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平成21年年末ご挨拶

いよいよ本年も今日で最後となりました。弊ブログ5回目の年越しです。我ながらよく続いていると思います。

この1年で、実は弊ブログへのアクセス数は激減しました。おそらくピーク時の半分か、あるいはそれ以下かもしれません。その理由は、幾つか考えられます。まず最初に思いつく理由は、単純に「飽きられた」ということでしょう。

弊ブログは3日おきに更新されると言っても、以前にも書いたことのあるテーマのものが少なくありません。「何だ。また焼き直しか」なんて思っていらっしゃる方も、もしかしたらおいででしょう。それは私の文章表現力の拙さもあると思いますが、同時に韓国そのものの、何かにつけ浅くて薄くて上っ面という点もあると思います。

韓国に接し始めると、最初のうちは彼らの斜め上加減に目がくらんで引きずり回されてしまいますが、彼らの斜め上加減にある程度免疫が出来れば、彼らの所業に驚くことはあっても、それが浅くて薄くて上っ面ゆえだということは、見抜くことが出来ます。

それはたとえて言うなら、初めて韓国料理を食べた時に、唐辛子とニンニクの強烈さに普段の味覚や嗅覚を奪われて、人によってはそれにハマってしまうのにも似ていると思います。日本料理ではあまり見られない韓国料理の強烈な色や味、臭いの料理に度肝を抜かれてしまうようなものです。しかし、それもそう長くは続きません。確かにインパクトは強いのですが、そこまでです。単調で、広がりも深みもありません。

私はあまり詳しく知らないのですが、韓国ドラマや韓国のポップソングも、インパクトは強いが単調という傾向が強いようです。その根源たる「韓国」も「韓国人」も、慣れない者には非常にインパクトが強く、そのため普通の日本人が韓国や韓国人を知れば、なかなか俄かには信じられないような話がわんさか見聞き出来ます。

しかしひと通り彼らのパターンを見尽くせば、あとはそのパターンの繰り返しなわけです。そのため、一時の「韓流捏風」に踊った人々も、おそらく今頃は憑き物が落ちたようになっている人が多いのではないかと思います。まあ、いまだに踊ってる人もいるみたいですが。

次に、韓国については非常にネガティブな意識や感情を刺激されることが多いということがあると思います。弊ブログは、あまり見苦しい言葉を用いないように配慮して書いているつもりではありますが、それでも書く対象が対象ですから、どうしても不快を感じたり、気分が悪くなったりします。そういうブログが敬遠されるのは、しかたのないことでしょう。

それから、かつて日本の韓国ウォッチャーに幾多のお笑いを提供してくれた故盧武鉉前大統領を上回る破壊力の人物が、日本の総理大臣になってしまったことも、いくらかは関係しているでしょう。他には、支那の脅威もありますし、反日日本人の問題もあります。

今の日本は、韓国なんかに気を取られてる場合じゃねえってのは、私もひしひしと思いますw

しかし、誰に命じられたわけでもないのに、自ら進んで韓国ウォッチを始めたのは私自身です。こうなったら最早私は韓国担当と割り切って、今後も韓国の観察と考察を重ね、私の知り得たことを知り得た範囲でお知らせし、また私の考えを読者の皆様と共有することで、更に深い考察へと進め、それをまた弊ブログで皆様と共有して、一人でも多くの日本人に韓国についての情報を広めていきたいと思っております。

それでは皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。そして来年もまた、弊ブログにご指導ご鞭撻と、ついでで良いので多少のご声援もいただければ、幸甚これに勝るものはないと存じます。


平成21年(西暦2009年)12月31日
筆者敬白
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韓国は日本を好きになるべきだと思いますか?

先日から日韓チャットで韓国人にインタビューしようと思いつつ、量産型の振る舞いを見ると条件反射的にイラっとして説教に走ってしまい、なかなかインタビューが出来ません。

苛立ちを抑えてインタビューすれば良いのですが、量産型の場合、出された質問に素直に答える例が非常に少ないということを経験的に知っているので、そこまでして量産型相手にインタビューする気になれないというのが正直なところです。しかし、そんなことを言ってたらサンプルが全然集まらないんで、そろそろ虫を抑えてインタビューしてみようかと思っています。

彼らが自主的に放つ言葉は、いつもいちいち人の神経を逆撫でするために言ってるのかと思われるぐらい無神経なのですが、何故か質問された場合は、必ず「正解」を答えなくてはならないという強迫観念にとらわれているかのようです。

こちらが「知りたいことがあるので、質問しても良いですか?」と聞くと、躊躇なく「はい^^」と答えるまでは良いのですが、肝心の質問に対する回答は、いつも必ず非常に慎重に、恐る恐る、まわりくどく、考え考え、こちらの反応を伺い、少しでも間違ったことを言ってしまったかと思うと大慌てで取り繕いながら答えるので、大変に鬱陶しいのです。

言うまでもありませんが、私が韓国人に質問する場合、あらかじめ「これが正解」というものは用意しておりません。韓国人の素の考えや反応を知りたいから質問しているのですが、量産型は本当に素直に答えません。そういう量産型を見るたびに「誰だよ、韓国人が率直だなんて言った奴は」と毎回思います。

「韓国人に聞いてみたいこと」とは何かと言いますと、「韓国は日本を好きになるべきだと思いますか?」ということです。更にその答えがYesであれNoであれ、続けて聞きたいのは「何故そう思いますか?」ということです。

昨日一人だけ、その質問をすることが出来た韓国人がいました。その韓国人は「そうですね.. 韓国が確かに情けない国ではあるが、日本との関係は東アジア全体の歴史と関連していることと、確実に何と言うのが難しいですね」と答えました。

この韓国人、韓国や韓国人をかなり批判的に見ておりまして、次に私が「では、逆に、日本は韓国を好きになるべきだと思いますか?」と質問したところ、即座に「それはちょっとないと思います」と答えました。

「何故そう思いますか?」と続けて聞くと、「韓国は誰かから好かれる資格がないです。最小限のトルレラングス(筆者註:おそらく「トレランス」のこと)も取り揃えられない国です」と答えました。

しかしこの韓国人、しばらく話をしているうちに「何故私を韓国人で固定しようとしますか?」と言い始めました。「あなたは韓国人ではないのか?」と聞くと、「韓国人だが、私を韓国人の範疇に固定するのは暴力だ」と主張し、「私は韓国人であるが、Lacanian(筆者註:この韓国人は、自己紹介によると哲学関連を専攻している大学生で、ジャック・ラカンに傾倒しているらしい)でもあるのだ!」と、とんでもない大逸走を始めて、結局量産型の馬脚を全開にさらけ出してしまいました。そのため、その場にいた日本人会員たちから、泣きが入るまで徹底的に火達磨にされてしまうという、要らないオチまでつけてくれました。

