韓国人の言う「信じてください」とは
韓国人は、まことに気軽に「私を信じてください」と言います。あるいは言わなくとも、自分は信用されて当然と考えている節があります。しかし、その彼らが自らの信用を担保するものを出すことは極めて稀です。しかも、担保を求められて出すならまだ良い方です。信用に対する担保を求められると、逆上する韓国人は珍しくありません。
私の経験から言うと、信用を担保するものを出さずにいきなり「信用しろ」と言う人は、たとえ日本人であってもかなりの高確率でその信用を裏切ります。本当に信用に足る人は、こちらが求めずとも、信用を担保するものを出すものです。
韓国を「相互不信社会」と呼んだ日韓チャット常連日本人会員がいましたが、韓国にはそもそも、日本その他の先進国で言うところの「信用」という概念が存在しないのではないかと思うようになってきました。
この件について、日韓チャットで韓国人にインタビューしてみたいと思っているのですが、最近韓国人参加者そのものが激減しており、以前のように豊富なサンプルが取れなくなってきました。
しかし、インタビューするまでもなく、日韓チャットで見る韓国人らの言動を見ていると、彼らが「信用」というものを、日本人より軽く考えていることは間違いないと確信します。
過去記事中でも散見されるように、韓国人が散々日本人に悪口雑言を投げつけておきながら、ある時手のひらを返すように媚びへつらい始め、それが受け入れられないとまた口を極めて罵るという光景は、日韓チャットの日常風景です。
日韓チャットに限らず、たとえば現在の韓国経済にしても同様でしょう。「ウリナラの外貨準備高は十分にある」「韓国経済は大丈夫だ」と言い続けておりますが、それらを証明するものは何も出していません。
韓国人は、「信用」というものを単に相手を騙すための道具ぐらいにしか考えておらず、つまり本当の意味での「信用」という概念が存在せず、だから彼らが約束を破ったり嘘をついたりすることにも抵抗がないのではないかと思います。
韓国人に「信用」や「約束」について聞くと、一般的にはこれらを守ることに肯定的な意見が出てきます。しかし本来、朝鮮の伝統では信用を裏切ったり約束を破って他人を出し抜くことは、むしろ知略として評価されるものだったのではないでしょうか。
ところが、日帝統治によって朝鮮に日本的道徳観念が流入しました。これは李完用も「日本は日本流の道徳を振り回して小言を言うのは気に入らない」とはっきり言っております。
李完用のいうところの、「日本流の道徳」が現在も韓国に残ってしまい、彼らの伝統との衝突と混乱がおき、結果として「信用」や「約束」に対する彼らの行動と概念に齟齬が生じているのではないでしょうか。
この「韓国人にとっての「信用」という概念」については、まだ考察を始めたばかりで、実はまだ上手くまとまっておりません。
以上の考察以外にも、「韓国人は時間を継続的にではなく、今この瞬間しかとらえることが出来ないがために、「私を信じてください」と言う時は騙すつもりなどまったく無いが、次の瞬間にはそれが霧消してしまうために、そのつもりがなかったとしても、結果的に騙すことになってしまうのではないか」とも考えられます。
いずれにしても、韓国人の「私を信じてください」を信じるのは、日本人にとっては極めて危険であることは間違いないと確信する次第です。