをすれば嫌がられるかもしれない」という配慮があろうはずもありません。それは韓国人たちが日本を散々罵っておきながら、日本人から嫌われると驚愕することからも、容易にご理解いただけると思います。
日韓チャットでは、入室するなり日本人に向かって「日本人ですか?」と聞く韓国人は珍しくありません。日本IDの人物に向かって「日本人ですか?」と聞くのは「お前は実は韓国人ではないのか?」と言うのと同義ですから、たいていはその質問を無視したり、「見ればわかる」とツッケンドンに答えて韓国人をむくれさせています。しかし先日、ちょっと気が向いたので別のパターンで答えてみました。
韓「日本人ですか?」 私「日本IDが表示されているのに、わざわざそんなことを聞くということは、日本IDの韓国人がそれほど多いということか?」 韓「はい。留学生とか」 私「つまり、いちいち確認しなければならないほど、日本IDを使う韓国人は多いのか」 韓「いいえ、そういう人もいるということです」 私「同じことを聞いたのに、最初は「Yes」、次は「No」と答えるのはどういうことか?私をからかっているのか?」 韓「いいえ、でも確認することが悪いとは思いません」 私「お前は、私を「本当に日本人なのか?」と疑ったわけだ。私は疑われて非常に気分が悪い」 韓「気分を悪くしたらごめんなさい。でも私も騙されるのは嫌なのです」 私「私は疑われて不愉快だ」 韓「韓国人はそんなことに神経を使いません」 私「わかった。では韓国人と話してくれ」(蹴り飛ばしました) |
とにかく以上のやりとりを見ていただければわかりやすいと思いますが、彼らは自分の思うままに振る舞った結果、それが相手の気分を害したとしても、「それぐらいのことで(相手が)怒る理由にはならない」と考えています。日本人から見るとそれが「人の嫌がることを率先してやる」ように見えるのです。
例えば、これはよく聞く話なのですが、韓国のレストランでお冷を持ってきたウェイトレスが、うっかりコップを倒して客にお冷をぶっ掛けてしまった時、ウェイトレスは客に「ケンチャナヨ」と言うそうです。
「ケンチャナヨ」という言葉は、ご存知の方も多いと思いますが、日本語にすると「大丈夫だよ」と翻訳されます。つまり、客に水をぶっ掛けておきながら、ぶっ掛けた張本人が「大丈夫だよ」と言うのです。加害者が被害者に向かって「大丈夫だよ」と言うのは、日本人的には非常に奇妙です。しかしこれは彼ら的には「わざとやったわけじゃないし、水がかかったぐらいのことは大したことじゃないから、どうか安心して」という意味の、彼ら的「思いやり」の言葉なのだそうです。
「思いやり」と言えば、韓国にはこの言葉が無いと言われています。韓国語の辞書を端から端まで読んだわけではないので、ちょっと自信がありませんが、朝鮮固有語としては無さそうです。しかし、日韓チャットで見ている限りでは、「思いやり」に相当する韓国語がまったく無いわけではないようです。
一時期、日韓チャットで韓国人が「易地思之」という四字熟語を盛んに口走っていたことがありました。この「易地思之」という四字熟語は、日本ではまったく見かけませんが、なんでも「相手の立場に立って考える」という意味の成語のようです。つまり、これが韓国版の「思いやり」に相当する言葉と考えて良いかと思います。
しかし日韓チャットでは、この四字熟語を口走る張本人たちが、相手の立場に立って考えるということを一切しませんでした。どうやらこの「韓国版思いやり」の言葉は、他者に対して「相手の立場に立って考えろ」と教え諭す言葉で、それが自身に向けられることはないようです。
つまり「思いやり」の中心軸が常に自分にあるのが、「韓国版思いやり」と考えた方が理解しやすいでしょう。彼らが自分から他人へ思いやるということは決してありませんが、他人は常に自分を思いやるべきと考えているのが、韓国人です。その期待を裏切る相手は、無条件で礼儀に悖る相手として、非難の対象となるのです。
もし彼らが他人の嫌がることをしたとしても、それはそうせざるを得ない彼らなりの理由があったわけで、嫌がることをされた相手は彼らなりの理由を「韓国版思いやり」の心で理解し許すのが当然と、彼らは考えているのでしょう。
彼らの社会全体がそういう行動基準ですから、日本人から見ると韓国人は「人の嫌がることを率先してやっている」ように見えるのではないかと、私は思っております。
最後に、連中に「韓国版思いやり」ではなく、日本で言うところの「思いやり」を実行させようと思ったら、相手がこちらの気分を害した時に、すかさず居丈高に怒鳴りつけ、場合によってはぶん殴り、「相手の気持ちを慮らなかったら酷い目に遭う」と身体で理解させ、覚えさせるしかないということを、付け加えておきます。
復啓
まず第一に問題があると思ったのが、fetiaさん始め、ほとんどの方が『韓国人』を十把一絡げに同一視して、かつその事に疑問を持っていない、それどころか、りえさんのように、その事に疑問を持つ事自体を奇異に感じていると言う点。 |