一例だけの回答を以って韓国人全体をどうこう言えば、またどこかから「一部を見て全体を云々」という横槍が入るでしょうから、いくら量産型韓国人による回答といえども、この回答を取り上げて、これこそが韓国人全体の傾向だと言い切ることはいたしません。

ただこの韓国人の回答を見て思うのは、「韓国は日本を好きになるべきだと思いますか」という、YesかNoかで答えられる質問に対して、変にまわりくどく長い前置きをしておきながら、結局言い淀んではっきりとした答えを言えなかったという点から、おそらく韓国人にとって「韓国が日本を好きになる」ということは、かなりのストレスを感じることなのではないかということです。

そんなことはない、日本が好きだと言う韓国人は大勢いるし、韓国でアンケートを取れば「ウリナラは日本に学ぶべき」という回答が必ずトップグループにある、と仰る方も、きっといらっしゃるでしょう。

それはその通りだと、私も思います。日韓チャットでこちらが聞きもしないのに日本が大好きだとか、日本に関心がありますなどと言う韓国人は、量産型の中にもうじゃうじゃおりますし、有形無形に関わらず、韓国人が日本のものをコピーすること甚だしいということは、韓国ウォッチャーにとっては最早常識でしょう。

しかし彼らは「日本が好きだ」と言い、日本のコピーを喜びながら、同時にそれらに対して相当の後ろめたさも感じているのではないかと思うのです。その後ろめたさを中和するために、過去の日本の非を穿ったり、あるいは「ウリナラ起源」と言ってみたり、そうでなければ「ウリナラが日本に文化を伝えてやったのだ」と恩を売ったりするのではないでしょうか。

好きになってはいけない国。」という本があります。ここにも韓国人が日本を好きになるということに、一種のストレスを感じていることが書かれておりますが、韓国では「日本を好きになること」は、不倫にも似た背徳行為に近いものがあるようです。

いずれにしても、チャットでのインタビューは単に回答だけでなく、回答するまでの彼らのリアクションが、彼らを考察するのに、大変重要なヒントになることが少なくありません。

韓国人にとっての「韓国が日本を好きになることについての是非」と「その理由」、及び「日本が韓国を好きになることについての是非」と「その理由」について、今後も機会があればインタビューをして、サンプル数を増やしていこうと思っています。



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憂患の種子は蒔くべからず

いよいよ本年も押し迫ってまいりましたが、ここのところ各地方自治体の議会において連発で「在日外国籍特別永住者限定参政権の法制化反対意見書」が可決されております。これもまた明確な「民意」だと思うのですが、来年にも「在日外国籍特別永住者限定参政権」の法制化実現を目論んでいる現政権は、いったいどのような反応を見せるでしょうか。

つらつら考えるに、現在の日本の政治は、決して外国人に対して閉鎖的ではないと思います。もちろんワイドオープンではありませんが、蓮舫や白眞勲、ツルネン・マルテイといった、明らかに元外国人であることを、あえて誇示した名前で立候補しても、現在の国籍が日本であり、選挙に当選しさえすれば、堂々とその名前で国会議員にもなれるわけです。

韓国では在韓永住外国人に地方参政権を付与したなどと言って、日本だけが特別外国人参政権に対して否定で閉鎖的であるかのように言う人が時々います。しかし韓国に帰化した日系韓国人ホサカ・ユジ(保坂祐二)が、その名前で韓国の国会議員に立候補したら、果たして彼は当選することが出来るでしょうか。私は当選するどころか、おそらく立候補することさえ周囲が許さないと思います。何しろ現大統領の李明博でさえ、幼少時に在日だったというだけで韓国人は「半チョッパリ」と揶揄するのです。

日系に限定しなくとも、例えばロシア系韓国人ではパク・ノジャ(朴露子※男性)という人がいるようです。彼は創氏改名までして、盛んにウリナラチラシに寄稿しているようですが、彼もやはり韓国で議員になることは出来ないでしょう。と言うか、この人今、韓国に住んでないんじゃないかな。ロシア版水野俊平氏みたいな感じがします(水野氏は韓国に帰化してませんが)。

そういう韓国と比べれば、日本はたとえ元外国人であることを意図的に誇示しても、帰化してさえいれば国会議員になれるのだから、既に十分開放的だと私は考えます。小沢一郎や鳩山総理が、これ以上の権利を何故「特別永住者」に限って与えなければならないと考えているのか、彼らの発言主張をいくら読んでも、私には全く理解が出来ません。

「在日外国籍特別永住者限定参政権」が「地方参政権」に限られるのであれば、それぐらいなら良いじゃないかと考えるのは非常に危険だと思います。それにはいくつかの理由があります。

まず最初に思い付く理由は、韓国人に譲り合いや痛み分けという概念がないことでしょう。

彼らに、文字通り軒を貸して母屋を取られたという実例は、戦後頻繁に見られました。在日(註:弊ブログにおいて単に「在日」と書く場合は、「在日韓国・北朝鮮、及び朝鮮人」を意味するとご理解ください)に公務員になる資格を認めなければサベツだと騒ぐので、管理職以下ならと公務員になることを認めれば、公務員になれても管理職になれないのはサベツだと大騒ぎして、最高裁まで持ち込んだ例もありました。ごく最近の例では、竹島問題について日本の教科書に載せたら激怒し、載せなかったら載せなかったで「何故ちゃんとドクトは韓国のものだと教科書に載せないのか」と文句を言っております。

もし在日に地方参政権を認めれば、次の瞬間に国政参政権を認めないのはサベツと言い出すであろうことは、火を見るより明らかです。

また一度地方参政権を認めれば、地方によっては自治体そのものを乗っ取ることも可能でしょう。対馬市などはまさに格好の地です。距離的に韓国に近く、人口が少ないために、その気になれば対馬市で在日が過半数を取ることも可能でしょう。万一そうなれば、そこを足掛かりに彼らがどんどん侵食を始めるであろうことは、彼らの性癖と今までの所業から言って、疑う余地がありません。それでも「国政参加がなければ大丈夫」と考えられる日本人がいるならば、とりあえずそうお考えの方のご自宅に、韓国人を数名、数ヶ月から一年ほどホームステイさせてみれば良いと思います。

そもそも在日が日本に在留を許されている根拠となる「特別永住」とは、「権利」ではなく「資格」です。しかも当初は確か二世までに限られていたはずなのですが、なし崩しに三世も認められるようになり、現在では特別永住者の子孫ならば自動的且つ永遠に(何十世でも可)特別永住を許可されることになってしまっていることからも、彼らに対して一歩どころか半歩でも譲れば、全て譲ることを求められ続けるということは明らかです。

権利ではない資格でさえこの有様なのに、権利ともなれば、一度与えてしまえば、それを剥奪することはよほどのことがない限り困難です。その「権利」が国益や国民の権利に関わるものであれば、それを与えるかどうかについては慎重の上に慎重を期しても、過ぎるということはありません。

