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魔法の言葉なんかない

いよいよ今日で6月も終わりです。これで今年も半分過ぎたということで、本当に年を取れば取るほど、時間が経つのは速くなります。

さて、前回記事のコメント欄で、韓国人や朝鮮人について啓蒙しようとしても、60代ぐらいの人はまったく聞き入れないということを仰っていた方がいらっしゃいました。

これは、相手が60代ぐらいだからというよりは、「啓蒙しようとする」からではないかと思います。

「啓蒙」とは、字面通りの意味であれば、「蒙を啓く」ことです。「蒙」とは「無知蒙昧」などと言われるように、「道理に暗い」という意味です。

本人に「道理に暗い」という自覚があり、且つそれを何とかして欲しいと願っていれば、啓蒙は有効に働くかもしれません。しかし親韓な人の場合や、あるいは「朝鮮人(韓国人)も同じ人間だ」と信じている人の場合は、むしろ「自分は韓国に詳しい」とか、「平等無差別こそが真理」と信じています。

そういう人に、「おまいの蒙を啓いてつかわす」なんて言えば(言わなくてもそういう態度で接すれば)、そりゃ反発しか返ってこないでしょうし、そういう人たちの考えを、一言で変えられる魔法の言葉などありません。

ですからそういう人たちには、啓蒙ではなく、自ら判断するための材料を提供するという姿勢が良いと思います。

人間誰しも、一度でも好意を抱いたものや、親しみを感じたものについて、他人から悪し様に言われれば、強く反発するものです。それは韓国についても同様だと思います。

私も一度は親韓だったことがありますからわかりますが、一度韓流捏風に吹かれた人は、韓国の悪い話を聞いても、たとえそれが事実だとわかっても、素直に受け入れることはないでしょう。

それは韓国に対する愛情や親近感故ではありません。自分の判断や理解を否定されることに対する拒否感や反発からだと思います。

弊ブログを始めた頃も、その辺には非常に神経を使いました。「あれで?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、表現や言い回しはかなり配慮していましたし、今でもかなり控えめです。

韓国や朝鮮について、歯に衣着せぬ表現は、嫌韓や呆韓、笑韓な方には好まれるかもしれませんが、親韓擁韓な方は、内容にたどり着く前に表現で強い拒否感や嫌悪感を抱くでしょう。嫌韓、呆韓、笑韓な方には物足りないかもしれませんが、弊ブログは親韓擁韓な方にこそ、読んでいただきたいのです。

誰もが、自分の判断を信じたいものですし、自分が信じた判断を、他人から一方的に否定されたくはありません。自分が信じたことや自分の判断を間違いであったと自ら認めることが出来る場合があるとすれば、それは、自分自身でそういう結論に達した場合です。

私も、戦後左傾教育を受けてきた世代であり、日本は悪であると教えられ、支那や朝鮮は無条件で善なる存在であり、日本人は支那・朝鮮人を始めとするアジア諸国に対して、常に頭を下げてへつらわねばならぬのだと教わってきました。それを否定する者は糾弾されるべき者だと、心の底から信じていました。

それがおかしいと気づいたのは、誰かに一方的にそう押し付けられたからではありません。自分で見聞き、調べ、考えたからです。自分自身で見聞き、調べ、考えた結果、今まで信じていたことが必ずしも正しくないということに、自分で気づけたからこそ、それまで自分が信じていたことを覆せたのです。

おそらく、これは私だけではないと思います。誰もが、自分を信じたい。自分の信じたことやものを、信じたい。それを他人に覆されるのは、自分自身を否定されるのと同じことです。

ですから、私はこのブログであれ、他人のブログであれ、誰かを啓蒙どころか、説得しようとさえ思っていません。ただ、判断材料を提供するのみです。

私がこのブログで提示した材料や、その他の朝鮮関連の資料を見た上で、それでも朝鮮擁護に回るというのであれば、その姿勢は尊重したいと思います。

促すべきは、啓蒙ではなく、思考停止からの脱却です。本人が、自ら考えるということを始めようとしない限り、他人がどれほど優れた理屈を押し付けても、それを消化することは出来ないでしょう。

それには、長い長い時間がかかります。韓流捏風に浮かれ、私の韓国批判を聞いて、人種差別だの民族差別だのと非難し罵る人を見ると、いつも気が遠くなる心持ちがします。

しかし、淡々と事実を積み上げ、相手に思考を促し、その人が自ら判断することで得られた結論は、どんな偉い人からの啓蒙よりも堅固に、その人の考えの中に根を下ろすようになると信じております。

その一助として、弊ブログがお役に立てれば幸甚です。



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「朝鮮人だからさ」

日韓チャットの常連日本人会員から時々、「お前は朝鮮人を解釈する際に、無駄にこねくり回し過ぎる」という指摘を受けます。これは全くその通りで、朝鮮人を理解するには、本来ならば「朝鮮人だから」という一言で理解するのが、最もシンプルで無駄がなく、的確だと思います。

ただ、それで私自身は理解出来ますが、他の日本人に朝鮮人について説明する場合、「朝鮮人だから」という一言では、なかなかすぐに納得してもらえません。日本人は微に入り、細を穿ち、例をあげ、事実を見せて説明しないと、「朝鮮人だから」の一言では、「人種差別だ」「偏見だ」と言って受け容れようとしない人が多いのです。

