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慈悲の心を持たない韓国人

春や秋は「たけなわ」って言いますが、夏と冬はあんまり「たけなわ」って言わないのは何故かなと、どうでもいいことを考えている夏たけなわの今日この頃です。

前回記事で枕に酒のことを書いたら、「お酒を飲むと胃壁からどぱどぱ出血します。 なので同量以上の水をすぐに飲んで、なるべく体を保護する事を強くお薦めいたします」というアドバイスを頂戴いたしました。お心配り、まことに痛み入ります。お薦めの通り、度数の高い酒を飲む時はチェイサー必須で飲むようにいたします。そんなしょっちゅう飲んでるわけじゃないですけどね。飲むのは多い時でも週に3回程度、少ない時は1ヶ月に1回ぐらいです。

さてここ数日、竹島問題絡みで韓国が大はしゃぎしているようです。昨晩日韓チャットで、竹島問題と金剛山事件と、どちらが大きく騒がれているかと韓国人に聞いてみたら、金剛山事件に関しては沈静化していますという答えでした。

竹島問題の方も、徐々に沈静化していると言ってましたが、元々私は、竹島問題に関しては【出るとこ出ましょう】派なので、特に論評することはありません。まあ、韓国って恫喝と哀願、脅迫と懇請の区別をひっくり返して覚えてるらしいので、あんまり真っ当に相手する必要ないんじゃないかなと思っています。

それより金剛山事件のその後の方に強い関心があったので、金剛山事件の方について、韓国人に聞いてみることにしました。

事件の詳細はいまだにはっきりしないので、とりあえず前回引っかかった「韓国人の目撃者が、北朝鮮住民同士の問題だと思ったという証言をしたが、韓国人的には、北朝鮮住民同士の問題なら、目の前で人が一人殺されても平気なのか?」ということを聞いてみました。

すると韓国人は「平気というよりも、北朝鮮ではもともと人権を大事に思わないからでしょう」と答えました。

「それは、北朝鮮ではもともと人権を大事に思わないから、韓国人も、北朝鮮人が殺されるのを見ても何とも思わないという意味ですか?」と聞いてみたところ、「違います」と言うので、「ではどういう意味ですか?」と聞いてみました。

その答えは、「北朝鮮の体制自体が人権を無視することだという話であるだけです。少しでも体制に行き違えば銃殺ですね? だからこの事件も北朝鮮人の間で起きたと思ったかも知れないというのです。まさか南韓の観光客が殺害されたと思わなかったという話ですね」とのことでした。

つまり、北朝鮮住民の人権はもともと無視されており、体制に逆らった北朝鮮住民の銃殺など日常茶飯に行なわれているという認識が、韓国社会では常識として存在しており、それを前提に「まさか射殺されたのが韓国人観光客だとは思わなかった」という証言を強調する為に、「北朝鮮住民同士の問題だと思った」と言ったのだろう、ということです。

しかし、理由がわからずとも、また被害者がどこの国の誰であろうとも、仮にそれが本当に工作員であったとしても、あるいは人の皮を被っただけの、人間とは別の生き物であったにせよ、目の前で人の外形をした生き物が殺され、それを見た韓国人目撃者はそれを、「まさか韓国人観光客だとは思わなかった」わけです。

思わなかったことまで証言に入れてたのでは収拾がつきませんので、その時韓国人目撃者が思ったことは、証言に従えば「人が一人射殺されたようだが、北朝鮮人同士の問題だろう」と思っただけということです。

この後に、「ウリはこの事件に積極的に関与しなければならないニダ!!」とか、「ウリはあの残虐行為を徹底的に糾弾しなければならないニダ!!」などと続くようには、到底思えません。常識的に考えれば、この文脈から導き出される韓国人目撃者の結論は、「ウリには関係ないことだが、良い土産話が出来たニダ」とか、「ウリが巻き添え食う前に逃げるニダ」などといったニュアンスのものでしょう。

こういう点が、長らく韓国人を観察していても、まったく理解出来ない点です。

彼らは時に、過ぎるほど濃度と粘度の高い情を見せることがあります。彼ら自身それを誇って、「韓国人は情が厚い」と言い触らしてさえいます。しかし、彼らが「厚い情」を見せた次の瞬間、人間であれば理屈ではなく本能で感じるはずの情さえも、平然と、何らの躊躇もなく、場合によっては嬉々として踏みにじることがあります。

