年末ご挨拶
今年は韓国で次期大統領選挙が行なわれ、李明博候補が当選。金大中、盧武鉉と2期連続10年間続いた左派政権が終了することとなりました。
この10年間を、「韓国版失われた10年」という人もいるようです。確かに、この10年間で韓国が失った物は少なくないように思いますが、個人的には「失われた」と言うよりは、「韓国人が自ら進んで放り捨てた」10年間と言うべきではないかと思います。
今、手元に「10年後韓国と北朝鮮はこう変わる―日本は何をすべきか
この本では、「朝鮮半島にひそむ12の不安を解明」と銘打って、1987年までの資料を基に予測してます。
「12の不安」のタイトルだけをご覧になってもおわかりいただけると存じますが、1987年から20年を経た今日でも、これらの不安は何も解消されておりません。例えば2番目の「韓国の日本敵視はいつ終るか」について著者は次のように述べています。
「韓国の日本敵視はいつまで続くか」という問題は、日韓親善や相互理解がいくら進んだとしても、結局のところは、韓国経済が日本に追いつき、国民が同じように豊かになるまでは続く。これは、戦争中の日本軍の中国人殺害で、いわゆる「血債問題」として騒がれた、シンガポールの例をみればよく判る。戦後反日運動が一番激しかったシンガポールは、その後日本企業系の進出などで経済発展が軌道に乗るにつれ、その反日的空気も次第に収まり、今日では誰も思い出さないまでになっている。 韓国がここまで到達するには、あと10数年はかかるだろう。したがって、反日ナショナリズムの爆発はまだまだ起こると考えてよい。しかし趨勢としては、今後は水平分業の進展などで、次第に沈静化して行くとみてよい。しかし、韓国が済んでも、まだ北朝鮮が残っている。それゆえ、朝鮮半島での日本敵視の感情は、まだ当分は続くと覚悟した方が無難である。 |
ご覧の通り、著者は韓国については、10数年で日本に追いつき、反日も沈静化するであろうと予測しておられますが、20年を経た今日でさえ、彼らの反日は健在です。北朝鮮など引き合いに出さずとも、韓国の反日は永遠に続くと考えるべきだということが、よくわかると思います。
私がチャットを始めた5年前どころではなく、20年前から、彼らはちっとも変わっていません。政権がどうなろうと、誰が大統領になろうと、極論すれば彼らの国がつぶれ、新しい国になろうと、おそらく今後も永遠に変わらないでしょう。
今まで弊ブログでは、「彼らはこんな連中です」というのをご紹介してきました。あるいは微に入り、あるいは細を穿って論って参りましたが、今後は「彼らが変わらない」ということを観察し続けていかねばならないのではないかと思い始めています。
これは実はかなりつらい作業でして、以前にも書いたことがありますが、たとえて言うならば、暗記するほど見た映画を、また改めて見るに等しい作業です。しかもその映画が超駄作というオマケつき。この超駄作映画を何度も何度も繰り返し見ては、気づいたことをレポートするというわけです。
正直この2年余りで、どこを切っても金太郎な連中のスライスは、やり尽くした感があります。ゆえに今後「それ以前にも読んだ」と思われる内容の記事が出てくることは、十分に予測されます。その場合は、「それは何度も繰り返し復習しておくべき事柄である」と私が思っていることだとご理解いただいて改めてお読みいただくか、あるいは「もう金太郎飴は飽きた」とお考えになって読み飛ばすかのどちらかをお願いしたいと思います。
ともあれ、皆様の暖かい応援を賜り、今年もなんとか終えることが出来ました。皆様の変わらぬご支援は、本当に嬉しくありがたく思っております。どうぞ来年も引き続きお引き立て賜りますよう、改めてよろしくお願いいたします。
それでは皆様、良いお年をお迎えください。
逆鱗にじゃれつく韓国人
色々書きたいことはないこともないんです。
例えば、明後日30日をもって、韓国が法制度として死刑制度があるにも関わらず、10年間死刑を執行しなかったので、事実上の死刑廃止国となるというニュースを、以前チャットで教えてもらいました。このニュースは11月18日付け朝鮮日報で報道されていたのですが、その後、経過も続報も聞きません。韓国での恩赦のニュースは最近ちらほら散見しますが、それとは別に、一両日中に誰か吊るすつもりなのでしょうか。確か韓国の死刑囚には、20人を殺した連続殺人鬼とか、軍隊でいじめられて火病り、銃を乱射して8人を殺した兵士とかがいたと思うんですが、12月30日を過ぎたら、もう吊るせませんよ?
他にも韓国競馬のストのニュースがありまして、もともと馬好きな上に最近ヤフーの競馬ゲームで遊んでいる私としては、是が非でも食いつきたいネタだったのですが、結局これもまとまらず。文章の神様はどうやら年末休みに入った模様です。ブログ月見櫓に正月休みは予定していないのですが…。文章の神様、弊ブログをご覧でしたら速やかにお帰りください<(_"_)>
と言うか、最近は日韓チャットに行っても、本当に韓国人を相手にしておりません。韓国人うっちゃらかして日本人同士でヤフーの麻雀したりして、韓国人観察すらろくにしてません。それどころか、見ればイライラするのがわかっているので、出来るだけ見ないようにさえしておりますw
そんな中でも、韓国人はきっちり私の逆鱗を探り当ててきます。
日 Fahyah(J) 様が入場しました。
BART:(K): オ
ava(J): こんばんは
BART(K): ようこそです
yujin(K): いらっしゃいませ~
fetia(J): (=ΦェΦ)ノ こんばわー
Fahyah(J): ( ━@π@) アロハ
BART(K): キタキタ
piko(J): まいど!