微に入り細を穿ち、例をあげ事実を見せて説明するには、膨大な時間と語句が必要です。かつて盛況だった日韓チャットでは、新参の日本人会員が、常連の日本人会員の韓国人に関する会話を見て、「それは人種差別だ!」と常連日本人会員に対して食ってかかることが時々ありました。しかしその新参の日本人会員に、具体的に何が人種差別なのか、どこが人種差別なのかと聞き返しても、まず答えられません。

同様の現象は弊ブログのコメント欄でも時々発生していたので、弊ブログをご覧の皆様には容易にご理解いただけると思います。最近弊ブログをご覧になり始めた方は、過去記事全てとは申しませんので、人気記事ベストテンだけでも、コメント欄を含めてお読みいただきたいと思います。

要するに、そういう日本人は、「無闇に他人を悪く言うものではない」という日本人的常識で韓国人を見たり語ったりしようとしているわけです。それは日本人同士であれば美しく麗しき良識ある行動として通用するかもしれませんが、韓国人相手には、付け入る隙でしかありません。

それによって韓国人から「お人好し」と見下される程度で済めば御の字です。最悪の場合は「ネギを背負って鍋に入って、煮られるのを待っている鴨」と看做される可能性も、決して低くはないのです。

そう説明しても、たいていの日本人は俄かにそれを信じません。それどころか日本人の場合は、実際に自分か、自分に近しい人が韓国人の被害に遭っても、【一発だけなら、誤射かもしれない】精神を発揮する人さえ珍しくはないのです。

そんな日本人相手には、時間をかけ言葉を費やして説明するしかありませんが、こちらが時間をかけ言葉を費やしたとしても、相手がそれにどこまでついてきてくれるかという問題があります。仮についてきてくれたとしても、そうやって朝鮮人という生き物に対する理解が深まれば深まるほど、たいていの日本人は朝鮮人という生き物から距離を置き、意識と視界から追い出したくなります。

しかし朝鮮人と距離が出来、意識と視界から追い出してしまえば、朝鮮人が余りにも日本人的常識からかけ離れているために、日本人はすぐに彼らの異常さを失念してしまいます。それは、「悪いことはなるべく早く忘れた方が良い」と考える習性が、日本人に染み付いているからかもしれません。

日本で幾度も韓国ブームが起きる理由は、日本人が韓国のことを忘れてしまうからだということは以前も書いたことがありますが、韓国や韓国人に対する理解など覚えていたくないという気持ちが無意識的に働くのも、日本人が韓国を忘れ去る理由のひとつに数えることが出来るでしょう。

逆に韓国人はどうでしょうか。これは面白いことに、日本人とまるっきり逆です。彼らが、日本人を詳細に分析し、様々な角度からアプローチを試みるということは、ほぼありません。

韓国でも、日本や日本人を分析し考察する書籍がいくつも出ています。そのうちの幾冊かの日本語版を私も読んだことがありますが、それらの本に書かれているどんな理屈よりも、どんな事実よりも、どんな例示よりも、「日本人だから」の一言が韓国人には強い説得力を持っているのが、実によくわかります。

韓国人の言う「日本人だから」の一言には、侮蔑や憎悪、嫉妬や羨望、憧憬、執着などの複合感情が綯い交ぜにされております。これを仔細に分析し、考察し、説明しようとすれば、やはり膨大な字数と時間が必要になるでしょう。

しかし韓国人は、そんなものを必要としません。彼らは日本人に対しては、「日本人だから」の一言ですんなり納得出来てしまえるのです。

それと同じように、日本人から見た韓国人も、「朝鮮人だからさ」の一言だけですんなり納得出来るようになれば、日本人の韓国や朝鮮に対する理解はずいぶん楽になるでしょうし、日韓の関係もよりシンプルでより明快になるのではないかと思います。



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認識能力の低さゆえの・・・

前回は韓国人の認識能力について述べました。これについて、「もう少し実証的に考察して欲しかった」というご意見を頂戴いたしましたので、今回はそのご要望にお応えしてみようと思います。

韓国人は非常にしばしば他国の文物を剽窃し、更にはその起源を主張します。これは彼らの過程よりも結果のみを重視する性癖も大いにあると思いますが、彼らの認識能力の低さもそれを助けているのではないかと思います。

前回引き合いに出した犬の例で言えば、純血種はその種の特徴を強く持っております(それゆえに純血種なのです)が、純血種と言われる珍島犬を見てもサプサル犬を見ても、その種だけが持つ特徴を強く印象付けられることはありません。

それどころか、サプサル犬などは一目で西洋犬の血が混じった犬だとわかります。と言うか、18世紀に描かれた「サプサル犬」らしき犬の絵と、現在サプサル犬とされている犬の画像を見比べてみれば、とても同種の犬とは思えません。

ところが、韓国人はこれを見て同一犬種と心から思えるわけです。同じく前回例に出した花にしても、彼らは花の種類をそれぞれ分けて認識する能力がありません。

もちろん、彼らに最初からその能力が完全にないとは断言しません。しかし日韓チャットでも、何かにつけちょっと深く突っ込んで話すと、彼らはたちまち音を上げます。本当にすぐです。たとえそれが韓国のことについてであっても、あるいは彼らから振ってきた話題であっても、それに対して日本人が突っ込み始めると、彼らの口数はみるみる減っていきます。

