「朝鮮」民主主義
さて、相変わらず韓国では燭火デモを続けているようです。
去年のデモは、盧武鉉がお膳立てした米国産牛肉の輸入問題に抗議し、現政権を糾弾するためのデモでしたが、今年のデモは盧武鉉の死に対する追悼と、やはり現政権に対する糾弾のためのデモのようです。
どっちに転んでも盧武鉉と現政権糾弾絡みなわけでして、反日カードも切り難くなってきた昨今、李明博現大統領の苦悩や如何ばかりかと、お察し申し上げます。正直どうでも良いけど。
過疎っている今の日韓チャットでも、ぽつりぽつりとその辺りの話題が出てきます。
燭火デモに賛同している韓国民に言わせると、盧武鉉は韓国国民の父であり、韓国民がこれを熱狂的に追悼するのは当然なのだそうです。
韓国人が、盧武鉉を韓国国民の父とする理由は、私にはひとつしか思いつきません。即ち、盧武鉉が大統領経験者であったということただ一点だけです。
しかし、前大統領が韓国民の父であると言うならば、現大統領も韓国民の父であるはずです。前大統領をそれほどまでに称えるのであれば、現大統領は更に敬い、称えられるべきではないのでしょうか。
と言うか、そもそも、民主的な選挙によって大統領になった人物を、「国民の父」と考えることそのものが、私から見ると違和感ありまくりです。
これは韓国人の中にも違和感を感じている人がいるようで、「まるで金日成を父と呼ぶ北朝鮮人民のようだ」と言ってる韓国人も、いることはいます。
ただ、韓国でそう言うと、やはり物凄い非難を集中的に浴びるようです。曰く、「お前は何故我々に賛同しないのか?お前は韓国民じゃないのか?」と。
だいたい、盧武鉉がそこまで追慕されるべき人物だったでしょうか。彼のやったことの、理非功罪を数えれば、間違いなく李明博よりも非や罪が多いでしょう。と言うか、李明博は昨年からの燭火デモにかなり手足を取られて、やろうと思っていることに全力を注げないでいるのではないかと思います。
それにかつて韓国のネット上では、「私は盧武鉉に投票しました、ごめんなさい」というジョークが盛んに発せられていました。そうやって、盧武鉉を揶揄し貶めた人々が、今、同じ口で盧武鉉に対する熱狂的な追慕を語っても、説得力がないばかりではなく、その薄っぺらさに呆れる以外ありません。
更に彼らは、燭火デモを民主主義の発露だと本気で思い込んでいるようです。民衆の民衆による民衆のためのデモに参加していることに、彼らは感動し、且つ興奮しています。
日本人の目から見れば、彼らの燭火デモは民主主義とは遠くかけ離れたものでしかないのですが、彼らにとっては燭火デモこそが理想の民主主義なのかもしれません。ただし、彼らの理想の「民主主義」の前には、「朝鮮」が付くのですが。
そう言えば「朝鮮」が頭に付いている「民主主義」を国号に付した某国がありますが、韓国人が掲げる民主主義が、某国謹製の民主主義だと言われれば、うなづけなくもないとは思います。