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平成20年年末ご挨拶

今日で今年も終了です。今年もそれなりに激動の1年でした。

韓国関連で言えば、酋長が盧武鉉から李明博に代わって10年ぶりの政権交代となり、南大門(崇礼門)が焼失し、狂牛病関連の捏造報道に端を発した3ヶ月にも及ぶ燭火デモが行なわれ、それが沈静化するかしないかの頃から経済破綻が露呈し始め、10月からは連日のように「韓銀大勝利、ネトウヨ涙目。今日も致命傷で済んだニダ」を見せてくれました。

満身創痍で迎えた11月に米韓スワップ、更に12月に入ってから日韓・中韓スワップというドーピングを行なって何とか今年一杯は持たせることが出来た韓国経済でした。

また、年末ギリギリにEnjoy Koreaが大規模な板の削減と仕様の大幅な劣化を伴うリニューアルを行なったようです。私はあそこのID持っておらず、直接には関係がないのですが、やはり日韓ネット交流の場としては大きな場所だったと思いますので、今後の日韓ネット交流に何らかの影響があるのではないかと思います。

それより日韓チャットがいつ潰れるかということを、私は心配するべきかもしれませんw 

現在利用している日韓チャットは過疎化が激しい割に苦情が多そうで、おそらく運営側もうんざりしているであろうことは想像に難くありません。これまでに渡り歩いてきたいくつかの日韓チャットでは、ある日突然「もうやーめた」的に放り投げて終了ということが幾度かありましたので、今使ってるところもそうならないと考えられるほど楽天的にはなれません。

ともあれ、弊ブログも、何とか4回目の正月を迎えることとなりました。これもひとえに読者の皆様のご声援と、日韓チャットの常連日本人のご指導、及び常連韓国人のご協力の賜物と深く感謝しております。

ブログというものは、内容も当然軽視されるべきではありませんが、継続することによる知識の整理・蓄積・集約が非常に重要だと思います。

と言うか、そう信じて、書けない時でもとにかく書き続けておりますw

色々と拙い部分もあったと思いますし、記事を見て「そりゃ違うんじゃね?」と思われた方も大勢いらっしゃったことと存じます。

それでも、未熟な筆者を見捨てずお付き合いいただいた皆様には、本当に感謝してもし切れません。どうぞ来年も、引き続きお見捨てなくご愛顧いただければと願っております。

それでは皆様、良いお年をお迎えください。

平成20年(西暦2008年)12月31日
筆者敬白
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韓国の文化を最も蔑ろにしているのは

今年も、今日を入れてあと3日。いよいよ押し迫って参りました。この慌ただしさを乗り越えれば、めでたく正月です。最近は正月一日からお仕事の方も少なくないと思いますが、それでも年が明けると、何かひとくぎりついたような気がするから、不思議なものです。

昔の日本は、年齢を誕生日ではなく正月で数える数え年でした(ちなみに韓国は今でも数え年が主流のようです)。「門松は冥途の旅の一里塚」という有名な一休禅師の狂歌は、正月でみんな一斉に年を取ることを前提にしてこそ、歌意が引き立つそうです。

満年齢より年が多くなるので数え年を嫌がる方もいらっしゃるでしょうが、厄年は数え年で判断しますので、そろそろ厄かなあという方は、正月を機に数え年を確認されておかれた方がよろしいかもしれません。「厄年なんて迷信、迷信」って方にはどうでもいいことかもしれませんが、あれで案外理に適ってるところもあるらしいですし(そう言えば先日亡くなった飯島愛さんも、厄年だったんじゃないかな?)、縁起物ですから、気にするぐらいはしておいても損はしないんじゃないかと思います。

ところで、先日拍手の方のコメントで「字をもう少し大きくして、コントラストをはっきりしたものにしていただきたい」というご要望が入りました。確かに弊ブログの字は小さい方かと思います。

そこで、フォントサイズとか色とかをちまちま変えるより、いっそのことテンプレートごと変更してしまおうと思い立ち、ただいまスタイルシートと取っ組み合い中です。順調に行けば、年明けにでもリニューアルオープン出来るかと思います。ちなみに新しいテンプレートは、かなりシンプルにします。看板の月見櫓画像も結構気に入ってはいるのですが、思い切って取り外す予定です。

さて韓国ですが、前回の「韓国の食文化」という記事について、あれは嫌味をふんだんに混ぜてはおりますが、実はかなり本気で思っている部分もあります。

食文化に限らず、韓国人は何につけ、自分たちの文化を疎かにし過ぎだと常々思っております。彼らの、外聞の悪そうな文化を否定したり無かったことにしたりすることだけではなく、誇らしいと思えそうな文化を、原型を留めなくなるほどに飾り立てたりすることも、彼ら自身による文化の毀損だと思います。

韓国には、オリジナルと言える文化らしい文化は、皆無に近い状態です。彼らにもそれはうっすらとわかってはいるようで、二言目には秀吉が焼いたの日帝が破壊したのと言います。しかし本当は、彼らが常によその国の文化の良さそうなものを見繕ってはそれを盗んだり、起源を主張してみたりするばかりで、自分たちでオリジナルの文化を育てようともせず、それどころか積極的に蔑ろにしていたからというのが、実際のところでしょう。

たとえ他国や他民族からどのように言われようとも、それが韓国という国、風土、民族においては合理的な文化なのだから、彼ら自身で受け継ぎ守り育てていこうという意識が、彼らにはありません。

私は前回の記事を書いている時に、日韓チャットで韓国人相手に、「残飯の再利用は韓国の食文化なのだから、否定するべきではないのでははないか」と話してみました。その結果は、ほとんどの韓国人がそれを聞くや否や激怒し、話も聞かず一方的に私を罵って出て行ってしまうばかりでした。