結局、仮に彼らに物事に対する認識能力があったとしても、彼らにそれを使う気がありません。使わない、あるいは使えない能力は、ないものとみなすか、少なくとも極めて低いと言って良いと思います。

彼らは、犬や花にとどまらず、他国の文物についても、それがどのようなものかは理解出来ても、それらと自国文化の違いやその文物の本質を理解することは出来ないのではないでしょうか。

先日も、盆栽の起源は韓国であると主張している記事がありました。おそらく彼らから見れば、屏風に描かれた絵と盆栽がどのように違うのかは、全く認識出来ない=同一に見えるのでしょう。

また、朝鮮語を日本語の祖語と主張する韓国人がしばしば現われますが、それは必ずと言っていいほど言語学の門外漢です。日本人側にも朝鮮語を日本語の祖語と主張する人が時々いますが、これもやはり、朝鮮語初学者に非常に多いのです。これはつまり、両者の差を正確に認識出来てないが故に、両者を分別認識することが出来ないのでしょう。

以前、韓国人は8割でパペクトと考えるということを述べたことがあります。しかし、あるお手本があって、それをパーフェクト(朝鮮語発音でパペクト)に模倣することは、最低限そのお手本を100%認識していなくては出来ません。

しかし彼らには、対象物を100%認識する能力はありません。その上、彼ら的な考えでは「8割でパペクト」なのです。模倣するべき対象物を100%認識出来ない彼らが、お手本の8割の出来で作った物が、彼ら的には完璧なのです。

これは、例えば自動車に詳しい人と、そうではない人が自動車を見た時のことを想像していただければわかりやすいかと思います。

自動車に詳しい人は、一目でどこのメーカーの何という車で、どの型であるかを認識しますし、他人に説明することも出来ます。しかし自動車に詳しくない人が見れば、どれも同じ自動車に見えるし、他人に説明するどころか、自動車に詳しい人の説明を聞いても理解できないのと似ているのではないでしょうか。

彼らが、実に気軽に他国の文物を剽窃したり、貴重な文化財や史跡を毀損するのも、結局は彼らがそれらの文物や文化財や史跡に対する世間の評価を認識することは出来ても、それらが持つ価値も重みも認識出来ないからではないかと思います。

彼らが呼吸するように嘘をつくのも、彼らにとって言葉とは単なる音であり、発する言葉それぞれの違いは認識出来ても、言葉それぞれが持つ意味というものを認識出来ないが故の習性ではないかとも思ったのですが、これは少々穿ち過ぎかもしれません。



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韓国人の認識能力

相変わらずネタに詰まっている今日この頃です。どうせ詰まるなら、以前から個人的に不思議に思っていたことについて考えてみようと思いました。

昔から朝鮮では、犬を食用としていました。これはおそらく、犬は牛や豚のように大きな飼育スペースを必要とせず、と言うか放し飼いでも飼育可能で、牛や豚より繁殖力が旺盛で、牛のように専用の飼料を必要とせず、豚のように残飯や排泄物で養うことが出来、更に流通や肉の保存法が発達していなかった朝鮮では、屠殺してから腐るまでに食べ尽くすには、犬が丁度いい大きさであったことからではないかと思います。

しかし不思議に思うのは、そういう朝鮮で「食用犬」とされる特定の犬種が存在しないことです。もっと言うならば、食用に限らず、朝鮮あるいは韓国で、用途に応じて独自の品種改良を行なった形跡のある犬種が存在しません。

犬は世界中どこの国でも、それぞれの用途に応じて、意識的あるいは無意識的な品種改良が行なわれてきました。

日本人は、植物の品種改良には非常に熱心で、その技術も成果も、世界的に優秀な部類に入ると言って良いと思いますが、その反面、動物の品種改良は目立って上手とは言えません。その日本でさえも、北は北海道から南は九州・沖縄まで、実に多くの犬種が存在し、日本人の多くがそれを認識しています。日本人なら犬に詳しくない人でも、世界的に有名な柴犬や秋田犬以外に、北海道犬や土佐犬、甲斐犬、紀州犬ぐらいなら耳にしたことがあるでしょう。

韓国の犬と言えば、わずかに珍島犬と、珍島犬ほど有名ではありませんが、サプサル(サプサリとも)犬がおります。これら2犬種が本当に韓国(朝鮮)固有の犬種かどうかはさておき、珍島犬は狩猟犬か番犬、サプサル犬は牧羊犬のような外貌で、いずれも食用犬として品種改良したようには見えません。

これらの2犬種以外にも、もしかしたら知られざる韓国(朝鮮)固有の、あるいは韓国(朝鮮)で独自に改良した犬種があるのかもしれません。

しかし残念なことに、日韓チャットの韓国人に聞いても、誰もこれら以外の韓国(朝鮮)固有の犬種を答えたことがありません。何しろ、韓国人に「韓国の盲導犬には、何という種類の犬を用いるのか」と聞けば、「珍島犬」と答える奴がいるぐらいです。

