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愛情に愛情で応えてもらえるとは限らない

韓国が【暗黒の九月】に突入した途端の福田総理の辞任には、少々驚かされました。これを絶妙のタイミングであったと見る韓国ウォッチャーは、案外多いようです。

私も、まさか韓国の経済破綻の影響に備えるためだけの総理辞任とはさすがに思いませんが、辞任を決めた要素のひとつにそれが入っていても、おかしくないとは思います。

実際問題として、韓国経済は既に崩壊のカウントダウンが始まっています。もし韓国がAgain IMFになれば、日本が韓国からの支援要請を、100%完全に断ることは難しいでしょう。ましてや中韓に舐められまくってる福田さんでは、いじめられっ子がカツアゲされるが如くの対韓支援をやりかねません。

そうやってさせられるだけ支援させられても、日本は韓国に感謝されるどころか、なお一層恨まれるだけになるのは、火を見るより明らかです。

どうせ支持率も低いし、辞める時期を見誤って貧乏くじ引かされるくらいなら、韓国経済が崩壊する前に辞めた方が面倒も少ないし、日本の国益にも適うだろうと福田さんが考えたかどうかはわかりませんが、日韓関係に限定すれば、今回の総理辞任はそういうタイミングではありました。

この上、もし麻生さんが次期総理になれば、韓国は李完用役が出てこない限り、日本から十分な援助を引き出すことは出来ないでしょう。

もし現在の韓国に、かつての李完用の如く、国民感情に逆らってでも韓国の国益を第一に考えることの出来る人物が出てくれば、日本としてはかなり災難です。その人物が韓国を代表して、堪え難きを堪え、忍び難きを忍んで日本に頭を下げ援助を乞えば、如何に嫌韓といえども、惻隠の情を催さずにはいられますまい。たとえ惻隠の情を催さずとも、そうやって韓国が下げた頭を踏み付けにしたりすれば、非難されるのは踏み付けた方になるのが日本という国のつらいところです。

もちろん韓国が「堪え難きを堪え、忍び難きを忍んで」日本に頭を下げると言っても、口だけではなく、それなりの行動を見せてもらわねばなりません。例えば、竹島の不法占拠を直ちに解いて日本に謝罪し、即日撤収するぐらいの行動は、最低限必要でしょう。

しかし、そんなことが出来る人物が、現在の韓国にいるとは思えません。そうしなければ韓国本土が崩壊するとしても、彼らは竹島を死守しようとするでしょう。

そんなわけで、韓国経済が助かる可能性は現在ほとんどありませんので、私たちは沈みゆく韓国経済をマッタリ観賞しながら、日本がその余波を被らないことに腐心していれば良いかなと思います。

ところで、前回記事のコメント欄も盛況で、筆者は大変喜んでおります。

これまで幾度も述べておりますが、残念ながら私は全知ではありません。ですので、私の知り得た事実や考察が全てではありませんし、言うまでもなく完璧に正しいわけでもありません。しかし、十全ではないにしても、私が知り得た事実や、それらについての考察を記事として弊ブログで皆様に公開し、それを読んでコメントを投げ返していただくことで知識を共有し、互いにより広く深く考察することが出来、またいただいたコメントによって私のブログ執筆のモチベーションがあがり、再び皆様へ記事をお渡しすることが出来ます。そういう循環が、飽韓気味の現在の私の、弊ブログを続ける原動力になっています。

ですから、批判や反論も歓迎しております。むしろ、批判や反論の方が考察の参考になりますので、我こそはと思う方はどんどん批判・反論のコメントをください。特に以前から申し上げております「日韓断交によって日本が被るデメリット」をご存知の方、ご教示いただければ幸甚です。

ただ、今更改めて言うことでもありませんが、たとえ弊ブログのコメント欄であっても、ネットで意見を述べる際の最低限のお作法は、どうぞお守りいただきたいと思います。少なくとも、「批判・反論歓迎」ってのは、「いただいた批判や反論に無条件で賛成・同意します」という意味ではないことぐらいは、あらかじめご承知おきください。

