韓国人式討論法(本場直送サンプル有り)
しかし私も子供の頃は夏休みの宿題を溜めに溜めてた口なので、あの切迫感を味合わなくて良いという点だけは、大人になって良かったなあと思います。その代わり、大人になると夏休みそのものがなくなるんですけどね(´・ω・`)。
さて、前々回記事のコメント欄が盛況で、管理人としては本当に嬉しい限りです。私が言いたいことは概ね皆様が仰ってくださいました。
いくつか私の言いたいことを付け足すならば、きっとyukiさんのような方は、私がこのブログを嬉々として書いていると思っていらっしゃるのでしょう。私が、地球上のあらゆる生命が、平和と幸福の中で一生を送ることが出来れば良いなと願っている人間の一人ということなど、夢にも思っておられないのでしょう。
青臭い理想を抱くのも良いでしょう。しかしその理想のためにyukiさんは、何をしていらっしゃいますか?あるいはこれから、何をされるつもりですか?「敵を作るよりも見方を作って、自分の手の回らないことをしてもらうのも賢い生き方なのかもしれませんね。自分が楽になる分。(笑) 楽がいいわ」などと仰って、自分ひとり八方美人を装うだけで、何もしないで上向いて口開けていれば、あなたの仰る「理想」が手に入ると思っているのですか?そう思っていらっしゃるとしたら、ずいぶん薄っぺらで上っ面で安くて浅い理想ですねと言わざるを得ません。
もうひとつ、思ったことがあります。
天才や英才を量産する教育システムなんか、私は日本には要らないと思います。無理やり教育しなくても、本当の天才や英才なら必ず出てきます。今よりずっと教育システムの発達していなかった時代にも、天才や英才はいたわけですから。
そもそも天才や英才なんてものは、ざくざく出てくりゃ良いってもんじゃないと思います。それから「自分に出来ない何かをさせるために」天才や英才を作り出す教育ってどうなんでしょうね?という疑問もあります。
と言うか、「その子の持つ才能を、本人が希望するだけ伸ばしてあげられるように教育システムを拡充するべき」とでも言うならまだしも、「他人の才能が自分の利益になることが期待出来るから、教育システムを拡充するべき」って、どんだけ浅ましいんだろうと思ってしまいます。
とにかく、便利使いをするために、天才や英才を量産する教育システムを拡充するぐらいなら、日本は現在増えつつある「馬鹿」を許容しない社会を、これから鋭意構築するべきだと思っています。
しかしいつものことですが、弊ブログにコメントされる左巻き加減の御仁のコメントの仕方は、何故か韓国人の主張や発言の仕方とイメージが重なります。例えば、yukiさんが言う
いろんな考えや視点が有りますよね。 私もまだまだ発展途上でたくさん勉強しなければならない事がたくさんあります。 とは言っても、毎日新しい事実が更新されているので見過ごす部分がほとんどなのでしょうね・・・・。 外国の方の事について、海外で実際に住んでいたとしても見える部分はほんの一部で、それでもほとんどはメディア・書籍・うわさなどからなので私達の知らない部分がほとんどなのでしょうね。 真実が何なのかとか私は現実では完全には知る事が出来る立場ではないので、 誰の批判も出来ないなあ・・・・ 自信を持ってこうだ!と言える方々はすごい ですね。深く研究されているのかな? |
韓国人と討論をすると、非常にしばしば、話が噛み合わなくて苛々することがあります。討論というほどのものではなくても、韓国人と話をしたことがある人なら、必ず「ん?」という違和感を感じたことがあるはずです。
それは、互いの主張の違いから来る苛々などではなく、彼らが、自らの主張でも相手の主張に対する反論であっても、何の根拠も資料も提示しようとしないことに対する苛々です。
日本人の場合、討論においては、どちらの主張がより説得力を持つかを示すために、積極的に資料や根拠を提示します。もちろん、反論側の資料や根拠も積極的に要求します。そうやって互いの意見を照合し、批判し合いながらも、双方がより正確な結論にたどり着こうとします。
韓国人の場合は、討論において進んで根拠も資料も提示はしませんが、彼らの主張は常に極めて強烈です。非常によく見かけるのが、「ウリが正しいから正しいに決まってるのっ!!それを疑うお前が馬鹿なの!!」というパターンです。
彼らの主張に対して、日本人側が根拠や資料の提示を求めると、出処は怪しいながらも、それっぽいものを出してくるなら、まだ良い方です。
彼らはしばしば、一見関係ありそうで全然関係のない膨大な量の外国語で書かれた資料を出してきたり、自分の主張に都合の良さそうな資料の内容を抜き取って切り貼りしたり、書き加えたり、書き換えたり、捏造や歪曲を施した資料を出したり、場合によっては資料そのものが偽造したものだったり、甚だしくは「そんなに資料が見たければ自分で探せ」などと言ったりします。
また、韓国人は、相手の主張に反対だったり、相手の主張を否定する時には、「お前の主張は間違ってる」「お前の主張は嘘だ」と、非常にはっきりと言います。
しかし「それが何故間違っていると思うのか」「何故それを嘘と思うのか」ということについては、ほとんどの場合、一切説明がありません。仮にあっても、非常に抽象的で曖昧模糊とした喩えを用いることがしばしばです。それさえも出なくなれば、最後には「韓国に対する愛情はないのか!」と叫んだりします。
つまり韓国人は、討論において、意見を出し合い、照合し、批判し合って正しい結論にたどり着こうとするのではなく、最初から既に正しい結論があり、そのことを相手に認めさせるのが討論だと思っているようです。
弊ブログ人気記事、「約束」の意味がmixiのとあるコミュに貼られたのですが、そこからゲソムンとEnjoy Koreaに飛び火しました。
そのおかげで、絶好のサンプルが本場直送で採取出来ましたので、早速活用させていただきます。
意味不明? 繋がれたサイトでクリックして来て翻訳機でだいたい読んで見ました. ブログこんなに不正確な知識を伝達する理由が知りたいです. こんな式の嘘なら笑い物しかならないようです. まさか大学を卒業した一般的な日本人たちではないでしょう? 2008.08.29 14:20 | 韓國人 URL [Edit] Page top △ |
このコメントでは、「このブログが不正確で嘘で笑い物にしかならない」ということは、非常にしっかりはっきり主張していますが、「何故そう思うのか」「どの点についてそう思うのか」ということについては、まったく言及がありません。
続いて投稿しているコメントでも同様です。
国際舞台でのビジネスはもう一般的なことで韓国位の規模なら適切に一般的な常識に付いてビジネスが成り立つはずだという常識は無視されなければならないでしょうか? 2008.08.29 14:47 | 韓國人 URL [Edit] Page top △ |
こちらのコメントでは、一見主張の根拠を例示しているように見えます。しかし「韓国位の規模なら適切に一般的な常識に付いてビジネスが成り立つはず」ということを無条件に「常識」としていますが、その「常識」がどこで通用しているどのような「常識」なのかについての説明は皆無です。
某巨大匿名掲示板ハングル板の「韓国人と一緒に仕事をして困ったこと」という名物スレッドがあります。そこでは「韓国人のビジネスの常識」に翻弄される日本のビジネスマンたちの事例がてんこ盛りに盛られていますので、興味のある方はご参照ください。
一番わかりやすいのは以下のコメントです。
BAKA ここにいる日本人は 「バカ」 ばっかりですね。wwwwwwwwwwwww 勉強してください。 「約束」が他の国にないという話を話にならない理由で断定しますね。 果して捏造対局日本。 ( 笑 ) 日本は中国に漢字使用に対するロイヤルティを支払ってください。w 笑いが爆発するwwwwwwwwwwwwww 2008.08.29 20:22 | AHO NIPPON JIN URL [Edit] Page top △ |
このように、彼らにとっての討論とは、「自分が正しいこと」を、如何なる手段を用いてでも相手に認めさせることです。自らの主張が正しいことは既に自明なので、それに対する説明は言うまでもなく、根拠や資料の提示などする理由も必要もありません。
彼らが討論において必要と思っているのは、「相手が間違っている」ということを証明することでしょう。「相手の主張」が間違っているのではなく、「相手」そのものが間違っている、ということを証明するのです。
「韓国人を理解しましょう」という記事では、「彼らが日本人の流儀に合わせることが出来るならば、もちろんその方が私たちにとっても良いのですが、それは無理な注文というか、それを彼らに強要することは最早虐待と言ってよいぐらいだと思っています」と述べました。しかし討論に関しては、彼らの流儀に合わせるわけにはいきません。
彼らの流儀に合わせた討論とは、少なくとも文明国においては討論とは言いませんので。
ところで、最近中国や台湾における嫌韓が、韓国人の流儀に合わせた討論方法を逆手に取ることで盛り上がっていたりしますが、まことに皮肉な結果だと思います。
マニュアルがあるとしか思えない
さて、久しぶりに自己採集のログです。
まずザパが来て、入れ替わるように韓国人がやって来ますが、二人ともまるで示し合わせたかのように、韓国語が出来るかどうかということを私に問います。
「いいえ」と私が答えると、どちらも「そうなんですね」「そうですね」と私の答えを受け流し、その後韓国語が出来る出来ないとはまったく関係の無い話を始めます。
あまりにも似通った応答に、やっぱり彼らにはマニュアルがあるのではないかと疑ってしまいます。
日 momo(J)様が入場しました。
momo(J):こんばんは
fetia(J):いらしゃい
momo(J):韓国語勉強してますか?