韓国人に「花」について尋ねた時に思ったのですが、彼らは花を花として認識することは出来ます。しかし、それが「何の花か」「どんな花か」ということは、認識出来ないのではないかと思いました。

犬についても花と同じく、犬を犬として認識することは出来るけれど、その犬が何という犬か、どんな用途の犬かということは、認識出来ないのだろうと思います。

それが犬や花に限ったことではなく、実は様々な事物や現象に対して、同様のレベルでしか彼らは認識・判断出来ないのではないかと私は疑っており、その疑いはおそらく、間違っていないだろうという確信を私は持っています。



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結局使う人次第

ここ二日ほど、ネタに詰まって過去記事を読み返していたのですが、何気に「そう言えば、死んでから「韓国民の父」と言われてる盧武鉉だけど、昔は日韓チャットの韓国人にもクソミソに言われてたよなあ」ということを思い出しました。

思い出した勢いで、盧武鉉がらみの中央日報の記事を検索していたら、こんな記事や、こんな記事に紛れて「私は死体にならず、堂々と歩いて出て行く」と題した記事を発見。

リンク先をご覧になればおわかりいただけると存じますが、「死体」というのは、大統領の任期満了直前恒例行事で、マスコミに散々に攻撃された金泳三元大統領や金大中元大統領のことです。

でも、出て行ってからですが、本当に死体になってしまったのは、金泳三でも金大中でもなく、盧武鉉その人だったという現実を鑑みれば、何とも不気味な予言になってしまったものだなあと思いました。

さて、前回の記事のコメント欄で儒教(朱子学)に関するコメントがありました。

私は儒教については、さほどの知識を持っておりません。四書五経のうちの論語しか読んだことがなく、もちろんそれさえ極めて有名な数句が記憶に残っているのみで、論語にある言葉全てをそらんじているというわけでもありません。

その程度の知識で儒教を語るのはかなり気が引けるのですが、それでも思うのは、朝鮮人のダメダメさの根源を儒教に求めるのは、何か違うと感じるということです。

日韓チャットで韓国人と話していると、「自分の考えを他人に押し付け、信じることを強要する」という行為は、老若男女を問わずまことに一般的です。日韓歴史討論にしても竹島論議にしても、とにかく一方的に自分の意見が正しいと主張し、反論に一切耳を貸さず、相手が受け入れなければその道徳性を問い詰め、それでも相手が折れなければ情に訴えてでも自分の意見に引きずり込もうとします。

道徳を説く儒教を盾にすることは、相手の道徳性を問う時に大変都合が良いものです。理由を説明することなく「儒教ではそのように教えている」と言えば良く、それに疑問を持ったり、反論したりすれば、それだけで「非道徳」ということで、相手の発言そのものを封じることが出来るのです。

また儒教であろうとその他の主義、思想、あるいは宗教であろうと、本人がそれを自分自身の精神的支柱として受け入れ、信じる分にはあまり問題はないと思います。しかし、それを他人に押し付け、信じることを強要するようになると、問題が生じるのではないでしょうか。

それは、ナイフに喩えることが出来るのではないかと思います。ナイフは、人を殺傷することも出来る武器です。しかし同時に、日常生活においては便利な道具であり、物によっては素晴らしい美術品ともなり得るものです。それが凶器になるか、便利な道具になるか、それとも愛でるべき美術品となるかは用いる人次第であって、ナイフそのものには何の罪もありません。

コメントでもちらっと仰っていた方がいらっしゃったように、キリスト教であっても、彼らは他人に受け入れ、信じることを強要します。以前ご紹介したこともあったと思いますが、改宗すれば死刑もあり得るイスラム教徒への韓国人による布教活動は非常に活発で、また韓国人牧師による性犯罪も多発しております(ちなみに宣教師の数は、韓国人が世界一だったと記憶します)。

こういう現実を見れば、儒教故に朝鮮や朝鮮人がダメダメになったわけではなく、元からダメダメな朝鮮人に、主義や思想、宗教を持たせたことが、まさに「キチガイに刃物」になったというだけのことではないかと考える次第です。



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韓国人の望みは朝鮮民主主義の実現なのか

北朝鮮に対する制裁決議が国連安保理で可決されたとやらで、間髪入れぬ北朝鮮の火病発作が見れるかなと思ったのですが、今のところ思ったほどの発作は起こしていないようです。後継者問題関係辺りで、内部調整が今までよりややこしくなってるのでしょうか。

北朝鮮の後継者問題と言えば、テレビ朝日が金正雲の写真だと言って報じたものが、実は激しく誤報だったという件は、日韓チャットで韓国人から言われました。でも私がその時その件を知らなかったので、ナチュラルにスルーしてしまいましたが、言い出した韓国人の方も、単に「日本メディアが北朝鮮の後継者の画像を誤報した」という程度のことしか知らなかったようで、それ以上の言及はありませんでした。

ところで前回記事のコメントに、燭火デモは民主主義の発露で間違ってないと思っておられる人がいらっしゃいました。弊ブログをお読みの上でそういうことをコメントする方がいらっしゃるということは、日本語が読み書き出来る能力のある人の中にも、そういう人は少なくないのでしょう。そういう人の中の朝鮮人率がどれほどなのかは、私には判定のしようがありません。