さて、今日は「隣人として見守る事こそ今日本人に出来る最大の愛情表現」云々を仰るコメントと、そのコメントに対するコメントを見ながら、しみじみ考えたことを申し上げたいと思います。

日本人に限ったことではないと思いますが、「愛情を注いだ相手からは、必ず相応の愛情が返ってくる」と信じてる人は、意外に少なくありません。これは正しくは「愛情を注いだ相手からは、必ず相応の愛情が返ってくると良いなあ」という願望でしかないのですが、なぜか「と良いなあ」の部分が欠落してしまって、「返ってくる」と信じ込んでしまっている人が多いのです。

また人が愛情を注ぐ相手は、必ずしも人間とは限りません。動物や植物、機械などにも愛情を注ぐ人は珍しくありません。とはいえやはり、人間以外であれば、表情のある動物に愛情を注ぐ人が一番多いでしょう。

その動物も、人間の便宜上、家畜とそれ以外に分けられます。

人間によって家畜として飼育されている動物、特に愛玩動物は、こちらが注いだ愛情に応えてくれるような気はします。しかし、たとえ愛玩動物であろうとも、適切な対応が出来ない人が近寄れば、たとえその人が愛玩動物に対してどれほどの愛情を注いだとしても、その人を害することがないとは言い切れません。

幼児が、飼い猫を可愛がろうとして尻尾を掴んで引っ張り、怒った猫に引っかかれるという事故は、割とよくある例と言えるでしょう。

さらに動物園などの施設で完全に人間の管理下にあるとしても、家畜ではない動物は、しばしば飼育員を傷つけ、時には飼育員を殺すことさえあります。

家畜ではない動物を飼育・管理するための知識や技能、経験を持った飼育員でさえ、ひとつ間違えば自身が愛した動物に傷つけられたり、最悪の場合命を奪われるたりすることもあるのです。

もしそれが野生動物であれば、何も知らない人が、その野生動物に対してどれほどの愛情を持っていたとしても、またその野生動物がどれほど可愛く見えても、どれほど温和に見えても、知識も技能も経験もないまま無闇に野生動物に近寄ることは、極めて危険な行為です。

もちろん、だからと言って動物に愛情を持ってはいけないなどとは言いません。遠く離れた場所から眺めるだけとか、写真や映像で見るだけであれば、彼らに惜しみない愛情を注いでやるのは良いことだと思います。

しかし、もし動物に接触する可能性があるほど近付いたり、あるいは動物の方からこちらに近付いてくることがあれば、こちらがその動物に対してどれほどの愛情を持っていたとしても、それが動物相手に伝わるだろうとか、きっと伝わっているだろうなどと夢想することは、断じて推奨出来ません。

ましてや、その動物が、注いだ愛情に見合うだけの愛情で応えてくれるなどと考えるのは、危険を通り越して自殺行為です。

アメリカに、グリズリー・マンと呼ばれた一人の男性がいました。彼はグリズリーを心から愛し、その保護を訴え、十数年間もグリズリーの姿を撮影し続けていました。

全身全霊を込めてグリズリーを愛した彼は、2003年、生きたままグリズリーに食われるという最後を遂げました。

もっとも彼は、「グリズリーのためなら死ねる」とまで言っていたそうですから、グリズリーの方も、その彼の愛情に文字通り食べてしまいたいと思うほどの愛で応えたのだと思えば、食われた彼は本望かもしれません。

気の毒なのは、彼の恋人でしょう。おそらくは、彼ほどグリズリーを愛していたわけでもなかった彼女は、その彼と共に、やはり生きたままグリズリーに食われたそうです。

グリズリーを愛した男の恋人になってしまったのが、悲劇の始まりとしか言いようがありません。

ところで、皆様既にご承知のことと存じますが、どこぞの半島の連中も、熊の子孫です。



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