頭が高い乞食
以前にも述べたことがあるはずですが、私は「日本人は韓国語を習得する必要はない」とは思っておりません。それどころか、韓国人と直に接する機会の少ない日本人であっても、ハングルと片言の会話程度は理解しておいた方が良いと思っております。
もちろん、ハングルと片言の会話レベルに留まらず、ネイティブとガチで討論出来るほどまでに習熟するのも悪いとは思いませんし、自らの習熟度を測るために能力試験を受験することも悪いとは全く思いません。
ただ日本人の場合は、韓国語能力試験で高い級を得ても就職や転職、昇進に有利になることはあまりなく、場合によってはデメリットさえ生じかねず、「資格」としての有用性に甚だ疑問があり、単に自慢するにしても微妙な能力であることもあって、受験のメリットが思いつかないのに対し、韓国人の場合は、日本語能力が試験によって認定されればそれは即ち、周囲に自慢出来るだけではなく、就職や転職、昇進などに大変有利で有用な資格となるものであるとされていることに、韓国人の自覚なきアンビバレンツを感じるということを申し上げたかったのですが、私の筆力不足で誤解を招くような内容になっておりましたことを、お詫び申し上げます<(_"_)>
さて、ここのところ半島関連では北朝鮮のミサイル発射を始め、韓国に対する北朝鮮のサイバーテロとか、李明博大統領が巨額の私財を奨学生のための事業に寄付したとか、結構色んなネタが飛び交ってはいるのですが、どれも今ひとつインパクトに欠けます。
その中でちょっと目を引いたのは、「韓国が厳しい時、日本が最も遅く外貨融通」という、中央日報の記事でした。
この類の論調は、実は韓国ウォッチャーであれば一度ならず耳にしたことがあり、実はあまり目新しいものではありません。それだけにこの考え方、即ち「韓国が苦しい時は、日本が援助するのが当たり前」という考え方は、韓国人にとって極めて普遍的なのだろうなということが見て取れます。
例えば日帝統治において、日本人が「日本は良いこともした」と言うと、多くの韓国人は親の悪口でも言われたかのように、ものすごい勢いで激昂します。日本が朝鮮半島の鉄道や教育などのインフラ整備を行なったと言えば、韓国人の多くが「それは日本の利益にするために行なったもので、純粋に韓国の利益のために行なったものではない!」と怒りを込めて反論します。
つまり日本は、純粋に韓国の利益のためだけに全力で援助するのが当然であって、そこに日本側の欲得がわずかでも入り込めば、その援助は評価に全く値しないというのが、韓国人には普通の考え方のようです。
これは国家間だけの話に留まらず、個人間でもしばしばある話で、盛況だった頃の日韓チャットでは初対面どころか、入室して挨拶するかしないかの時点で「日本に行くからガイドしろ」とか「日本の物で欲しい物があるから送れ」と日本人に要求する韓国人は珍しくありませんでした。
以前にも述べましたが、韓国人の考える「思いやり」とは、基本的に「他人が自分に対して行なうもの」であって、「自分が他人に対して行なうもの」ではありません。
その「思いやり」も、純粋に思いやりを受ける側に利になる場合だけが評価されます。先ほどの李明博の私財寄付についても、ハンギョレの社説が以下のように非難しております。
(前略) だが今回の寄付は形式と内容で惜しくて憂慮される点があることを率直に指摘せざるをえない。 まず、すでにある財団に財産を喜んで寄付する方式でなく、自分の名前の財団を設立する方式を選んだことは苦々しい後味を残す。 寄付者が自ら財団を作る方式は私たちの社会で税金なしで財産を相続する手段でしばしば悪用された。 多くの財産家らが、処分できなかったり処分する理由がない財産を出捐して、公益財団を作った後、良い仕事をするという面目と共に税金恩恵を受けて便法で財産権も行使する通路で活用してきた。 李大統領の財団もこういう誤解から自由になれない。 財団理事陣に婿と親友、側近らを大挙布陣させたことはそのような憂慮を育てる。 将来財団運営に李大統領がいちいち干渉することができるという意でも写るようになったためだ。 財団がこれから李大統領が出捐した財産にだけ運営されるという確固たる原則をたてて守るのも重要だ。 外部出捐可能性を残しておく瞬間、募金と関連した現職大統領の影響力行使論議を避けることはできない。 良い仕事をしても運営を下手するとしない方がましなこともある。 |
同じ韓国人に対してもこうですから、日本に対して、援助してもらう立場でありながら韓国があれほどまでにいけ図々しいのも、むべなるかなと言ったところでしょう。
韓国人のこういう態度を評して、「頭が高い乞食」とは、本当に上手く言ったものだと思います。