仮にそういうことを仰っていた方が朝鮮人ではないとしても、書かれたコメントを見る限りでは、燭火デモについて何も知らないか、あるいは燭火デモ全能主義韓国人の言い分を検証もせずに鵜呑みしているか、もしくは「何につけ一応は日本人は反省汁」と思っているだけのようです。日本語を読み書き出来る能力が、即ち読解力や判断力に結びつくとは限らない好例かと存じます。

燭火デモが非暴力を掲げながら極めて暴力的なのは、最早1年前から明白です。反政府側(=デモ賛同者側)は、それを戦闘警察側(=政府側)の暴力に対抗するものだという主張を盛んに行なっておりますが、決してそんなことはありません。昨年の最盛期から、私は反政府側のメディアによるデモの生中継をリアルタイムで観覧しておりましたが、戦闘警察もデモ参加者もどちらも同じ韓国人ですから、どちらも同じ程度に暴力的でした。

同じ程度に暴力的なら、数が多く、誰が、いつ、どこから、どれだけの人数が、どのように現れるかが全くわからないデモ隊の方が明らかに危険でした。戦闘警察は戦闘警察とわかる格好をしており、統率の取れた行動を取りますが、デモ隊やその賛同者は、それとわかる格好をしている者から、そうではない者までが、誰に統率されるでもない分、衆を頼んで暴力行為を含んだ予測不能な行動を起こすからです。

また、市民が参加する政治という意味であれば、韓国の大統領選挙は直接選挙ですから、その最たるものです。市民が直接選んだ大統領を、暴力デモで糾弾し、退陣を求めるというのは、「朝鮮民主主義」においては間違ってないのかもしれませんが、普通の国の民主主義では間違っていると断言します。

ここで思うのは、「普通の国では間違っている」ということであっても、朝鮮人にとってそれが正しく適していると思うのであれば、それを貫けば良いということです。朝鮮人にとって朝鮮民主主義が最も適しているという確信を持って、彼らが朝鮮民主主義を求めているのであれば、外国人が何を言おうとやれば良いのです。

しかし果たして彼らは「朝鮮民主主義」が良いと信じて行動しているのでしょうか。私は違うと思います。

韓国人は失敗することがあっても、それを教訓としたり経験にすることが出来ません。個人であれ国家であれ、必ず失敗そのものをなかったことにしてしまいます。だから彼らは、何度でも何度でも同じ失敗を繰り返します。

「朝鮮民主主義」が、彼らの失敗の積み重ねの中で得られた回答であるならばともかく、歴史を振り返れば、彼らは似たような失敗を何度となく繰り返しております。

結局彼らの言う「朝鮮民主主義」の発露であるところの燭火デモは、彼らが望んで得た回答というわけではなく、彼らが今までに何度となく繰り返してきた失敗のうちのひとつの型であることを、彼ら自身が認められないだけのものだと、私は思っています。

今回も、彼らの「朝鮮民主主義」によって韓国は少なからぬダメージを被っており、これが韓国の今後にどのような影響を与えるかはわかりませんが、どう見積もっても良い結果が出るようには思えません。

もっとも、韓国人は韓国を滅ぼしてでも、「朝鮮民主主義」の実現を望んでいるのだと言われれば、私には最早返す言葉がありませんが。



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「朝鮮」民主主義

前回は記事数700件へのお祝いや激励のお言葉、ありがとうございました<(_"_)> 日韓チャットの現状を鑑みれば、弊ブログもいつまで続けていけるか正直わかりませんが、とりあえず行けるとこまで行ってみようと思っておりますので、今後も変わらぬご声援をお願いいたします。

さて、相変わらず韓国では燭火デモを続けているようです。

去年のデモは、盧武鉉がお膳立てした米国産牛肉の輸入問題に抗議し、現政権を糾弾するためのデモでしたが、今年のデモは盧武鉉の死に対する追悼と、やはり現政権に対する糾弾のためのデモのようです。

どっちに転んでも盧武鉉と現政権糾弾絡みなわけでして、反日カードも切り難くなってきた昨今、李明博現大統領の苦悩や如何ばかりかと、お察し申し上げます。正直どうでも良いけど。

過疎っている今の日韓チャットでも、ぽつりぽつりとその辺りの話題が出てきます。

燭火デモに賛同している韓国民に言わせると、盧武鉉は韓国国民の父であり、韓国民がこれを熱狂的に追悼するのは当然なのだそうです。

韓国人が、盧武鉉を韓国国民の父とする理由は、私にはひとつしか思いつきません。即ち、盧武鉉が大統領経験者であったということただ一点だけです。

しかし、前大統領が韓国民の父であると言うならば、現大統領も韓国民の父であるはずです。前大統領をそれほどまでに称えるのであれば、現大統領は更に敬い、称えられるべきではないのでしょうか。

と言うか、そもそも、民主的な選挙によって大統領になった人物を、「国民の父」と考えることそのものが、私から見ると違和感ありまくりです。

これは韓国人の中にも違和感を感じている人がいるようで、「まるで金日成を父と呼ぶ北朝鮮人民のようだ」と言ってる韓国人も、いることはいます。

ただ、韓国でそう言うと、やはり物凄い非難を集中的に浴びるようです。曰く、「お前は何故我々に賛同しないのか?お前は韓国民じゃないのか?」と。

だいたい、盧武鉉がそこまで追慕されるべき人物だったでしょうか。彼のやったことの、理非功罪を数えれば、間違いなく李明博よりも非や罪が多いでしょう。と言うか、李明博は昨年からの燭火デモにかなり手足を取られて、やろうと思っていることに全力を注げないでいるのではないかと思います。

