事実より理想を優先する韓国人
大阪府知事の方は、昨年末から言われてたことなので、私は公示の翌日1月11日に期日前投票を済ませておりました。しかし大阪府議会議員補欠選挙の方は、例の枚方談合がらみで議員辞職が出て、突然1月18日に公示されたせいで、二度手間を食らう羽目になりました。
で、1月22日に渋々市役所に2度目の期日前投票のため赴きました。何故か府議会議員の方の整理票は届いておらず、住所氏名生年月日を用紙に記入して提示し、それを照合して投票用紙を貰うといういつもの流れだったのですが、ここでちょっと驚いたことがありました。
それは、1月11日に既に済ませていたはずの府知事選挙の投票用紙まで交付されそうになったことです。
私が驚いて「府知事はもう投票しています」と言うと、職員は大慌てに慌てて、もう一度照合用のコンピュータの元に私を引き戻し、再度照合して事なきを得たのですが、もしあの時、私が黙って投票用紙を受け取っていたら、2回投票出来たのかなあなどと思ってしまいました。
って言うか、今回の府知事選挙は、棄権しようかと思ったくらい投票する相手がいなかったので、2回も投票するなんて、頼まれても真っ平御免ですが。
それにしても、選挙管理って、案外いい加減なんだなあと思わされた出来事でした。
さて、毎度毎度の韓国人考です。ぶっちゃけかなり食傷しておりますがw
日韓チャットの韓国人に限らず、韓国人全般の傾向として、事実より理想を優先することが非常にしばしばあると思います。
例えば、歴史的建造物を修復したり再現したりする場合、普通は出来るだけ原形に近いものを作ろうとします。しかし韓国人の場合は、たとえ原形からかけ離れたものになろうとも、彼らの理想に沿ったものを作ってしまいます。確か世界遺産に指定されている仏国寺も、現在の姿はかなり韓国人の理想に沿うべくデコレートされているものと仄聞しております。
もしそれが彼らの理想や願望からかけ離れていた場合、それを理想に近いものに作り変えるだけならまだましと言えます。それが気に入らなければ、彼らは破壊してしまうことも厭いません。これは、朝鮮総督府が実例として挙げられるでしょう。
そうやって自分たちで一所懸命ぶっ壊して回っているくせに、彼らは、二言目には韓国の文物を秀吉が焼いたの日帝が奪ったのと言います。が、歴史にせよ文化にせよ思想にせよ、焼きも奪いも出来るものではありません。何故なら、歴史も文化も思想も、その根源はその民族が内包しているものだからです。秀吉なり日帝なりが、朝鮮民族ごと消滅させてしまったとでも言うのならば話は別ですが、今日ただいまも、彼ら朝鮮民族はしぶとく生き続けているではありませんか。
彼らは、自分たちにとって都合の悪いことは無かったことにしようとします。しかし歴史であれ文化であれ思想であれ、突然空中からぽっと湧いて出てくるものではありません。一見、彼らにとって都合の悪い事象であっても、それを抜きにしては成り立たない場合は多いのです。
失敗や敗北を味わうことなく、成功や勝利を得ることは出来ません。畑を耕し種を蒔くという労働無くして実りは得られないのと同じです。しかし韓国人は、失敗や敗北を受け入れず、成功や勝利のみを欲します。その結果、彼らの歴史も文化も思想も、必然的に上っ面だけの薄っぺらいものになるか、自家撞着に陥らざるを得なくなります。
私などから見れば、失敗や敗北に学ぶことをしない彼らは、自ら望んで同じ過ちを繰り返すだけにしか見えません。過去、彼らが春が来るたびに、年中行事のように餓死者を出していたように。
彼らがそういう生き方を自ら選ぶのは彼らの自由です。しかし彼らは上っ面だけ装って空っぽになっている中身を埋めるために、日本の歴史や文化や思想や、下手すれば品物までも盗もうとします。彼らにそれをやめろと言っても、聞かれる望みはありません。これは日本人の方で強く警戒し、盗難や剽窃が発覚すればきっちりと応分の制裁を加えてやるしかないと思います。
彼らの望むままに日本の文物を盗ませることは、日本にとっても迷惑至極なことではありますが、韓国にとっても、結局良いことにはなりません。他人の背丈を削って、自分の背丈に足すことなど出来ないのです。親韓な日本人ほど、韓国のそういう行為にはナーバスであるべきだと、私は思っています。
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