Fahyah(J): ( ━@π@) あの毛布買った
BART(K): 急に雰囲気が生き返える...
fetia(J): おおw
fetia(J): 猫入れてみた?w (筆者註:寝ている人の身体にフィットするよう設計されている毛布なのですが、もし猫と一緒に寝たらどのようになるのだろう?と前日のチャットで話題になっていたので、こう聞いています)
Fahyah(J): 猫はまだ@_@
fetia(J): 猫入れたレポヨロw
BART(K): 朝鮮では猫は有害な動物に認識されられます
BART(K): それでたまに猫を虐待する姿を見られます
loaded(J): 虐待するな
BART(K): 日本では猫は良い動物だと言います?
fetia(J): それは、猫が好きな私に対する嫌がらせの言葉か? (筆者註:猫だけじゃなくて犬も馬も好きですがw)
BART(K): いいえそのような事が
fetia(J): きわめて不愉快な気分になったが。 (筆者註:普段であれば、物も言わずに蹴り飛ばしておりますが、この時は比較的機嫌が良かったので、もし「私の言動で不愉快になったのなら申し訳ありません」という一言があれば、今回は大目に見ようと思って水を向けてみました)
BART(K): 朝鮮の現実に対する話
loaded(J): 猫なんてたいしたいたずらしないんだから、虐待するな
fetia(J): ああ、つまり、日本人と朝鮮人は相容れないということを言いたかったのだな。
fetia(J): よくわかった。 (筆者註:韓国人なんかに期待した私が馬鹿だったということがよくわかってしまったorz)
BART(K): 私は虐待しないです ^ ^
Fahyah(J): ( ━@π@) http://www.nishikawa-living.co.jp/
Fahyah(J): ( ━@π@) 誇らしい日本製 (筆者註:韓国人をクールにスルー。素晴らしい)
韓 BART(K) 様が部屋から退場しました。. (筆者註:以後、この韓国人の退場は全て部屋長による強制退場です)
fetia(J) : 不愉快だので廃棄。
Fahyah(J): ( ━@π@) 出来る限り 日本製を選ぶ
fetia(J) : 賢明。
韓 BART(K) 様が入場しました。
BART(K): 強制追放だなんて
韓 BART(K) 様が部屋から退場しました。.
韓 BART(K) 様が入場しました。
BART(K): 理由を
BART(K): 分かりたいです
Fahyah(J): ( ━@π@) 寝具は日本製の方向へ (筆者註:このような徹底したスルーが理想的ですw)
BART(K): 簡単に
fetia(J): 不愉快だから。
fetia(J): 以上
BART(K): そんなつもりではなかったです (筆者註:今頃言ってももう遅い)
韓 BART(K) 様が部屋から退場しました。.
韓 BART(K) 様が入場しました。
BART(K): あまりさびしくないですかこれは
韓 BART(K) 様が部屋から退場しました。.
韓 BART(K) 様が入場しました。
BART(K): 何が不快なのか
韓 BART(K) 様が部屋から退場しました。.
韓 BART(K) 様が入場しました。
BART(K): お知らせ下さい
fetia(J): 理由は言った。
BART(K): 私はそんなつもりではなく
BART(K): 韓国では
BART(K): そうだということです
韓 BART(K) 様が部屋から退場しました。.
参加人数 : 6 名(パスワード) ルーム長 : fetia様に変更されました。
yujin(K): 猫よほど好きなのにw
fetia(J): 人が楽しい話をしていると、水をさすようなことを言うのは、韓国では普通?(筆者註:八つ当たりすんなって)
ログ採取日 2007年12月27日午前2時頃
Merry Choristmas
当時はまだ韓国のことをほとんど知らず、「韓国は漢字文化圏」「漢字文化圏は中国文化圏」「中国文化圏は仏教国」という連想があったのと、韓国人にキリスト教は似合わないと感じたからです。韓国人の何をもって「キリスト教は似合わない」と思ったのかは、自分でもよくわかりません。ただ漠然とそう感じたのです。
私が小学校1年生ぐらいの頃、隣家のおばあちゃんからマリア様や天使の絵が描かれたきれいなカラーのカードを貰い、それに釣られて日曜学校に行くようになりました。
その日曜学校のクリスマスパーティで劇をすることになり、私は、生後間もない救世主の誕生を祝う東方の三博士に道を教えた羊飼いの役をやったような記憶があります。台詞も、一言ぐらいはあったような気がするのですが、はっきりとは覚えていません。
そんなこんなで新約聖書や旧約聖書は一通り読んだことがあるのですが、どうも私にはキリストの教えというのがしっくり来ず、小学校4年生頃には、日曜学校に行かなくなってしまいました。
小生意気なガキだった私は、聖書に「偶像を崇めてはいけない」と書いてあるのに、教会では誰もが十字架に架かったキリストの像を掲げて祈ってるし、「神を試してはいけない」って言うけど神様は散々残酷な方法で人間を試すし、だいたい「神はすべての罪を赦す」とか書いてあるけど、そもそも人間を罪に堕さしめるのが神様じゃんかーなどと思ったものです。
そう思う日本人が多いからかどうかは知りませんが、日本のキリスト教徒は昔から概ね人口の1%弱で推移し、どんなに熱心に宣教活動を行なっても増えないそうです。
通常、キリスト教の宣教とは、非キリスト教国(たいてい西洋から見て未開国とされる国)への進出の先鞭として行なわれることが多いようです。日本への宣教師の渡来も例外ではなかったと思います。当時の日本の為政者がそれを警戒して、キリスト教の禁止や弾圧を幾度も行なったことは日本史で必ず教わりますし「隠れ切支丹」や「踏み絵」「転ぶ」などという言葉が生まれたことからも、容易に伺われます。
その点、朝鮮は実に奇妙です。朝鮮におけるキリスト教の広がりは、キリスト教国からの宣教師が必死で布教に努めた結果ではない、というのが、他のキリスト教化を受けた国々とは全く異なります。彼らはキリスト教を自ら受け入れ、自ら広めたそうです。