それにかつて韓国のネット上では、「私は盧武鉉に投票しました、ごめんなさい」というジョークが盛んに発せられていました。そうやって、盧武鉉を揶揄し貶めた人々が、今、同じ口で盧武鉉に対する熱狂的な追慕を語っても、説得力がないばかりではなく、その薄っぺらさに呆れる以外ありません。

更に彼らは、燭火デモを民主主義の発露だと本気で思い込んでいるようです。民衆の民衆による民衆のためのデモに参加していることに、彼らは感動し、且つ興奮しています。

日本人の目から見れば、彼らの燭火デモは民主主義とは遠くかけ離れたものでしかないのですが、彼らにとっては燭火デモこそが理想の民主主義なのかもしれません。ただし、彼らの理想の「民主主義」の前には、「朝鮮」が付くのですが。

そう言えば「朝鮮」が頭に付いている「民主主義」を国号に付した某国がありますが、韓国人が掲げる民主主義が、某国謹製の民主主義だと言われれば、うなづけなくもないとは思います。



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そういう国や人は、他にもあるけれど

今回の記事で、弊ブログの記事数が700件ちょうどになることに、先ほど気づきました。仮に1記事1ページで製本するとしても、700ページと言えばちょっとした辞書並のボリュームになります。しかも実際には、文字数の関係から言っても、1記事1ページは不可能だと思いますので、電話帳も真っ青な厚さの本になるでしょう。そんな本、読む気しねえw

本じゃなくネット上だと言っても、こんなに記事数があると、一見さんに「過去記事読め」と言って突き放すのは、ちょっと可哀相な気もします。だって1日に5件読んでも、休みなしで140日かかりますから。

まあ、ここで述べていることは結構同じことの繰り返しが多かったりするので、過去の記事から毎月1件の記事をランダムに選んで、適当に読み散らかしてもらえば、大づかみにご理解いただけるかもしれません。

それでも46件になりますがw

というわけで最近いらして、どこから読んだものやら途方に暮れている方がもしいらっしゃったら、弊ブログの人気記事ベストテンは以下の通りです。よろしければご参考までに(集計期間は、2007年4月9日~2009年6月8日)。

1.「約束」の意味
2.月見櫓のご案内
3.韓国人の嫌韓ブログ
4.ウォン安≠韓国の物価安
5.韓国人女性に美人が多い?
6.復啓
7.論より権威
8.韓国人の学習方法
9.在日中学生君の投稿を見て。
10.<丶`∀´>人の嫌がることを進んでやります^^

さて、私が日韓チャットの常連日本人会員に、しばしば揶揄と非難を込めて言われることのひとつに、「お前は朝鮮人を日本人思考で解釈しようとし過ぎる」ということがあります。

これは確かにその通りでして、幾度言われてもなおりません。言われるたびに「だって私は日本人なんだから、しかたないじゃないか」と思う気持ち半分な点も、この癖がなかなかなおらぬ理由のひとつでしょう。

同時によく言われるのが、「世界には、朝鮮人に劣らぬ無茶苦茶な連中は珍しくない」ということです。

これも確かにその通りだと思います。

弊ブログとリンクしている、ブログ「黒猫の巣」にある、香ばしき国々などをご覧いただければ、かなりよくご理解いただけるのではないかと思うのですが、朝鮮人がことによると可愛らしく見えるようになるかもしれない可能性もなきにしもあらずという国々や、そういう人々は、実は世界には結構あるようです。

中でも、しばしば引き合いに出されるのは、アフリカ辺りの国です。

正直、私はあまりアフリカ周辺については詳しくありません。しかし仄聞するだけでも結構無茶苦茶な話はあります。例えば、次のサッカーW杯開催地南アフリカは「Crime Expo」と呼ばれるほどの治安の悪さで有名です。

何しろ日本外務省の「海外安全ホームページ」には、「南アフリカは、犯罪発生率が世界で最も高い国の一つです」とはっきり記されているほどで、日本人的な感覚で言えば、想像を絶するほど治安が悪い国のようです。

これは聞いた話ですが、南アフリカでは、カモにホールドアップを告げて銃などの凶器を突きつけ、金品を奪うタイプの強盗はまだ良心的な方で、いきなりカモを撃って無力化し、その後にゆっくり金品を奪うという強盗も珍しくないと聞きます。

こうなるとほとんど野生の王国そのものの弱肉強食な世界で、農耕民族の日本人などが間違って迷い込めば、専ら食われる側に立たされる人がほとんどでしょう。

このような、朝鮮人に劣らぬ無茶苦茶な人々が多いと言われる国は、政情不安は当然として、たいていが酷く厳しく激しい気候に晒されており、かつ貧富の差や身分の差がとてつもなく大きく、教育水準も極めて低いという特徴があります。