また原理原則というものは、一度でも蔑ろにすれば、蔑ろにし得たという事実が前例となります。何故在日だけが特別扱いされるのだと日本に住む他の外国人たちが主張し、在日と同様の権利を求め始めれば、日本人はどのように説明し、あるいはどのように対応すれば良いのでしょうか。もしそんなことになれば、それこそ本当に「日本は日本人のものじゃない」という状態になり、やがて日本は日本でなくなってしまうでしょう。

日本が日本でなくなれば、日本人はどのような境遇に落とされるのでしょうか。また日本人のアイデンティティはどうなってしまうのでしょうか。どこぞに幾度も自国を滅ぼした民族がありますが、日本人もまた、彼らのようになってしまうのでしょうか。

私たちが今蒔こうとしているのは豊穣の種子なのか、それとも憂患の種子なのか、「今の日本人」たる私たちは、それをよく見極めて蒔かねばなりません。

それを刈り取らされるのは、それを蒔いた私たちではなく、私たちの子孫なのです。



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韓国人と被虐待児の類似点

本日はクリスマスイブということで、何気にウキウキしていらっしゃる方も多いと存じます。私は別にウキウキするような義理も筋も理由もありませんが、まあ楽しいのは良いことです。

私が小学生の頃は、この時期に学級会でクリスマス会ってのをやってました。そのクリスマス会でクイズ大会を企画して、「朝鮮戦争が終わったのはいつ?」なんて問題(答えはもちろん「まだ終わってない」です)を出題した小学校5年生って、今から思うと何か嫌です(私ですが)。

同じくそのクリスマス会で、当時のテレビ番組を模した「クイズ本物は誰だ」という出し物に出て生酢を飲まされたのも、今となっては懐かしい思い出です(5人ほどの出場者が飲む飲み物のうちひとつだけが生酢で、それを飲んだ人をギャラリーが当てるゲーム。私がその生酢を飲んだ人だったのですが、私の反応は客観的に見て非常にわざとらしかったようで、演技と思われてなかなか当ててもらえず、何度も涙目で飲む羽目になりました)。

最近の小学校では、クリスマス会ってのをやらなくなっているそうです。その理由は「宗教行事だから」だとか。どうやらクレームつけた人がいるみたいですね。別にいーじゃん、クリスマスなんて元をたどれば単なる冬至のお祭りなんだからと私なんかは思うんですが、世の中には本当に色んな方がいらっしゃいます。それならいっそ、23日が天皇誕生日ですから天長節会(あるいは「天長節会」じゃ小学生には堅苦しいから「天皇陛下お誕生日会」)にしてしまえば、とか言ったら、また文句を言う人が出てくるんでしょうね。

さて、前回のチャットログに登場する韓国人に「親に愛されてないから」と言った私の発言意図について、コメントでご質問いただきましたのでお答えしたいと存じます。

この発言をした理由のひとつには、まず彼らが「幼児扱いされること」を強い侮辱と感じるということがあります。

彼らは、徹底的に追い詰められると「私は幼い学生です」と言って容赦を求めますが、基本的には年齢がひとつでも上の方が偉いと考える連中ですので、いきなり子供扱い(しかも幼児扱い)を受けることはかなり屈辱的なようです。

なので意図的にそれを狙ってみたことと、更に韓国人にとって「近親や友人から愛されない」ということは、極めて大きな恐怖だろうと考えたからです。

彼らは頻繁に日本(人)に向かって「日本は世界から孤立している」と言い立てます。これは単純に、彼ら自身が世界から孤立することを極めて懼れていることの投影です。

彼らは基本的に、自分は無条件で尊重され、優遇され、肯定され、受容されるべきと思っています。彼らがそう思う根拠は、彼らがそう思って欲しいと願っているということだけです。

その根拠の希薄さ自体に彼らが目を向けることはほとんどありませんが、その根拠を維持する危うさは、実は彼らも薄々感じているのではないかと思います。その危うさを打ち消すためにも、彼らは必死で「韓国(人)は優れている」「韓国(人)は好かれている」ということを外国人に訊ねて、確かめようとします。

そういう彼らを見ていて、私が常々思っているのが、彼らには被虐待児童に似ている点があるということです。もちろん、児童虐待について専門的に学んだわけではないので、あくまで素人考えであることをあらかじめお断りしておきます。

保護されるべき相手から虐待を受け、心身ともに傷ついている被虐待児を実際に見れば、たいていの人が同情を禁じ得ないと思います。ところが、被虐待児に同情して優しく暖かく接すると、被虐待児によっては非常に粘着質な甘え方をすることがあるそうです。それは時に、接する人を酷く不快にさせるほどだそうですが、それでもつらい目に遭った子なのだからと思って尚優しく接すると、今度は酷いわがままを言い出したり、優しくしてくれる人に暴力を振るったり暴言を吐いたりする被虐待児があるそうです。それで相手が離れていくと、その被虐待児はまた近づいてきて、再び粘着質で不快感を与えるような甘え方をするのだそうです。

児童虐待のひとつに、ネグレクトというのがあります。日本語では「育児放棄」と言われるものですが、これを受けた子は、しばしば保護者ではない大人に対して、執拗に媚びたり付きまとったり、聞いてもいないのに強い自己アピールをするなど、どうにかして構ってもらおうとすることがあるそうです。本当の親が自分を保護してくれないので、本能的にそれに代わる相手を探そうとしているのでしょう。

前回のログにおいては、私が「そうですか」と同じ回答を繰り返したり、「知りません。興味もありません」と突き放すような回答をしているにも関わらず、ログの韓国人は自分の言いたいことだけを嬉々としてまくしたて続け、最後になってようやく「あなたの関心分野は?」などとおためごかしのように聞いています。

昨日の日韓チャットでも、挨拶もそこそこに私に向かって「あなたの最近の関心事は何ですか?」と聞いてきた韓国人がいました。私が「日本の政治に関心があります」と正直に答えると、その韓国人は「最近ラジオで聞いたのですが、日本では草食男子が増えているというのは本当ですか?」と言いました。

このように「あなたは何が好きですか?」とか「あなたは何に関心がありますか?」などと相手に訊いて、その問いに対する回答があってもなくても、それとは全く無関係に「私は○○が好きです!」「私が関心を持っているのは△△です!」と自分のことばかりを話そうとする行動は、韓国人には実に普通に見られます。

被虐待児と韓国人を一緒にするなとお叱りを受けるかもしれませんが、常々被虐待児と韓国人は似ている点があるなあと思っていたことと、「ハングルがまともに書けない」→「未就学児童」、「相手の反応に構わず、粘着質に自分の関心事だけを言い募り自己主張する」→「ネグレクトを受けている子供」という連想をしまして、前回記事のような発言になった次第です。

コメントでは「宗主国(実の親)に相手にしてもらえないから日本(よその大人)に絡んでくるという暗喩ではないか」というご意見を頂戴いたしました。まことに穿ったご意見だとは思いましたが、私自身はそこまで深く考えてはいなかったことを、最後に白状しておきます。



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そんな説明、原文にありません

産経新聞の「【サッカーW杯】日本代表を例えれば「ガゼル」 肉食獣の餌食?」という記事を見て、「英国人、相変わらず口悪いなあ」と思っていたら、韓国でも話題になったのか早速このネタを抱えて飛び込んで来た韓国人がいました。

ちなみに、元記事には

JAPAN
If they were a safari animal, they'd be a...Gazelle. Fleet of foot but too lightweight by far.

