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司馬史観と司馬朝鮮観について

直接日韓に関係する話というわけではないのですが、個人的にファンということもあり、また前回記事のコメント欄でのご意見に触発された部分もありまして、今回は司馬史観と司馬朝鮮観について述べてみたいと思います。

いわゆる【司馬史観】というものの是非功罪は、しばしばさまざまなシーンで取り上げられることがあります。それだけ司馬遼太郎氏の作品が、日本人に愛されているということでもありましょう。

【司馬史観】が取り沙汰される背景には、氏の歴史小説では史実に忠実な部分が多く、また氏の筆名からも、中国の史記の著者である司馬遷を連想してしまうために、ややもすると氏を「歴史家」と誤認してしまうからだと思います。

しかし氏は、言うまでもなく「作家」であり、「小説家」です。氏の書いたものがどれほど史実に忠実であろうとも、その主眼は「史実を記すこと」ではありません。正しい史実を誤解を生じない表現で書くか、たとえ史実との齟齬が生じようとも、小説として読んだ時に楽しめる表現で書くかを天秤にかけた時、「小説家」である司馬遼太郎氏がどちらを重要としたかは、考えるまでもありません。

また「歴史家」でも「歴史学者」でもない氏にとって、それがたとえ史実に対する誤解を生じさせるものであったとしても、自分の作品において「自分が感じたとおりに表現したい」という欲求を抑える理由には、全くなりません。それが「作家」であり「小説家」というものではないかと思います。

歴史を歴史として見ようとする時、氏の著書に引かれた史料に直接当たるならばともかく、氏の主観を経た記述をそのまま史料とすることは出来ないし、やってはならないと思います。おそらくは、司馬遼太郎氏本人もそれを望んではいないでしょう。

どれほどノンフィクションが混ざっていようとも、フィクションとして書かれた作品はフィクションとして受け取るべきです。どうしても作中のノンフィクションの部分を抽出したいのであれば、それは作品の読解とはまた別の作業になります。

いわゆる【司馬史観】の是非功罪をここで全て論うのは、氏の作品を一点余さず読んだわけでもない私には、あまりにも荷が重過ぎますが、ただ、氏の朝鮮に関する認識や表現、述懐については、些かながら言上したいことはあります。

それは、氏がかなりの偏見を持って朝鮮を見ていたということです。その根源は、昭和初期の日本への憤怒、もっと突き詰めて言うならば、若かりし頃の氏を戦地へ送り込み、そこで死ねと自分に強要した【日本軍部】というものへの憤怒の裏返しと言っても良いでしょう。

その憤怒の余り、氏は朝鮮に対しては極めて同情的だったと思います。それは、共に【日本軍部】の暴力の被害者であったことについての共感と、氏自身が【日本軍部】の部品のひとつとして戦争に、ひいては朝鮮に対する加害に関与したことについての自責の念とがない交ぜになったためではないかと思います。

この複合感情は、あの時代の日本人には極めて共感を得やすい感情だったのではないでしょうか。当時日本人の多くは、戦争被害者でありながら同時に敗戦国の国民として、加害責任を感じることを強要されていたからです。

加えて、司馬遼太郎氏の朝鮮観は極めて散漫で断片的な知識に基づいています。それについては氏自身、「街道をゆく」シリーズの耽羅紀行の中で、
 「両班」
 これこそ朝鮮を知るための手がかりの一つだといわれてきたが、私は本気で関心をもったことがない。
 「ボクは両班の子なんだ」
 ということばを、こどものころから何度もきいた。
 わりあい数が多かったから、朝鮮人はみな両班だと思うことにした。そういうように、概念や実態を朦朧とさせておくほうが、かえって正確なのではないか。
と述べています。

氏にとって朝鮮は、興味の対象ではなかったのでしょう。仮に興味を持ったとしても、朝鮮自体には資料も史料も、絶望的なほどにありません。日本や中国にある朝鮮の資料や史料に当たるとしても、それらを素直に且つ詳細に読めばどうなるかは、言うまでもありません。

ならば曖昧に、たとえて言うならばモザイクのかかった画像を目を細めて見たり、近視の人なら眼鏡を外して見れば、鮮明に見える「ような気がする」ということを、氏は朝鮮に対して行なっていたのではないかと思います。

氏は、日韓併合について「そろばんに合わぬことをした」「日本は損をした上に朝鮮人の怨みまで買った。ばかげたことをしたものだ」というような言い回しを用いて批判しておられるのを、幾度か見聞きしたことがあります。これは当時の日本人の日韓併合に対する視点としては、かなり珍しいものであったのではないかと思いますが、おそらく氏が日本の明治期の史料を読み解くうちに気づいたことだと思います。

もっとも、NHKか何かで放送された氏のこの手の発言を聞いた在日朝鮮人が、「朝鮮を馬鹿にしている」という意味のことを怒りを込めて書いていたのを読んだ記憶があります(確か金両基ではなかったかと思うのですが、記憶が曖昧で確信はありません)。

この程度のことを言っただけでも、朝鮮人の不興を買うとなれば、興味も関心もない上に、作品の素材とすることも出来ない朝鮮については、氏は当たり障りの無さそうなことか、少なくとも朝鮮人の機嫌を損なわぬようなことだけしか言わぬように気を配っていたと思われます。

このことは確か、日本人である司馬遼太郎氏と、在日中国人の陳舜臣氏、在日朝鮮人の金達寿氏らとの鼎談に先立ち、司馬氏が「朝鮮」という語を使う理由を縷々述べ、使用の了承を求めていた点からも間違いないと思います。

司馬史観と、氏の作中に表れる朝鮮観の共通点は、どちらも「資料や史料に忠実な部分もあるが、齟齬や虚構に基づく創作も多分に含まれており、且つ執筆に当たって最も重視されていたのは、作者自身の表現欲と、読者の「受け」である」という点だと思います。

ただし、氏がそういう姿勢で書いた物が、「韓国起源説」や「朝鮮文化大国説」のブースター的役割を果たし、今もなおその後遺症を残しているという一点については、氏の迂闊さを責めたいと思います。



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