これは犬肉食の場合も同様で、「韓国の犬肉食について」と切り出すや否や、ほとんどの韓国人がこちらの話も聞かずに「私は食べません」「全ての人が食べるわけではありません」などと言って、必死で否定しようとするか、怒って出て行ってしまうかのどちらかです。

彼らの文化を批判したり否定したりすることで激怒され、罵られるのならばしかたないと思わないでもないのですが、彼らの文化を認め、肯定しようとしても激怒されたり罵られたりするわけです。ならばと言うことで、韓国人自身に韓国の文化について語ってもらおうとしても、以前ログでもご紹介した通り、彼らは自国文化を詳しく外国人に説明出来ません。

それは「韓国の誇らしいイメージ」だけを重視して、実際の韓国の姿や文化について詳しく知ろうとする韓国人がほとんどいないからでしょう(ちなみに韓国語では、「誇り」と「自慢」はほぼ同義語です)。

張り子の虎の方がまだましに見えるほど、韓国はあらゆるものごとが虚飾ばかりで中身がありません。

結局、韓国の文化というものを最も認めず、最も蔑ろにしているのは、韓国人自身であるなあと思わざるを得ませんでした。



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韓国の食文化

最近のウリナラチラシでは、ソウルの飲食店における残飯の使い回しが規制されるとか、それに対して飲食店側が反発しているとかのニュースが報じられています。

韓国では、ごちそうは「膳の脚が折れるほど」出すこととされてきました。これは今も変わりません。日韓チャットでも、日本に渡航・滞在経験のある韓国人が、「日本の居酒屋では、おかず(漬物や小皿料理など)が有料なのは情がない」と言うのを時々聞きます。

韓国人的には、とにかく卓上一杯に隙間なく料理を並べておかないと、一品一品がどんなに美味しいものであっても、何だか貧相に映るようです。

食べ切れないほどの品数を出すということは、出された料理は食べ切れないのが当然であり、食べ残しが出るのは必然です。更に、歴史的に食糧事情が豊かでなかった韓国に、食べ残しが出ればそれを使い回す習慣があることは、極めて自然なことだと思います。

日本人から見れば、確かに韓国の飲食店が残飯の再利用規制に反発するのは異常に見えます。しかし、それが韓国の食文化なのです。

例えば韓国の街角にはおでんの屋台があります。串に刺したおでんの浸かったスープが湯気を立てている風景は、韓国の冬の風物詩でもありますが、そのスープは飲み放題だそうです。「だそうです」というのは、それを見たことはありますが、利用したことがないからです。

韓国のおでん屋台を遠目に観察していると、ふらっと来た客が店主に断りもなくいきなりおでんの串を掴んで口に運び(実はこれにもビビりましたw)、おでんの浸かっているスープを、店のコップ(今は使い捨ての紙コップを使うところが多いようですが、私が見た時はプラスチック製のコップでした)で勝手に汲んで飲んでいます。しかも、そのコップのスープを飲み干せば、再び同じコップをスープの中に突っ込んで汲んでいるのです。

それを見ていた私の脳裏には、大阪の立ち呑みの串カツ屋なんかにある「二度付け厳禁!」の貼り紙が浮かび、「おいおいおい、良いのか?それ良いのか?」と緊張しながら見ておりましたが、店主も他の客も誰もその行為を咎めません。咎めないどころか、その行為に反応さえしません。つまりそれが「当然」なのです。

その「当然」が、日本人である私にはどうしても理解出来ず、故に韓国でおでんを食べたことは一度もありません(ふぐは食べましたがw)。

このような韓国の衛生観念からすれば、食べられる残飯を再利用することなど、何の抵抗もなかろうということは容易に想像がつきます。

韓国では、料理は味より量が勝負です。「残飯の使い回し」を禁止されれば、飲食店側は客が食べ残す分も原価算入するか、さもなくば残飯が出ないように、店の評判が落ちるのを覚悟の上で料理の量を減らすかしかありません。

「安くて量が多い。しかし残飯を再利用している可能性のある店」と「安いが量が少ない。しかし残飯を再利用していない店」のどちらかであれば、後者にも勝ち目はあるかもしれません。しかし、韓国のことです。必ず「安くて量が少ない。しかしこっそり残飯の再利用をしている」という店が出てきます。こうなれば、一人負けを食らうのは「安くて量が少ない。しかし残飯を再利用していない店」になるのは明白ですし、たとえどれをチョイスしても、店の経営にはかなりのダメージが予想されます。だから彼らは激しく反発するのでしょう。

この韓国の食文化を、私たちは日本基準で批判したり笑ったりするべきではないと思います。また韓国人もこれを恥じることはありません。これは、韓国の国民病とも言われる肝炎の蔓延もものかはで培ってきた、誇らしい韓国の食文化だと私は評価します。この食文化から、部隊鍋(ブテチゲ)という名物料理も生まれたではありませんか。

私たち日本人は、韓国の食文化がそうであることを認めた上で、韓国を訪れるかどうか、韓国の飲食店を利用するかどうかを決めれば良いだけのことだと思います。

蛇足ですが、日本にあっても、韓国人経営の飲食店では、韓国と同様のことをやってる可能性が大だそうです。



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心だけじゃなく国籍も

本日は天皇陛下の75歳の御誕生日ということで、祝日となっております。陛下におかれましては、最近少々体調が優れられぬとの由ですが、速やかな御快癒と幾久しい御長寿をお祈り申し上げます。