fetia(J):いいえ
momo(J):そうなんですね
momo(J):韓国の何かに興味を持って?
fetia(J):韓国全般について、興味はありますよ。
momo(J):旅行は、しましたか?
fetia(J):どこへですか?
momo(J):韓国へw
fetia(J):したことはあります。
momo(J):どこらへんをまわりましたか?
fetia(J):いろいろ
momo(J):そうですね。
momo(J):韓国の人と話したいですか?w
fetia(J):別に。
(正直に答えるならば、韓国人と話すのはウンザリ)
fetia(J):国籍詐称している韓国人は一番嫌いです。
(筆者註:「実は私、韓国人なんですよ^^」って言い出しそうだったので、先に釘を刺してみました)
momo(J):うーん
(筆者註:もしこれが日本人だったら、「え?突然何のことですか?」って言うと思います。って言うか、「うーん」って何だよ…)
momo(J):すいません、出ます。
(筆者註:図星を指されたので、逃げました)
日 momo(J)様が部屋から出ました。.
韓 sea-song(K)様が入場しました。
sea-song(K):こんにちは~
fetia(J):いらしゃい
sea-song(K):アンギェシンズルアルアッです^^;
(筆者注:「いらっしゃらないかと思いました」の意。分かち書きをしていないために、翻訳不全をおこしています)
sea-song(K):お会いできて嬉しいです^^
sea-song(K):??
(筆者註:こちらの反応が遅いのがご不満のご様子。しかし毎度のことながら「嬉しいです」という挨拶にはどう答えて良いか悩みます。「私もお会いできて嬉しいです」と答えりゃ良いのかもしれませんが、それじゃあ嘘になっちゃうしなあ…)
fetia(J):はい
(筆者註:悩んだ末の、間抜けな返事)
sea-song(K):韓国語お上手ですか?
fetia(J):いいえ
sea-song(K):そうですね;;
sea-song(K):ダルグギョンノーは
(筆者註:「ダルグギョンノー」=「月見櫓」)
sea-song(K):何をする所でしょうか?
fetia(J):チャットです。
sea-song(K):そうなようですね^^;;
ログ採取日 2008年8月26日23時頃から24時過ぎ
ご覧のように、彼らとの会話でこちらから話題を振らなければ、彼らの方からこちらに質問をすることは非常によくあります。しかし、彼らは、そこから話を発展させることがまったく出来ません。自分の気に入る返事が出るまで延々脈絡のない質問を続けるか、質問のネタが尽きて(あるいは飽きて)ぷいっと出て行くかのどちらかです。
いつも思うことですが、きっと彼らのマニュアルには「日本人との会話を上手に盛り上げる方法」ってのは載っていないのでしょう。
そんな彼らですが、私たちが会話を始めると、俄然活発に私たちの話の揚げ足を取ったり、混ぜっ返したり、減らず口を叩いたり、強引に話題を変えようとしたりします。
きっと彼らのマニュアルには(以下略)。
【追記 8月29日22時13分】 この記事が公開される前夜のチャットでも同様のログが取れましたので、記録を兼ねて掲載しておきます。 韓 KJK(K) 様が入場しました。 KJK:こんにちは.. fetia:いらしゃい Guicho:こんばんは KJK:みんな日本人たちだけいますね.. KJK:韓国語お上手ですか? fetia:いいえ KJK:そうですね.. KJK:韓国に旅行来た事はありますか? fetia:はい KJK:ソウルに住んでいます KJK:私は大阪に旅行行きました fetia: 「韓国語お上手ですか?」→「いいえ」 fetia:「韓国に旅行来たことありますか?」→「はい」 fetia:「ソウルに住んでいます」 fetia:「私は大阪に旅行行きました」 KJK: ..? fetia:話の脈絡がまったく無い。 fetia:しかもこのパターンは、昨日も見た。 kiw1972:テンプレなんじゃないの? junchan:一昨日も3日前も、4日前も・・・ fetia:明日更新のチャットログで公開するが、これは、やはりマニュアルなのか? (筆者註:この時点で、28日公開の記事は下書きが済んでいました) KJK:過ち入って来たようですね.. お疲れさまです 韓 KJK(K) 様が部屋から出ました。. ログ採取日 2008年8月27日 23時半頃 |
地球市民と名乗る人たち
今回の五輪は、まったく見ませんでした。見えたことはありますが、それは単に、たまたま視界に入っただけです。あ、ひとつだけ見たかな。一度だけですが、馬術(多分障害飛越競技)の順位は、自発的にネットで検索しました。日本、メダル圏内どころかベスト10にも入れてなかったですがw 私が見たときは、確かかろうじてベスト50には入ってたんじゃないかな。って言うか、ぶっちゃけ下から数えた方が早かった気はします。
しかし、今回に限ったことではありませんが、特に今回顕著だったと思ったのは、五輪を「平和とスポーツの祭典」などと言うことに対する違和感です。むしろ「政治的思惑と国粋主義のダシにされたスポーツの祭典」って言った方が良いんじゃね?と思うのは私だけではないでしょう。純粋にスポーツを楽しむために見るには、おどろおどろし過ぎます。
さて、今回は五輪と関係ありそうでなさそうな「地球市民」についてです。
ネットに限ったことではありませんが、自らを地球市民とか、地球人と位置づける人を時々見ます。私が見たことのある自称地球市民や地球人は、当然ながらネットでもリアルでも圧倒的に日本人が多いのですが、ネットの韓国人でも案外しばしば見かけます。
日本人と韓国人以外ではどうでしょうか。
北朝鮮人の場合、地球市民的発言は、在日を除けば思ってはいても公言は出来ますまい。アメリカ人や中国人に自称地球市民が多いかどうかは、寡聞にして知りませんが、彼らは自国こそが世界のトップとか、中心とか考えていそうな気がします。
ヨーロッパ辺りは、世界国家構想の発祥の地だけに、コスモポリタンを名乗る人が多そうですが、コスモポリタニズムと、地球市民や地球人を名乗る人の世界観が共通かどうかは確認したことがありません。ロシアや旧ソ連辺りはどうでしょうか。特亞を除くアジア諸国には、あまり多くないような気がしますが、これも確かめたことはありません。
という訳で、日本と韓国以外がどうなのかは、私にはほとんどわかりませんので、今回は日本人や韓国人の地球市民に限定させていただきます。
「地球市民」とか「地球人」と名乗る日本人や韓国人の発言は、それはグローバリズムやコスモポリタニズムからではなく、自国と、自国に所属することで生じる諸々の責任から逃れたいがために言っているように聞こえます。
更に酷いのになると、「地球市民」や「地球人」となって、自国や自国に所属することで生じる諸々の責任を逃れるだけでなく、第三者的立場に立って自国を追及しようとする者までいます。日本人の「地球市民」や「地球人」を名乗る連中に、往々にして左巻きが多いのもそれと無関係ではないでしょう。