この点については、snow氏が弊ブログの過去記事をお読みであるという前提の下に、氏の読解力の低さをあえて指摘したいと存じます。他の方まで同じかどうかはわかりませんが、少なくとも私は、初めて見る韓国人については「もしかしたら」という期待を捨て切れない愚か者です。それは前々回の記事でも述べておりますが、それ以前の記事でも述べたことがあります。過去の記事をご覧いただいているのであれば、すべからくご理解いただいているべきことかと思います。
私の場合、その愚かな期待を踏み躙られて初めて量産型認定するのであって、「すべての韓国(朝鮮)人」を最初から量産型として同一視しているということはありません。
確かに、私の韓国人に対する量産型認定は、常連日本人の中でも早い方だと思います。時には入室後の第一声で認定することさえあります。しかし自慢にもなりませんが、この判断が外れたことなどほとんどありません。そもそも全ての韓国人に対して常に必ず量産型か否かの判断を下すわけではありません。判断を保留する例も少なくありませんし、逆にこれはと思っていた韓国人が、実は量産型であったという例の方が圧倒的に多いと思います。
もちろん判断を誤って量産型認定することも、稀にはあります。しかし量産型でない韓国人ならば、何かの弾みで量産型認定を付されても、それに甘んじているということは絶対にありません。絶対にです。必ず後に台頭してきております。これは例外がありません。それが出来ない韓国人ならば、それは即ち量産型韓国人であるという証左です。
また私以外の方についても、経験的に韓国人には量産型が絶対的圧倒多数ということを知っている方であれば、見知らぬ韓国人に遭遇した時、「こいつは量産型ではないか」と考えるのは、至って自然で当然のことだと思います。何故なら、量産型韓国人と接触すれば、多かれ少なかれ害を被る可能性があるからです。
ですから「韓国人の100万人が量産型でも、101万人目はそうではないかもしれない。よって韓国人を十把一絡げに量産型とみなすことはしないし、するべきではない」と仰る方がまちがいなく一般的に考えて奇異です。それは「オリンピックに出場する女子選手の中には、もしかしたら男性が混じっているかもしれない。よってオリンピックに出場する女子選手だからと言って、十把一絡げに女子だとみなすことはしないし、するべきではない」と言うのと同じだと思います(本当は「刑務所に服役している受刑者100万人が犯罪者であっても、101万人目は冤罪で服役している受刑者かもしれない。よって服役中の受刑者だからと言って十把一絡げに犯罪者とみなすことはしないし、するべきではない」という例えにしようかと思ったのですが、また「韓国人を犯罪者と同一視するのか!」なんて脊髄反射を起こす人が出てくると鬱陶しいので、ちょっと奇妙な例えになったことをお断りしておきますw)。
二つ目ですが、「韓国人が聞いてもいない事まで先回りして逐一余さず解説し、理解を得た事を確認してから話すべき」と言うのが、最初からの私の意見です。 |
snow氏はこれを「外国人全てとの会話における基本的な暗黙のルール」と断定されておられますが、私はそんな暗黙のルールは寡聞にして存じません。数人に聞いてみましたが、誰もそんなルールを知りませんでした。氏には、どこで言われ行なわれているルールなのか、是非ソースを添えてご教授いただきたい。
私も海外で外国人として生活したことがわずかながらありますが、「聞いてもいない事まで先回りして逐一余さず解説し、理解を得た事を確認してから話す」などということをしてもらったことは一度もありませんでした。むしろ互いに異なる文化を持つ者同士の交流においては、「わからないことがあれば自分から積極的に質問する」「沈黙は、理解や承諾の意思表示」ということの方がよほど大きな暗黙のルールでありました。
口を開けて上を向いていれば、必ず間違いなく餌を入れてもらえると信じている雛鳥のように、わからないことがあっても、黙って待っていれば、正しい説明が、的確な時期に、求めずとも与えられて当然と思っている輩がいるとすれば、そういう輩こそ外国人に限らず、人と交流する資格がないと思います。
そういう輩に、氏が親鳥よろしく餌を運んで満腹するまで口に入れてやりたいならば、それを止めたり咎めたりするつもりは私にはありません。しかし、そうすることを氏に強制されたり、ましてやそれをしないからと言って「それでは外国人と接する資格がない」などと勝手に資格を剥奪される謂れは、誰にもありません。
そもそも、「相手が聞いてもいないことまで先回りして逐一余さず解説し、理解を得た事を確認してから話す」などということを、実際になさったことがおありですか?例えば「広島の空」について「韓国人が聞いてもいない事まで先回りして逐一余さず解説し、理解を得た事を確認してから話す」という行為が、実際にどのようなものになるか、想像されたことはないのですか?