もちろん、朝鮮においてもキリスト教に対する弾圧はあったようですが、結果的に韓国のキリスト教徒は総人口の29.2%(2005年現在)を占め、アジア第二のキリスト教国となっているそうです。
別に彼らが何を信じようとどうでも良いのですが、ただ、彼らの信じるキリスト教というのが、本当にキリスト教に属するものかどうかについて、私は強く疑問を感じています。
どのように疑問を感じたかについては、つかこうへい著「娘に語る祖国
キリスト教の教会に行ったときもそうでした。 パパは、菅野君からおまえに洗礼を受けさせるのがいいと提案されたことが気になっていたので、稽古の休みの日に教会に行ってみましたが、腰を抜かしてしまいました。キリスト教の教会といえば、日本ではどうしても荘厳でもの静かなところを想像しますが、ドアを開けた途端、中からロックのコンサートのような音が聞こえてくるのです。 覗いてみると、赤ら顔の神父さんがマイク片手に身体を揺らせながら、 「お金が欲しい、ハレルヤ!」 「病気が治れ、ハレルヤ!」 と歌い、それに応えるようにして信者さんたちが、 「社長になりたい、ハレルヤ!ハレルヤ!ハレルヤ!」 とステップを踏みながら大合唱しています。 「なんだ、こりゃ」 日本の神父さんというのは、もの静かに説教をするというイメージがありましたから、目を見はってしまいました。 「おい、こりゃどっかの新興宗教じゃないか?」 「いや、入り口でキリスト教って確認しましたよ」 「だって、おかしいじゃないか」 「そっ、そうですね」 「しかし、要求がやたら現実的だな」 「はい」 「しかし、金が欲しいハレルヤはないだろう」 そのまま外に出て、二人は小一時間カルチャーショックで口もきけませんでした。 つかこうへい著「娘に語る祖国 (カッパ・ホームス) |
私も日曜学校に行っておりましたので、牧師様のお説教を見たり聴いたりしたことがありますが、こんな珍妙な光景は見たことがありません。海外の教会で、神父様や牧師様がお説教をしているのを見たこともありますが、もちろん荘厳でもの静かです。
以前、動画で韓国人牧師のお説教を見たことがありますが、つか氏が感じたのと同様、どう見てもキリスト教のお説教には見えませんでした。やはり「カルト?」という印象を強く抱きました。
そう言えば朝鮮人が教祖の「統一協会」こと「世界基督教統一神霊協会」も、名称中に「基督」の文字が入っておりますが、到底キリスト教とは相容れないカルトであることは、皆様も既にご承知の通りです。
彼らは儒教や仏教、イデオロギーなどと同様に、キリスト教をも朝鮮化してしまったのではないかと感じます。朝鮮化されてしまったものは、本来のものとは似て非なるものになってしまいます。って言うか、彼らそのものが人間に似て非うわなにをするあqwせdrftgyふじこlp;@
失礼しました。
とにかく、日本のクリスマスをキリスト教の宗教儀式であると言うのと同じ程度に、朝鮮化された韓国のキリスト教をキリスト教と言うのは、なんだか強い違和感を感じるなあと思った今年のクリスマスでした。
やはり野に置け
取り合えず、朝鮮の数少ない伝統のひとつ、新政権による前政権糾弾儀式は見ものでしょう。盧武鉉の逮捕は当然として、彼の量刑がどの程度になるかが、私の興味の対象です。
さて、日韓チャットでは、時々日本人と話が合う韓国人を発見することがあります。また、最初は普通の韓国人でも、日本人と話をしていくうちに学習して、日本人の考えに強く同調する韓国人になることがあります。
彼らは、韓国の問題点について、日本人と意見が合い、日本人に共感します。日本人側にもそういう韓国人の人材を発掘・育成しようとする人がいますし、そういう韓国人には誰もが比較的優しく接しています。こちらの言うことを素直に聞き、ひたすら懐いてくる韓国人に対して邪険にすることが出来ないのは、私にしても例外ではありません。しかし最近、それで良いのだろうかと自問自答することがあります。
日本人と対話を交わすことが出来、日本人の言うことが理解出来る韓国人は、日本人が言う韓国の問題点を理解し、韓国の現状に悲憤慷慨します。そういう韓国人の思考パターンは、完全に日本人寄りになってしまっています。そんな韓国人との会話は、普通の韓国人と比べると意思の疎通が容易ですし、会話も弾みます。ですので日本人としては、ついつい短絡的に「こんな韓国人が、もっと増えれば良いのに」と思ってしまいます。
では、そういう韓国人が増えることは、本当に良いことなのでしょうか。
どれほど自意識や価値観が日本人のものになったとしても、韓国人は韓国人でしかありません。しかし自意識や価値観が日本人のものになってしまった韓国人は、韓国に住むことが苦しくなってくるでしょう。
かと言って、そういう韓国人は、日本人になれるわけではありません。単に「日本人の価値観を身に着けた韓国人」になるだけです。たとえ日本に移り住み、日本の国籍を得たとしても、その身体が韓国人であることは生涯変わらないのです。
日本に住み、二代、三代を経た在日韓国人の中にも、いまだに日本人とは異質の性質を維持し続ける人々がいるぐらいです。生まれも育ちも韓国の生粋の韓国人に、日本の価値観を植えつけたとしても、完全に日本人と同化することは決して出来ないでしょうし、それが彼らにとって望ましいとも思えません。
在日韓国人がしばしば「日本と韓国の架け橋に」などと口走っていますが、実際には「日本にも馴染めず、韓国からも疎外されている」だけの在日韓国人が少なくありません。生粋の韓国人であればなおさらです。日本人的自意識や価値観を身に着けても、日本人には決してなれず、かと言って何も知らずに日本を罵り蔑んで精神のバランスを取っていた韓国人にも戻れない、どこにも立つ瀬を失った韓国人にしてしまうだけではないでしょうか。
かつて彼らに、日本人の価値観や自意識を与え、以って彼らの国を改善しようとしたのが、私たちの先人の行なった日韓併合ではないかと思います。
足掛け36年という歳月、膨大な予算、多数の有為の人材を投入してついに為し得なかったことを、今我々がネットでちょちょいとやって出来ると思うなんてのはあまりにも思い上がりが過ぎるのではないかという自省と、たとえそうすることが彼らの生活改善や国際地位の向上につながるとしても、彼ら自身が日本人的価値観や自意識を植え付けられることを喜ばないということは、既に証明されているということを、私たちは今一度確認するべきかもしれません。