SOUTH KOREA
If they were a safari animal, they'd be a...Wild Dog. Scrappy fighters but bark is worse than their bite.

と書かれていることを念頭に置いた上で、どうぞ。

ルーム名 : 月見櫓
参加人数制限 : 5 公開ルーム , ルーム長 : fetiaさんに変更されました。

gta5(K) さんが入場しました。
gta5(K) : こんにちは

fetia (J) : こんばんは

gta5(K) : サッカーに対して少しでも知っているかです?

fetia (J) : 11人対11人でやる球技と言うことしか知りません。

gta5(K) : そうでしょうか? ハハ

gta5(K) : この間にイギリス言論たちが南ア共和国ワールドカップ出場国を動物に比喩したんです


fetia (J) : そうですか。

gta5(K) : 日本をガゼル韓国をリカオンと比喩しますね

fetia (J) : そうですか。

gta5(K) : リカオンが何なのか知っているかです?

fetia (J) : 知りません。興味もありません。

gta5(K) : 早い話が野犬です

fetia (J) : そうですか。

gta5(K) : アフリカ野犬ですが

fetia (J) : そうですか。

gta5(K) : 性格が荒しくて残忍で素早くて団結すれば獅子も飛びかかる事ができませんよ

fetia (J) : そうですか。

gta5(K) : 群れで生活をするのに 15~60匹位の群れで吠えて暮らしますね

fetia (J) : そうですか。

gta5(K) : ガゼルはご存知でしょう?

fetia (J) : 知りません。興味もありません。

gta5(K) : ハル

gta5(K) : ガゼルは、羊科の動物で、棲息地は、アフリカで、主にチォワンエソサルで駆け足がはやいです
(訳註:「チォワンエソサル」=「草原で暮らして」)

fetia (J) : そうですか。

gta5(K) : 頭には角が生えています

fetia (J) : そうですか。

gta5(K) : しかし捕食者たちのモックイッガムイラだといいますよね(訳註:「モックイッガムイラ」=「餌」)

fetia (J) : そうですか。

gta5(K) : はい ^^

gta5(K) : グァンシムイッヌンブンヤは?
(訳註:「関心のある分野は?」)

fetia (J) : ハングルの正しい書き方は、まだ習っていませんか?

gta5(K) : そんなことに関心がありますか?

fetia (J) : このチャットは、ハングルを正しい書き方で書けば正しく翻訳されますが、ハングルを正しく書かないと正しく翻訳されません。

gta5(K) : 分かります

gta5(K) : 関心ある分野が何でしょうか?


fetia (J) : まだ正しいハングルの書き方を習っていない幼児と話すようなことは、ありませんね。

fetia (J) : 正しいハングルの書き方を学校で習う年齢になってから、日韓チャットに来る方が良いですよ^^


gta5(K) : 私がそのように熱心に話をしたのにグタンマルが出ますか?(訳註:「私がそのように熱心に話をしたのにその別の話が出ますか?」)

fetia (J) : 親に愛してもらえない子供が、他人のところに突然やって来て、自分の関心事を必死で話すというのは、よくあることです。

fetia (J) : 理解しますよ^^


gta5(K) : 私はハングルを正しく書いています。ただ第ままに翻訳されアンアッウルだけ(訳註:「私はハングルを正しく書いています。 単に書いたままに翻訳されなかっただけ」)

fetia (J) : 私の知っている韓国人は、このチャットで実に正確に翻訳されるようにハングルを書きますね^^

fetia (J) : その韓国人たちは大学生以上ですから、やはり正しいハングルの書き方を習っていれば、正しく翻訳されるハングルが書けるのだなと思います。


gta5(K) : だからあなたの関心ある分野が何なのか静寂。(訳註:「だからあなたの関心ある分野が何なのか言えよ」)

fetia (J) : 親に愛されてないから、誰か代わりに愛してくれる人を探そうと思う気持ちはわかりますが、残念ながら私はその相手にはなれません。

fetia (J) : 他の人を探しなさい。


gta5(K) : 本当に言葉の意味を理解できませんか?

fetia (J) : 子供の相手はしたくないのですよ。

fetia (J) : ましてそれが、ハングルの書き方も知らない幼児であれば、尚更です。


gta5(K) : あなたみたいな人とチャットすれば指が腐ってこのチョッパリ病身猿このやろう

gta5(K) さんが退場しました。
ログ採取日時2009年12月20日午後9時半~9時45分頃

確か韓国人にとって、犬呼ばわりはかなりの屈辱になるはずなのですが、まあ彼らは「South Koreans have done it again!」ってのを褒め言葉と思う連中ですから、英語で書かれる分には良いのかもしれません。



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可憐な日本人

いやはや、「地球益」と来ました。驚きました。最早政治家と言うよりは、宗教家と言った方が正しいでしょう。

これが我が国の現首相ですから泣けてきます。現政権を担う民主党は、対外的に言えば「日本人が選んだ政党」であり、その結果の現首相なのですが、国内的には「民主党に投票した奴出て来い」な気分で一杯です。

しかし日本人という人々の可憐さというのは、まことに徹底しております。「自民党に灸を据えてやる」とか「あれほど言うのだから、民主党に一度やらせてみれば良い」などと言って民主党に票を投じた人々の中には、本当にそう思っていた人も、きっと多かったことでしょう。

その結果民主党が現実に政権を獲ったわけで、民主党に投票した人々は「これで民意が正しく行なわれる」と思ったでしょう。まさかその結果が、民意を政治に投影するどころか、小沢一郎の独裁を許すことになるとは、夢にも思わなかった人が多いと思います。

結局、灸を据えられるのも、民主党に一度やらせてみることによって生じる結果や将来への影響を飲まされるのも、みんなそう言って民主党に投票した人々なのです。

しかもその悲惨さは、「民主党に投票した人々だけ」が灸を据えられたり、その結果や将来への影響を飲むことになるわけではないというところにあります。それに強固に反対し、異を唱え、危険性を指摘し、危機感を訴えた人々までもが、文字通り一蓮托生となるのです。