日本では、戦後数十年間、自国否定の教育を行なってきたという経緯があるので、是非はともかく、地球市民とか地球人と名乗る人が少なくないのも無理はないように思います。もし日本で戦争が起きれば、逃げると公言して憚らない連中が多いのもそのためでしょう。そういう人に、ではどこの国へ逃げるのかと問うても、はっきりした答えが返ってきた例がありませんが、そういう人の脳内には、きっと地球市のどこかに日本人用のシェルターが用意されているのでしょう。その地球市というのがどこにあるのかわかりませんが。
日本人の中に、自虐史観や自国否定教育に素直に染め上げられた人たちが少なからずいて、そういう人たちがどこかにあるユートピア=地球市を夢見るということについては、賛同するつもりはありませんが、同様の教育を受けてきた私にも理解出来なくはありません。
しかし、韓国人が「地球市民」とか「地球人」と言うのは、強い違和感を感じます。
日本人とは異なり、韓国人は「よく頑張った史観」や「ウリナラマンセー教育」で染め上げられています。その彼らが、地球市民や地球人を名乗るのは、私から見ればまことに不可思議です。彼らには肯定し得る歴史と、肯定し得る祖国があるのですから。
もっとも、彼らの「よく頑張った史観」や「ウリナラマンセー教育」は、嘘の上に嘘を重ねて練り上げたものです。意識的であれ無意識的であれ、嘘で練り固めた自国に閉塞感を感じ、そこからの解放や逃避を望んで「地球市民」を名乗っている韓国人もいるのかもしれません。
あるいは、韓国人の考える「地球」や「世界」は、往々にしてイコール「朝鮮半島」のことです。そういう意味で彼らが「地球市民」だの「地球人」だのとほざいているということも考えられます。しかし、その場合は願わくは「ウリナラ世界市民」と名乗っていただきたいと切に思います。
彼らの世界観に巻き込まれては、地球も迷惑というものです。
韓国人を理解しましょう
一番最初に出会った季節だからでしょうか。秋は、四季の中で最も好きな季節です。
さて最近、日韓チャットにログインしても、待機室にIDを置いたまま他のことをしていたり、寝てたりすることが多く、あまりチャットそのものに参加しておりません。半月ほど前、少々不眠症気味だったのですが、今その時の分を取り戻そうとしているのか、寝ても寝ても眠くてしかたありません。
それでも2日ほど前に、なけなしの気力をふり絞って部屋を作ってはみたのですが、来たのは例によって量産型だけでした。部屋を作っただけで気力を使い果たしていた私に、量産型を相手にする気力は残っておらず、「そうですね」などの最低限の形式的な受け答えだけでこなしておりました。
その時も言われたのですが、チャットに来る量産型がしばしば話の切り口に「こんな遅い時間に寝ないで何をしますか?」と言います。
言われる私たちにしてみれば、「何をしますかって、チャットルームに居りゃチャットしてるに決まってるじゃん?」と思うのと、「こんな遅い時間に寝ないでって、そりゃとっとと寝ろって意味か?大きなお世話だ」などと思うわけです。
しかしその時は、下手に火病られると鬱陶しかったので「質問の意味がわかりません」と放り投げたのですが、その時の韓国人によれば、これは気配りのつもりの質問なのだそうです。
つまり「こんな遅い時間までチャットをしていて、明日の日課に差し支えませんか?」と言いたかったらしいのです。
しかし「こんな遅い時間に寝ないで何をしますか」という問いには、私はかなり上から目線を感じます。この台詞は、一般的には親か教師が、子供や生徒に言うような台詞だと思います。少なくとも、まったく初対面の外国人に開口一番に言うものではありません。ですから、どう好意的に考えても、私にはこの台詞が気配りの言葉には聞こえません。
こういう台詞は、相手を見下し、まるで子供か幼い生徒のように扱うことで相対的に自分の立場を高めるために発せられると、私は考えてしまいます。と言っても、彼らはそこまで具体的に計算して発言しているわけではないでしょう。
これは彼らの対人関係における文化のようなものではないかと思います。まず初対面で、互いに自分が相手より上であることを主張し、そのせめぎ合いの中で互いの位置関係を決めていこうとしているのではないでしょうか。
以前韓国人に「親からどのような教育を受けたか」という質問をしたことがあります。返ってきた答えは「自信を持ちなさいということです」でした。
自信を持つのは大変結構なのですが、彼らの場合、しばしばその自信に根拠がありません。根っこも中身も無い自信を振りかざすためには、必要以上に威圧的にならざるを得ません。そうでなければ、本当は自信がないことがばれてしまうからです。
だから彼らは、初対面の相手にいきなり威圧的に振る舞うのではないでしょうか。
チャットログを見て、私たちの韓国人に対する態度を「尊大だ」とか「韓国人を見下している」と仰る方がしばしばいらっしゃいますが、これはある意味、彼らの流儀に合わせているのです。彼らが日本人の流儀に合わせることが出来るならば、もちろんその方が私たちにとっても良いのですが、それは無理な注文というか、それを彼らに強要することは最早虐待と言ってよいぐらいだと思っています。
もちろん、日本人の流儀に合わせることの出来る韓国人も皆無ではありません。かなり長い経験を積み、そこから学習することの出来る能力を持った韓国人もいなくはありません。しかし、それは極めて稀な存在です。
しかもその彼らでさえ、そうして得た教訓なり成果なりを、他の韓国人に分け伝え広げることは出来ません。彼らは言わば一代限りの突然変異です。その彼らを韓国人の基準と考えるのは、どう考えても無理があるでしょう。
既に何度も弊ブログで申し上げておりますが、彼らに対しては基本的に尊大且つ高圧的に振る舞うのが正解です。過去、日帝統治期の日本人が朝鮮人に対し尊大且つ高圧的に振る舞うことで、無駄な反感を買ったと仰る方もいらっしゃいますが、逆にそうしないことによって生じる弊害の方がより大きいということは、歴史が証明しております。
私たちが理解するべきは、彼らに理解出来るやり方でなければ、彼らに通じないということではないかと思います。
国家ブランドの前に
ところで、前回の記事に以下のようなコメントが入りましたので、簡単にお答えしておきます。
最近ブクマして毎日読ませていただいております。 今回の竹島問題について。 日本国内では政府・マスコミだけでなく、インターネット上でも「また半島か・・・ほっとけ」と静観する姿勢が大勢ですが、韓国は強引な既成事実の作成や、欧米の無関心層に対するまちがった知識による印象操作を行って、後日法廷闘争での優位を確保しようとしている様に見受けます。果たして日本としては「たわごと」として無視・静観する事が国益にかなうのでしょうか?日本は時をおかず国連で理路整然と問題提起するべきでは無いでしょうか。 宜しければブログ主様のご意見を伺えればと存じます。 2008.08.18 13:14 | 右舷四五度 URL [Edit] Page top △ |
まず、【「また半島か・・・ほっとけ」と静観する姿勢が大勢】とのことですが、私個人としては、決してそんなことはないと思っています。
かつての日本には「韓国が何を言ってもやっても、私たちは過去を反省して、言い返してもやり返してもいけない。それどころか、韓国が何かを言ったりやったりしたことそのものを指摘してもいけない」という空気が、確かにあったと思います。
しかしここ数年で、その空気もかなり変わりました。我が国の、彼らが言うことやることに対して、是非を問おうとする姿勢は、以前とは比べ物になりません。