チャットではないので、相手が理解を得たかどうかは確認することはできませんが、「相手が聞いていないことまで先回りして逐一余さず解説する」という芸をやってご覧にいれましょう。
「広島の空」という歌は日本のさだまさしという男性歌手が歌っていて、彼は1952年生まれのシンガーソングライターで、もともとはグレープというフォークデュオとして1972年にデビューしたんだけど、今はソロで活動している九州の長崎県出身の人で、この人はもともとバイオリンのソリストを目指して本格的に音楽を勉強していた人なんだけど挫折して歌手になったという経歴の人で、俳優をやったり、映画を作ったり、小説やエッセイを執筆したり、漫画の原作も手がけたマルチタレントでもある人なんだけど、長崎県出身ということは割と広く知られていて、「広島の空」の歌詞の中に出てくる「港を行き交う船」や「路面電車」「稲佐山」は長崎を象徴するもので、長崎は夜景と異国情緒で有名な港町ということを知っていれば「港を行き交う船」はわかると思うんだけど、「稲佐山」は長崎市内中心部を見下ろす山で、日本三大夜景のひとつと言われる長崎の夜景観賞のベストスポットでもあって、日本三大夜景の残り二つは函館と神戸なんだけどそれはまた別の機会に説明するとして、「路面電車」は日本では数少なくなった公共交通機関なんだけど、長崎ではいまだに市民の足として愛されているもので、そう言えば広島も路面電車がまだ現役の公共交通機関っていう共通点があったけど、歌詞の中の「その日の朝」は長崎に原爆が投下された8月9日のことで、1945年のその日の長崎の朝が、いかにも暑くなりそうな快晴の朝だったということは日本では知らない人がいないぐらい知られていることで、さだまさしさんの母親の妹、つまり叔母さんはその時長崎で被爆して、その後遺症で癌を発症して亡くなってるんだけど、その叔母さんを歌ったさだまさしさんの歌に「椎の実のママへ」という歌があって、「椎の実」っていうのはその叔母さんが経営していたスナックの名前で、その息子、つまりさだまさしさんの従兄弟がいたのだけど、その従兄弟とさだまさしさんとは年が近かったから仲が良かったんだけど、若くして母親、つまりさだまさしさんの叔母さんより先に事故で亡くなっていて、その従兄弟を歌った歌「精霊流し」は、先に説明したフォークデュオのグレープが出した2作目で、今から30年以上前なんだけど、当時大ヒットした歌で、「広島の空」の中にある「叔母は舞い降りる悪魔の姿を見ていた」っていう歌詞は、そういうバックグラウンドを踏まえて聞けば歌の印象も変わってくると思うんだけど、それからさだまさしさんが主催で、1987年から2006年まで毎年8月6日に行なっていた「夏 長崎から さだまさし」という観覧無料で行なわれた野外コンサートがあって「長崎から広島に向かって平和について歌う」というテーマのコンサートで、歌の中に出てくる「広島の空に向かって歌おうと決めた」というのは、多分この「夏 長崎から さだまさし」コンサートで、広島の空に向かって歌おうと決めた、という意味だと思う。 |
とりあえず1番だけ、「聞かれもしないことまで逐一余さず解説し」てみました(正確には「余さず」の域に達しておりません。本当に「余さず」やろうと思ったら書くだけで三日三晩は楽にかかりそうですw)が、チャットでこんな説明をやった日には、話は一歩も先に進みません。それでなくとも量産型韓国人は、3行以上の文章を一度に読むことが困難ですし、10のことを教えるのに、1から始めて8辺りに来ると、最初の1から5辺りまでを忘れてしまう連中です。また彼らは文中の単語単語に引っかかっていちいち興奮するので、冗長な説明は会話を潰す以外に何の効能もありません。そういう対話で、韓国人からどのような理解が得られ、あるいは韓国人に対しどのような理解を与え得るとお考えでしょうか?
それとも、「ただ歌詞をコピペするだけ」という行為が、氏の考える「相手が聞いてもいない事まで先回りして逐一余さず解説し、理解を得」ることなのですか?その程度で「逐一余さず解説し、理解を得」たことになるとお考えなのでしょうか?もし韓国人に限らず、外国人全般に対してそうお考えだとしたら、私にはその考えの方がずいぶん傲慢で尊大に映ります。
三つ目に、韓国人が日本人を見下している、という点。(中略)逆に今回の例では、残念ながら日本人の方が韓国人を見下している面の方が目に付くといわざるを得ない場面が多いです。 |
韓国人相手に、私はかなり尊大に振る舞っている自覚はあります。これは、韓国人相手にはそうしなければ対等に位置づけられることがないからです。
彼らが基本的に我々日本人を見下していることはご理解いただいてるようですが、実際に彼らと接した時に、もし日本人がへりくだった態度を取れば、彼らがどう考えるかは、ご理解いただいておりますでしょうか。
日本人がへりくだった態度を取れば、韓国人の日本人に対する優越感は揺るぎないものになります。それは、彼らが日本人を見下すことを、日本人自身が追認する形になるからです。
それでなくとも、日韓チャットの翻訳は、日本人に対して差別的な翻訳を行なうことがしばしばあります。例えば、以前韓国人ともそういう話題になったのですが、日本人側から「~しなさい」と言うと、韓国語では、「~してください」という翻訳になります。ところが韓国人側からは、日本人に対して「~しなさい」という表現が非常に多いのです。
そこで韓国人に「韓国では、「~してください」と「~しなさい」は同じ表現なのですか?」と聞いたところ、「もちろん違います。「~してください」の方がより丁寧で初対面の人や年長者に対して使う表現です」という回答でした。