そういうことに思い至らず、夢や理想を唱えるだけの民主党に投票した人々が多かったという事実に、私は日本人の可憐さをひしひしと感じます。

その可憐さは、国土の四方を海に守られていたが故に育まれたのかもしれません。それが結果的に日本を滅ぼすことになるかもしれないとは、歴史とはまことに皮肉で残酷なものだと思います。

これで現政権中に在日外国籍特別永住者限定参政権(これを「外国人参政権」と略することに、私は強い欺瞞を感じています)が提出されれば、最早取り返しがつきません。日本は日本でいられなくなるでしょう。何しろ民主党を牛耳っている小沢一郎は、民主党議員に「(在日外国籍特別永住者参政権に)反対であっても賛成しろ」と恫喝しているのです。

自民党の谷垣氏が民主党政権を評して、「権力行使の抑制という感覚がない」と評しておられました。これは鳩山総理に権力行使の抑制感覚がないと言うよりも、その背後で院政を敷いている小沢一郎にその感覚が無いというのが事実に近いでしょう。

この「権力行使抑制感覚の欠如」というのは、朝鮮人全般に極めて顕著に見られる習性のひとつです。

これをもって民主党の独裁者小沢一郎は朝鮮人であるなどと言うつもりは、とりあえずありません。と言うよりも、朝鮮人の持つ習性というのは、動物としての本能が剥き出しになっているだけで、人間も動物の一種であるからには、誰もがたいてい持っているものでもあると私は考えています。

朝鮮人の習性には、例えばアフリカのサバンナやアマゾンの熱帯雨林の中であれば、むしろ個体の生存を有利に導くものが多いのではないかと思います。

強いものが食い、弱いものが食われ、欲望の命ずるままに行動し、生き残ったものこそが正しいというのは、理も法もない世界では当然のことであって、そんな世界で日本人的道徳やルールを主張する者がいても、そんな人は遠からず他の肉食動物の排泄物になってしまうでしょう。

ただしそれは、「理も法もある世界」では厳しく抑制されることになります。それは人間が人間として生きていくならば必要なことであると人間が判断し、人間が自ら作り、自ら課してきたルールです。

そのルールを蔑ろにすれば、人間社会においては一時的に優位に立つことが可能です。それはスポーツにおいて定められたルールを蔑ろにすれば、その場限りにおいては有利であるということに似ているでしょう。

更に言うならば、ルールに則って競技を進めるべき審判自らが、そのルールを恣意的に弄べば、最早そのスポーツはスポーツとして成立しなくなります。

ルールを恣意的に弄ぶことが可能な立場にあったとしても、それを自ら戒め、正しいルールに従って競技を進行させるという節度が朝鮮人に著しく欠けているという事実は、既に様々なスポーツにおいて判然としております。それこそが朝鮮人社会においては当然の摂理であり、個体がとりあえずその一瞬一瞬を生き抜くための「知恵」とされているのでしょう。

私は以前から韓国を指して「オープンスタイルの動物園」と言っておりますが、むしろ「野性(誤字に非ず)の王国」と言う方が正しいかもしれません。

時に日本でも、人間性よりも野性が秀でる者が出現することはあります。そういう者を即座に(血統的な意味で)朝鮮人であると決め付けるのは、さすがに如何なものかとは思います。

ただそういう者を指して、「朝鮮人のようだ」と言うことは決して間違っているとは思いません。

哀しいことに、今の日本はその「朝鮮人のような人物」が政権を操る立場にあり、それを選んだ日本人が多かったというのもまた、動かすことの出来ない事実です。

このまま日本が、「朝鮮人のような人物」によって、支那や特亞に切り売りされてしまうのではないかという切実な危機感を杞憂だと笑える人が、おそらく日本人には少なくないであろうという現実がまた、日本人の可憐さを表していると思う今日この頃です。



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私が誰だかわかりますか?

最近の私は、日韓チャットで韓国人の相手をする気分になれません。今までも何度か韓国人の相手をするのに倦んだと申し上げたことがありましたが、今はそれだけでなく、日本の政治の惨状の方に気持ちが流れるからです。

日本の盧武鉉と言われる鳩山総理についても腹に据えかねるものがありますが、それ以上に昨日来の小沢一郎の言動が許せません。

天皇陛下と会って親しく話をしたわけでもないくせに陛下の御心を勝手に代弁し、陛下と中共のナンバー2との会見を無理押しでねじ込み、それに対する宮内庁長官の抗議に対して「辞めてから言え」などと恫喝し、何故か韓国で日本の外国人参政権の成立を約すという、およそ日本の国会議員とは思えぬ所業を連発しております。おそらく小沢一郎にとって中共のナンバー2とは、天皇陛下よりも尊重しなければならない相手なのでしょう。小沢一郎こそ、そういうことは日本人を辞めてから言いやがれと思います。

こんな時に韓国のことを論ってる場合だろうかという気もしなくはないのですが、外国人参政権については、ほぼ在日に的を絞ったものであり、これが通れば日本人は否応もなく韓国人との関わりを持つことになる可能性は高いと思います。そうなれば、韓国人の生態や習性については知っておいて損はありません。とりあえず記憶の片隅にでも残る程度で結構ですので、目を通していただければと願う次第です。

という訳で、今は韓国なんかに気を取られている場合じゃないということは、私が一番感じておりますが、それでも引き続き韓国人についてのお話をさせていただきたいと存じます。

韓国人がよく言う言葉に「私が誰だかわかりますか?」、あるいは「あなたは私が誰だかご存知ないのですね」というフレーズがあります。

確か故司馬遼太郎氏も、実際に韓国人にそう言われたことがあるというようなことを、著書のいずれかに書かれていたように記憶します。確か「街道を行く」シリーズの韓のくに紀行ではなかったかと思ってページを繰ってみたのですが、どうにも見当たらなかったので、同じ「街道を行く」シリーズの耽羅紀行の方であったかも知れません。

ただ、司馬氏が韓国を訪れた時期は、私が初めて韓国を訪れた1990年頃より、更に20年近く昔の話ですから、いくら何でももうとっくに廃れた言葉だと思っていました。

ところが先日、日韓チャットで親しく話す韓国人に何気なく「『私が誰だかわかりますか』という言葉は韓国人の口癖であった」と過去形で言ったところ、即座に「それは今でも言います、私もよく言います」と返ってきました。

日本人が「私が誰だかわかりますか?」と言う時は、幼い頃や若い頃に会ったきりで、何十年と会わなかった相手に対して用いる場合が主でしょう。しかし韓国人がこう言う相手は、およそ初対面の相手、場合によっては「お客様」だったりします。

当然その意味も、日本人が用いるのとはまるで異なります。韓国人のこの言葉を日本人的に理解するならば「この御方をどなたと心得る!畏れ多くも先の副将軍、水戸光圀公であらせられるぞ!」というフレーズに置き換えればかなり近いでしょう。