もちろん、まだ足りない、まだまるで生ぬるいとは思います。が、決して「また半島か・・・ほっとけ」という勢力ばかりではありません。最近では「また半島か、ふざけんな」という勢力が台頭してきているのではないかと私は感じております。
ただ、まだ日本国内において、かつての「韓国が何を言ってもやっても、日本は過去を反省して云々」と考える勢力が少なからず存在していることも事実でしょう。韓国人が「良心的日本人」と呼ぶ人々です。おそらく、韓国について何も知らない人ほど、「良心的日本人」であろうとする傾向は強いでしょうし、「また半島か・・・ほっとけ」と言う勢力も、個人的にはその一部だと考えています。
斯様に、現在の日本国内における半島に対する姿勢は、いまだ固まっているとは言い難い状態です。国際社会に打って出て、日本の是を唱え韓国の非を穿とうと言うのであれば、日本国内のコンセンサスをある程度固めてからでなければならないと思います。
その点、即ち如何なる理由、如何なる状況であろうとも、日本が絶対悪というコンセンサスが確立しているという点では、明らかに韓国の輿論はまとまっております。日本が時をおかず国連で理路整然と問題提起するにしても、日本国内からその問題提起そのものに反対する意見が出たのでは、却って逆効果ではないでしょうか。
仮に韓国との間で、後日の法廷闘争が有り得るとしても、今現在、日本国内のコンセンサスの統合と確立が無い状態で国際社会に向けての問題提起など、日本にとってはオウンゴールになりかねないと思います。
国際社会に対する問題提起をする前に、まずは国内に対する問題提起を行ない、日本国としての姿勢を固めるのが先ではないかと考え、こういうブログを書いている者がいるということを、どうかご理解いただければと存じます。
さて、本日のお題。
先日李明博韓国大酋長が、日本や中国における嫌韓の増大対策や、韓国のイメージの向上を目指して、大統領直属の国家ブランド委員会を設置するなどと言ったそうです。
目指すところは間違っていないと思うのですが、その前にやらなくてはならないことがあるのではないかと思います。
韓国には、「目指すべき韓国像」がありません。どこの国の誰から何と言われようとも、「うるせーバカ」と言って譲らない価値観を、彼らは持っていません。時に日本の、場合によってはアメリカの、相手によっては中国の価値観を流用しては、どこかの国や誰かから何かを言われると、慌てて別の価値観を持ってきて流用することの繰り返しです。
それは丁度、他人が着ている服がかっこいいからと言って、自分のスタイルに合うか合わぬかを全く勘案せずに、同じ服を着るのと同じです。もちろん、それが自分の好きな服ならば、最初は似合う似合わないを勘案せずに着るのも良いでしょう。それを繰り返していく内に、やがて自分のスタイルというものも構築されていくからです。
しかし彼らの場合は、それが「好きな服」だから着るのではありません。それを着ている人がかっこよく見えるから着るのです。即ち、他人が今現在受けている良い評価が、そのまま自分に与えられることを期待して着るのです。
たいていの場合、他人をまんま真似したスタイルは、似ていても似ていなくても、嘲笑の対象でしかありません。韓国を見ていると笑えるのは、本人たちは本気でかっこいいつもりで振る舞っているその姿が、常に誰かのコピーだからというのも理由のひとつだと思います。
この点については、一卵性双生児の北朝鮮の方がまだマシかもしれません。北朝鮮には目指すべき北朝鮮像があるように見えますし、奉戴するべき価値観(=主体思想)も、一応あります。中国の劣化コピーと言われようとも、どこの国の誰から何を言われようとも、「うるせーバカ」と言い切っています。
韓国人は、「既に完成したもの」「既に評価を得ているもの」「既に成功したもの」しか理解出来ないのでしょう。そこへ至る過程を、彼らはいつもショートカットしようとします。その過程こそが、価値観を構築するために欠くべからざるものなのに。
国家ブランドの構築を目指すのは大変結構ですが、その前に、まず彼ら自身による彼ら自身の価値観を構築しない限り、「韓国の国家ブランド」などというものは、おそらく未来永劫見つからないだろうと思います。
個人的には、韓国が今から彼ら自身の価値観を構築するより、中国に併呑されて中国の価値観を奉戴する方が、コスト的にも彼らの精神衛生的にも、良いような気がしますが、これは余談です。
新旧魔法の呪文
私は2002年の3月10日頃に日韓チャットに参入したため、2002年の3月1日を経験することもなく(仮に経験していたとしても、当時の私では瞬殺されていたと思います)、初めての8月15日が近付いた頃、古参の常連日本人たちが前年の凄まじさを語りながら、半ばうんざり、半ばわくわくして構えていたのを今も鮮明に覚えています。
ところが2002年の8月15日前後は、拍子抜けするほど何事もなく過ぎました。翌年の3月1日も、8月15日もさしたる攻勢はありませんでした。それ以後も同様です。
今まで、日韓チャットで韓国人どもに襲撃されることは実にしばしばありましたが、何故か私が日韓チャットに参加するようになってから、8.15とか3.1などにまつわる大攻勢といったイベントに遭遇したことは、一度もありません。
もちろん、稀に抗日義兵を気取った韓国子供が迷い込んでくることがなかったわけでもないのですが、束でやって来ても日本人に敵わぬ彼らです。単騎で日本人部屋に飛び込んでくる韓国子供など、誘蛾灯に飛び込む羽虫以下。マニュアル通りのことしか言えず、マニュアルどおりにあしらわれ、マニュアル通りに蹴り飛ばされて、マニュアル通りに火病るのが関の山です。
今年、2008年も同様でした。
8月14日から15日にかけて、一応日韓チャットに顔を出しはしたのですがいつもと変わるところはまったくありませんでした。8月15日から16日にかけては宵の口に寝入ってしまって、午前3時過ぎに目が覚めたので、一応日韓チャットを覗いてみましたが、特にいつもと変わった様子はありませんでした。
だからと言って、韓国人の「日帝憎し」が消えたわけではないと思います。と言うか、最初からそんなものはありませんでした。彼らにあるのは今も昔も「日帝憎し」などではなく、「日本は絶対悪」です。
「光復」や「抗日」というキーワードは、かつて韓国人にとって「日本は絶対悪」ということを瞬時に、何の疑問も感じず思い出すことが出来るスイッチのようなものだったと思います。それは理屈も理論も無用です。彼らには、日本は韓国の下につくべきであるという抜き難い道義的思想があり、それを日本が覆したことが問答無用で悪なのです。
おまけに、その昔はたとえ「光復」という言葉を知らない日本人であっても、「かつて日本が韓国に対して行なった強制的且つ残虐な侵略からの解放のことだ」と言えば、一切の反論なくたちまち凹ませることの出来る、実に便利な魔法の呪文だったのです。
この魔法の呪文の効力が薄れ始めたのは、色んな理由があるでしょう。韓国人自らが唱える「未来志向」との齟齬や、日本文化開放に伴うNippon Feelなども、その理由のひとつに数えることが出来るでしょう。
