馬鹿取締法案
今回の記事は、前回8割がた書きあげてから、読み返してみて「ちょっとマズくね?」と思い、かと言って書き直す時間も無く、って言うか書き直す気力の方がもっと無く、とりあえずボツにしたものを、もう一度手直ししたものです。
今回の記事の内容に色々語弊はあると、書いた本人も思います。が、これは極端に対抗する極端案とお考えいただければ幸いに存じます。最初から言い訳は見苦しいと思いつつ、どうもこの手のネタが通じない人がたまにいらっしゃるので、一応前口上として申し上げておきます。
さて、最近の日韓チャットでは、日韓問わず馬鹿が横行しています。まあ、いつの世もどこにでも、馬鹿の種は尽きないものですし、韓国という国では、馬鹿が標準ではありますが。
ところでここで言う「馬鹿」とは、心身の障碍の有無や知能指数の高低、年齢、学歴、職業などとはまったく無関係です。では「馬鹿」とは具体的に何なのかと問われても、私が一人で具体的に定義を確立させることは出来ません。とりあえずここでは、他人に迷惑をかけるような行動を取り、それを指摘されても改めようともせず、かつ自ら省みることをせず(出来ず)、何度も他人に迷惑をかけて一向に憚らない輩、程度に考えていただければよいかと思います。
誰しも、大なり小なり他人に迷惑をかけることはあります。社会に参加し、他人と関わりあいを持たざるを得ない以上、それは不可避なことでもあります。しかし、少なくとも日本では、他人に迷惑をかけることは可能な限り最小限にとどめようとしますし、周囲もそれを当然として求めます。
ところが「馬鹿」は、それを最小限にとどめようとしないばかりではなく、意識するしないに関わらず、かえって拡大しようとします。その上、それを何度も繰り返します。こういう輩に対しては、「馬鹿」以外の形容が思いつきません。
馬鹿が横行して、とばっちりのひとつふたつも被れば、「あの馬鹿をなんとかしろ」という悲鳴にも似た暴言が出るのも、人情というものです。と言うわけでもないこともないのですが、最近巷で話題の人権擁護法などという愚にもつかぬ法律を作るぐらいならば、どうか「馬鹿取締法」でも作ってはいただけまいかという考えに至りました。
以前、日韓チャットに日本人としては珍しい現役高校生がいました。末っ子的愛嬌にあふれた少年で、生意気な物言いをしても憎めず、常連日本人たちからもずいぶん可愛がられていました。
ある日その高校生が、「本当にあった話」として話してくれたことがあります。
授業中に、一人の生徒が寝ていたそうです。それに気づいた教師が、寝ていた生徒を起こして叱責しました。
私が通った高校では、比較的お行儀の良い生徒が多かったからかも知れませんが、授業中の居眠りを咎められた生徒はたいてい照れ笑いをしてごまかすか、しょんぼりうなだれるかのいずれかだったと思います。私も結構居眠りを見つかって叱られた口なので覚えがあるのですが、相当気の強い生徒であっても、授業中の居眠りを咎められて、ふてくされる者はいても、教師に言い返したり食って掛かったりはしませんでした。
だから、当然その高校生の話も、そういう話になるのだろうと思っていました。ところが、その高校生はなんと「俺の寝る権利を侵害した」と言って教師に謝罪を要求したそうです。
「授業中の居眠りを咎められて、逆に自分の寝る権利を侵害したと言って教師に謝罪を求めた」というだけでも、顎が外れるかと思うほど驚いたのですが、さらにその教師は、なんとその生徒に謝罪したと言いますから、外れた顎が落ちて砕けるんじゃないかと思いました。
こんな冗談みたいな話は、その高校で偶さか起きた極めて特殊な珍しい事例と思っていました。ところがこれが実は冗談でも何でもなく、大真面目に運用されている地域があり、また法令化して全国的に大真面目に運用しようという連中がいるという話を最近見かけて、しばらくぶりに顎が外れそうになりました。
川崎市には「川崎市人権オンブズパーソン」という人権擁護法案の雛型になるような制度が既にできているそうです。
こういう法律が出来ると、「ウリのジンケンを擁護しる」という連中をますます付け上がらせ、尚更に増殖を促すだけですし、真面目に権利に伴う義務を遂行しようとする人の気力を失わしめること疑いなしです。面倒な義務を果たさず、自分に有利な権利ばかりが守られるとすれば、恥知らずほどこれに真っ先に飛びつくでしょう。
さらに、「人権」は現在のところ、人の皮さえ被っていれば誰にでも漏れなく与えられています。日本でこのような法律が行なわれれば、一衣帯水の半島に棲息する亞人類とその係累などは、こぞって押し寄せ、これを錦の御旗にすること間違いなしでしょう。
そんな法律を作るぐらいなら「馬鹿取締法」を作る方がよほど良いと思います。
「馬鹿取締法」と言うと、「人権擁護法」に比べて、字面が大変よろしくありません。脊髄でものを考える連中なら、即座に字面に反応して、「差別」とか「人権侵害」などと喚き散らすだろうことは、容易に想像がつきます。
ですが、これは他人を馬鹿だと決め付ける法律ではありません。最初に言ったように、心身の障碍の有無や知能指数の高低、年齢、学歴、職業などは「馬鹿」かどうかを判定する材料ではありません。「馬鹿」の定義が確立されていないので、きわめてあいまいな物言いになりますが、自己の義務や他者の人権には頓着しないが、自己の人権だけは必死で主張し守ろうとするような輩かどうかが、とりあえずの判定基準と言えるかもしれません。
「馬鹿」として取り締まられぬためにはどうすれば良いか。単純で簡単です。人から馬鹿と思われるような行動をしなければ良いだけです。つまり「馬鹿取締法」があれば、人々は人から馬鹿だと思われぬように考えて行動するようになるでしょう。
人権擁護法なんか作っちゃうと、「ウリのジンケンを擁護しる」と言い、人権を盾に有利に立ち回ることばかりを考える連中を増やすだけです。そんな社会よりは、皆が馬鹿と思われぬよう考えて行動する人が増えるような社会の方が、よほど住みよいと思います。
ついでに、「ウリ」になった相手になら迷惑をかけてもケンチャナヨという社会を構築している連中を弾く効果も期待出来ちゃうんじゃないかなと思います。