さて、順調に破綻が露呈しつつある韓国経済ですが、先日見た在韓日本人の書くブログに、「韓国には現在、在韓日本人が2万人以上居り、今後も増えるだろう。だから今回の韓国の経済危機にあたって、日本は韓国を支えるべきだ」という意見が載っておりました。

他にもいろいろ、日本が韓国を援助すべき理由を挙げておられましたが、中でもこの「韓国に住む日本人が多いから、あるいは韓国に住むようになる日本人が増加傾向にあるから、日本政府が韓国経済を支えるべき」という理屈はまことに理不尽です。

同じ理不尽でも、「在韓日本人が増えてきたから日本は韓国を援助しろ」という意見を、韓国人や韓国政府から言うなら、まだ理解が出来ます。この場合、在韓日本人はいわば韓国の人質です。「そうしないとウリナラにいるチョッパリどもがどうなっても知らないぞ」という恫喝として理解することになります。

しかし、韓国に住む日本人は、外交官や日系企業の駐在員のように「広義の強制連行(w」によって韓国に住んでいる人以外は、「好きこのんで」「自主的に」韓国に住んでいるわけです。

その「好きこのんで」「自主的に」韓国に居住している日本人が、戦災に巻き込まれたというならともかく、韓国の経済破綻に巻き込まれたとしても、それは自己責任というものです。日本政府が援助したり救済しなければならない理由は1ナノミクロンたりともありません。

日本人が「好きこのんで」「自主的に」韓国に住もうという以上は、並の日本人とは比較にならぬほど韓国に住むリスクは承知の上のはずです。韓国経済の脆弱性以外にも、韓国がいまだに準戦時国であることや、韓国の衛生事情、韓国民の抜き難い反日意識などを知らずに韓国に住んでいる日本人がいるとしたら、その日本人はあまりにも不用意に過ぎます。

あるいは、韓国や韓国人がよくやる、自らの身を質にした恫喝のつもりなのかもしれませんが、だとすれば日本人でありながら、韓国人の思考パターンに近づき過ぎています。

そもそも国籍が日本であれば、いつでも日本に帰ってくる権利が認められていることは論を俟ちません。即ち、在日朝鮮人が、いつでも韓国なり北朝鮮なりに帰る権利があるのと同様なわけです。

在日朝鮮人が日本での生活に文句を言えば、私たちは「じゃあ祖国へ帰れよ」と言います。同様に、在韓日本人が韓国での生活に不満があるなら、私たちは「じゃあ日本に帰れば良いじゃん?」と言う以外にありません。

権利を持ちながら、それを行使しないことによって被る損害を日本政府に対して保障しろと言うのは、「日本に住んでいると、日本人にサベツされる」と盛んに言いながら、一向に帰ろうとしない在日朝鮮人と、これもまた極めて似た思考パターンと言わざるを得ません。

問題は、「全く同じ思考」ではない、ということです。

在日朝鮮人の思考パターンは、自身が国籍が韓国・北朝鮮・朝鮮であっても、居住国の日本に対して援助を求めるわけです。これをそのまま在韓日本人に援用するとすれば、国籍が日本であっても、居住国の韓国に対して援助を求めるのが筋です。にもかかわらず、在韓日本人の援助を求める先は日本なのです。

そもそも「在韓日本人の数に応じて、日本は韓国に援助するべき」と言うのであれば、「在日朝鮮人の数に応じて、韓国は日本に援助をするべき」とも言わなければなりますまい。

結局「在韓日本人が増えているから、日本は韓国を援助するべき」という主張を在韓日本人がするということは、その在韓日本人の脳内が韓国人と全く同化しているからだと考えざるを得ません。

韓国に住み、24時間年中無休で韓国人と交わって生活していると、思考も韓国人に同化してねじれてしまうようになるのかも知れません。

韓国に住むことでそうなってしまった人は、以後日本での生活は難しくなると思われますので、一日も早く保坂教授のように韓国に帰化して、心だけじゃなく国籍もきっちり韓国人になり切ってしまわれた方が、ご自身の精神衛生上も、また日本の将来にとっても、よろしいかと存じます。



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犬と朝鮮人に論語

アメリカのゼロ金利政策で、ここのところUSドルがフリーフォール中だそうで、相対的に韓国ウォンは上昇しております。これを「韓銀大勝利」と言って良いのか、などと迷わないのが韓国人です。

個人的には、韓国が日米中のスワップ拡大を取り付けた上にUSドルが激落という、韓国ウォンが戻す材料てんこ盛り状態なのに、対ドルレートが1300ウォン台から中々離脱出来ない時点で、韓国ダメ過ぎるだろ、と思ったりするのですが。

経済ド素人の私は、どうせならUSドル絶賛バーゲンセール中の今のうちに、韓国は日韓スワップの日本円を売って、今後の介入用USドルを買いだめしておけば良いのに、などと思っております(これを、【迂回(鵜飼)日銀砲】と言うそうですw)。

と、日韓チャットで言ったら、日本人参加者から、「そんなことしたら韓国の信用は地に落ちます」と言われました。でも韓国の信用にまだ落ちる余地が残ってるなら、それはむしろ僥倖じゃないかと思います。

さて前回記事に【今回の日本側の報復攻撃を「韓国人と同じレベルに落ちている」と非難する人もおりますが、個人的には妥当な対応だったのではないかと思います。】と書いたら次のようなコメントがはいりました。

韓国が火刑式を行ったら同じ目線になって火刑式で報復しましょう。

まさかサイバー攻撃への報復だから肯定するダブルスタンダードはしないですね?