何より、2002年の日韓共催W杯を期に日本で広がり始めた嫌韓ブームが、インターネットを通じて韓国でも一定の理解を得たことは小さくないと思います。もちろん、理解を得たと言っても、嫌韓の主張に対する理解ではありません。「嫌韓日本人に討論を挑めば反論される」という現実に対する理解とでも言いましょうか。
かつて「日帝支配」と一言唱えれば、返す言葉もなくしおたれていた日本人が、今や得たりとばかりに滔々と反論し、うっかりその反論をまともに聞いていると、思わず納得してしまいそうになるという現象は、彼らにとって大きな衝撃であったでしょう。
何故なら、彼らが望んでいるのは、双方の主張の白黒や是非を定めることではなく、無条件で日本人が韓国人の下について素直に従うということだからです。それを正当化するための「日本は絶対悪」という意識であり、「光復」や「抗日」と言った魔法の呪文なのです。
しかし今日、その呪文では効果が望めなくなったので、8月15日に攻勢を仕掛けることがなくなったのではないかなと思っております。
ところで、新しい魔法の呪文としては、「ドクトウリタン」が台頭してきているのは、皆様ご存知の通りです。「光復」「抗日」「日帝強占」が、彼らにとって、かつて行われた日本の悪行を象徴する言葉とすれば、「ドクトウリタン」は今まさに行なわれている日本の悪行を象徴する言葉だからでしょう。
「ドクトウリタン」では、「従軍慰安婦」や「教科書問題」とは違い、最初から日本の言い分を一切聞かないと規定しているのも、彼らにとって旨味の多い点です。最初から聞かないと決めておけば、反論は無いのと同じだからです。
8月15日の風物詩となりつつある韓国ネチズンによる某巨大匿名掲示板に対するサイバーテロも、「光復」だけでは訴求力に欠けるからか、「独島守護」を入れている辺りが、魔法の呪文の新旧交代を伺わせる現象だと思いました。
飽韓カウントダウン
が、その日の午後、今度はLANがダウン。またもやネットにつなげなくなりました。同じ回線をサブのPCに配線すればネットにつなげることから、モデムや回線の故障ではなく、メインPC側のハードの問題であることは明らかでしたので、復旧方法をサブPCで検索し、サポートページを参照しながら11日未明、どうにか解決出来ました。
何しろメインPCは2002年夏モデルですから、古いと言えば古い。サブPCでネットにつなげるのを良いことに、最初の1日2日はダラダラと呑気に復旧作業を続けておりましたが、3日目にもなると私のスキルで打てる手は尽き果てます。これは良くてOSの再インストール、最悪の場合買い替えかと、悲愴な覚悟を決めておりましたが、上手く解決出来て幸いでした。
さて、韓国を理解するキーワードに「ウリ」「ナム」「恨」があるというのは、非常によく言われます。
弊ブログでも取り上げたことがありますが、韓国についてはたいていどんなことでも、これらのキーワードで説明がついてしまいそうな気がするぐらい重要な語句ではあります。
しかし「ウリ」「ナム」「恨」だけで韓国を説明して、それで理解したつもりになっていたのでは、あまりにも十年一日、進歩がないような気がしてきます。そこで、もっと違う切り口やアプローチは無いものかといろいろ模索しているのですが、残念ながら現状ではこれと言ったものが見つかっておりません。
韓国の底の浅さと言うか、上っ面だけと言うか、バリエーションの無さと言うか、薄っぺらさと言ったものは、これまで日本において、韓国に対する興味や関心があまり盛んにならず、もしなっても早々に終息してしまっていた理由のひとつと言えるでしょう。
日本人の気質のひとつに、「凝り性」というのがあると思います。全ての日本人が例外なくそうだと言うのではありませんが、多少なりともそういう気質を持った人が多いのは間違いないと思います。
そういう気質の日本人は、何かに興味や関心を持ったら、どんな些細なことでも、掘り下げて掘り下げて掘り下げ倒し、微に入り細を穿ち、色んな角度から観察し考察し、同好の士と盛んに講評し合います。もちろんその対象が韓国の場合であっても、例外ではありません。
しかし韓国の場合は、対象そのものがあまりに浅く薄く表層的で単調なので、掘り下げるとたちまち底に突き当たり、微に入るにも細を穿つにも色んな角度から観察するにも考察するにも、極めて早く限界が訪れます。
韓国関連の書籍を読んでいると、その執筆時期の古い新しいに関わらず、しばしば「韓国ブーム」という言葉を目にすることがあります。過去、日本では幾度かの「韓国ブーム」がありました。その都度、韓国は色々調べられ、観察され、考察され、論評されたりしてはおります。
しかしながら、その「韓国ブーム」はいつも長くは続きません。韓国は、一通り調べ観察し考察し論評し終わると、それ以上することがなくなります。することがなくなれば「韓国ブーム」は終息するしかありません。やがて「韓国ブーム」が完全に終結すると、人々はそんなブームがあったことどころか、韓国の存在そのものさえも忘れ果ててしまいます。
そうして日本の人々の意識から韓国そのものが忘れ去られて幾星霜、再び韓国を「発見」する人々が現れて、次なる「韓国ブーム」が起きます。
日本における数度の「韓国ブーム」とは、そういうことの繰り返しだったのではないかと私は考えています。
しかし今般の「韓流捏風」は、今までの「韓国ブーム」とは趣きを異にしました。露骨なまでに作為的な「韓流捏風」の発信に対し、受信者側の中には、それに乗ってか乗せられてか、素直に踊った人々もそれなりにいたようですが、それ以上に「韓流捏風」の欺瞞性に疑問を持ち、改めて自分で調べ、その結果を発信する人々が出てきました。
今までの「韓国ブーム」であれば、受信者側の中にブームの内容やブームそのものに対して疑問を持つ人が出てきたとしても、その疑問を投げかける相手も手段も、極めて限られておりました。
ところが、インターネットの普及によって情報の受信者側からも情報発信が容易になると、知られていないのを良いことに、無いことも有るように見せかけて発信していた韓国情報は、どんどんその欺瞞を暴露されていきます。ばかりでなく、有るのに敢えて発信していなかった情報(ありていに言うと、意図的に隠していた韓国の負の情報)までもが暴露され始めます。
今般の「韓流捏風」が、今までの「韓国ブーム」と大きく異なるのは、この「受信者側からの情報発信」による韓国情報の詳細化、ぶっちゃけて言うと韓国という国と韓国人という人々の正体の暴露でしょう。
しかもインターネットの情報は、環境が整っていれば、紙メディアによるものよりも検索やアクセス、保存が容易で、さらには日韓チャットや日韓翻訳掲示板のように、生の韓国人が発信する情報に直接接することまでもが可能です。
もちろん、インターネット上にある情報は発信が容易な分だけ、虚偽や捏造や歪曲や曖昧な情報が横行します。しかし、そういったことも常識となれば、受信者側は情報に対する判断力を鍛え、自己責任で情報を取捨選択するようになります。その結果、それまで無条件で信用に値すると思われていた「マスコミ」と呼ばれる発信者の情報も、必ずしも十全に信用し得るものとは限らないということが明らかになり始めたのは、望外の収穫でしょう。
ともあれ、これまでのように、ブームの終息に伴って韓国の情報のみならず、韓国の存在そのものも忘れ去られてしまうような環境であれば、韓国にとってはむしろ幸いだったと思います。しかしインターネットを利用して韓国の情報を暴露する人々が激増した結果、再び日本人が韓国を忘れ去る可能性はかなり低いと思います。