我々は、ほとんどの場合韓国人より年長であることが多いのですが、それを差し引いたとしても、初対面であることは間違いありません。にも関わらず、彼らは天然自然に我々にぞんざいな物言いをします。もちろん、韓国側からの発言が日本語に翻訳されると、へりくだった表現に翻訳されることはあるかもしれません。しかしそれをもって日本人が相手を見下すということはありません。
そういう彼我の差異を理解せずに「日本人が韓国人を見下しているように見える」と仰るのは、あまりにも浅慮です。
あと、別の方のコメントへの反論で仰られていた、あの韓国人がFahyah氏の母親を殺すたとえ話をした点について、少々付け加えさせていただきます。
snow氏はあれを「韓国人にしてはビックリする位、公平にたとえ話を作れる人だ」と評価されておられました。しかし逆は考えてご覧になられましたでしょうか。もしたとえ話であっても、あの韓国人の母親をFahyah氏が殺した場合、あの韓国人の子供がFahyah氏の子供を許すことは絶対に出来ません。何十代を経ようとも、あの韓国人の子孫はFahyah氏の子孫を責め続けなければなりません。だから、彼女はわざと立場を逆転させて例えを出したのです。自分がもし日本人に害を与えても、自分の子孫が被害者である日本人の子孫に責められるべきではないと言いたいがために。これのどこを見て公平と理解するのか、私は激しく理解に苦しみます。
ともあれ、snow氏が「美しい日本人」であろうとする姿勢は、大変よく理解できました。それを咎めたり邪魔したりするつもりは、私には毛頭ありません。しかしsnow氏が「美しい日本人」でありたい、あり続けようとお考えであれば、「嫌韓」などと名乗るべきではないでしょう。「嫌韓」は所詮ヨゴレなのです。
「嫌韓ではあっても差別者になるつもりはない」などというきれいごとを仰る時点で、氏の態度と考えは中途半端かつ「ええ格好しぃ」です。本来の嫌韓とは「差別者ではないが、差別者と謗られることも覚悟の上で嫌韓を名乗っている」のです。少なくとも私はそうです。氏にその覚悟が出来ないのであれば、「嫌韓」を名乗られるのはお止しになった方がよろしいかと存じます。
そういう方に嫌韓を名乗られて、何も知らない人に「所詮嫌韓を名乗る奴は中途半端な覚悟のええ格好しぃか」と思われるのは、覚悟を持って嫌韓を名乗る者として、非常に迷惑です。
ご批判に対する回答
しかしながら、批判を歓迎することは、批判を無条件に受け入れるということではありません。批判くださった方も、当然反論を期待されていらっしゃるであろうとお察し申し上げ、ここでご返事申し上げたいと存じます。
まず今回の批判については、良くも悪くも、日本人的な批判だと思いました。要するに「どこの誰がどんな立場で見ても、一分の隙もないほど完璧に善良で好意的な対応を日本人側がしなかった場合、韓国人が火病るのは日本人の責任である」というご意見かとお察し申し上げます。
実に日本人的に美しいご意見だと思います。
さて、批判コメントをくださったsnow氏にひとつお尋ねします。氏は「広島の空」の歌詞の説明がほとんどなかったことに強くこだわっておられますが、「広島の空」のリンク先をご覧になっていらっしゃいますでしょうか。
実際のログでは、リンク先URLをそのまま表示しておりますが、今回弊ブログで公開するにあたって、著作権の問題に配慮し意図的にリンクをわかりづらくしております。そのためsnow氏がリンク先をご覧になっていらっしゃらなかったとしても無理は無いと思います。
もしご覧でなければ、まことにお手数ですが、当該チャットログの私の発言の一行目「>広島の空」の部分をクリックして、リンク先をご覧になっていただきたいと存じます。
ご覧いただいていないのであればおわかりいただけなかったのも無理はありませんが、リンク先には「広島の空」の全歌詞が記載されております。もちろんすべて日本語ですので、韓国人には俄かにその意味がわからないかもしれません。
しかし歌詞の意味がわからず、それを知りたいと思っているのならば、この韓国人が自分で機械翻訳を通すなり、我々に聞くなりすればよいだけのことです。
それとも、snow氏は、韓国人が聞いてもいないことまで、我々が察して先回りして逐一余さず解説し、理解を得たことを確認してから話を進めるべきとお考えでしょうか。申し訳ありませんが、私はそこまで親切ではありません。もしその不親切さを咎められるとすれば、それは甘んじてお受けいたします。しかしそれを改めるつもりは、まったくありません。その理由は今までにも述べたことがあったと思いますので、今回は割愛させていただきます。
そもそも会話内容の意味がわかっていないのであれば、それに対して腹を立てること自体が間違っていると、私は考えております。
また、当該チャットログの前書きにも書いておきましたが、この韓国人はこの日初めて来た韓国人ではありません。既に数日前から何度か話をしており、我々はある程度互いのキャラクターを踏まえた上で話をしていたということを、氏はご理解いただいておりますでしょうか。
このログで、もし突っ込まれることがあるとしたら、私は
Fahyah(J) : さて 星よ 話題を変えなさい^^ fetia(J) : それきれいごと。そんなきれいごと、信じない。 星(K) : まったく同じな理屈で.. 過去は過去のみ, 現在が重要なの... fetia(J) : きれいごとって言うのは、要するに「うそ」だよ。 |