この方の仰る通りの理屈で行けば、日本人の幼児が韓国人に襲われ、斧で殴打されたら、日本人は韓国人の幼児を襲って斧で殴打しなくてはなりません。あるいは日本人の女性が韓国人男性にレイプされたら、日本人男性は韓国人女性を襲ってレイプしろと仰るのでしょうか。

いくら私が嫌韓でも、そんな無茶を申し上げるつもりはありません。

しかし例えば、「韓国人と一緒に仕事をして困ったこと」などでしばしば報告されているように、火病った韓国人は日本人に対して、突発的で理不尽な暴力をしかけてくる場合が多々あります。そういう場合は、こちらも官憲の介入を待っている場合ではありません。

今回の例で言えば、韓国がインターネットを通じて、突発的に日本側のサイトに理不尽な攻撃を仕掛けてきたことは、間違いありません。日本側の反撃に問題があったとすれば、「韓国のどのようなサイトや団体」から攻撃を仕掛けてきたのかが判然としないまま攻撃対象を定めたという点ですが、これは相手側が素性を明らかにせず攻撃してきている以上、前科のあるサイトや団体が嫌疑をかけられるのは致し方ありません。それに実際のところ、韓国は日本ほど多くのポータルを持っておらず、後の状況から鑑みれば、日本側に嫌疑をかけられたサイトや団体は、あながち濡れ衣でもなかったと思われます。

コメントでいただいたような日本側の反撃行為抑止(ほとんどの場合、抑止と言うよりは禁止)意見は、日本では常に必ずと言って良いほど出てきます。どちらかと言えば、私は抑止的意見そのものについては、「ほとんどの場合、抑止と言うよりは禁止」と註釈を入れたように、疑問や異論を持っている方ではありますが、そういう意見が出されるということについては悪いとは思っておりません。要はバランスの問題だと思っています。

日本では、何かにつけ抑止派が割と幅を利かせているのが現状だと思います。北朝鮮にミサイルを撃ち込まれても1発なら誤射とか言っていたクオリティ・ペーパー(wがありましたし、韓国に自国領土を武力で不法占拠されているにも関わらず、日本は軍事的恫喝の機会があっても、実行しようとはしません。

そういう日本の現状を鑑みれば、好戦派が多少増えているからと言って、抑止派が抑圧されるようなことは、当分ないでしょう。今後は好戦派が更に台頭して、両論を活発に戦わせることが出来るようになれば、より良いバランスに近づくのではないかと思っております。

さて次に、今回の件を「人を咬んだ犬を殴ること」に喩えたために、これを「躾け」と理解された方がいらっしゃったようですが、それは誤解です。「人を咬んだ犬を殴ること」は「躾け」ではなく、「懲戒」です。

現実的な話を申し上げれば、もし犬が人を咬めば、一般的にはその理由の如何を問わず、加害犬は殴られる程度では済みません。これは犬に限ったことではなく、人間以外の全ての動物は、人間に危害を加えれば(場合によっては未遂でも)自動的に有罪が確定しますし、多くの場合、その懲罰は死刑です。

それは「野生動物は言うまでもなく、たとえ人間社会に適応するような躾けを受けた動物であっても、一度人間に危害を加えることを覚えた動物は、再び人間に危害を加える懼れがある」という理由からでしょう。

人間に危害を加えることを覚えた亞人類には、人間に危害を加えることを覚えた獣同様、躾けなど無駄だと思います。表面上、人間的なお行儀を覚えたように見えても、いつ人を襲うかわかりません。実際、亞人類の犯罪の種類と発生率を見れば、その確率は決して低くないのです。

そもそも亞人類に対して躾けという行為が有効かどうかは既に、私たちの先祖が足掛け36年も費やして試した末に、挫折したという現実があります。そんなことをするぐらいなら、馬に念仏を聞かせて悟りに至らせる努力をした方が、よほど望みがあります。

ですから、私が韓国人にしていること、するべきだと思っていることは「躾け」ではなく、もちろん「教育」や「指導」でもなく、単に「日本人相手にオイタをしたら、日本人に殴られる」という「条件付け」です。


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相手が人語を解せないのだからしかたない

先日、韓国高陽市で行なわれていたフィギュアスケートグランプリで浅田真央選手が優勝したとやらで、日韓チャットでも韓国人が何やら言っておりました。

しかし韓国人の「浅田の競技」という発言が、日韓チャットでは「餓死多義競技」と翻訳されていたため、日本人は韓国人が何を言いたいのか、誰も理解出来ませんでした。もっとも、私はフィギュアスケートにあまり興味が無いので、仮に正しく翻訳されていても関心を示さなかったと思いますが。

それはさておき、このフィギュアスケートグランプリは、前日まで韓国人選手が首位だったので、それまでの韓国人のホルホルっぷりは大変なものでした。

ところが、最終的に日本の浅田真央選手に逆転優勝されてしまったため、韓国人のホルホルは火病に変わります。そこまでなら良かったのですが、彼らは火病った勢いで、何故か日本のサイトを攻撃し始めます

この韓国人の日本サイト攻撃を知った某巨大匿名掲示板のお祭り大好き煽り煽られ上等連中が、報復攻撃を始めます。

見ていると日本側はあれよあれよと言う間に命令系統を確立させ、役割分担を決め、攻撃対象を設定し、比較的統率された行動を取っていたのには感心させられました。対する韓国側は、それなりに数は来てたようですが基本的に単騎駆け単発攻撃が多かったようです。そう言えば某巨大匿名掲示板では、そんな事態が起こってることさえ知らない人が多そうな園芸板にまで韓国人が出張してきて、ブラウザクラッシャーをしかけたりしていました。

