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嫌韓を「韓国(人)いじめ」と言う輩の真意

最近、数年前に読了した韓国関連本を何冊か読み返しています。

読了したと言っても、暗記するほど読んだわけではないので、読み返すまで忘れていた内容もたくさんあります。しかし、それ以上に再読を楽しませてくれるのは、以前読んだ時は気づかなかったことや、時勢が変わったために読んだ時とは違う見方が出来るようになった点が散見されることです。またいずれ、それらをネタに何か書けたらと思います。

いつになるかわかりませんがw

さて表題の件。

「かつては嫌韓だったが、今は改心した」、あるいは「今は親韓である」という人は、そんなに多くはないようですが、皆無というわけでもなさそうです。

以前、弊ブログでもそういうコメントを書いた人がいましたが、そういう人たちの中には、「嫌韓」を「韓国いじめ」と解釈している人がいるようです。

先日、妙に達者な日本語で意味不明瞭な文章を書く韓国人のブログで見かけた「元嫌韓」を自称する人が、「私が嫌韓だったときの苦しみは計り知れません。必死でみんなに韓国は悪い国だって伝えようとしたし、日本の歴史の汚点を韓国のせいにしました。韓国の粗探しをして喜んでました。私はいじめられてからいじめはしないと決めた。なのに自分はいじめっことなんの変わりもないことをしている。いじめる快感はあるけど、自己嫌悪ですよ」などとコメントしておりました。

弊ブログをご覧の皆様であれば、嫌韓を「必死で韓国は悪い国だと皆に伝えようとする」「日本の歴史の汚点を韓国のせいにする」「韓国の粗探しをして喜ぶ」ことだと定義し、「(韓国を)いじめる快感はあるが、自己嫌悪で苦しんだ」というのを見て、即座に強い違和感を覚えるでしょう。

最近の私は、嫌韓から飽韓もしくは諦韓に移行しつつあるために、このブログも「韓国ウォッチ系ブログ」と名乗る方がしっくりきます。が、以前ははっきりと「嫌韓ブログ」を名乗っていました。

そんな弊ブログですが、「韓国は悪い国だ」と必死で宣伝しているつもりは全くありませんし、「日本の歴史の汚点を韓国のせい」にしたことなど一度もありません。日本の過去の歴史の最大の汚点であり、日本が積極的に望んで行なったわけでもない日韓併合でさえ、韓国のせいにした覚えはありません。

韓国や韓国人の粗探しをして喜んだこともありません。だって韓国や韓国人の粗など、探す必要ありませんから。むしろもっと減らすなり隠すなりしてくれまいかと思います。私が探したのは、韓国や韓国人の長所の方です。

韓国という国と関わらねばならぬ不幸を嘆いたことは幾度となくありますが、韓国をいじめて喜んだことなど一度たりとてありません。

そもそもいじめとは、快感を覚えるようなことなのでしょうか。

私は弱い者は庇護するべきだと思っていたので、弱い者いじめはしたことがありません。卑怯者ならいじめたと言われるようなことをしたことはありますが、何しろ相手は卑怯者です。実際に酷い目に遭ったのは私の方ですから、私が卑怯者相手にしたことを「いじめ」と言うべきだとは、今でも思っておりません。

子供の頃、級友や上級生などから、いじめと思しき行為を受けたことは幾度かあります。ただ、私は子供の頃から、あまりそういう行為に接しても長く悩むことがありませんでした。相手の態度に違和感を感じても、多分嫌われたのだろう、それならばしかたないと早々に諦めてしまい、相手の陰険な態度に接しても、距離を置いて飄々と過ごすのが常の、まことにいじめ甲斐のない子供でした。

いじめられてる者から期待するような反応が得られないと、いじめている者は何故かイライラしていじめをエスカレートさせるようです。それでもなお私は淡々とやり過ごしていたのですが、ある時、いじめられているはずの私が静かに、しかし突然ブチ切れたことがあります。

中学生の頃、1ヶ月ほどの間、私をいじめているつもりだったらしい同級生がいました。例によってあまり気にせず淡々と過ごしていたのですが、ある日その同級生が取り巻きたちと一緒に嫌がらせのつもりか、私もいた教室の一隅で、聞こえよがしに私の陰口を言っておりました。それまでの間、連中の些細な、しかし度重なる嫌がらせを淡々とスルーしてた私でしたが、その日は何を思ったか、突然連中の傍へ向かって行き「あ?何だコラ、やんのか?」と言いざま、首謀者の胸倉つかんで詰め寄ったことがあります。

その時の私はムカついてはいましたが怒っていたわけではなく、殴るつもりもありませんでした。単に相手に逃げられないように捕まえたら、それがたまたま胸倉(というか、制服のブレザーの襟元)だっただけなのですが、それまで私をいじめてるつもりだった当の同級生は、胸倉をつかまれたということに酷く驚き、何かモゴモゴと言い訳のように「お前が悪いんだ」というようなことを言ってました。私はそいつの胸倉をつかんだまま「何故こいつはこんなに驚いてるのだろう?」と不思議に思ったことを覚えています。

その光景は、傍目には殴り合い寸前に見えたのか、それまでニヤニヤしながら眺めていたそいつの取り巻きや、我関せずを決め込んでいたクラスメートが慌てて仲裁に入りました。

その後は相手が態度を緩和させたのでそれなりに仲良くなり、そいつの取り巻きや傍観していたクラスメートからは、一目置かれるようになりました(ちょっと遠巻きにされていただけと言う説も有り)。

今、その時の相手の反応から思うことは、「いじめる快感」はいじめられた者がいじめる者の思うとおりにへこみ、うろたえ、顔色を伺ってくるのでなければ、得られないのではないかなということです。

いじめられているはずの私の反応が芳しくないためにいじめをエスカレートさせた我が級友を思うと、「いじめる快感」というものは、「相手を自らの精神的支配下に置き、意のままに翻弄し、弱っていくのを見ながら優越感を感じること」ことなのかもしれません。

さて、前述の自称「元嫌韓」の言うとおり、もし「嫌韓」=「韓国(人)いじめ」であるならば、嫌韓は韓国や韓国人を精神的支配下に置き、意のままに翻弄して弱っていくのを見ながら優越感を感じて楽しんでいるということになります。

しかし実際問題として、韓国も韓国人も、嫌韓の精神的支配下にはありません。韓国や韓国人が勝手に嫌韓の望むような方向に自爆することはあっても、嫌韓の意のままに翻弄されるようなことは全くありません。日韓チャットで韓国人と論争にもならぬ罵倒合戦に陥った私が得るものは、快感どころか徒労感と絶望感です。

嫌韓の苦しみは自己嫌悪のためではなく、徒労感と絶望感に苛まれることです。それでもなお、嫌韓として韓国人に対峙し続けるのは、そうしなければ私たちの方が韓国人の思惑にはまり、意のままに翻弄される恐れがあるからです。

そうです、【相手を精神的支配下に置いて意のままに翻弄し、もって優越感を感じよう】としているのは、日本人ではなく韓国人の方なのです。嫌韓は単にそれに対抗しているだけのことです。

「嫌韓」=「韓国(人)いじめ」などとナチュラルに放言する者の国籍や血統は定かではありませんが、何であれそう言う者の真の意図は、「嫌韓」とはこのように歪んだ人たちだと誤解させるためのネガティブキャンペーンか、あるいは朝鮮人によく見られる自己投影、即ち「自分がそう思ってるから相手もそう思ってるに違いない」という心理の表出ではないかと思った次第です。



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