自然というものは、人間の都合などを斟酌することはありません。その力の前では、「ヒューマニズム」などというものは何の役にも立ちません。人間が自然の威力に対抗するとすれば、技術や知識をもって自然と人間の間に緩衝帯を設けることぐらいしか出来ないのです。

ところが、人々の貧富の差が激しく、教育水準が低ければ、技術や知識をもって自然と人間の間に緩衝帯を設けることも容易ではありません。自然と人間の間に緩衝帯がなければ、人間も弱肉強食の理に従う自然界の動物の一種として生きるしかありません。

そこでもし韓国が、そういう国だと自他共に認めるのであれば、私もこれほどまでには言いません。

しかし韓国は、日本と比べても、全体的な自然環境はそこまで苛烈ではありません。むしろ台風や地震の多い日本の方が、自然環境的には厳しいかもしれません。また経済規模では、世界11位にまでなったこともある国です。最近でこそ経済危機で順位を落としてはおりますが(2007年度で14位)、それでも決して貧困国ではありません。また大学進学率は80%を超えており、これは世界的にもトップクラスの教育水準と言って良いでしょう。

更に彼ら自身、自分たちの国を先進国、あるいは先進国に準じた国と確信しており、更にその教育水準の高さや技術を誇っております。

にも関わらずその民度が、厳しい自然環境に晒され、経済規模も小さく、教育水準も低くならざるを得ず、そのために技術の普及も発展もなかなか進まない国々の人々と同じレベルと言われるほどの低さなのは、それこそ「日本人的な感覚」では理解することが出来ません。また「朝鮮人的な感覚」でも説明がつかないでしょう。

もし彼らの無茶苦茶さを、「そういう人や国もある」と言って正当化するのであれば、韓国の環境を「そういう国」と条件を合わせるべきだと思います。

と言っても、自然環境を変えることは難しいので、せめて彼らを文明人に見せかけているもの全てを、彼らから剥奪するべきだと思います。「彼らを文明人に見せかけるもの全て」を剥奪するのが乱暴だと言うのであれば、「日帝残滓」及び「倭色」「日式」「NIPPON FEEL」とされるものだけでも、完全に撤廃するべきだと思います。何故なら、彼らが日本の文化を剽窃したり、日本人に擬態しやすいということも、彼らの本質を、彼ら自身からも見失わせる理由のひとつになっているからです。

本当は、彼らが被っているヒトの皮を引っ剥がすのが一番わかりやすいとは思うのですが、それは一番難しいことでもあると思いますので、さすがにそこまでは求めようとは思いません。



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下位の相手は欲求不満のはけ口

今日は韓国では顕忠日です。顕忠日とは、以前にも説明したことがあったと思いますが、韓国のために命を落とした人々の功績を称え、冥福を祈る日で、韓国の政府要人が国立墓地に参拝します。6月6日を顕忠日にした理由は、二十四節気のひとつ、芒種に祭祀を行った風習から由来するという説もありますが、よくわかりません。大方、朝鮮戦争の始まった月のゾロ目で覚えやすいから、ぐらいの理由じゃね?と私は邪推しております。

さて、顕忠日と全然関係ないのですが、日韓チャットの韓国人には、入室するや否や、唐突に自分語りを始める者をしばしば見ます。

彼らは入室するなり、唐突に「今、自分はとても悲しい(あるいは寂しい、もしくは苦しい)ので、チャットに来ました」などと言います。彼らはこう言うことで、相手に「何か悲しいこと(あるいは寂しいこと、もしくは苦しいこと)があったのですか?」と聞かれることを期待しているのです。

それは別に構いません。構いませんが、私が彼らの期待通りの質問をするかどうかは、また別問題です。彼らの期待通りに質問してやれば、そこからとめどない身世打鈴(=愚痴)が始まるのが、私にはわかりきっています。

その身世打鈴が、聞いて楽しむには足りないにしても、それなりに興味をひくものであればまだ許せなくもありません。しかし彼らは自分の気持ちを一方的に吐き出せれば良いだけなので、聞いている相手のことなど全く考えません。従って話の展開を考えたり、表現を工夫したりなどということは一切しません。ですから彼らの身世打鈴は、ほぼ100%と言って良いほどに、絶望的につまらないしくだらないのです。

きっと彼らは、自分が悲しかったり、寂しかったり、苦しかったりすれば、それを聞く相手は、無条件にその愚痴を聞き、受け入れ、同情するべきだと思っているのでしょう。彼らには、彼らの愚痴を聞かされる相手の都合や感情や反応は、全く意識されません。

彼らが愚痴を垂れる時は、自分の欲求不満や鬱憤を抵抗なく受け入れてくれそうな相手、または自分の欲求不満や鬱憤を無条件で受け入れるのが当然だと思っている相手、即ち、自分より下位と思われる相手を狙ってやっていると思います。

彼らの考えでは、下位の相手に気兼ねなど必要ありません。相手が下位であれば、彼らは一方的に自らの不満や鬱憤をぶちまけ、相手がそれを自分の望むような形で受け入れるのが当然だと思っています。

これに対して、無抵抗ではなく、または彼らの望むような形ではない対応した場合どうなるでしょうか。

まずひとつは、そそくさと撤収するパターン。話題を変えて、その場を取り繕おうとするのもこのパターンの類型です。もうひとつは、相手が自分の思い通りにならないと激怒するパターンです。このパターンでは、自分が上位であることを改めて相手にわからせようとして暴れ出すことが珍しくありません。

