発売されても買わないと思うけど。
私には、この「概念がない」という非難の言葉が非常に不思議でした。「いったい、何の概念がないと非難されているのだろう?」と思ったのです。
そこで以前、韓国人に「概念がないって言うけど、何の概念がないと言ってるの?」と聞いたことがあるのですが、残念ながら納得出来る回答は返ってきませんでした。と言うか、回答そのものがありませんでした。
「お前ら、もしかして「概念」って言葉の意味知らないんじゃね?」と言うと、今度はすぐに一人の韓国人が「わかりますね!concept!」と答えました。しかしそれはただ辞書を引いてきただけ、というのが見え見えです。「だから何の「concept」がないの?」と重ねて問うても、やはり返事はありません。
「概念」を辞書で調べてみると「(1)ある事物の概括的な意味内容。(2)〔哲〕〔英 concept; (ドイツ) Begriff〕事物が思考によって捉えられたり表現される時の思考内容や表象、またその言語表現(名辞)の意味内容。」とあります。しかしおそらく彼らは、(1)の意味も(2)の意味も知らないでしょう。
と言うか彼らは、「概念」という言葉が意味を持っているということそのものを知らないと思います。
つまり「概念がない」と他人を非難する彼ら自身が、「概念」という概念そのものを持たないのではないかなと思います。これは以前も述べたことがありますが、「約束」の意味を彼らが理解せずに用いているのと同じ現象です。
以前から、彼らに彼らが用いる言葉の意味を問うのは、犬が「ワンワン」と鳴き、猫が「ニャア」と鳴くのを聞いて、犬に「そのワンワンは、何を意味するの?」、猫に「ニャアという音は、どのような意味があるの?」と聞くに等しいのではないかという疑いは、薄っすらと持っていました。
しかし、翻訳を通すにしても、韓国語を習って直接理解するにしても、私たち日本人には「言葉には意味がある」という意識があります。だからついつい彼らの発言した単語の意味について、真面目に考え込んでしまいます。
動物の鳴き声は、その音そのものに言語学的意味は特に意味はありません。もちろん、鳴き声の大小や音程、リズムやパターンなどをコミュニケーションに利用する動物はたくさんいます。それらは、広義の意味では「言語」に分類出来るのかもしれませんが、人間社会で用いられる意味での「言語」とは呼び難いでしょう。
韓国人の話す言葉は、漢語や日本語からの単語が少なくありません。そのため私たちが見慣れた熟語や常套句、見たことはなくても漢字が当てられれば十分類推し得る単語が、非常に多く見られます。
私たちは、それらの言葉の意味は理解された上で用いられている、あるいは理解された上で用いられるべきであると思っています。韓国人たちも、当然同じように考えていると思っていました。
しかし、長年日韓チャットで彼らを見ていると、彼らが吐く言葉は、言葉そのものの意味とは無関係に用いられることが少なくありません。たとえて言えば、「仏法僧」と言ってるように聞こえるからと言って、その鳥が仏教について語っているわけではないのと同じなのです。
古来、人間は、「ドリトル先生」や「ソロモンの指輪」、「聞き耳頭巾」等で語られているように、動物の言葉を解することを夢見てきました。バウリンガル
日韓翻訳チャットや翻訳掲示板は、韓国人の書く言葉の意味を機械的に翻訳してくれます。翻訳が機械的であっても、発せられた言葉に意味があるならば、私たちはそれを使うことによって、韓国人と意思の疎通が出来るような気になってしまいます。
しかし、韓国人との意思の疎通が本当の意味で実現するには、「ニダリンガル」の開発を待たなければならないのではないかと思います。