既に日本人的価値観に染まってしまった韓国人については、今更しかたないとしても、いまだ倭色に染まっていない韓国人については、今までどおりの韓国人的価値観を維持させ、国際社会からは信用を得られず、のみならず軽蔑されても、半島の中で同胞同士相食み欺き疑い謗り謀り傷つけ合い殺し合い奪い合いながら暮らし続けるのが、彼らにとっての本当の幸せではないかと思います。
たとえそれがどんなに私たちから見て、凄惨で苛酷で不潔で不幸に見えても、彼ら自身が良いと考えているものを、私たちが奪う権利など無いのです。
韓国人にやってはいけないこと
ところでこの李明博候補ですが、北朝鮮が核を放棄すれば、国民一人あたりの年間所得を3000ドルまで向上させると公約。その財源については、「国際機構と日本が協力して400億ドルを出す」と明言したと伝えられます。
ネットで見る限り、日本人の反応は「ふざけんな」「あり得ない」「どんだけ乞食やねん」と言ったところです。もちろん日韓チャットの日本人も概ね同様の意見ですが、日韓チャットの韓国人の反応はと言えば「南北分断の責任は日本にあるのだから、李明博候補の発言は当然だ」というものでした。
しかし、もし日本の政治家がこのようなことを言えば、私ならその政治家は、金を出す国の政治家と水面下で繋がっているのではないかと勘繰ります。韓国人的には「日本に南北分断の責任を問い、資金を出させる」というイメージでホルホルしているようなのですが、日本人から見ると地方自治体が国から金を引き出すような印象があります。
ましてや李明博候補は日本生まれです。私が対立候補であれば、「李明博は生まれ故郷の日本におもねって金を恵んでもらうつもりなのか!それとも韓国を日本の一地方都市と考えているのか!」と言って絶好の攻撃材料にすると思うのですが、韓国からそんな消息は全く聞こえてきません。今日も連中の幸せ回路は正常運転のようです。
なお、私は個人的にIQ430こと許京寧候補を熱烈推薦しております。候補者のリストを見る限り、日本人的にマトモと思える候補者はおりません。それならば笑えそうな分、IQ430こと許京寧候補がお得じゃないかなと言うことでw
さて、日韓チャットで韓国人と接して毎日のように思うことに「彼らにものを教えてはいけない」ということがあります。
韓国人は、入室するなり「質問しても良いですか」と言うことがあります。それはジャニーズのコンサートチケットの入手方法だったり、日本のお勧め観光地だったり、学校の宿題だったり、日本への不正送金の方法だったりしますが、いずれにしても私たちはすべてに答えるべきではないと思います。
何をケチ臭い、わかることなら教えてやれば良いじゃないか、というご意見もおありかと存じます。しかしこれは、ケチで教えるなと言ってるのではありません。
私は、誰かに質問されて、知ってることであれば答えたり、知らないことであれば一緒に調べたりするのは好きです。そうして得た知識を、他人と共有することもやぶさかではありません。そうでなければ、こんなブログを続けておりません。
しかし、こと韓国人に関しては話が別です。なぜなら、彼らとは知識の共有が出来ないからです。それだけではなく、彼らは私たちが与えた知識を使って、私たちを攻撃するからです。
つまり彼らにものを教えるということは、戦闘中の敵兵に、こちらの装備の詳細を明らかにした上で、更に相手に弾薬や燃料を供給するに等しい行為だからです。
例えば彼らがよく聞いてくる「住所」「年齢」「性別」のような他愛無いことでさえ同様です。彼らの「どこに住みますか?」という質問に素直に答えても、その答えが彼らの期待する地名でなければ、彼らはそれに対して全く関心を持ちません。
年齢や性別にしても同じです。「何歳ですか?」「男ですか?女ですか?」と聞いて、その答えが期待したとおりの年代や性別でなければ、彼らはぷいっと出て行ってしまいます。
それだけならまだ良いのですが、何か彼らの気に入らないことがあれば、今度はその情報を元に彼らは罵詈雑言の限りを尽くします。更に彼らはそれを可能な限り捻じ曲げ、膨らまし、尾ひれに枝葉も付けて辺り構わず吹聴します。
教える内容によっては、知らぬ間に彼らの日本に対する犯罪を幇助してしまう可能性もありますし、それが優れた意見や貴重な知識であれば、彼らはそれを自分のものにしてしまいます。「自分のものにする」と言っても、「自家薬籠中のものにする」というわけではありません。そうやって得た意見や知識を、彼らはそのまま全く別の場所で、まるで自分が調べ考えたもののように公表するのです。
それぐらい別に良いじゃないかという心の広い方もいらっしゃるかもしれません。たとえ相手がそれをネタにこちらを攻撃したって、一発二発の被弾なら耐えてみせるという重装甲戦車な方ならば、それでも良いと思うでしょう。
しかし、私は自分を他人の外部記憶や検索エンジン代わりに使わせた挙句、その知識でもって自分自身が攻撃されることを厭わぬほど広い心の持ち主ではありませんし、装甲も決して厚くありません。
またそうさせることが、韓国人にとって良いことだとも思いません。そうやって得た知識を元に、私たちを攻撃することで、彼ら的には一時の快感を得ることが出来るかもしれませんが、やがてそれに倍する反撃を食らって、大破炎上する羽目になる可能性が高いからです。
彼らにものを教えるということは、教える労力に加えて、それを元に攻撃された場合に防衛する労力と反撃する労力が必要になる場合があります。そうなれば、折角労力を費やして教えた相手を、更に労力を費やして撃滅するという、双方絵に描いたような骨折り損のくたびれ儲けにしかなりません。
ですから、彼らと接する日本人は、「韓国人には、何も教えてはいけない」を自分自身に徹底するべきだと思います。もしどうしても彼らに何かを教えたいのであれば、何よりもまず「身の程」というものを、徹底的に彼らに叩き込んでからにするべきでしょう。
知識は利器にも武器にもなる刃物と同じです。それを持たせて良い相手と、持たせるべきではない相手を見極める責任が、持たせる者にはあると思います。
神をも畏れぬ韓国人