もし今後、日本人が韓国を忘れ去るということがあるとしたら、それは日本と韓国が完全に隔離・遮断された場合か、あるいは韓国そのものが消滅した場合でしょう。
もっとも、韓国が忘れ去られることはなくても、飽きられ無視されるようになる可能性は非常に高いと思います。と言うか、既にそうなり始めているかもしれないと、過疎の進む日韓チャットの待機室で思う今日この頃です。
まだやってます。
もっとも私個人としては、北京五輪と同じ程度に、グルジアにも南オセチアにも、ロシアにも知識や関心がありませんので、グルジア無茶し過ぎとか、思い切り良いなロシア、と思った程度で「だけども問題は先日の雷雨、ネットにつなげない~♪」などと、井上陽水を気取ってみたりなんかしております。
戦争と言えば先日、日韓チャットで竹島問題について韓国人と話していた時のことです。四の五の言う韓国人に対して、私は二者の主張が対立した時、解決に至るための方法はふたつしかない、という話をしておりました。
ひとつは「話し合い」で、もうひとつは「殺し合い」です。
竹島問題に関しては、日本は一貫して「話し合い」を韓国に対して求め続けており、韓国は一貫してその「話し合い」を拒否し続けています。解決に至るための方法がふたつしかない以上、ひとつを拒否すればこれは自動的にもうひとつを選択していることになります。
つまり「話し合い」=「裁判による決着」を拒むということは、竹島問題の解決のために韓国は、対日戦争を望んでいるということになります。
実際、韓国軍は先月末、日本との交戦を想定した訓練を行ない、韓国の主要言論はそれを大真面目に取り上げ論評しております。韓国では、昔から日本との戦争を題材にした小説や映画、ドラマ、漫画が多いことからも、また以前話題になったことがある子供たちの反日絵画を見ても、彼らが望んでいるのは「話し合い」ではなく、「殺し合い」だということがよくわかります。
まあ、実際は口だけなんですけどね。
「口だけ」と言うかですね。韓国がもし、必ず絶対、間違いなく確実に日本に勝てると思ったら、連中、その日の内に日本に侵攻してきます。今のところは、悔しいけどまだ日本に勝てないと、韓国人自身が思ってるから遠吠えで済んでいるだけです。
こういう話をすると鼻で笑ってとりあわない日本人や、大げさだと言って否定する韓国人は少なくありません。韓国人は現実が見えないからしかたがないとしても、日本海を挟んだ韓国が、今現在、対日戦争を望んでいるとしか思えないという現実に、私たち日本人はもっとナーバスになっても良いと思うのです。
さて、そんな中、私が淡々と注目しているのは、実は韓国の燭火デモの成り行きです。
「え?まだやってんの?」という方が多いと思いますが、連中まだやっております。さすが、粘着と言えば韓国人、韓国人と言えば粘着と言うだけのことはあるとでも言いましょうか。
現在、燭火デモ首謀者は指名手配され、曹渓寺という寺に立てこもっているそうですが、その寺に来た小学生に大統領の悪口雑言を書かせ、それをビデオに撮ってネットで公開したことが話題になっているようです。
4月下旬から延々と続く燭火デモには、不快感を表明する韓国人が増えつつあるようで、燭火デモ指導者や賛同者は徐々に旗色が悪くなってきています。
当初の鼻息で飛ぶ鳥落とす勢いはどこへやら、この「韓韓チャットログ」に登場する連中の中にも、この曹渓寺に立てこもっている輩がいる模様。
もともと「3人寄れば4つの派閥が出来る」と言われている韓国人です。デモの期間が長くなり、規模が大きくなればなるほど、分裂や衝突、裏切りや抜け駆けなどが横行するのは当然の成り行きでしょう。
最初のうちは、どれほどデモ賛同者や参加者同士が紛糾しようとも、誰かが一声「李明博」と叫べば、皆がこぞって「OUT」と応じることでなんとかまとまっていたのですが、その効力もさすがに尽き始めているようです。やはり韓国人をまとめるためには、日本に対する敵愾心を煽る文句(今なら「ドクトヌンウリタン」)に勝る呪文はないのでしょう。
もはや青瓦台側(政府及び朝中東等)とデモ隊側(燭火デモ参加者、賛同者及びハンギョレ、京郷新聞等)の争いは、「どちらの主張が正しいか」ではなく、「どちらがより汚いことをしているか」を互いに晒しあう泥仕合となり果てております。
もっとも、勝敗で言うならばおそらく青瓦台側が勝つと思います。何故なら、デモ隊側は既に内部分裂の兆しが見え始めておりますし、旗色が悪いと思ったデモ賛同者たちは、李明博糾弾よりはドクトウリタンへ鞍替えし始めております。
このデモの最後は、逃げるに逃げられなくなった首謀者たちが観念しておとなしくお縄につくか、あるいは破れかぶれでとんでもない過激行動に出るかのどちらかではないかなと
子供じゃないから困る
そのせいかどうか、雷対策済みのプラグも使っているはずなのですが、メインのデスクトップPCがダウン。再起動をかけると一応立ち上がることは立ち上がるのですが、何故かインターネットの接続が確立しません。おまけに何度目かの再起動で勝手にスキャンディスクを始めやがりまして、朝方まで待っても終わらないので、現在しかたなくサブのノートPCを使って接続しております。
昨日8月6日は広島Dayでしたが、この日は朝6時半ごろに震度2ながら妙に長く揺れる嫌な感じの地震があり、昼からは豪雷雨。最近雷は多かったのですが、地震セットでお越しになるのは大変珍しく、それが原爆忌と重なった上にPCまでダウンとなれば、思いたくなくとも何かの祟りかと思ってしまいます。
と、更新が遅くなった言い訳はここまでにいたしまして、前回記事のコメントにもありましたが、韓国人は子供のようだとよく言われます。私もそう思う時があります。
彼らは自己中心的で我慢が聞きません。傍若無人で空気が読めません。躊躇うことなく本能の赴くままに行動し、易々と人としての矩を踰えます。喜怒哀楽の落差が激しく、声も動作も無駄にでかいし、後先考えず思いつきで唐突に行動します。自身に対する責任感と自己批判はありませんが、その分他者への問責や批判と、依存は過大です。
それでも彼らが本当に子供であるならば、耐えることは出来るかもしれません。少なくとも、耐える努力をしようと思うことは出来ます。彼らが子供であれば、やがて成長する期待が持てるからです。
しかし彼ら韓国人は成長しません。時々聞かれる韓国擁護の意見に、「韓国人は発展途上の人々なのだから」というのがあります。「だから、彼らの発展を待ってあげよう」という意見です。発展途上とは言い換えれば、成長中ということでしょう。成長中ということは、やがては成熟するということです。
ですが残念ながら、彼ら韓国人は成長しません。かつて我々日本人の先人も、「朝鮮人も成長し得る」と言う期待を持って接していたことがあります。しかし日韓併合の足掛け36年を経ても、彼らは成長しませんでした。さらに日韓基本条約締結後40有余年を経た現在でも、彼らは全く成長していません。
私たちから見て、彼らがいくら子供じみているからと言って、彼らは子供ではありません。彼ら自身も、自らを子供とは決して思っておりません。彼らはあれで成体なのです。
子供じみた言動を取る大人というのは、現実社会でもしばしば接する機会があると思います。そういう人に接した時、人は一般的にどのように対処するかを考えれば、自ずから韓国人に対してどのように接すれば良いかの答えも出てくるはずです。