これはFahyah氏が「話題を変えなさい」と発言したとほぼ同時に、私が「それきれいごと。そんなきれいごと、信じない」と発言してしまい、一瞬「あ、しまったな、話題変えた方が良かったかな?」と私自身が思ったシーンです。
要らん一言という意味では、この一言が最も威力を発揮したと思いますw
しかし、ログの流れを見ていれば容易にご理解いただけると思って解説を端折りましたが、この韓国人が切れた理由は、「かなり冷静に日本を理解しようとしていた」のに、我々が執拗に韓国批判を繰り返したからではありません。
彼女(この韓国人は女性でした)が切れたのは、私の「そんなことはね。日本人に言うことじゃないんだ。もし本当にそう思うなら、韓国人が韓国人に言うべきことだ」という発言に対してです。
一般的に韓国人には、日本人を見下しており、日本人は無知だという潜在意識があります。何しろ彼らは、中学生でもナチュラルに日本人を見下した態度を取ります。この韓国人も例外ではなかったということは、この時の彼女の発言を見れば明白です。
「そんなのログからは全然わからなかった」と仰るのであれば、お手数かとは存じますが、日韓チャットログカテゴリーだけでも良いので、今一度過去記事群をご精読ください。
この時、この韓国人が「せっかく無知な日本人に常識を教えてやっているのに、この日本人は「そんなことは日本人に言うことじゃない」などという妄言を吐きやがった、本当に無識だ、これはきちんと日本人が無知だという常識を教えてやらなければならない」とまで具体的に考えたかどうかはわかりませんが、概ねこんなことを考えたであろうことは、確信できます。
実際、韓国批判や悪口「だけ」で切れる韓国人は、それほどおりません。彼らが本格的に切れるのは、見下している日本人から反論を食らった時です。
それは、今までの過去記事をご覧いただいていれば、このログで十分ご理解いただけることだと思い、あえて解説を端折ったのですが、残念なことに私の筆力不足で伝わっていなかったようです。
私の筆力不足を読者の皆様の読解力に依存している点は、今後の反省材料としていきたいと思っております。が、筆力なんてそう簡単に上がるものではありませんので、その点は引き続きご理解いただきたいと存じます。
「韓国人が日本人を見下しているなんてことはない、日本に見習うべき、日本から学ぶべきと言う韓国人は多い」と仰る方がいらっしゃるかもしれません。確かに韓国においてそういう意見は少なくありません。しかしそれは技術や経済などの話です。基本的に彼らは「人間的、道徳的にはチョッパリよりウリの方が優れているニダ」という確信を持っています。
劣っているはずの日本人から反論を食らったり、ぐうの音も出ないほどやり込められると、彼らはぶち切れます。それが人間的、道徳的なことであればなおさらに「不道徳なチョッパリのくせに!」という意識が噴出します。
この日この時まで、この韓国人女性はその意識を隠して我々に近付いておりました。いや、本人にも「隠している」という意識は無かったかもしれません。それどころか、「日本人を見下している」という明確な意識さえなかったかもしれません。彼らにとっては、その意識は空気と同じです。普段は、存在そのものを意識するまでもないものなのです。
今回のログでご覧いただきたかったのは、「こんな奇矯な韓国人がいましたよ!」という報告ではありません。ましてや「日本人がバカな韓国人をやり込めましたよ!」などということでもありません。
弊ブログを始めた当初から何度も申し上げておりますとおり、私を含む常連日本人は、聖人君子だけで構成されているわけではありません。ですから韓国人と対峙している際、私たちに一点の非も無いなどとは、おそらく常連日本人も誰一人考えていないでしょう。
しかし今回のログでお知らせしたかったのは「日韓どちらに非があったのか」とか、「日韓どちらの主張が正しいのか」などということではありません。
今回の件に関して、私はログ中にもあるとおり「悲しいね」と思っております。韓国人に対しては、信じたいと思っていても疑ってかからねばならず、しかもほとんど(わずかな誤差を除いた全てと言って良いほどに)その疑いは的中します。それは、私にとっては非常に悲しいことです。
しかしそういう人間的な感傷は人間相手に使うことにして、韓国人に対しては、感傷などかなぐり捨てて、とにかく疑ってかからなければならないという実例をお知らせしたかったのです。それを「日本を理解しようとした姿勢を持った我慢強い韓国人を、日本人が刺激して無理やり反日発言を言わせた例」と受け取った方が、少なくとも1名はいらっしゃったことを、少々残念に思いました。
と同時に、前回の記事でも申し上げましたが、どこかで微かにうらやましくも思っております。「徒らに両国民の感情を悪化させるような事は謹んで戴きたい」というご高説を、よりによって韓国人相手にも使えるとは、まことに気高く美しい。そのように美しいご意見を唱え得るとは、実に清らかで安全な場所にいらっしゃるのでしょう。私など、所詮泥にまみれてもがきあえぎながら「積極的な日韓両国民の離間を」と願うヨゴレですw
泥にまみれてもがいている私にも、いや、泥にまみれてもがいているからこそ「美しい日本人」でありたいという願望はあります。もちろん、韓国(朝鮮)人という存在と対峙する時は、それが叶わぬ望みであることも、十分承知しているということは、前回の記事でも述べたとおりです。
誰の為というのではなく。
本当に、本当にこんなに韓国人は酷いのか。本当に、本当に韓国人は、ここに書かれているように人の皮を被った爬虫類なのか。些細なことを、極少数の事例を、大きく拡げて書いているだけじゃないのか。書いている本人が思うのですから、他人が読んでそう思うことがあるのも無理はないなと、常々思っています。