この騒動の結果は、日本側が韓国の攻撃対象を陥落させて、一応勝利したようです。

今回の日本側の報復攻撃を「韓国人と同じレベルに落ちている」と非難する人もおりますが、個人的には妥当な対応だったのではないかと思います。

韓国人は、非常にしばしば言わない方が良いことを言い、やらない方が良いことをやります。それが日本人に対してだけなのか、それとも何国人であろうと構わずやるのかは、日本人である私にはわかりませんが、いずれにしてもそれを放置すれば、それは韓国人の行動を認めたことになります。そうなれば、彼らはいつまでも同じことを、否、よりエスカレートさせた行動を取るでしょう。

日韓チャットでも、韓国人が要らんことを言えば、私はすかさず引っ叩くことにしております。それを見て「出会い頭にぶん殴ってるみたいだ」と言って非難する日本人(多分)がいます。しかし、そうしなければ彼らはいつまでも同じことを続けるでしょうし、「日本人には何を言っても、何をやっても良い」という彼らの考えを、日本人自ら裏付けることになります。

要は、韓国人が要らんことを言ったりやったりしなければ良いだけのことです。今回の件にしても、韓国側が火病って日本のサイトを攻撃などしなければ、日本側が報復攻撃をすることはなかったのです。

やってはいけないことをやれば殴られるということを、人語を解さぬ相手に理解させるには、身体に理解させるしかありますまい。

犬や愛犬家の皆様から苦情が来るので、あまり犬を引き合いに出したくないのですが、犬が人を咬んだ時、その犬を殴ることを、犬と同じレベルに落ちていると言う人はいないでしょう。それと同様、日本人に咬みつく韓国人を殴るのは、韓国人と同じレベルに落ちることだとは、私は思いません。それは犬に対して、人間の考える善悪の別を教えるのではなく、人間のルールに従わない犬は殴られるということを教えるのと同じことだと思います。

ただ、相手がキャンと言えば、それ以上殴らないという分別は、殴る者には必要かもしれません。この分別が、文明人の社会では殴る者に求められるでしょう。

もっとも韓国人の場合、殴られなくなったらまた同じことを繰り返すことが珍しくありません。その時はこちらもまた韓国人がキャンと言うまで殴らなければならず、結果的にのべつ幕なしに殴る破目に陥ることもあるのが、本当に困ったものです。



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歴史に学べ

「内憂外患」という四字熟語があります。

私は何故かこれを「ないゆ・げかん」と読んでしまいます。確か中学生ぐらいの頃にそう習ったようなおぼろな記憶があるのですが、ネットでどれだけ調べてもそんな読み方は出てきません。

麻生首相が「未曾有」を「みぞゆう」、「踏襲」を「ふしゅう」と読んだと言ってマスコミが大喜びで触れ回っていますが、「内憂外患」を「ないゆ・げかん」と読んでしまう私は、麻生首相の読み間違いを笑う気にはなれませんでした(ちなみにgooの辞書で確認したところ「ないゆう・がいかん」が正しい読み方のようです)。

ところで内憂と言えば、日本の民主党が、政権交代を目指して、韓国に協力を求めたというから驚きました。どうせまたネタか煽りだろと思ってソースを当たって再びビックリ。ガチのムチのマジでした。

韓国の議員を招いての意見交換ですから、「韓国からご声援を」と言うぐらいなら理解するにやぶさかではありません。しかし「ご協力」ですよ、「ご協力」。

日本の政権交代に韓国の協力を仰ぐって、マジでどこの国の政党ですか?>民主党

さて外患の方ですが、近代日本史における十大事件に必ずランクインするであろう事件のひとつとして、日清戦争があります。

この戦争については、小中高とあまり詳しく教わった記憶がありません。と言うか、近代日本史における戦争はすべて日本の軍国主義を強調し、それを非難するような内容ばかりだったような印象があります。もっとも私が「はいはい、悪いのは日本、日本」と、授業を聞き流していただけなのかもしれませんがw

この戦争は、朝鮮における壬午軍乱を遠因とし、同じく朝鮮の東学党の乱を経て勃発することになります。要するに日清戦争とは、日本と清国との戦争でありながら、その原因は朝鮮の破綻した国情でした。

あれから百有余年を経た今日、再びこの悪夢が甦ろうとしています。

12月12日、韓国の経済危機に対して、日本と中国が韓国とのスワップ枠の拡大を行なうことになりました。これについては、日中双方が韓国に対する影響力を牽制しあった結果ではないかという分析があります。

以前も櫻井よしこ氏が「韓国の危機、中国が支配確立か」と題して、中国の韓国に対する影響力増大を懸念しておられたように、中国が韓国に対する影響力を強めることは、日本の安全保障上大きな問題であると考える日本の有識者は少なくないようです。ですからおそらく、今回の日韓スワップ枠の拡大も、その辺りの思惑が多少は絡んでいるのでしょう。

今回の日韓スワップ枠の拡大を憤る嫌韓派は少なくないと思います。しかし私は個人的には、日韓スワップ枠拡大そのものについては、あまり悪くは受け止めてはおりません。

と言うのも中央日報の記事にも言及がありますが、日韓スワップで日本から韓国に円を渡せば、韓国は円をそのまま使うか、あるいは円を売ってドルを買わざるを得ません。韓国が円を売ってドルを買えば、日本としては為替市場に直接介入せずとも、過熱した円高を抑制する効果が期待出来ます。

逆に韓国にとっては、現在の状況でスワップ枠の安易な利用は諸刃の剣です。どうも中央日報の記事のニュアンスではスワップを「日本からの資金援助」と勘違いしているのではないかと思われるような書きっぷりですが、スワップは自国通貨を担保に行なう借金です。