本来そこのブログのコメント欄でなされるべきコメントを、何故弊ブログでされるのか、どう考えても理解に苦しみます。もし当該ブログのコメント欄でコメントすることに何か差し支えがあるのでしたら、ご自分でブログを立ち上げて、そこで思う存分ご自身の主張を語れば良いと思うのですが、如何でしょうか?>反在日さん
ところで、自分が非難したい対象について、その対象の言動を無理やり悪意に悪意に捻じ曲げて解釈し、関係の無いところでその解釈を膨らませて吹聴するという行為は、韓国人の得意とするところでありまして、日韓チャットでもしょっちゅう見ることが出来ます。
私の部屋で暴れてぶん殴られて蹴り飛ばされ、その憤懣をそのままよその部屋でぶちまけていることが多いようですが、逆に私の部屋にそういう憤懣をぶちまけに来られることもあります。
ぶちまける方にはそれなりの理由があるのでしょうが、ぶちまけられる方にしてみればたまったものではありません。入ってくるなり、ナントカというチョッパリがウリにこんなことを言った、あんなことをした、だいたいお前ら不道徳なチョッパリは、などとまくし立てます。
呆気に取られた私たちが気を取り直して、「そういうことは本人に直接言え」「私たちには関係ない」と言っても、相手はまったく聞きません。逆に「何故ウリに同意しないニカ、同情しないニカ、そうか、お前らもあのチョッパリの仲間か!」と一層ヒートアップします。しかたないので蹴り飛ばすと、今度はそれを恨んで私たちに粘着するようになります。
こういうのは、韓国人だけのスタイルかと思ったら、日本人でもそういう見苦しい真似をされる方がなんと我が月見櫓にいらっしゃったとはと言うことで、サンプルとして置いております。皆様、これが「韓国面に落ちた」という実にわかりやすい見本になるかと存じます。どうぞ踊り子さんにはお手をお触れにならないようにご覧ください。
さて、先日某うどん県でうどんを堪能した際に、腹ごなしも兼ねて786段の階段で有名な神社に参りしてきました。実は父方の曽祖父が船大工をしておりましたので、その神社とは一応ないこともないという程度の御縁があります。
786段ぐらいへいちゃらさーと笑う膝を押さえながらのぼり、一通り参拝し終えたら、韓国ウォッチャーとしてはやはり「あれ」を探すでしょう。ええ、ハングル絵馬やハングル落書きです。
まずはお守りやおみくじを売る社務所売店(っていうのかな?)にあった「思い出ノート」みたいなものを繰ってみました。台湾人の実に見事な手蹟に感心したり、日本人の書き込みにバカなのが少なくないのを恥じたり、それはそれで結構面白かったのですがそのノートにはハングルの書き込みはありませんでした。
ついで絵馬を見ました。絵馬に関しては、日本人の馬鹿な絵馬を発見して、晒すぞこのバカども(某水産学校生徒達の連名絵馬でした)と怒ったりしていたのですが、韓国人が書いた絵馬はどれも常識的な願い事ばかり(家族の健康と幸福を願いますとか、オッパの永遠の愛を祈りますと言った内容)でした。
他人の絵馬に便乗したものも見つからず、良かった良かったと思っていたら絵馬を奉納する柱に、「ドクトヌン ハングクタン(独島は 韓国の地)」「イルボニン ウリケ(日本人 私の犬)」という落書きが見つかりました。ある意味、「期待を裏切らない韓国人」と言うべきでしょうか。
日本各地にあるそこそこ有名な寺社仏閣には、必ずと言って良いほど韓国人によるこの手の絵馬や落書きがあります。旅行の興奮に浮かれた勢いで落書きするだけなら、事の善悪はさておき、気分はわからないでもありません(そういうことをする日本人も少なくないみたいなので、韓国人を以って他山の石とするべきかと思います)。
しかし何故連中はそこで「ドクトウリタン」を始めとする、日本に対する非難や誹謗を書くのでしょうか。それも、日本人には読めないハングルで。
日本人に韓国人の主張を伝えたいと思っているなら、ハングルではなく日本語か英語で書くでしょう。実際日本語や英語で書かれている例もたまにあります。しかしそれは例外と言って良いほどの少数派で、絶対的圧倒多数の落書きは、ハングルで書かれています。韓国人は、日本人の大多数はハングルが読めないことをよく知っているはずなのに。
私は韓国人のその行為を「鎖の届く範囲のギリギリ外まで近寄って猛犬をからかうバカ子供」にたとえております。バカ子供的には、そうやって自分の勇気ある行動を周囲に誇示しているつもりなのでしょう。
ところで、日本の神様とは古来「祟るもの」として祀られております。神社では、神様に対する崇拝と同時に鎮魂も行われているわけです。日本の神様とはそういうものと知らずに、調子に乗ってふざけたハングル絵馬を奉納したりハングル落書きをしている韓国人には、いつかきっと神の祟りがあるのではないかなあと思った786段の下りでした。
「ねじれ」た韓国人
Enjoy Koreaことエンコリと日韓チャットに二股掛けている黒猫氏が幹事のため、参加者のメインはエンコリの皆様。日韓チャットの常連倭人も皆それなりに濃いのですが、エンコリの皆様は更に濃厚でした。あ、ちなみに私、エンコリは完全にROMです。IDすら取得しておりません。ですのでエンコリでいくら私を探しても見つかりません、念の為。
とにかく色々なご意見を伺えて大変参考になりましたし、何よりうどんを堪能させていただきました。この場を借りて参加者の皆様と、幹事の黒猫氏には厚く御礼申し上げます<(_"_)> また機会があれば、谷川米穀店に再チャレンジしたいかなと思いますw
さて、楽しかったオフ会を反芻しながら、韓国のことなんかきれいさっぱり忘れて呑気に楽しみ続けていたい自分に鞭打って、今日も今日とて韓国と韓国人の考察です。
韓国人を表現する時に、私が好んで用いる語に「ねじれ」という言葉があります。彼らについて考えると、何につけ「ねじれ」ているなあと思わされます。我々日本人から見て彼らが一番「ねじれ」てるなあと思うのは、我々日本人に対する彼らの感情と態度でしょう。
以前から何度も申し上げておりますが、彼らは日本が好きです。日本に憧れ、何でも日本の真似をします。日韓チャットでも、日本人が使うAAや略語を好んで真似る韓国人は、枚挙に暇がありません。誰も頼んでいないのに、下手な日本語を使いたがる韓国人も、馬に食わせるほどおります。しかし、同時に彼らは、日本を強く憎み、蔑み、否定しようともします。