もし私たちが韓国人に何かを期待するとしたら、それは成長ではなく、進化です。しかし生物は、人為的な淘汰や品種改良を施したとしても、進化するには100年200年とかかります。自然にまかせれば、1万年単位で時間が必要ですが、それだけ待っても、彼らが期待する進化を遂げるかどうかはわかりません。
そんな気の遠くなるような夢想をするのは各人の勝手ですが、それを担保に韓国人の子供じみた行動を許容しろと言われるのは、固くお断りしたいと思います。
韓国人化すれば分かり合えるだろうけれど
ところで、前回の記事に以下のようなご質問が入りましたので、簡単にお答えしておきます。
・北朝鮮のことを報道で「テロ支援国家」と言ってますが、実際は「テロ国家」ではないのですか? ・北朝鮮の拉致事件に、在日の朝鮮人の連中が深く関わっているのが明白なのに、何故ゆえに逮捕できないのですか? ・噂ゆえに真偽の程は明確ではありませんが、北朝鮮の拉致事件に南朝鮮の連中も関わっていると聞きました。関わっていたとするならば、どうなるのでしょう? |
まず最初のご質問ですが、報道には色々な制約があり、それに則って用語を選択しているのではないかと思います。ですから、そのご質問は弊ブログではなく、報道関係機関にお尋ねいただかないと明確な答えは出ないと思います。
次のご質問ですが、逮捕についても、日本の法律に基づけば、在日が拉致に関与しているということは明白でも、在日の中のどこの誰が拉致に深く関与したのかが特定出来ないと逮捕出来ないんじゃないかと思います。その辺も、警察にお尋ねいただくのが一番確実ではないかと思います。
最後のご質問ですが、拉致に韓国人が関与していたとして、「どうなるのでしょう?」とは、何がどうなるのかをお尋ねなのかよくわかりませんでした。もし日韓関係がどうなるのかをお尋ねだとすれば、どうもならないと思います。韓国人が日本で日本人に対し犯罪被害を与えることは、拉致に限らず、別に珍しいことではありません。要は、韓国人個人が日本で如何なる狼藉を働こうとも、それはあくまで個人の犯罪というだけのことです。日本で犯罪を行なった個人が特定出来て、証拠が揃うならば、法に則って逮捕・処罰するだけのことではないかと思います。
何か特定の答えを期待されてるとしか思えないご質問でしたが、一応以上で弊ブログからの回答とさせていただきます。
さて、先日のコメントで、「韓国という国をどう思う?」というインターネット上のアンケートを教えていただき、それを興味深く拝見いたしました。
数字上の結果は「好き (7.08%)」「嫌い (80.47%)」「意識していない (12.44%)」という結果だったのですが、私の興味は韓国がどれだけ嫌われているかではなく、韓国を好きだという人がどういう理由で好きと言ってるのか、でした。
そこでコメントをひとつひとつ拝読したのですが、面白かったのは「好き」と回答していながら、コメント内容は「嫌い」と答えている例が多かったことです。おそらくコメントすることの方に意識が行ってしまって、デフォルトで「好き」にチェックが入ってることに気づかないままコメントを投稿してしまった方が結構いらっしゃったのではないかなと思います。もしそうであれば「好き (7.08%)」の割合はもう少し下がりそうですねw
とりあえず「好き」という回答とコメント内容が一致しているものを、投稿順にいくつかピックアップしてみました。
No. 44777 好き:良き隣人 優しい場所に住む、温かい人々の国だと想います。 tonga | 男性 | 40代 | 東京都 | 2008/07/19 10:02 No. 44812 好き:日本人は謙虚に韓国に耳を傾けるべき 海一つを挟んで、隣に位置する国であるから、利害関係が強く絡むのは当然。そこを話し合いで解決する努力を持ち続けなければ、日本はアジアに占める地位を危うくする可能性がある。拉致問題は、韓国・中国・アメリカそしてロシアを含む六カ国協議のなかで、国際的にも連帯して、解決を迫らなければ、あの無法を平気で行う北朝鮮には対抗できないはず。日本人は、歴史と向き合う中で、冷静な対応が強く求められているのでは。文化的にも近い所にある韓国。深く交流すれば、十分感情的にも理解できる点が多く生まれるはず。 | 男性 | 40代 | 大阪府 | 2008/07/19 11:56 No. 44821 好き:好きになりたい。 反日教育的な物を排除して若者達世代から交流出来る雰囲気を作って欲しいものだ。韓国人個人はとてもいい人が多いので。日本人は反韓教育されてないのですぐ打解けられると思うが、2CHなどの明らかに朝鮮系の方と思われる反日運動工作投稿を見て嫌いになる若者もいるかもしれないのが残念だ。 ターナカ | 男性 | 30代 | 東京都 | 2008/07/19 12:14 No. 44830 好き:好きでいさせてほしいのだが 俺は芸能人は韓国の芸能人しか興味がない。ドラマも映画も音楽もほぼ、韓国のものを鑑賞する。面白いから。日韓が衝突するような出来事があっても、出来るだけ韓国の立場も理解してあげようと努めてきた。しかし、天皇陛下の写真を焼かれたら怒りが込み上げてきた。韓国よ、今まで通り好きでいてもよいのだろうか? DJP | 男性 | 40代 | 宮城県 | 2008/07/19 12:40 |
他にもまだいくつかありますが、概ね似たり寄ったりのご意見で、冗長になるので割愛します。興味のある方はリンク先をたどってみてください。
この「好き」という意見の人たちを糾弾するつもりは、私にはまったくありません。ほんの数年前までの日本人の多くは、ここに取り上げた「好き」という意見の人たちとさほど変わらなかったはずです。こういう人たちは、韓国人をあまり知らずに「話せば分かる人たち」と思っているだけなのです。
韓国人を知らないがゆえに「話せば分かり合える」と思っている人たちであれば、韓国についての情報と知識を得れば、現在多くの日本人が気づいたように、やがて気づかれることと思います。民族も言語も同じ北朝鮮人と話し合っても分かり合えぬ韓国人が、民族も言語も異なる日本人と分かり合える日が来ることなど、およそ未来永劫望み得ないということと、仮に一人二人の韓国人と分かり合えたところで、それが韓国社会に対して何らの影響も与え得ないということを。
韓国を「好き」という意見で、私が困ると思うのは、以下のような意見の人です。
No. 45093 好き:嫌いな人多いけど 嫌いとか言ってる人に限って韓国の知り合いが一人もいなかったり中国語と韓国語の違いもわからなかったりするんだよね。留学中ルームメートの韓国人にお世話になったな~日本の文化もよく知ってた。賢い人も多い。確かに荒っぽい性格の人もいたけれど愛国心あるお国の人を愛国心皆無、首相の名前も言えない平和ちゃんが多い日本人は理解し辛いのかもね~料理も文化も好きです。テレビで韓流ブームには乗り損ねたけどね… まあまあ | 女性 | 30代 | 静岡県 | 2008/07/20 23:05 | |