経験者の方ならご理解いただけると思いますが、韓国関連について考えたり調べたりするのは、精神的負担がものすごく大きいのです。その反動か、日韓チャットを少し離れると精神的にものすごく清々しいのです。韓国(朝鮮)という存在を忘れるだけで、こんなにも精神衛生上健康的なのですから、その存在が嘘か冗談か都市伝説であればと思わぬことはありません。
圧倒多数のキチガイで構成されている国が我が日本のすぐ隣にあって、その気になれば数時間でこちらに押し寄せてくるという現実が、押し寄せるまでもなく既に何十万、否、帰化済みを入れれば百万を超える韓国人が大きな顔をして日本に住んでいるという現実が、無査証を良いことに年間二百万を超える韓国人が来日しているという現実が、本当はただの悪い夢か何かの間違いか、あるいは何かの冗談だと思いたいと、私はいつも思っています。
だから、韓国や韓国人を擁護する人たちを、少しうらやましいと思うこともあります。私も人を疑いたくない。人を嫌いたくない。誰だってそうでしょう。罵倒合戦に陥った時、私が韓国人に向かって投げつける罵詈雑言は、同時に私自身をも傷つけています。信じられるものならば、誰もが人を信じたいと思っていると思います。私も例外ではありません。
だからこそ、毎日のように日韓チャットにいます。チャットルームに韓国人が入ってくるたびに「この韓国人は、もしかすると」とどこかで微かに期待している私がいます。たいていは次の瞬間、そのわずかな期待も絶望に変わるのですが。
今まで何千人、何万人の韓国人に、私のささやかな期待を裏切られています。愚かなことに、どうしても諦め切れないのです。韓国人に期待などしていないと言いながら、その考えを覆してくれる韓国人の出現を諦め切れないのです。そんな韓国人が出現する望みなど無いという現実を、誰よりも私が受け入れたくないのです。
しかし、私がどう思おうとも現実は揺るぎません。毎日、その現実を見せつけられています。もし私が日韓チャットに行かなくなれば、きっとたちまち現実を忘れて、自分の小綺麗で心地よい願望に逃げ込むでしょう。
そう、まるで韓国人のように。
それだけは、絶対にやりたくありません。どれほど自分の心を傷つけようとも、どれほど人から謗られようとも、私は現実を受け入れ、そこから得たものを皆様に伝えていきたい。甘いと言われても偽善でも力不足でも、それで誰かに、私が得たものが伝わるのならば。
今の私は、自分の甘さを戒め、現実を見つめ続けるために日韓チャットに通っているようなものです。
裏を返せばこのとおり
深夜のチャットルームで、youtubeなどを引っ張りながらまったり音楽談義をしていた時のことです。
登場する韓国人は、ここ数日、よく見かけるなあと思っていました。日本の歌手が好きだの、将来は日本でたこ焼き屋(笑)をやりたいだのと人懐っこく日本人に話しかけ、すり寄っておりました。
この日この時までのこの韓国人は、反日意識を欠片も見せないだけでなく、明らかに親日的な態度と言動でした。ですから日本人も、この韓国人には比較的優しく接していました。
しかし、結局この韓国人は潜在的な反日感情を露呈してしまいます。どれほど日本についてわかったようなことを言う韓国人であっても、それがただのメッキであることを如実にあらわす好例かと思います。
それにしても、この韓国人が桜の話を持ち出したときは、「それはギャグで言ってるのか?」と、チャットルームにいる日本人全員が思いました。
fetia(J) : これ、マジ泣ける。>広島の空
fetia(J) : (´-`).。oO(韓国人が聞いたら、嘲笑するらしいけど。
Fahyah(J) : 見てきます
yosih(J) : 舞い降りる悪魔
星(K) : ...
fetia(J) : これ聞いて嘲笑出来る韓国人って、すげえと思うわ。
fetia(J) : マジで人間じゃないと思う。
星(K) : 物笑い?
星(K) : 何の意味?
Fahyah(J) : ああっ 原爆の歌なのよ
星(K) : 原爆???
Fahyah(J) : ん。。。 悲しい歌だよねぇ
星(K) : ああ
yosih(J) : 戦争がこんな悲劇をもたらすのだ、という歌なのに、被害者づらして美化してる、と映るから、嘲笑 (韓国
fetia(J) : 悲しいだけじゃないんだよね。歌の中で、苦しいとか、悲しいとか、一言も言ってない。
Fahyah(J) : うん
星(K) : あ...
星(K) : 韓国での.. 日本の悲しい歌と選べと言うならエックスジャパンのティオルズ...
yosih(J) : なにが悪魔ニカ?チョッパリが悪魔ニダ
fetia(J) : ああ、悪魔で良いよ。韓国人は人の皮被った爬虫類だと思うし。
yosih(J) : 蛍の墓の、あの批評は、あああ、これが韓国人か、ってちょっと思ったな
nino(J) : 皮をかぶった方は上野整形外科へ
星(K) : -_-?
fetia(J) : 日本が憎いとか、日本が嫌いとかは許す。許すって言うか、まあ、それは好みの問題。
fetia(J) : だが、人類を敵に回しても、日本を貶めたいというならば、受けて立とうじゃないか。
星(K) : ................
yosih(J) : netomoでは「原爆迎えて気持ちはどう?happy?」なんてメッセージがよく来ましたw
Fahyah(J) : 私もそれは何度もみたが
fetia(J) : 人間やめてでも、日本を貶めたいというならば、認める。それだけのことだ。
星(K) : フム..