矛盾するこの感情を、彼らはさまざまな理由をつけてなんとか正当化しようとします。しかし、それらは所詮嘘です。神ならぬ身でつく嘘は、必ず破れ綻びます。その破れや綻びを繕うために、彼らはまた嘘を上塗りします。嘘に嘘を重ねて危うく成り立っているのが、彼ら朝鮮人であり、彼らの国韓国であり、北朝鮮です。
以前もちょっと触れたことがあると思いますが、彼らには「目指すべき韓国人像」がありません。なれるかなれないかは別にして、日本人なら誰でも「目指すべき日本人像」は、具体的に表現出来ずとも漠然とでも、必ずイメージすることが出来ます。これは弊ブログでしばしば「美しい日本人」という表現を用いても、日本人ならば誰もこれを「外見の美しい日本人」などと勘違いしないことからも、ご理解いただけると思います。
ところが、韓国人にはそれがありません。いや、正しくは「理想とするのが韓国人ではない」と言うべきでしょうか。
彼らは「誇らしい韓国人」という言葉を盛んに口にします。その「誇らしい韓国人」が彼らの理想とする韓国人像ではないかと思います。では、彼らの考える「誇らしい韓国人」とは具体的に、あるいはイメージ的に、どのような人を指すのかと思って日韓チャットの韓国人に聞いてみましたが、いくら聞いても誰に聞いても、グダグダとわけのわからない御託を並べるばかりで、一向に埒が開きません。しかたないので自分で検索しました。
検索結果を見る限りでは、「誇らしい韓国人」とは、既に成功を収めた人や権威ある賞を得た人などを言うようです。つまり彼らは「大きな富や利益を得たり、他人や権威から一定以上の評価を得たこと」が「誇らしいこと」であると考えているのではないかと思います。
そう考えると、彼らの日本に対する「ねじれ」も何となく見えてきます。現在世界第2位の経済大国であり、海外においても高く評価される豊富な文化を持ち、少なくとも韓国人よりは国際的に好感度の高い日本人は、彼らから見て「誇らしい」対象そのものです。
具現化された理想に対する単純な羨望と憧憬に、本来ならば自分たち韓国人が今の日本人の立場であるべきなのにという根拠無き被害者意識や憎悪、自分たちが渇望している理想を日本人があっさり実現してしまっていることに対する嫉妬などが「ねじれ」て、韓国人をして「アイムザパニジュ」と口走らせたり、日本の有名人をことごとく在日認定したりするのではないでしょうか。
韓国人は洋服を着て、携帯電話を持ち、PCを用いてインターネットに接続し、自動車に乗るだけではなく生産販売もし、飛行機に乗って海外旅行に出掛けるようになって、いまや見た目だけはいっぱしの文明人になったように見えますし、本人たちもそのつもりでいるようです。その上アイムザパニジュと言えば、彼ら的にはパペクトなのでしょう。
しかし、他人の着ている服を剥ぎ取って着れば、その服を着ていた人になれるわけではないということを、韓国人は理解出来ていません。それこそ、彼らが「誇らしい韓国人」どころか、いまだに文明人と呼び得るレベルにさえ到達していない証左であるなあと痛感する次第であります。
生ザパニーズに遭遇したら
ご質問者の方は海外在住で、韓国人経営の和食レストランに時々行かれるとの由。まず最初に気にされているのは、衛生面での問題でした。ご質問内容を一部引用させていただきます。
【韓国人の衛生観念は、(日本人に比べ)ひどいようです。和食は、調理時に素材を素手で扱うケースが多いと感じていますが、火が通っていない品は、手をつけない方がBETTERでしょうか? 】 |
率直に申し上げて、韓国人の衛生観念は日本人と比べると非常にゆるゆるです。一般的に、トイレの後に手を洗わないという韓国人は、男女問わず普通だと仄聞します。また日本のことにかなり詳しい韓国人であっても、日本人と一緒に鍋を食べると、鍋に直接スプーンを突っ込んで、じかにスープを飲むくらいのことは、ものすごく普通です。
ですので「韓国人が作った火が通ってない料理は、手をつけない方がBETTERか?」と聞かれれば、その通りと申し上げるしかありません。
ただし、調理者の不衛生によって即食中毒等の被害にまで発展するかどうかについては、生だから危ないとか、火が通ってるから安全などと一概に言えるものではありません。一旦火を通したものであっても、冷めるまでに時間がかかり、菌の繁殖適温帯に長く曝されると、生より危険な場合があります。また、腐敗等で発生した毒素の種類によっては、加熱で消滅しないものもあります。実際、加熱した作り置きの料理であたる例が珍しくないということを、あらかじめご理解ください。
要するに料理に火が通っているかいないかは、必ずしも安全か否かの判断基準にはならないということです。こういうものは、調理者が誰だろうがどこの国の人だろうが、全幅の信頼を置いた上で食べるか、あるいはあくまで自己責任としてチャレンジするかのどちらかしか仕方ないと思います。
ちなみに、私は8年ほど前に釜山のチャガルチという海産市場で、ふぐをさばいてもらって刺身で食いましたw 皆から「勇者だ」と
さて、次の質問ですが、実はこちらの方が、私としては個人的に強く興味をひかれました。ご質問を一部引用します。
【そのレストラン経営者、表向き日本人には友好的です。気に食わないのは、韓国人客。椅子に胡坐をかいての犬食い、それは彼らの習慣だから非難しませんが、"I AM A ZAPANESE"と公言している様を見てしまうことです。たまにしか行かない自分が、しばしば見かけるということは、相当数の韓国人が、言っているんではないかと推測しているのですが、無視すべきでしょうか? 】 |
もし私がご質問者の立場であれば、という仮定でお話させていただきます。私なら、まずその店から出入り禁止を食らっても良いかどうかで判断します。あるいはその店のオーナーが、多少のやんちゃなら大目に見てくれるかどうかを斟酌します。
出入り禁止を食らいたくない、あるいは店のオーナーが私のやんちゃを大目に見てくれそうにもないということであれば、私でしたら、その店の韓国人客は無視します。あまりに目に余るとか不快であれば、店のオーナーにその旨を告げ、善処を期待する程度に留めます。
もし出禁上等だったり、店のオーナーが私のやんちゃを大目に見てくれそうだったり、店のオーナーに善処を求めたのに何の対応もしてくれなかったら、私ならビール瓶持ってそいつらのテーブルに行きますね。