即ち、「私が誰だかわかりますか?」と韓国人が言う時は、「あなたが私に対してそんなに不遜で傲慢な態度を取るのは、私が誰だかよく知らないからでしょう?」「私が誰なのか知っていれば、あなたは私に対してそんな失礼なことは言えないはずです」といった、非難と憤りと軽蔑をこめた発言だと思えば概ね間違いはありません。

私がこの言葉を「今ではとっくに廃れた」と思い込んだ理由は、それが余りにも大時代的な言い回しだからです。まさか21世紀になって10年が経とうというこのご時世に、日本で言えば「無礼者!控えおろう!」と言うにも似た言い回しをする人が、いくら韓国といえども普通にいるなんて思わなかったのです。

もっとも韓国人が「私が誰だかわかりますか?」と言ったところで、素直に畏れ入る必要は皆無です。そう言う韓国人が100人いれば100人が、ほぼ確実に、どこに出しても間違いなくその他大勢に埋没してしまうであろう、余りにもありふれた無名の一庶民です。先の副将軍様どころか、天璋院様のご祐筆の妹のお嫁に行った先のおっかさんの甥の娘ほどの身分の者さえ稀でしょう。

それでも彼らにとっては、自分こそが世界中で最も尊重され、賞賛され、崇敬され、優遇され、肯定されるべき存在です。たとえ現実の我が身が無名の一市民であっても、たとえ就業中の従業員であっても、また自分がそう言い放った相手が、実際には自分よりもずっと身分や地位の高い人かもしれないとしてもです。

韓国人のこういう言動を見て「韓国人は自尊心が強い」と言う人も少なくないのですが、私はこれは「自尊」とは似て非なるものだと思います。

韓国人は他者から侮られたり軽んじられたりすることを酷く懼れます。それは彼らが誇示する「自尊心」に見せかけたものに、確固たる裏付けがないことを彼ら自身が薄々ながらも感じているからだと思います。

その不安を打ち消すためにも、彼らはより一層自らを高めて見せなければならないのですが、それはまた彼らの不安を更に強めることになります。

そうやって自らの弱みや不安を覆い隠すために鎧うものを、「自尊心」とは言わないと、私は思います。



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寝る前の15分で友達作り

ここ数日で、韓国関連ではちょっと目を引くニュースがふたつほどありました。

ひとつは2007年4月に起きた在米韓国人によるバージニア工科大学大量虐殺事件の八ヵ月後に自殺した在米韓国人学生の両親が、大学側を相手に4300万ドルの賠償を求める訴訟を起こしたというニュースで、もうひとつは韓国でミキサーに生きたハムスターを入れ作動させた動画をインターネットにUPした韓国人がいたというニュースでした。

どちらも実に韓国人らしさの溢れるニュースで、詳細や論評については今更申し上げることはありません。ただ、彼らがそういう生き物であるということが、広く知られるということはまことに良いことだと思います。

殺伐とした現実の韓国人社会と比べれば、日韓チャットの方は概ね平和と言えましょう。

日韓チャットに来る韓国人の言動は、これまでご紹介してきたとおり、だいたいそのパターンが決まっているので、ある程度対応を覚えればさほどに扱いに苦しむことはありません。ただし、そのパターンをはずされると、逆に困惑させられることは時々あります。

先日、日韓チャットで部屋を作っていたら、韓国人女性が入ってきました。時刻は午前0時を20分ほど過ぎた頃でした。

その韓国人女性は挨拶もそこそこに、「紹介ちょっと」と言いました。「紹介ちょっと」とは、「紹介ちょっとお願いします」の略だということは知っています。しかし初対面の人に向かって言うには、あまりにも横柄な物言いです。むっとした私は、「紹介ちょっと?」とすっとぼけて聞き返しました。

しかし相手は韓国人。その程度でめげる生き物ではありません。翻訳が悪いと思ったか、今度は英語で「introduce~」と言いました。それでもやはり「please」は付きません。私は再びすっとぼけて「introduceがどうかしましたか?」と聞き返しました。

空気の読めなさでは定評のある韓国人ですが、さすがにこの辺りで私が放つ不穏な空気に気づいたようです。今度は丁寧に「紹介お願いいたします」と言いました。

相手を尊重する気持ちが一片でもあれば、韓国人といえども自分から先に自己紹介を始めるものです。が、この韓国人女性には、まるっきりそういう気持ちがないのが余りにも透け透けです。それに仮に相手が自己紹介してからでも、こちらの個人情報を渡すつもりなど毛頭ありません。

そこで私は無愛想に「日本に住む日本人です」とだけ言いました。これでも日韓チャットでの普段の私を知る人が見れば、驚くほど寛容な対応なのですが、その韓国人はあからさまに不満そうな態度を見せます。

しかし、それでもめげないのが韓国人という生き物です。彼女は「私は韓国に住む20歳大学生です^^」と、ようやく自己紹介らしきものをしました。

が、一度斜めになった私のご機嫌はなかなか直りません。そっけなく「そうですか」とだけ答えました。

それでもめげないのが以下略。その韓国人女性は「お会い出来て嬉しいです^^」と続けます。通常この挨拶は「嬉しいです」だけであることが多いのですが、最初と比べるとかなり丁寧な物言いになりました。先ほどまでのやりとりの中で、彼女なりに学習したのでしょう。

しかしながらこの「(お会い出来て)嬉しいです」というフレーズには、毎度毎度当惑します。

「お会い出来て嬉しい」というのが単なる慣用句としても、事前にその人に会うことを多少なりとも期待していた場合でなければ適切なフレーズとは思えません。その韓国人が事前に私と会うことを期待してたとは思えませんし、もちろん私もその韓国人と会うことを全く期待していなかったのは言うまでもありません。ですから答える言葉が、私には咄嗟に思いつきません。しかたがないので、無難に「初めまして」と答えました。

この辺りまでは、比較的パターンどおりで私も余裕綽々でした。

ところが次にその韓国人、いきなり「どんなに韓国に関心を持ったの?」と言い出しました。日韓チャットにいる日本人が、韓国人に韓国について関心があるかどうかを聞かれることは頻繁にあります。しかしそれをすっ飛ばしていきなり「何故韓国に関心があるのか」と聞かれることは極めて珍しく、しかも突然タメグチを叩かれたこともあり、虚を突かれて私はしばし言葉を失います。

その「しばし」が、30秒もなかったことは八百万の神に誓えます。しかしその韓国人は、私の沈黙に対して苛立たしげに「???返事がないですね」と言いました。

気を取り直した私がようやく「質問の意味がわかりません」と言うと、その韓国人は「あ、申し訳ありません!」といきなり謝りました。それはおそらく、私の不機嫌そうな態度をなだめるために行なった無責任な謝罪ではないかと、今は思います。が、その時は何故謝られるのか訳がわかりませんでした。