星(K) : 個人の差に過ぎないと...
星(K) : 韓国人たちは日本人たちを憎まなくて^ ^
星(K) : 批判しなくて
星(K) : 率直にものを言おうとすると、勿論、日本人たちを、良くない観念で眺める視覚は事実だ
星(K) : するが私はそのように思って.
星(K) : 日本人が私たちにいくら罪を犯してもその時代の日本人に批判をするべきことであって
Fahyah(J) : うん
星(K) : 今は子孫たちじゃないの?
星(K) : 子孫たちが私たちに謝らなければならない必要性はないと思って.
Fahyah(J) : そのように思ってくれれば良いが^^
星(K) : もし私がFahyahさんの親をひとり、
星(K) : お母さんを殺したとしよう.
星(K) : それでは私の子孫がFahyahさんの子孫に行って謝らなければならない必要はないよ..
Fahyah(J) : さて 星よ 話題を変えなさい^^
fetia(J) : それきれいごと。そんなきれいごと、信じない。
星(K) : まったく同じな理屈で.. 過去は過去のみ, 現在が重要なの...
fetia(J) : きれいごとって言うのは、要するに「うそ」だよ。
星(K) : そうだから..
nino(J) : 韓国以外の国でも同化政策はしてきたのにどうして韓国だけが根を持つのかが理解できん
星(K) : フム
fetia(J) : そんなことはね。日本人に言うことじゃないんだ。もし本当にそう思うなら、韓国人が、韓国人に言うべきことだ。
星(K) : 歪曲されたことをたくさん教えるのは事実.
星(K) : 日本の国花であるサクラ花も我が国の済州島で誕生されて, 日本に移るようになったことだ
星(K) : 日本はその事実を教えていない.
星(K) : 韓国に侵略をしてどれだけ多い被害を与えたのか,
Fahyah(J) : その桜の話は 遺伝子レベルで解明されてる
fetia(J) : ・・・・。だめぽ。
yosih(J) : キタw
nino(J) : ソメイヨシノの話かな?
星(K) : 韓国人たちが日本人に限りない犠牲と惨事を経験しなければならなかったのか,
星(K) : 日本人たちは教えていないから、韓国人たちが頭に来たことだけだ.
fetia(J) : はい、量産型認定します。
fetia(J) : ダメの烙印、ポン。
星(K) : 過ちは認めることができなければならないのに, そうではないから..
nino(J) : 残念な方だ
星(K) : 残念というのだろう.
fetia(J) : Fahyahさん、擁護するなら今のうちですw
Fahyah(J) : ん。。。 微妙だな
fetia(J) :私は、もうダメの烙印押しましたがw
Fahyah(J) : 桜の話は良く調べた?
yosih(J) : ネイバーで見たニダ
Fahyah(J) : ん。。。 私も擁護は無理かな
Fahyah(J) : 1939年に小泉源一が大韓民国の済州島の王桜との類似を指摘して、済州島が自生地であり起源とする説を唱えた[5]。が、ソメイヨシノはオオシマザクラとエドヒガンの交配的形態を持つが、オオシマザクラは伊豆諸島で進化したカスミザクラの島嶼型であって朝鮮半島には存在しておらず本説は否定的な見解を受けている。また遺伝子調査によっても本説は否定された[6]。
Fahyah(J) : 星よ これを良く見てみて
星(K) : しかし私は日本人に本当にありがたかったのに,
Fahyah(J) : 1916年にアメリカのウィルソンによりオオシマザクラとエドヒガンの雑種説が唱えられ、国立遺伝学研究所の竹中要の交配実験により、オオシマザクラとエドヒガンの交雑種の中からソメイヨシノおよびソメイヨシノに近似の亜種が得られることがわかり、1965年に発表された。これを受けて、伊豆半島発生説が唱えられた[7]。
Fahyah(J) : これに対し、明治初年に樹齢百年に達するソメイヨシノが小石川植物園に植えられていたという記録や、染井村(現在の東京都豊島区駒込)の植木屋の記録にソメイヨシノを作出したという記録が発見されたことから、岩崎文雄らは染井村起源説を唱えている[8]。
Fahyah(J) : 桜の事実
fetia(J) : 無理。日本を認める説は、脳が拒否する。>量産型韓国人
fetia(J) : それでこそ、量産型だしw
星(K) : 遺伝子を変形させただけだろう.
fetia(J) : ほらなw
Fahyah(J) : まだ分かってないか
Fahyah(J) : 失格だ
fetia(J) : ダメですねw
nino(J) : 馬鹿の壁は存在するのである
星(K) : さあさあ、それではここで、桜の重要性はやめて、キムチが日本が元祖と言い張ることとドクトがどうして日本の領土だと言い張ることのその差異点は?
Fahyah(J) : 静かに去りなさい
nino(J) : キムチが元祖だって??