「日本の方ですか?私も日本人なんですよ!どちらからお越しです?こんなところで知り合うのも何かのご縁ですから、まあ一杯どうぞ」と日本語でまくし立てながら、愛想笑いを全開にしてw
日韓チャットでは、ザパは化けの皮を剥がされると、何故か慌てふためいて(あるいは捨て台詞を吐いて)逃げて行きます。しかし、幸か不幸か私はリアルでザパと遭遇した経験がありません。実際のザパの化けの皮をひん剥いたらどんな反応を示すのか、試してみたいという好奇心が、多分一番強く働くと思いますw
その店で、日本人を装う韓国人客に遭遇するたびにこれをやれば、その店に来る韓国人客が激減する可能性があります。逆に「あの店に行けば本物日本人に会えるニダ!」と人気が出てしまう可能性もありますがw
前者の結果になってしまうと、やはり出禁を食らう可能性がありますので、安易にお勧めはいたしかねます。が、まあ一度ぐらいなら誤射ですw 好奇心を満たす価値はあるかもしれませんw
という訳で、もしよろしければ一度お試しになって、どんな結果が出たか是非ご報告くださいませw
朝鮮的紳士
確かに、韓国語で「紳士」は「神社」と同音で、どちらも「シンサ」と発音しますので、単語だけでは翻訳が働かないかもしれません。機械翻訳では混同を避けるためか、「紳士」を「ジェントルマン」と翻訳することが多いようです。また、機械翻訳は文脈から判断して翻訳するのですが、当然判断しきれない場合も多く、「神社参拝」を「ジェントルマン参拝」と翻訳してしまい、日本人を困惑させることもしばしばですw
さて、韓国語にいわゆる「紳士」に相当する言葉がないかどうかですが、個人的には「両班(ヤンバン)」あるいは「ソンビ」が該当するのではないかと思います。
「両班」とは、既にご存知の方も多いと思いますが、高麗・李氏朝鮮時代の官僚のことです。漢字に「両」が使われている通り、文武の二班にわかれておりますが、一般に「両班」と言えば文班(文官)を意味するようです。また「ソンビ」は日本語に無理やり訳せば「学者」がやや近いでしょうか。
本来「両班」と言えば、科挙に合格した官僚を指すのですが、時代が下るにつれ、その範囲は拡大増殖します。現在の韓国においては、既にその存在が消滅しているにも関わらず、両班の家系を自称しない人はいないに等しいほどです。
「ソンビ」は両班とは少々異なり、たとえ官位を得ずとも高い教養と理念を持ち、たとえ清貧に甘んじようとも節を曲げない崇高な精神の持ち主とされています。もっとも、「教養」にせよ「理念」にせよ「崇高な精神」にせよ、全て「朝鮮的」の但し書きが付くのですが。
朝鮮において、高い教養を持ち、実務的あるいは精神的支配階級に属する彼らは、一見いわゆる「紳士」に相当するように思えますし、また、韓国(朝鮮)ではこれら以外に「紳士」に相当する語や概念はないと思います。
ところで、「紳士協定」に用いられるような日本や欧米で言われる「紳士」の概念を一言で説明するとすれば(一言で説明するのは大変難しいのですが)、これは札幌農学校(後の北海道大学)の教頭であったクラーク博士の言葉が最も理解しやすいと思います。
クラーク博士は、札幌農学校の校則を定める際、四の五の細かいことは抜きにしてただ一言「Be gentleman」で良いと言ったそうです。つまり細々と設けられた規則に盲目的に従い、それに縛られるのではなく、自ら考え定め行動し、自らを律するのが紳士であると言うことでしょうか。
では、朝鮮的「紳士」に相当すると思われる「両班」や「ソンビ」はどうだったでしょうか。彼らは与えられた規則(儒教)に自らを完璧に合わせることでしか「両班」や「ソンビ」たり得ることは出来ませんでした。また彼らの行動規範に「利他」はありません。彼らが天下国家を論ずることはありましたが、それを実行するのは「両班」や「ソンビ」の役割ではありませんでした。当然、彼らの思考に「ノブレス・オブリージュ」などは存在しません。
彼らにとって「義務」や「奉仕」とは支配される者に課せられる苦役です。実際の支配者層である両班や、精神的支配者層であるソンビにとってそれらは、他人に担わせるものであって、自ら担うものではないのです。
韓国人にとっての「紳士」が「両班またはソンビ」であるとすれば、知略を尽くして相手を謀り、陥れて自らの利益にすることは彼ら的「紳士」には何ら背くことはありません。彼ら的紳士とは、それが認められ許されている特権階級だからです。当然、彼らから見た我々が、彼ら的「紳士」であるはずもありません。彼らから見れば、我々は一方的に「義務」や「奉仕」を担わされるべき存在なのです。
そう考えれば、今回の彼らの「紳士協定」破約は、彼らにとっては何らの疑問も矛盾も、ましてや非難される理由も無かったのではないかと思います。
今回の件については、後に非難されて慌てて取り繕ったりしていますが、あれはあくまで外面のお話です。彼らの中では、「両班たるウリが、賎民に対して当然の権利を行使して何が悪いのか」と今でも思っているであろうことは、間違いないと私は思います。
紳士協定は紳士と結ぶべきです。
まあ、例によって私はメジャースポーツにあまり興味が無いもので、詳しいことはあまりよくわかっていなかったのですが、とりあえず思ったことが「韓国なんかと紳士協定を結ぼうと思った奴が馬鹿」でした。
日韓チャットで思ったとおりのことを言うと、「いや、あれは参加している4カ国で締結したものだから」と言われたので、「紳士協定を結ぶ相手の中に、韓国を入れようと思った奴が馬鹿」に訂正しておきました。
Wikipediaで「紳士協定」を検索すると、次のように書かれております。
【紳士協定(しんしきょうてい)は、国家や個人間における取り決めのうち、公式の手続きによらず、互いに相手が履行することを信用して結ぶものをいう。紳士協約ともいう】
弊ブログをご覧の皆様であれば、韓国人に約束の概念がないことは既に十分ご存知でしょう。たとえ公式かつ正式に書面で手続きを取っていようとも、韓国人という生き物は躊躇なく平然と契約や約束を反故にします。
そんな彼らが、公式の手続きを取らない取り決めを守る日が、弥勒の現世降臨の日より先に来ることは絶対にあり得ません。ましてや今回のように明確な利害が絡んだ場合、日本人と紳士協定を結んで「チョッパリ相手に協定など守る必要はないニダ♪」と思わない韓国人がもしいるとしたら、そういう韓国人は今すぐレッドデータブックに記載するべきだと思います。