単なる債務者が多重債務者に陥るのは、借金を借金で返そうとすることから始まります。韓国がスワップ枠を利用することで経済破綻を先送りにしているのは、借金で借金を返済しているのと同じです。それほど長い目で見ずとも、確実に韓国自身の首を絞めることになりますので、嫌韓派の私としては日韓スワップ枠拡大そのものにはさほどに強い抵抗がありません。

しかし今回私が個人的に強く問題視するのは、「日本と中国が、破綻しかけている韓国に対する影響力を牽制しあう」ということです。この図式は、あまりにもかつての日清戦争前夜に酷似しております。

あの戦争を経て、日本は朝鮮と深く関わらざるを得なくなり、とうとう最後には日本史上痛恨の失策とも言うべき日韓併合に至ってしまいます。

歴史は繰り返すと言いますが、同時に私たちは歴史から学ぶことも出来ます。

確かに中国が朝鮮半島での影響力を強めることによって、日本に対する脅威が増すことになるかもしれません。しかしその脅威を回避するために日本が朝鮮を支え援けたことで、日本は100年を経てなお拭い切れないダメージを受けました。それを鑑みると、朝鮮半島に絡んで日本が中国と牽制を交わすことは、私には非常に危険な徴候に感じられます。

日本は今一度、歴史を振り返って、韓国に対する態度を決するべきではないかと思います。



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韓国人の言う「信じてください」とは

韓国について、最近の私が考えていることは、「韓国人には、【信用】という概念があるのだろうか?」ということです。

韓国人は、まことに気軽に「私を信じてください」と言います。あるいは言わなくとも、自分は信用されて当然と考えている節があります。しかし、その彼らが自らの信用を担保するものを出すことは極めて稀です。しかも、担保を求められて出すならまだ良い方です。信用に対する担保を求められると、逆上する韓国人は珍しくありません。

私の経験から言うと、信用を担保するものを出さずにいきなり「信用しろ」と言う人は、たとえ日本人であってもかなりの高確率でその信用を裏切ります。本当に信用に足る人は、こちらが求めずとも、信用を担保するものを出すものです。

韓国を「相互不信社会」と呼んだ日韓チャット常連日本人会員がいましたが、韓国にはそもそも、日本その他の先進国で言うところの「信用」という概念が存在しないのではないかと思うようになってきました。

この件について、日韓チャットで韓国人にインタビューしてみたいと思っているのですが、最近韓国人参加者そのものが激減しており、以前のように豊富なサンプルが取れなくなってきました。

しかし、インタビューするまでもなく、日韓チャットで見る韓国人らの言動を見ていると、彼らが「信用」というものを、日本人より軽く考えていることは間違いないと確信します。

過去記事中でも散見されるように、韓国人が散々日本人に悪口雑言を投げつけておきながら、ある時手のひらを返すように媚びへつらい始め、それが受け入れられないとまた口を極めて罵るという光景は、日韓チャットの日常風景です。

日韓チャットに限らず、たとえば現在の韓国経済にしても同様でしょう。「ウリナラの外貨準備高は十分にある」「韓国経済は大丈夫だ」と言い続けておりますが、それらを証明するものは何も出していません。

韓国人は、「信用」というものを単に相手を騙すための道具ぐらいにしか考えておらず、つまり本当の意味での「信用」という概念が存在せず、だから彼らが約束を破ったり嘘をついたりすることにも抵抗がないのではないかと思います。

韓国人に「信用」や「約束」について聞くと、一般的にはこれらを守ることに肯定的な意見が出てきます。しかし本来、朝鮮の伝統では信用を裏切ったり約束を破って他人を出し抜くことは、むしろ知略として評価されるものだったのではないでしょうか。

ところが、日帝統治によって朝鮮に日本的道徳観念が流入しました。これは李完用も「日本は日本流の道徳を振り回して小言を言うのは気に入らない」とはっきり言っております。

李完用のいうところの、「日本流の道徳」が現在も韓国に残ってしまい、彼らの伝統との衝突と混乱がおき、結果として「信用」や「約束」に対する彼らの行動と概念に齟齬が生じているのではないでしょうか。

この「韓国人にとっての「信用」という概念」については、まだ考察を始めたばかりで、実はまだ上手くまとまっておりません。

以上の考察以外にも、「韓国人は時間を継続的にではなく、今この瞬間しかとらえることが出来ないがために、「私を信じてください」と言う時は騙すつもりなどまったく無いが、次の瞬間にはそれが霧消してしまうために、そのつもりがなかったとしても、結果的に騙すことになってしまうのではないか」とも考えられます。

いずれにしても、韓国人の「私を信じてください」を信じるのは、日本人にとっては極めて危険であることは間違いないと確信する次第です。



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キムチ・コリアが良いと思うけど

ここ2~3日、突然寒くなりました。私の住む辺りでは昨日の朝、今季初の氷点下を記録し、厳寒期並の気温となりました。そろそろ新型インフルエンザが懸念される時期ですので、手洗いとうがいを励行しております。

出来れば予防接種を受けておいた方が良いのはわかっているのですが、私は注射が何より恐ろしく、小中学生時代に行なわれていた毎年恒例の集団予防接種は、仮病を使って2度に1度は逃げていたくらいですから、自ら進んで予防接種を受けに行く勇気はありません。

さて中央日報に「サムライジャパン」に匹敵する名を」と題したコラムが掲載され、あちこちの韓国ウォッチ系ブログで取上げられています。去年も色々物議を醸したワールドベースボールクラシック(WBC)関連の話題で、日本代表チームの愛称が「サムライ・ジャパン」というのを見て、「ウリもウリも」と仰ってるようです。

