憧れの素晴らしき韓国
もちろん、韓国人が言う時には「文禄・慶長の役」ではなく「壬辰倭乱」となるわけですが、この際に彼らがしばしばこの戦役を「陶磁器戦争」と言うのが、私には大変気になりました。
「陶磁器戦争とは何か?」と彼らに問うと、「日本は朝鮮の陶磁器が欲しくて朝鮮を攻めたのだから、壬辰倭乱のことを、日本人はそう言ってるのではないのか」という答えが返ってきました。
日本史や朝鮮について、今ほど知識の無かった当時でも、文禄・慶長の役については、本来は明を狙った戦争だとか「朝鮮征伐」と呼ばれていたということは記憶にありました。しかしそれを「陶磁器戦争」と言ったというのは初耳でした。
それは単に私が知らなかっただけで、陶磁器関連に詳しい方ならば、そういう言い回しもさほどに特異ではないのかもしれません。しかし学校の授業で、「文禄・慶長の役」の別名を「陶磁器戦争」と言うと教わった記憶は、全くありません。
前述の「故郷忘じがたく候
これは想像だが、島津勢はこの全羅道の文化の一中心である南原城を攻撃するにあたって、最初から、特別な意図を持っていたようにおもわれる。陶磁の工人を捕獲することであった。この奇抜な着想は島津の独創によるものか、それとも他の九州の大名がそれをやったのをまねたのか、とにかく城内に突入しつつ工人をさがすことに意を用いたに相違ない。 当時、日本の貴族、武将、富商のあいだで茶道が隆盛している。茶器はとくに渡来物が珍重され、たとえば韓人が日常の飯盛茶碗にしている程度のものが日本に入り、利休などの茶頭の折り紙がつくことによって千金の価をよび、この国にきた南蛮人たちまでが、「ちょうどヨーロッパにおける宝石のような扱いをうけている」と驚嘆するまでになっている。ときに茶器は武功の恩賞としてあたえられた。一国に相当する茶器まであらわれた。 島津勢は、そういう時代の流行のなかで朝鮮に討ち入っている。宝の山に入ったような思いであったであろう。しかもこの宝というのは素材(もと)はといえば土と火であるにすぎず、土と火からそれを生まれしめる工人こそいわば錬金術師であった。 (中略)粗笨なやきものにかけては薩摩は古墳時代からすこしの進歩もなく、あの華麗な釉薬(うわぐすり)をかけて強度の火力で化学変化をおこさしめ玉(ぎょく)に似た膚質(はだしつ)をつくるという製陶にかけては未開人も同様であった。 |
司馬遼太郎氏と言えば、昭和の日本を代表する国民的歴史小説の大家であり、私もファンの一人です。氏の作品は、膨大な資料から得た史実を骨格として、実際に現地に赴いて感じた空気や、登場人物ゆかりの人たちとのふれあいから得た着想を、氏の豊かな想像力で練り上げて骨格に肉付けし、それを生き生きと動かしてみせ、まるで当時その場で見ていたかのように、場合によってはまるで氏自身が登場人物その人であったかのように表現するのが特徴です。
上述の文章も、最初に「これは想像だが」と断ってはいますが、氏の作風の特徴が尽くされております。
問題はこの文章が一人歩きしているのではないかと思われる点です。あるいは逆に、氏がこれを書くにあたって読んだ資料や聞いた話などに、このような話が入っていたのかもしれません。
鶏が先か卵が先かはわかりませんが、いずれにしても日本の文化人と呼ばれる人と朝鮮人の間で、上述のような認識が存在したのは事実でしょう。
この認識は、日本人にとっては「ああ、そういうこともあったかもね」程度のものです。当時の日本で、朝鮮のやきものが珍重されたのは事実ですし、文禄・慶長の役で朝鮮の陶工を日本へ連れ帰ったのも、また事実だからです。
こういった日本人の認識は、現在の韓国人の優越感を絶妙にくすぐるものだったのでしょう。即ち、「文化の遅れたチョッパリは、ウリが日常雑器として使ってた茶碗を、ありがたがって宝物のように扱っていたニダ♪ホルホルホル」というものです。
これがやがて煮詰まると、「チョッパリはウリの陶磁器が羨ましくて、その技術が欲しくて、だからウリナラを攻めたニダ」となります。事実、私が日韓チャットを始めた頃に「日本では、壬辰倭乱を陶磁器戦争と言っている」と言っていた韓国人たちは、皆そう認識していたのです。
先日、日韓チャットで韓国人と話をしていた時に、「韓国人は、今も日本人が、韓国に対して領土的野欲を持っていると信じているのではないか?」と聞いてみました。
韓国人は「そうですね、そう疑っている韓国人は多いと思います」と答えたので、私は「現在の日本人は、韓国に領土的野欲なんて欠片も持ってないよ。何ならためしに、誰でも良いから日本人に「日本人は韓国を再び奪おうと思っているのではないか」と聞いてみろ。聞かれた日本人は、思想の左右を問わず、焼け火箸でも押し付けられたかのような勢いで否定するだろうよ」と答えたのですが、その時思ったことがありました。
「日本人は誰一人韓国併合を今後二度と断じて望まないと言えば、韓国人は安心するよりも、不満に思う方が強いのではないだろうか?」
韓国のメディアは、しばしば「ウリナラ芸能人何某に日本列島が熱狂した」とか「日本が注目する韓国のホニャララ」などという報道をしますし、今でこそ日本の嫌韓の存在も韓国人に知られるようになりましたが、ほんの数年前には、日本人が「韓国(人)なんか大嫌いだ」と言えば、韓国人の驚愕と狼狽は甚だしいものがありました。
韓国人は、「韓国は素晴らしい国であり、韓国人は素晴らしい人々(であるべき)」という意識を濃厚に持っています。それは彼らの教育や国家ブランド戦略の方針などにも如実に表れています。日本人やその他の外国人が、ほんのわずかでも社交辞令であっても、彼らのそういった意識を肯定するような言動を取れば、彼らの優越意識は更に高揚されます。それが多少なりとも権威を持つ人の言動であれば、彼らの優越意識は確信に変わるでしょう。前述の「陶磁器戦争」などは、その好例だと思います。
更にかつて日本が朝鮮を併合したという事実は、彼らにとって「チョッパリは素晴らしいウリナラが欲しくてしかたないニダ」ということを確信させる材料になっているのかもしれません。つまり「チョッパリが憧れる素晴らしきウリナラ」であるからこそ、日本は朝鮮を(彼らの意識上では強制的に)併合したのだと理解し、それによって彼らの燃えたぎるような愛国心が満たされるのでしょう。彼らの愛国心を維持するために「彼らが考える日本」は、今現在も、「素晴らしき韓国」に憧れる余りに、韓国に対する領土的野欲を持っていなければならないのです。
逆を返せば、韓国が「チョッパリが憧れる素晴らしきウリナラ」でなければ、彼らの愛国心は維持出来ないということになってしまうわけで、実際のところ、口で言うほど韓国を愛していない韓国人が多いのも、むべなるかなと思います。