心焉に在らざれば視れども見えず
さて、日韓チャットで韓国人と話していると、反論に詰まった韓国人からしばしば「お前は韓国に来たことがあるのか」と言われることがあります。
これは、朝鮮話法のバリエーションのひとつで、相手は当然のように「ない」という答えを期待しているわけですが、もしそれに対して「ある」と答えれば、次は「では実際に住んだことがあるのか」と来ます。それに対しても「ある」と答えれば、次は「何年住んだのか」とか「どこに住んだのか」などと言います。時々そういうテマヒマをすっ飛ばして「お前は韓国人か」と聞く横着者までいます。
要するに「わかったようなことを言っているが、お前には韓国のことはわからないのだ」と言いたいがための前振りなわけですが、割とこれに素直に引っかかる日本人は多いようです。類似のバリエーションとしては「実際に韓国人と付き合ったことがあるのか」なんていうのもあります。
私は、生の韓国人との付き合いは数えるほどしかありません。渡韓歴は数回ありますが、延べ滞在日数は半月程度です。もちろん、まだまだ知る余地は残されていると思いますが、それでも、韓国についてそれなりに理解していると自負しております。少なくとも、反論に詰まって「お前は韓国に来たことがあるのか」と逃げようとする韓国人相手であれば、私程度の知識でも十分に渡りあえます。
そもそも、個人が韓国に訪れて現場で得られる情報と、様々なメディアや資料を通じて得られる韓国情報とでは、圧倒的に後者の方が膨大且つ詳細であることは、言うまでもありません。
韓国を訪れることも、韓国を知る一助になることは否定しません。しかし実際に韓国を訪れたとしても、見ようと思って見なければ見えないものがあったり、目に映っていても見えていないものがあったりします。さらに人間一人が見聞き出来る範囲は自ずから限られているものですし、あの日あの時あの場所でなければ、見ることが出来ないものの方が多いでしょう。
それは、何も韓国に限ったことではありません。先日、私たちと一緒に生映像でデモを観覧していた韓国人が、リアルの討論相手に「現場にいなかったお前に何がわかる」と言われて素直に凹んだそうですが、あの現場にいて、群集にもみくちゃにされながら自分の半径5mのことがわかったからと言って、何がわかると言うのでしょうか。周囲の興奮に引きずられて、冷静さを失った自分にさえ気づかないのではないかと思います。それよりも、何の編集も検閲もない現場の生映像を見ていた者の方が、比べものにならないほど広範囲かつ冷静に見渡すことが出来たと、私は確信しています。
何につけ、調べるとか、知ろうとする場合には、まずは基礎知識が必要です。何も知らないままいきなりフィールドワークに出ても、何をして良いかわからずに、現場で立ち往生するのがオチでしょう。まず最初に必要なのは興味、次に知識であって、経験はその次でも構わないと思います。その為に様々なメディアや資料があるわけで、ましてこれだけインターネットが発達した現在、実際に体験しないとわからないものというのは、少なくとも韓国の基礎知識に関しては、それほど多くありません。ステップアップしていけば、ある程度の実践や経験が必要になってくるかもしれませんが、そうなってから訪韓しても遅くないと思います。
だからと言って、メディアや資料を、片っ端からそのまま鵜呑みにするのは極めて危険です。それらで語られていることが、たとえ善意に基づく事実や調査の結果であったとしても、それはその日その時その場所の事実だったり、誰かの脳内を通った調査結果なわけです。
また、中には悪意をもって、事実や調査結果を歪めているものや、事実や調査結果とは異なるものをこっそり付け足しているメディアや資料さえあります(しかも、何故か朝鮮関連では、その手のものが多いような気がしますw)。
しかし、善意のメディアや資料であれ、悪意のそれらであれ、数をこなしていくうちに、不思議と見えてくるものがあります。それらをひとつひとつ寄せ集めて、自分なりの考察を構築すれば良いのではないかなと、私は考えています。
見えていると思って漫然と見ると見えなくなり、見えていないと思って必死で目を凝らすと見えてくるものです。年単位で日韓チャットに住み着いている常連日本人達の多くは、いまだに「何故韓国人たちはああなんだろう?」と毎日のように言っておりますw
その逆に、実際に韓国に住んでいても、韓国のことが全然見えていない人も、実際にいます。韓国人の多くが、そうだと言って良いかもしれません。
知ろうという気持ちで見るならば、「韓国に行ったことがない」「生韓国人を知らない」ということは、それほど韓国を知ることの障害にはなりません。逆に幾度韓国に行こうと、幾人の韓国人を知っていようと、知ろうという気持ちのない目で見ても、何も見えません。
そう言えば、「嫌韓を見る」と大上段に振りかぶったは良いけれど、結局何も見れなかっただけでなく、逆に「嫌韓に見られ」てしまった韓国人がいましたが、あれなんかは「視れども見えず」の好例と言えるでしょう。
【蛇足ながらお知らせ】
現在私が利用している日韓チャットが承認制になってから、早くも半月を過ぎました。しかし何故か善良ユーザーである私が一向に承認されません。そのため現在日韓チャットには「fetia」がログインしていることはありませんし、もちろんチャットルーム「月見櫓」が立つこともありません。
が、よく目を凝らしてご覧になれば、きっと何か心に響くものが見えることと存じますw