困惑する私の気配にも気づかず、その韓国人女性は続けて「もし私と友達になりますか??」と言い放ちました。話があっちへ飛びこっちへ跳ねるのは韓国人の会話の仕様で、パターンのひとつでもありますが、これだけは何度やられても慣れません。

それでもどうにか気を取り直して「よく知らない人と友達になれるかどうかわかりません」と私が答えると、「あ、申し訳ありません。一方的に言って」と彼女はまたいきなり謝りました。今度の謝罪は、私にもわからないでもありません。

しかし彼女が続けて言った言葉に、私はまた絶句しました。

「私が今寝なければならないから、出てみないといけないようです」「すぐコンピューターを消さねばならないから急ぎました」

この展開で私に言えることは多くありません。説教しようったって怒鳴りつけようったって、どうせまともに聞きもせず出て行くのがわかっているのです。

私は不快を噛み殺して、「そうですか。おやすみなさい」と言うのが精一杯でした。韓国人は、私の言葉に「はい^^」と、少なくとも字面上では機嫌良く答えて出て行きました。

この間わずか15分足らず。この15分足らずで、彼女は日本人友達を作って寝るつもりであったようです。

韓国人の「お友達作り」が、インスタントでお手軽なことについては、これまでの日韓チャットでお手軽に友達になりたいと言う韓国人が数え切れないほどいたことからも、既に承知しております。かつて盛況だった日韓チャットでは、チャットルームに入るや否や「私と友達になる人、手(を挙げろ)!」と言い放つ韓国人は、さほどに珍しくありませんでした。

が、寝る前のわずか15分間ほどで日本人友達を作るつもりだったと言った韓国人は、数年来のチャット経験でも初めてでした。

日韓チャットで韓国人同士が話しているのを見ていると、彼らは初対面の相手にも非常に気軽に個人情報を晒します。もし住んでいるところが近ければ、翌日やその週末に会う約束を取り付けている者も見ます。それはリスク意識の低い若者ばかりではありません。20代後半や30代の、どこの世界に出しても大人で通用する年代の男女もしばしば見られます。そんな彼らからしてみれば、チャットを利用して就寝前の15分で日本人友達を作ろうと思うのも、それほど突飛な発想ではないのかもしれません。

韓国のニュースを見ていると、チャットで話をした相手と会ってレイプされたり、それをネタに脅迫されたりする若い女性が結構頻繁にいるようですが、私がその被害女性たちに対してあまり同情する気になれないのは、韓国人女性がチャットで極めて無防備に個人情報をおっ広げ、初対面の相手と一瞬で友達になろうとしているのをしょっちゅう見ているせいではないかと思います。



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まず日本のことをよく知ることが大事

日本人が外国人相手に話をする時に大切なのは、相手が友好的か敵対的かに関わらず、自国のことをよく知っておくことではないかと思います。特に相手が韓国人であれば尚更です。

日韓チャットで話をしていると、韓国人は日本のことに詳しいと思っている者が多いようです。特に反日意識が旺盛な者や、いびつな親日意識を持っている者(この二者は、対極にあるように見えますが、その本質は同じです)はその傾向が強いと感じます。

もちろん、彼らが知っている日本はさまざまな捏造や歪曲、印象操作が付されています。しかし、それらの捏造や歪曲が韓国人にとって心地よいものであったり、あるいは日本に対する攻撃材料となるものであれば、どれほど辻褄の合わぬものであっても、彼らは何の疑問も感じないでしょう。

日本人は、韓国そのものに全く興味を持っていない人が少なくありません。そういう人に韓国についていくら根拠を提示して説いても、ほとんど右から左に抜けてしまいます。残るのは「韓国の悪口を聞かされた」という意識だけということは、普通にあります。

逆に日本人に日本のことを話せば、受け入れられやすいのは当然です。そのため韓国人から日本について話をされると、日本人はついつい耳を傾けてしまいます。少なくとも韓国のことについて話されるよりは、身を入れて聞いてしまいます。しかも先述した韓国人の日本観というものに対抗するだけの日本に関する知識を持たない日本人は、悲しいことに珍しくありません。そのために、韓国人の日本観を飲まされてしまう日本人は、意外に多いようです。

韓国人には、確固たる韓国観があります。韓国人の韓国観が、実際の韓国とは全く違うと言っても良いほど実像とかけ離れたものだということは、韓国人でも薄々気づいている者はいなくもありません。しかしそれをはっきりと指摘し、正すことは韓国社会では許されません。故に彼らのコモンセンスとしての韓国観は、それを韓国人自身が信じているか信じていないかに関わらず、今もこれからも、決して揺るがないでしょう。

日本のことも韓国のこともよく知らない日本人と、それが虚像であっても確固たる日本観と自国観を持つ韓国人とが日韓について話せば、その結論がどこへ転がるかは想像に難くありません。

日本人は、日本や日本人のことを誇ることを憚る傾向がまことに強烈です。それは私も例外ではありません。あまりにも手放しに日本を褒め称える話や、無条件に日本が正しいという主張を聞くと、何だか恥ずかしいような、おこがましいような、誰に対してかわからないけれど申し訳ないような、何とも尻の落ち着きの悪い不安な心持ちになることがあります。それらの感情を中和するために、日本に対してついつい謙遜を通り越した卑下表現をしてしまいそうになることは、実はしばしばあります。

しかしそれは外国人、ことに韓国人相手にはやらぬ方が良いでしょう。日本人の日本卑下は、韓国人の日本観と極めて近い場合があり、卑下ではなくそのまま受け取られてしまう可能性が高いからです。たとえるならば、自分の家族を「愚妻」「豚児」と紹介したら、「ああ、やっぱりそうなのか。前からそうじゃないかと思ってたんだ」と思われてしまうようなものです。

ここはこっ恥ずかしくても照れくさくても、「私にはもったいないほど良く出来た妻です」「うちの子は鳶から生まれた鷹です」ぐらいのことを言っておかなくてはなりません。もちろん、誇るに値するだけのものを持っているということを誇る者が正しく理解していることが前提です。

日本は、誇るに値するものを持っていると私は確信しています。先端技術も素晴らしいし、逆境に置かれた時の底力も凄いと思います。正しく見ない者には単なる模倣にしか見えない「海外から流入したさまざまなものを消化吸収し、より洗練されたものにすること」は、日本が最も得意とするところであり、十分誇るに値するものです。

日本の良さ素晴らしさについては、既に安倍元総理が「美しい国へ」を、麻生前総理が「とてつもない日本」を著しており、この2冊以外にも日本の良さについて述べた本は沢山あることからもお分かりいただけると思いますし、それを語るのは弊ブログの主旨とも異なるでしょうし、また語ろうとしても一朝一夕に言えるようなことでもないので、ここでは細々とは述べません。

ひとつだけ言わせてもらうとすれば、日本の本当の凄さというのは、最先端の技術や文化ばかりではなく、それらを支え受け入れ共有し拡散する、名も無き人々のレベルの高さだと思います。