まず、チームの内容ではなく、愛称にとらわれる辺りが韓国人らしいと思いました。何でも上っ面な彼らの面目躍如と言えるでしょう。

次に思ったのが、韓国のイメージについてです。

ニッポン、と外国人に言えば「サムライ、フジヤマ、ゲイシャ、ニンジャ、スキヤキ…」などと立て板に水を流すが如くまくし立てられることは、あまり珍しくありません。もちろん良いイメージの単語ばかりではなく、「ハラキリ」や「カローシ」、「ダンゴー」「ネマワシ」なども割と知られた日本語のようです(そう言えば「ブッカケ」などというのもあるそうですw)。

いずれにしても「ニッポン」をイメージさせることの出来る単語は豊富にあります。ばかりでなく、国名そのものが英語名の「JAPAN」ではなく日本語で「ニッポン」と言っても十分通じたりします。それだけ「ニッポン」という国のイメージは確立されているということでしょう。

翻って韓国についてはどうでしょうか。国名「Korea」と言えば南北を混同され、朝鮮語音で「Tae Han Min Gook」と言うよりは、むしろ「Gook」だけの方が通じるかもしれない程度の知名度です。

朝鮮日報に「外国人が「韓国」と聞いて連想するもの一位は?」という記事がありますが、これによると真っ先にあげられるのが「分断国家」で、続いて「キムチ」「サムスン」「北朝鮮の核問題」だそうです。

更に【「国家のブランド・イメージを高める上でシナジー効果を与えるために効果的なものは何か」という質問に対しても、「企業のブランド・イメージを活用すべきだ」という回答が53.9%で最も多かった】ということです。

これらに沿って日本の「サムライ・ジャパン」に匹敵するような韓国チームのニックネームやキャッチフレーズを考えるとすれば、順当なところでは「分裂(divisional)・コリア」とか、「キムチ・コリア」でしょうか。

しかし、前者はあまり良いイメージとは言えませんし、南北の混同を尚更に助長しかねません。後者の「キムチ・コリア」は、外国人が聞けば一発でばっちり韓国をイメージ出来る非常に良いネーミングだと思うのですが、韓国人自身はキムチを誇る割に、キムチをネタにからかわれると激怒しますので、多分彼ら自身がこのネーミングを選ぶことはないのではないかと思います。

かと言って「企業のイメージ」を用いて「三星・コリア」とか「現代・コリア」にしてしまうと、国家イメージや韓国代表チームのニックネームと言うよりは、企業の宣伝そのものになってしまいます。

そもそも韓国の有名企業自体が、韓国企業とわかりにくい名称だったり、意図的に日本の企業と誤認されることを狙った宣伝を行なったりしております。

「三星」は朝鮮語音に忠実に従うならば「サムスン」ではなく「サムソンg」ですし、「現代」に至っては「ヒュンダイ」などとおよそ原音とかけ離れた発音です(朝鮮語音に忠実に従うならば「ヒョンデ」)。しかも英語圏では「HONDA」との混同を狙っているとしか思えない「ホンダィ」という発音です。

韓国の企業が如何に韓国のブランドイメージを高めるとしても、肝心の韓国企業が韓国のイメージを払拭しようとしているのですから、これではどうしようもありません。

いつまでも上っ面だけを取り繕うことばかり考えずに、まずは韓国人自身が自分自身を含めた韓国全体を正確につかんで、良きは伸ばし悪しきは改める地道な努力を行ない、それを何十年と続けない限り、どんなにすばらしい名称を付けても、良いブランドイメージが確立されようはずもありません。

もっとも、「大人が悪いのだから、ウリが悪いのはしかたないことニダ」と言って自らを改めようとしないのが韓国人です。自分たちが悪いのは前代のせいだとしても、それを次代に受け継がせないようにしようという意識が無いのですから、彼らが韓国の良いブランドイメージを確立することなど未来永劫あり得ないでしょう。

結局のところ、彼らは向後何十年、何百年経とうとも自らのイメージを好転させること以前に、自らのイメージを確立させることは出来ないだろうと思います。

ところで中央日報の当該コラムの最終段落には「試合を通じて、勝負を通じて、プレーだけでファンを満足させることができると思うのは横柄な考えだ。その程度でファンは動かない。年間観衆500万人を超えたプロ野球ならファンはもうホームランの爽快感、三振の達成感だけでは満足しない。彼らの水準や期待は、目に見えないものを求めている。彼らが求めているのは教訓と感動だ。そのメッセージを込めなければならない。それでこそ今年訪れた500万観衆がまた訪れてくれるだろう」とあります。

一年前、北京五輪の野球の予選で彼らが行なったことは、韓国人を満足させ、教訓と感動を与えるような行為だったのかと、感慨を新たにしました。



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本当に守らなければならないもの

日本人にとって、本当に守らなければならないものは何でしょうか。

血統も蔑ろにするべきではないかもしれません。国籍は日本でも、血統に朝鮮人が混じっている、あるいは血統的には朝鮮人そのものであるという人が、朝鮮人以上に朝鮮人であることを意識し、朝鮮人以上に朝鮮人であろうとするあまりに、自意識に混乱が生じてしまう人がいるのは事実でしょう。そういう事例を少なくとも私は2件知っています。

しかし、これは朝鮮人の血統が問題と言うよりは、本人の精神的脆弱さの問題だと思います。血統的には「生粋の日本人」であっても、他人に厳しい割に自分に甘い人はいくらでもいます。朝鮮血統を持った人の場合、それを血統のせいにすることで自分を許そうとするのではないかと思います。

以前にも書いたことがあると思いますが、「他人に厳しく自分に甘い」とか「自分を正当化するために嘘をつく」とか「目先の損得に左右される」などという朝鮮人に顕著な性質は、実は何国人であろうとも人間ならばたいてい誰でも持っているものだと思います。