今回の件について、韓国側は「(国際野球連盟=IBAF=の)ルールは破っていない。いいとは思わないが、今回のルールでは、うそのリストを作ることもできる」と釈明したそうです。しかし、最初から本当にそう思っていたのであれば、協定を結ぼうという話になった時に、「ウリはその協定に加わらないニダ」と言うべきだったでしょう。もしそうしていれば、彼らの今回の所業が非難されることは、全く無かったのですから。
その取り決めが、ルールブックに載っていないことであったとしても、当事者間で確認し了解し合ったのであれば、それを了解し合った者同士の間では当然に守られるべきです。そんなことは、日本人の皆様には、改めて説明する必要もないことでしょう。韓国人側としても、日本側がこの協定を、オフィシャルなルールに準じるものとして守るだろうし、また当然に守るべきであると考えた上で結んだだろうことは、間違いありません。
おそらく今回の彼らの所業は、彼ら的には「勝つための努力」のひとつだったのではないかと私は思います。彼らの考えでは、何事につけても勝利こそが全てです。たとえ審判を買収しようと、反則で相手を負傷させようと、相手を欺いてでも勝利をつかめば良い、というのは、彼らにとっては極めて標準的な考え方であることは、2002年のワールドカップで、うんざりするほど見せ付けられました。今回も、彼らはその考えを実行に移したに過ぎません。
もっとも、そこまでやって負けちゃうところが、ナチュラルボーンコメディアン。韓国らしいと言えば韓国らしいところです。
今回の件で彼らが得たものは、彼らにとって最も忌むべき敗北と、彼ら自身は全く気づいていないでしょうが、おそらく敗北以上に深い痛手となる国際的嘘つきのレッテルでした。これも彼ら的【努力】の成果です。
私としては、今後もこの調子を維持し、どんどん彼ら自ら自国の評判を貶め、韓国に向けられる国際的な視線が益々刺々しいものになり、彼らのズル由来の規制や包囲網が一層厳しくなるべく、彼らの奮闘【努力】に期待するばかりです。
また、日韓の正しい関係を望む全ての日本人の皆様におかれましては、今回の件を絶好のサンプルとして、野球やスポーツに限らず、韓国と関わる全ての事柄について、韓国人とはこういうことを平気でやる連中であるという事実と理解を、日本人の間に広めていくべきでしょう。
相手に対する正しい理解こそが、相手との正しい関係を築く第一歩なのです。
人工無能並
チャットで文章ぶった切りで書かれると、ログが長大になり、最初にどのような話題で話していたのか、スクロールを戻さないと見えなくなる、という実際上の不都合が、まずあります。何しろ酷い場合は、一文を10個ぐらいにぶった切って発言するので大変です。
どんな話題で話していたのか、誰がどんな発言をしたのか、さかのぼろうとして下手にスクロールを戻すと、チャットサーバーの状態によっては、接続を切断されてしまうという現象が発生することもありますので、無駄にログを増やされるのは非常に迷惑です。
弊ブログで公開しているチャットログは、以前使っていたレンタルブログに字数制限があったことと、無駄にスクロールが長くなるということから、複数の行数にまたがるひとつの発言に関しては、不自然にならない程度にまとめております。
そのため、弊ブログでご覧になっている限りでは、彼らの文節ぶった切り発言はそれほど気にはならないかもしれません。しかし実際にチャットでこの「文節ぶった切り」に遭遇すると、非常にイライラさせられます。
彼ら曰く、文章を短く切って話すのは翻訳の精度をあげるためだそうです。しかし韓国人同士で話しているのを見ても、文節ぶった切りで話しているので、翻訳云々というのは間違いなく嘘でしょう。
私も、意図的に発言をいくつかに分割して行なうことがあります。例えば、チャットでは、ひとつの話題について話していて、在室者からその話題に関する発言の意思が見えなくなれば、新しい話題に移行することはよくあります。
そういう時に、発言の意思はあるが、一気に発言するにはあまりにも長文で、発言までに相当のタイムラグが生じる場合、「この話題に関して、私には発言の意思があります」という意思表示を行なうために、とりあえず短い前置きや前フリを発言する、ということは、私もしばしば行ないます。
あるいは、まずネタを振っておいて、ギャラリーの注目を集めてから、次の発言でオチに持って行くという場合も発言をぶつ切りにして話します。漫才や落語、舞台劇などで言うところの「間」です。
このように、韓国人の発言も、話の展開を考えて発言をぶつ切りにしているのであれば、あえて苦情を言うつもりはありません。しかし彼らの場合は、そういう「話の展開」を考慮したぶつ切り発言ではありません。ぶつ切り発言でも、「話の展開」を考えながらしているならば、こちらもそれを楽しみながら見ることが出来るのですが、彼らは「話の展開」などは一切考えずに、脊髄反射的にキーを叩きます。
そのためでしょうか。彼らの発言には「鸚鵡返し」の発言や「定型文」が非常に多く見られます。酷い例では、こちらが発言すると、その一言一言に「反射」「反射」と答える例も、以前はよく見られました。例えば「ぶつ切りで発言するなよ、迷惑だ」とこちらが言うと、韓国人が「反射」と答えるのです。最初は何のことやらわからなかったのですが、しばらくするとそれが「お前の発言をそのままお前に返す」という意味らしいということがわかりました。
最近ではさすがに「反射」と言うだけの韓国人は減りましたが(韓国のチャットで流行ってたのかな?)、「鸚鵡返し」や定型文(「それでは日本は」「そう言うお前は」「一部を見て全体を判断しないでください」等)は今も健在です。それに加えて彼らの得意な「悪口」も、定型文のカテゴリに入れるならば、本当にほとんど何も考えなくてもチャットが出来そうです。
以前から日韓チャットの常連日本人の間では、「日韓チャットの韓国人は、実は人工無能ではないか?」とささやかれておりますが、間違いなく言えることは、日韓チャットの韓国人の多くが「人工無能並」の知性しか持っていないであろうということだと思います。