例えば、黄教授のES細胞騒動の時もそうでした。黄教授の研究結果が捏造と発覚するまでの韓国人の熱狂は凄まじいものがありましたが、その中に、我が子の疾病を治療するために黄教授に自らの卵子を提供すると言っていた女性がいました。

我が子を救うためなら、自分の命を投げ出しても良いと言う親心はわかります。しかし、黄教授のES細胞はヒトの受精卵から作ることになっていました。目の前の我が子を治すために、普通に産めばもう一人の我が子になる可能性の高い受精卵を、しかも成功するかどうかもわからない実験に、進んで差し出すという考えが、私にはどうしても理解できませんでした。

しかも、皆様もご存知の通り、後に黄教授の研究結果の捏造が発覚。もう一人の我が子になるかもしれない受精卵を犠牲にしてまで、黄教授の捏造ES細胞による治療をせずに済んだのは、結果的に良かった悪かったのかわかりませんが、それとは別に、黄教授がやったことは、そういう親子に散々夢を見せておきながら、再び絶望の淵に叩き落した形になったことは事実です。

また、以前弊ブログでも取り上げましたが、呉善花女史が母親の葬儀に参列するために訪韓した際、韓国の入管が嫌がらせとしか思えない入国拒否をしました。韓国人にとって、肉親に対する情の中でも、親子の情は何よりも優先されるべきものです。その親の葬式に、子供が参列できないようにするなどという嫌がらせは、日本人には想像出来ないぐらい酷な行為ではないかと思います。

他にも、デモなどで自らの憤りを表現する為だけに、彼らは躊躇なく豚や鶏を残酷に殺害しますし、犬を屠殺する時も、出来るだけ犬の苦痛を増やし、長引かせる方法で殺します。韓国における犬の屠殺がどれほど残酷かについては、you tubeなどで検索すればいくらでも出てくると思いますので、興味のある方は各自の責任でご検索ください。

ちなみに、私は、もう二度と見たくありません。血肉が飛び散るのを見るのもつらいのですが、それよりも、聞く者の臓腑を抉るような、喩えではなく血を吐くような悲痛な叫び声を聞くことの方がもっと耐えられません。

今回の金剛山事件も同様です。目の前で人が一人射殺されても、それが北朝鮮人であればさほどに思わないが、それが韓国人だったのでびっくりしたなどという理屈が、事実かどうかはともかくとして、韓国人の間では何らの抵抗もなく受け入れられるのが、どうしても私には理解出来ません。

私が理解に苦しんでいるのは、彼らが「過ぎるほど濃度と粘度の高い情を見せ」、それを誇り、時に見せびらかしさえするのに、同時に「本能で感じるはずの情さえも、平然と、何らの躊躇もなく踏みにじ」って見せ、何の疑問も引け目も感じないという点です。しかも、それが韓国人の場合には、表と裏ではなく、並列で表れることがあるのです。

もちろん、「韓国人の全てが一人の例外もなくそうだ」とまでは申しません。しかし以前から再々申し上げているように「韓国社会」という単位で見るならば、そうだと言わざるを得ません。

仏教用語に「慈悲」という言葉があります。仏様が衆生に楽を与えることを「慈」と言い、苦を取り除くことを「悲」と言い、このふたつを合わせて「慈悲」と言うのだそうです。もちろん私たちは仏様ではありませんから、人々から苦を取り除き楽を与えるなどということは、出来ません。

それでも、と言うかそれだからこそと言うか、ただの人間であるからこそ尚更に、世の全ての人々は無理でも、せめて目の前や手の届くところで苦しむ人や生き物を見れば、出来る出来ないは別にして、たとえわずかでもその苦を除き楽を与えることは出来ないだろうかとか、してやりたいとか思うのが人間の情だと思います。が、韓国人からは、そういう心が感じられません。

例えば一見利他的なように見え、やってる当人たちもそのつもりの燭火デモも、結局のところは己の利のためだけに煽動している人々と、己の利のためだけに煽動に乗せられた人々が蠢いているだけです。

結局私が彼らに感じる不快感は、「ただの人間」であろうともしないくせに、人間のふりどころか、日本人や文明人のふりをして、でかいエラツラで朝鮮半島のみならず世界中に蔓延り、ヘタをすると「日本人も韓国人も同じ人間じゃないか」などと言って憚らないことに対する拒絶反応や違和感なのではないかなと、自分でもよくわからない理屈で無理やりに納得してみようと思った次第です。



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