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朝鮮についての知識が必要な理由

以前から申し上げておりますが、日本と朝鮮半島の問題に関して、朝鮮人が変わることによって解決する日が来るとすれば、その日は弥勒の現世降臨よりもなお遠い未来になると思います。

そんな気の遠くなるような、訪れるかどうかもわからない未来に期待して、二度と戻らぬ時間を費やすぐらいであれば、日本人の方が変わる方が間違いなく確実に早く問題を解決することが出来るであろうことは、義務教育修了程度の教養がある人ならば、誰にでも理解出来るでしょう。

ところが、義務教育修了より高度な教養を持っていながら、朝鮮人の与太や寝言、難癖に素直に振り回される日本人は、相当数実在します。またそういう日本人は、朝鮮人の吐き散らかす与太や寝言、難癖を受け入れ、あるいは補強し、再び拡散することが珍しくありません。そうして日本人のお墨付きを得ることで、朝鮮人が再び日本人に向かってさらなる与太や寝言、難癖を吐き散らかすという悪循環が、日本と朝鮮半島の間の問題を更にややこしくしております。

この「朝鮮人の与太や寝言、難癖に素直に振り回される日本人」=「いわゆる良心的日本人」と朝鮮人とは、一種の共依存と言って良い関係だと思います。

茨城大学人文学部人文コミュニケーション学科加藤篤志准教授によれば、【共依存者とは、自己自身に対する過小評価のために、他者に認められることによってしか満足を得られず、そのために他者の好意を得ようとして自己犠牲的な献身を強迫的に行なう傾向のある人のことであり、またその献身は結局のところ、他者の好意を(ひいては他者自身を)コントロールしようという動機に結び付いているために、結果としてその行動が自己中心的、策略的なものになり、しだいにその他者との関係性から離脱できなくなるのである】となっております。

「いわゆる良心的日本人」と朝鮮人の関係は、この構図によく符合すると思います。しかしここで話がややこしくなってくるのは、朝鮮人が望む共依存の対象は「いわゆる良心的日本人」を含む日本人全般なのですが、「いわゆる良心的日本人」が共依存によってコントロールしたいと思っている【他者】は朝鮮人そのものではなく、朝鮮人と同じく「日本人全般」であったりするためではないかと思います。

「いわゆる良心的日本人」が、朝鮮人と共依存に陥り、互いに互いの心身を損なう関係を構築するだけであるならば、ある意味相思相愛というものです。互いの心身に取り戻せない傷を負うことになろうとも、心行くまで損ない合っていれば良いと思います。私には理解出来ませんが、それもひとつの愛の形なのでしょう。

しかし「いわゆる良心的日本人」が共依存によって本当にコントロールしたい対象は、共依存関係にある朝鮮人ではなく、日本人全般であるために、これを放置して心身を損なわれるのは、相思相愛の彼らだけではありません。それどころか、おそらく最も真っ先に狙われ損なわれるのは、日本人の中でも最大多数派であるだろう「朝鮮に無関心で、朝鮮のことはよく知らないし、特に知りたいとも思っていない日本人」でしょう。

朝鮮を多少なりとも知っている日本人としては、それが何とも歯痒く憤(いきどお)ろしいのです。

単に朝鮮人と対峙するだけならば、朝鮮を知っているか否かは、実はさほどに重要な要素ではありません。なぜなら日本人が朝鮮を知らなければ、朝鮮人は「朝鮮を知らない」ということを責めますが、もし日本人が朝鮮をよく知っていれば、「知っているが故に手放しで朝鮮を褒め称えない」ということを責めるからです。つまり「日本人が朝鮮を知っているか知らないか」は朝鮮人の関心事ではありません。「日本人が朝鮮を褒め称えるか否か」が朝鮮人の関心事なのです。

にもかかわらず、朝鮮人と多少なりとも関わる日本人は、朝鮮を知る必要があります。それは何故かと言うと、前述の「いわゆる良心的日本人」と朝鮮人の、屈折した共依存関係に巻き込まれないためです。

アメリカ軍の朝鮮人取り扱いマニュアルのように、「理由は聞くな。どうせ大したことは言っていない」という姿勢を日本人が貫くことが出来るのならば、朝鮮のことなど特に知る必要はありません。しかし日本人は、「大したこと」に聞こえるようなことが耳に入ってしまうと、思わず聞いてしまう人が多いのです。

朝鮮人は、既に論破されたり解決済みの問題を、幾度も幾度も蒸し返し繰り返します。多少なりとも朝鮮を知る日本人ならば、最初のワンフレーズで「ああ、あのネタか」とわかるようなことであっても、朝鮮を知らない日本人や朝鮮に関心の無い日本人にとってそれは、「初めて聞く大したこと」に思えてしまう場合が少なからずあります。

更に、単に同じネタを繰り返し出してくるだけならばまだ対処のしようもありますが、彼らはそれにさまざまなフェイクを噛まし、カスタマイズを施します。しかし芯の部分は同じなので、朝鮮に関する知識を元に、彼らの主張の中のキーワードをキャッチすることが出来れば、「ああ、あのネタにこんなフェイクを噛ませたのか」「あのネタをこういう風にカスタマイズしたのか」ということが、朝鮮を知る日本人には比較的容易に察知出来ます。ところが朝鮮を知らない日本人にとっては、それらが驚くべき新事実に聞こえてしまう場合があるのです。

そういう朝鮮人の手練手管に引っかかれば、「朝鮮を知らない日本人」は、容易に「いわゆる良心的日本人」になります。

朝鮮人の手練手管に引っかかって自分ひとりが「いわゆる良心的日本人」になって心身を損なうことになったとしても、それは自業自得というものですが、更なる問題は「いわゆる良心的日本人」になった日本人が、「朝鮮を知らない日本人」を「いわゆる良心的日本人」にしてしまうことがあることです。

それは丁度、ゾンビに襲われた人が自身もゾンビになって別の人を襲い、襲った相手をゾンビにしてしまうのに似ているかもしれません。

ゾンビがゾンビ同士で食い合い殺しあうだけならば、人間としては関わりを持たぬようにさえしておれば良いことですが、ゾンビは生きている人を憎み襲います。

ゾンビになりたいと願う人は別として、そうでない人は、ゾンビに襲われぬためにはどうすれば良いか、もしゾンビに襲われた時はどのようにすれば良いかを知っておく必要があるのと同じで、「いわゆる良心的日本人」や朝鮮人によって、新たな「いわゆる良心的日本人」に仕立て上げられぬようにするために、日本人はある程度、朝鮮についての知識や情報は得ておく必要があるのではないかと、先日の在日の暴行動画を見ながら思った次第です。



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