もっと言えば、それら朝鮮人的性質のうちのいくつかは、動物にも見られるものではないでしょうか。つまり、ある意味朝鮮人的性質とは、「自分を守る」という生存本能に近いものではないかと思います。

しかし、人間の構築する文明化された社会は、そういう個々人の本能を理性で抑え、多少自分に損があっても、それが社会全体に益になることならば互いに譲り合うというルールを作り、その社会を構成する各人がそのルールを守ることでバランスをとり、運営されています。もし個人個人の本能を全て許せば、その社会は弱肉強食の世界にならざるを得ません。

実際に、朝鮮人の社会でも、文明化された国際社会と接触を持つ南は、かろうじて人間の文明化された社会に比較的近い社会を構築していますが、北における社会は既に弱肉強食の様相を呈しています。

問題は、血統よりは「人間社会のルールを守ること」に対する自律が可能かどうかでしょう。それが「日本人」ならば「日本社会のルールを守ること」になります。

日本列島で人類が発祥した事実が無い以上、現在の日本人は例外なく日本列島以外から渡来した者の血統を持っています。そんな太古まで遡らずとも、例えば1000年も遡れば、現在の日本人の多くに渡来人の祖先がいてもさほどに不思議はありません。

1000年も遡るのかと言うならば、100年から150年ほどでも良いでしょう。維新前後に渡来した外国人を先祖に持つ日本人は、結構いるのではないかと思います。

維新前後に渡来した外国人で、私がいつも思うのは小泉八雲のことです。イギリス人の父とギリシャ人の母を持ち、日本に帰化した彼や彼の子孫たちを、私たちは何国人と看做すのでしょうか。

血統も蔑ろにすべきではないかもしれませんが、私たち日本人が持つべきもの、最も失ってはならないものは、「日本人のこころ」ではないかと思います。それが具体的にどういうものかということは上手く説明出来ませんが、日本人なら誰でも「日本人のこころ」というものを漠然とでも理解出来ると思うので、くどくどと説明の必要はありますまい。

ただ「譲り合う」とか「他人を慮る」という一歩引いたものや、優しく口当たりの良いものだけが「日本人のこころ」ではないと思います。「日本人のこころ」を持たないものを認めない、許さないという、ある種の「頑なさ」も、「日本人のこころ」を構築するひとつではないかと思います。朝鮮人はよくこれを「息苦しい」とか「気難しい」と言っています。

たとえ「生粋の日本人」であっても、朝鮮人のような振る舞いをして全く憚らぬ者=「日本人のこころ」を持たざる者を日本人とは思いたくありませんし、逆に朝鮮人の血統を持っていても、日本国籍を持ち日本人であろうとする人ならば、私は日本人と思います。

生まれながらに日本人であることは、確かに僥倖ではありますが、「日本人であること」は朝鮮人が「息苦しい」とか「気難しい」などと言うように、意外に楽なことではありません。しかし易きに流されて日本人が「日本のこころ」を忘れ、「日本のこころ」を失った時こそ、日本人が日本人でなくなり、日本が日本でなくなる時ではないでしょうか。

「日本人であること」について、自分を含めた日本人に対し常に問い続けていくことが、日本人には必要ではないかと思います。



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幻の国 -未来の昔話-

昔、世界の東の果ての海上に、とある国がありました。

四方を海に守られ、緑滴る美しい山々を抱き、幾つもの連なる島々によって構成されたその国は、日の出ずる方角へ向かって舞い上がる龍の形をしていたと言われています。

その国には、温厚で疑うことを知らず、信じられぬと嘆くぐらいなら、他人を信じて傷つく方が良いと本気で思っている人々が少なくありませんでした。

また几帳面で堅実で凝り性な人も多く、そのためその国独自の文化や高度な技術が発達し、広く普及しておりました。

几帳面で堅実な人々ですから貯蓄が好きであまり無駄遣いもせず、凝り性ですから仕事も丁寧です。そのため、さほどに大きな国でもないのに、気がつけば世界で2番目の経済大国だったこともあったそうです。

しかし、その国の隣にある国の人々は、その国の人々が温厚で疑うことを知らないということを良いことに、様々な嘘やでたらめを駆使してその国に潜り込み、少しずつその国を蚕食していきました。

やがてその国では、被害者意識ばかりが強く、差別と言って泣き叫ぶことで無理を通そうとしたり、権利は主張しても義務を果たすことを知らず、自由は求めるが責任は負わず、目先の損得に常に左右される隣国の人々のやり方に合わせる人々が、どんどん増えていきました。

貯蓄するより借金をしてでも奢侈を貪り、堅実に働くよりも一攫千金を狙う人々ばかりになり、その国の人々がそれまで長い年月をかけて積み上げ、几帳面に維持していた様々なシステムは軒並み崩壊し、100のものは120にして仕上げないと気が済まなかったはずの人々が80で完璧と思うようになりました。

その結果、国土は荒れ果て、経済は落ち込み、人々は互いに不信を募らせるようになりました。

そこへつけ込んだ他国に、その国を構成するいくつかの島を奪われ、その国の利権を食い散らかされ、とうとうその国はその国ではなくなってしまいました。

今では、その国が、その国だった頃を知っているわずかな人々が、その国の思い出を昔話として語り継ぐばかりですが、その国だった国の人々は、誰もこの国がそんな夢のような国だったことを信じてくれません。

その国の思い出を語るわずかな人々も、聞く者が誰も信じようとしないので、もしかしたらあの国は幻だったのかもしれないと思うようになってきたこの頃です。



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