星(K) : うん,
fetia(J) : ダメすぎるw
fetia(J) : もうね、殴るのも面倒。
Fahyah(J) : 私は擁護しません
fetia(J) : 何と言うかねえ。せっかくFahyahさんが、一所懸命話してあげたのにね。無駄になったね。
星(K) : ああ, 説明をしてあげるよ.
星(K) : 私一人の個人考えだが,
fetia(J) : 悲しいね。
星(K) : 私は日本人にありがたく思うから?
星(K) : 馬鹿じゃない-_-
nino(J) : 国籍問わずに真実を理解する人間は話相手になる
星(K) : 単純なことの極致
fetia(J) : これ以上置いといても、醜態晒すだけだろうから、武士の情けで切り捨ててあげるよ。
fetia(J) : 感謝するように。
星(K)様が部屋から退場しました。
ログ採取日 2007年10月31日 午前2時~3時頃
対話可能な韓国人の発掘・育成について
しかし、対話可能な韓国人も稀にいます。不思議なことに、そのほとんどが女性です。韓国人男性でも、多少会話が成立する者がいないこともありませんが、たいていどこか韓国社会に対して斜に構えているがために、親日的なところが見受けられます。韓国人女性にもそういうタイプがいないわけではありませんが、韓国人男性には、日本を真正面から理解したわけではなく、韓国社会を斜に見るために日本に理解を示しているというようなねじれが見え隠れするタイプが多いように感じます。
さて、対話可能な韓国人女性ですが、彼女たちの数は極めて少ないために、私たち日本人と同室していると、まるで日本人に取り囲まれているように見えます。その上、彼女たちが同室していようがいまいが、私たちが辛辣な韓国人批判を遠慮することはありません。そのためか何も知らない韓国人がいきなり私たちのいる部屋に入ると、まるで私たちが彼女たちを、寄ってたかっていじめているように見えることがあるようです。
もっとも、彼女たちにとっては、他の韓国人たちからそう見られている方が幸いかもしれません。日本人の意見に耳を傾けるなどという、良識ある韓国人としてあるまじき行為をしていることを知られれば、「良識ある韓国人」たちによる彼女たちに対する攻撃の矛先は、日本人に向かう以上に激しいものになります。
彼女たちも韓国人であるからには、「日本は悪」という潜在意識がないわけではないでしょう。それを越えてなお、日本人と意見を交わすことが出来るのは、他の韓国人と比べて現実を直視する能力に優れているからではないかと思います。圧倒的に女性が多いというのも、男性より女性の方が現実的だからではないかと思われます。
彼女たちは、決して私たち日本人に迎合しているわけではありません。私たちの韓国人批判に対し、彼女たちが抗弁を試みることも少なからずあります。しかし、私たちの韓国人批判に抗弁した尻から、新しく入室する韓国人が、まさに私たちが批判しているそのものの行動を取ります。私たちの韓国人批判に対する彼女たちの抗弁は、実に気の毒なことに、賽の河原で積む石のごとく、彼女の同胞たちによって破砕されてしまいます。
それはともかく、彼女たちのような対話可能な韓国人を発掘するのも、日韓チャットの数少ない楽しみ方のひとつかもしれません。建設的な日韓討論は、私のような嫌韓日本人にとっても、望むところだからです。
しかし、私は現在、対話可能な韓国人を発掘したり育成したりする努力を事実上放棄しています。私から進んで対話可能な韓国人を発掘したり育成したりすることは、もはやまったくと言って良いほどありません。
それどころか、他の常連日本人が手塩にかけて発掘したり育成した対話可能と思われる韓国人をぶん殴ることさえあります。私がぶん殴った程度で壊れる韓国人ならば、私が手を下さずとも、早晩壊れるに決まっているからです。
私が対話可能な韓国人を増やす努力をしないのは、私が日本人だからです。日本人によって対話可能になった韓国人では、他の「良識ある韓国人」を変えることは出来ないと思っているからです。
韓国人が韓国人として変わることがあるとすれば、それは韓国人によってでなければ、韓国人自身が納得出来ないでしょう。ましてや、日本人などに変えられたなどということになれば、その韓国人がどれほど優れた弁舌を振るおうとも、「良識ある韓国人」の社会では受け入れられますまい。
つまり、私たち日本人が、いくら対話可能な韓国人を発掘し育成しても、その韓国人はやがて韓国社会から離脱せざるを得なくなるか、あるいは自分の意見を殺して、「良識ある韓国人」社会に従わざるを得ません。それでは、結局日韓の相互理解には辿りつかないと思うのです。
もちろん、対話可能な韓国人の発掘・育成が、日本人にとって無駄だとは思いません。韓国を知るよすがとして、対話可能な韓国人は必要だし、貴重な存在だからです。
しかし、人にはそれぞれ役割というものがあると思います。対話可能な韓国人の発掘・育成は、私の任ではないと考えています。己の任を全うするために、よそごとに首を突っ込んでいる余裕は、私にはありません。対話可能な韓国人を発掘・育成する余裕があるならば、もっと深い韓国(朝鮮)観察と、それによる考察を文章にして、日本人の皆様に提供することこそが、私が自分で自分に課した役割です。
よって今後も、日韓チャットにおいて、私が自ら進んで対話可能な韓国人を発掘・育成することはないでしょう。