こういう方は、一般的な日本人が考えるような日韓友好を望んでいるわけではないと思います。ただ単に日本を貶め、他の日本人を蔑むことで、自分だけは公正で冷静な国際的知識人だと言いたいがためとしか思えません。ですから、こういう方は仮に韓国を知っても意見を変えないでしょう。と言うか、おそらく韓国を本当に知ろうとはしないでしょう。もし本当に韓国を知っていれば、韓国人を「愛国心のあるお国の人」などと言うはずがありません。
弊ブログや嫌韓系ブログのコメント欄でしばしば見かける「韓国人は日本人よりずっとマシ」的意見(例えば「無気力な日本人より行動力のある韓国人の方がマシ」とか、「平和ボケした日本人より緊張感を持った韓国人の方がマシ」等)も、結局これと同様です。
本当に韓国人の方がマシと思ってるのではなく、謙遜のつもりかはたまた媚びなのかはわかりませんが、韓国人を持ち上げ日本人を貶めることで、自分だけは日本人であっても公正で冷静だということを強調しているつもりなのでしょう。
不思議なことに、こういう輩の言動は、しばしば韓国人の日本や日本人に対する侮蔑の言動と重なります。もしかすると彼らは、韓国人と精神的に同化しているのかもしれません。そう考えれば確かに、韓国人と分かり合うことは可能でしょう。
しかし、普通の日本人は韓国人的精神の発するままに行なわれた様々な醜い行動(燭火デモや小動物虐殺デモ、剃髪や焚身、断指などの身体毀損抗議、火病発作、語彙数世界一とも言われる罵倒語を駆使した口論等)を快く思うことが出来ません。そんな彼らと精神的に同化したいと思う日本人は、決して多くないと確信します。せいぜい朝鮮DNAの発現した方たちぐらいでしょう。
朝鮮DNAが発現してるせいか、それともフェアでクールなコスモポリタンを気取りたいがためなのかはわかりませんが、いずれにしても韓国人を理解するべきという意見の裏が、韓国人と精神的に同化するべきなどという意見なのであれば、私は日本人として以前に人として、断固反対します。
ところで、「好き」という意見の中に以下のようなコメントがありました。
No. 45111 好き:ある意味好き 向こうのローカル社会ニュースなんかは、ギャグマンガよりも分かりやすくて面白い。 はにはにちゃんw | 女性 | 20代 | 香川県 | 2008/07/21 05:04 |
「はにはにちゃんw」って、もしや「ちょーはにはにちゃんw」ですか?w
早期のコンビ解消を
さて、相変らず竹島問題絡みで、日本も韓国もグダグダなわけですが、アメリカまで一緒になってグダグダにならなくても良いのに、というネタが出てまいりました。
【竹島問題】「韓国」に表記再変更 米政府が抗議丸のみ 2008.7.31 11:03 【ワシントン=有元隆志】米政府機関の地名委員会(BGN)は30日、竹島(韓国名・独島)の帰属先について、「韓国」から「主権未指定」と変更した措置を撤回、再び帰属先を「韓国」に戻した。韓国政府からの強い働きかけを受けたホワイトハウスからの指示に基づく措置。 米国家安全保障会議(NSC)のワイルダー・アジア上級部長は30日、記者団に対し、「変更について、われわれの政策が変わった─と韓国民に受け止められたことを遺憾に思う」と語った。そのうえで「領土問題について、(どちらを支持するか)われわれの立場は示さない。韓国と日本が外交的に解決すべきと信じている」と述べ、中立を守る米政府の立場を強調した。 そもそもBGNが帰属先を変更したのは、領有権をめぐり日韓両国が対立している中、米政府の中立的な立場をより明確にするねらいがあったというが、今回の措置は韓国側の要求を全面的に受け入れた格好だ。 ブッシュ大統領は8月4日から韓国訪問に向けて出発するが、訪問直前のBGNの措置によって、米国産牛肉の輸入再開問題をめぐってすでにぎくしゃくした米韓関係がさらに悪化し、韓国での抗議運動が予想されたため、混乱を避けるため再変更を決めたものとみられる。 ワイルダー部長によると、韓国政府高官からの要請を受けて、ブッシュ大統領がライス国務長官に変更について調査するよう指示していた。 BGNは島の名称について従来通り「リアンクール岩礁」を基準としたが、別称では同岩礁の下に記されていた「Take Shima(竹島)」の順番を下げ、「Tok-to(独島)」を上位に置いた。 |
もっともこれには裏事情があるそうです。
【竹島問題】表記変更は大統領訪韓への配慮 米大使 2008.7.31 22:07 バシュボウ駐韓米大使は31日、米政府機関「地名委員会」のサイトが竹島(韓国名・独島)の帰属先を「韓国領」と戻したことについて、「ブッシュ大統領の訪韓が実りあるものとなるため、問題がうまく収束することを期待する」と述べ、8月6日に予定される米韓首脳会談に配慮したことを強く示唆した。 ソウルの外交通商省で柳明桓外交通商相との会談冒頭、記者団を前に語った。柳氏は「米政府の迅速な対応に感謝している」と応じた。 大使は同サイトが先週、竹島の帰属先を「主権未指定」と変更したことについて「低いレベルでの官僚的な決定だった」と釈明。米政府が日本の主張を受け入れたとの見方は誤解だとし、竹島問題で「米政府の(中立的な)立場は過去50年間変わっていない」と強調した。(共同) |
駐韓米国大使も大変ですね。
しかし、毎度毎度の竹島問題ですが、しみじみ考えさせられるのは、日本側の対応です。
いつもいつも、日本側の対応は、良く言えば静かで穏やかで優しいのですが、悪く言えばユルいヌルいヤワい。付け込まれやすいとも言えます。
対する韓国側は、毎度毎度、良くも悪くも自国の主張を無理やりに押し付け、押し通そうとします。丁度おもちゃ屋の前で、買って欲しいおもちゃの名前を絶叫連呼しながら、ひっくり返って泣き喚き暴れる子供のように。
さらに、これまでのユルくヌルくヤワい対応で韓国を増長させた日本の咎を省みずにはいられません。竹島問題にしても、2006年4月の騒動の際に、きっちりがっちりぶん殴って、頭ではなく身体に覚えさせておいた方が良かったのではないかと思わずにはおられません。
もちろん、実際に私が韓国をぶん殴れる立場にあったわけではありません。が、韓国なんかに「大人な対応」というものが通用するはずもないことを十分知っていながら、それでもあの時、「大人な対応を」などと思ってしまったのは事実です。この辺りが、私にもある「日本人的ヌルさ」というやつでしょう。そんな私に、実際に韓国を殴れる立場にありながら殴らなかった人たちを責める資格はありません。
どうもこの日本人のヌルさと、朝鮮人のズルさというのは絶妙に呼応するように思えます。もし私が日本人ではなく、かつこの二者のやりとりを傍観出来る立場であったならば、「日本人と朝鮮人って、案外良いコンビなんじゃね?」とか言って笑ってやりたいくらいです。
実際のところ、弊ブログのチャットログなどは、そういう部分をネタにしていることがあります。日韓チャットでは、日本人がある程度韓国人に対する態度をユルくヌルくヤワくしてやらないと、ネタどころか話さえ始まりません。そのせいで最近ちっともログが取れないわけですが。
そこで漫才コンビよろしく「受は地球を救う」などと言って、日韓のやり取りをネタに、受けを狙いに走ることも、やろうと思えば出来ます。しかし、そんなものがどこで誰に受けてるのかわかりませんし、それで地球が救えるとも思えませんし、半万歩譲ってそれで地球が救えたとしても、日本は全然救われません。
こんな不毛な漫才コンビは、本当に一日も早く解消したいものです。