前者は、相手が自分より下位ではないかもしれないと思った場合のパターンであり、後者は、自分より下位の者が自分の思い通りにならないことに対して憤る場合のパターンとも言えます。

今の過疎化した日韓チャットでは、どちらが多いかは測りようがありません。しかしかつて盛況だった頃の日韓チャットでは、明らかに後者が多かったと思います。彼らは、たとえ自称「幼い学生」であったとしても、私たちが日本人であるというだけで、韓国人である自分より下位なのが当然という意識が感じられました。

私が日本人であるために推測の域を出ませんが、おそらくこういう意識と行動は、相手が下位であると判断すれば、韓国人同士であっても同様なのではないでしょうか。

韓国で性犯罪が異常に多い理由も、日韓チャットの「下位と思う相手に、脈絡なく自分の欲求不満や鬱憤をぶつける」というのに似ているのではないかと思います。



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韓国との友好は日本にとって無意味

日韓チャットに韓国人がいなくてネタにならない昨今、時々ネタに詰まって、昔の記事で言い足りなかったことをネタにしようかと、自分で過去記事を読み返していることがあります。

先日、昨年の5月分の記事を読み返していたら、現在私が利用している日韓チャットが承認制になったのが昨年の5月末頃でした。ということは、私の「fetia」IDの承認が放ったらかしにされてちょうど1年が過ぎたということで、改めて感慨と不快と憤りを覚えておりました。

さて、「友愛」という小綺麗な言葉を多用する某政治家ではありませんが、人と人、国と国とが仲良くしていて損はない、などと言う人を某所で見かけました。幼稚園とか小学校で「みんななかよく」と教えられたのを、いまだに引きずっている人なのでしょう。

曰く「問題を解決する時も仲間が多い方が心強い」、「仲間はたくさんいた方が楽しい」、「困った時は助け合うことも出来る」、「仲良くする意味なんてそれで十分」なのだそうです。

確かに人であれ国であれ、社会で孤立するのはよろしくありません。それは北朝鮮を見ればわかります。何かをするにしても、一人でやるより二人で、あるいは一国でやるより二国でやれば、その効率は一人や一国でやる時の倍以上になります。

しかし、これは「仲間」が互いに同じ目標に向かって、質的に同程度の負担をした場合の話だと思います。

日韓関係において、日本が困った時に、韓国が助けてくれたことなどあったでしょうか。何らかの問題が起きたとき、それを解決するために韓国が日本側についたことなどということがあったでしょうか。単に私が浅学で知らないだけかもしれませんので、もしあるならば、是非教えていただきたいものです。

逆に日本が韓国を助けたり、問題解決のために日本が韓国側についたということであれば、浅学な私でもたくさん存じております。しかし、日本がいくら韓国を助けても、韓国はそれに対して感謝しないだけならまだしも、逆恨みするか、あるいはなかったことにしてしまいます。日本がこんな国と「仲間」でいることのメリットは、私には思いつきません。

メリットが有るか無いかで「仲間」になるかならないかを決めると言えば、それを打算的だと非難する人がいるかもしれません。しかし「仲間」というのはそういうものではないでしょうか。百歩譲ってメリットの有無は問わないとしても、デメリットの有無を判断基準にすることは譲れません。

何故なら、背後から撃たれる可能性の有る相手を「仲間」にするのは、危険極まりないからです。

たとえ何のメリットも無くても、精神的に支え合うことの出来る相手であれば、「仲間」となることにやぶさかではありません。しかし何のメリットもなく、精神的に支え合うことも出来ず、有事になれば背後から撃ってくる可能性の高い韓国を「仲間」とする理由など、全く思いつきません。そんな「仲間」は、「敵」よりなお厄介です。

韓国にとってはどうかはともかく、日本にとって韓国と仲良くすることで得などありませんし、問題解決の助けにもなりませんし、はっきり言って楽しくもありません。

「とにかく韓国と仲良くしようよ!」と言う人を積極的日韓友好促進派とすれば、「まあ、相手が何処の国であれ、仲が悪いよりは良い方が良いんじゃない?」といった消極的日韓友好賛成派は、積極的日韓友好促進派より更に多いでしょう。

しかし、もし相手が韓国ではなく、北朝鮮となれば、さすがに仲良くしようと言う日本人は少ないと思います。何しろ北朝鮮は、日本国民を何十人と拉致したり、日本に向かってミサイルを何発も撃ったりしておりますし、その上日本に対して「全土を攻撃する」とはっきり公言している、これ以上ないぐらい明確な敵国なのですから。

その北朝鮮と韓国とは、標榜するイデオロギーが異なるだけの一卵性結合双生児です。ましてや現在の韓国は、北朝鮮勢力に思想侵略されているのですから、思想的に朝鮮半島全体は、かなり均質化されてきていると言って良いでしょう。そもそも、標榜するイデオロギーが異なると言っても、彼らの根底にある「朝鮮思考」は共通なのです。

そういう理由も含めて、韓国と仲良くする意味など、少なくとも日本にとっては全く無いと、私は確信しております。



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