それこそが、日本の本当の底力というものではないかと私は考えており、私たち日本人はそれをよく知っておくべきではないかと思います。



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基準を間違えれば判断も間違う

韓国人や韓国人と親しい日本人が弊ブログを見ると、「どこの韓国人の話だろう?」と本気で思うようです。

長年日韓チャットに居座っていると、親しく話をする韓国人のひとりやふたりは嫌でも出来ます。だから韓国人自身はともかくとして、韓国人と親しい日本人がそう思ってしまうのは、実はわからないでもありません。

どう受けとめるかは人それぞれですが、韓国人に大変人懐こい面があるのは確かです。特に、一度上下関係が確立されると、彼らはその関係にまことに従順です。一度上下関係が確立されれば、彼らの中では相手が日本人であることよりも、従うべき兄や姉であることが優先されるようになります。

ただしそれはあくまで個人間に限定されます。故に彼ら的には、反日意識を持つことと、親しくなった日本人を慕い敬うこととは矛盾しません。彼らにとって親しい間柄というものは、国籍や血統、主義主張を超越します。

韓国人と親しくなり、彼らの上下基準でこちらが上だと認識されれば「お兄さん」「お姉さん」と呼ばれるようになります。これは単に親しみを表しているのみならず、彼らの本当の兄や姉に準じる位置に置かれたことを意味します。だからもしその日本人を日本人だという理由で他の韓国人が攻撃すれば、知人である韓国人の攻撃の矛先は迷わず攻撃した韓国人へ向かいます。その勢いは、見知らぬ日本人を攻撃するよりも凄まじいものがあります。

親しくなった韓国人がする気遣いは、こちらが心苦しくなるほど濃厚です。以前にも、日韓チャットに来た韓国人の学生から、親しくなった日本人にプレゼントを貰ったのでお返しを贈ったら、何故か日本人が冷淡になったと相談されたことがありますが、その韓国人が日本人に贈ったプレゼントの内容を聞くと、日本人側が贈ったものの数倍の量と価格のものだったと言いますから、贈られた日本人側の気持ちは、同じ日本人として想像に難くありません。

韓国人の知り合いを持てば、リアルであれネット上であれ、そういうことを体験することはさほどに珍しくありません。韓国人の知り合いが多ければ多いほど、そういう体験は多くなるでしょう。

韓国や韓国人に慣れ親しむと、その過剰なほどの親愛の情にどっぷりと浸かることになります。それに浸かっている間は暑苦しくて辟易しますが、一旦その暑苦しさに馴染めば、今度はその状態から離れた時に寒々しくて心細くなるようです。

こういった体験を重ねていくと、やがて「韓国人ってじっくり付き合うと、案外良い奴らだ」「韓国人は可愛げがある」と思うようになる日本人は結構いると思います。

その気持ちは、日韓チャットで親しく話をする韓国人がいる私にも、わからなくはありません。彼らを基準に考えると、こんなブログを書いて良いのかと思うことすらあるぐらいです。

ですが、彼らは韓国の基準にはなり得ません。他ならぬ韓国人自身が、決してそれを許さないからです。

もし親しくなった日本人が、他の韓国人に日本人だということを理由に攻撃されれば、知人である韓国人の攻撃は日本人を攻撃した他の韓国人に向かうということは、先に述べました。しかしもし、その攻撃する韓国人が多勢であったり、甚だしく強大であればどうでしょうか

その親しい韓国人は、親しい日本人に対して逃げるように言うか、そうでなければ攻撃する韓国人にへつらうことを求めるでしょう。

三十六計逃げるに如かずという言葉もありますし、長いものには巻かれろという言葉もありますから、そういう韓国人を責める気はありません。まさか日本人と親しくなったからと言って、日本人に殉じて死ねとまで求めるわけにもいきますまい。

問題はそういうことではなく、韓国ではそれを覆そうとするならば「日本人に殉じて死ね」とまで求めなくてはならない、ということです。韓国では日本人を日本人であるというだけで攻撃することが正当化され、たとえどれほど日本人と親しい韓国人であっても、それを覆すことは出来ないということです。

韓国人にとって「日本が絶対悪」という意識は、地球が自転しているということを知識で理解してはいても、無意識に太陽は東から昇り西へ沈むのだと思ってしまうことにも似ています。韓国人がどれほど日本人と親しくなり、日本のことを如何に正しく理解したとしても、韓国において日本は悪で、それを非難することは道徳的に正しいことだという意識が失われることはありません。

もし「日本は絶対悪ではない」ということを主張する韓国人がいたとしても、その韓国人は韓国に居られなくなるか、あるいは「日本は絶対悪である」という意識を覆せない韓国に耐えられなくなって自ら出て行くことになります。結局韓国には、日本を絶対悪とみなす人々と、それに異論があっても言えない人々だけが残ることになるのです。

韓国に残る方を韓国人の基準と考えず、ただ自分と親しい韓国人というだけの理由で、韓国の基準からはみ出た人を韓国人の基準として考えることは、どう考えても判断を誤るとしか私には思えません。



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私は如何にして嫌韓になりし乎

私が韓国に興味を持った最初のきっかけは、ハングルでした。その頃の日本では、一般に韓国について詳しく知っている人は非常に少なく、当然私の周囲で韓国が話題になることなどほとんどありませんでした。在日朝鮮人も、もしかすると周囲にいたのかもしれませんが、意識されることはほとんどありませんでした。

その頃の私にとってハングルは、アラビア文字かサンスクリット文字と同じ程度に解読困難な文字でした。朝鮮語が日本語と同じ語順の言語ということさえ知りませんでしたし、ハングルが読める人や朝鮮語について知ってる人は、周囲に皆無でした。少なくとも「韓国について詳しい」とか「朝鮮語がわかる」と公言する人は、全くいませんでした。

人は、誰も知らないことを自分ひとりだけが知っているという状況に、一種の優越感を感じる場合があります。それが中二病真っ盛りのクソ生意気なバカ子供であれば、尚更というものでしょう。

私がハングルに興味を持ち、その流れで韓国に興味を持ったのは、つまりはそういう理由でした。

私も戦後左傾教育真っ盛り育ちで、ハタチ過ぎぐらいまではどこに出しても恥ずかしい立派な左巻きでした。当然、「かつて日本は中国や朝鮮に悪いことしたよね」的思想もばっちり刷り込まれておりました。もちろん「サベツイクナイ!」「人類皆平等!」という意識も、標準で装備されておりました。

私に限って言えば、この「サベツイクナイ!」「人類皆平等!」という意識を、そのまま支那人や朝鮮人にも当てはめていた点が、標準的な左巻きとは少し違っていたかもしれません。日本人が支那人や朝鮮人をサベツするのはもちろんいけないが、それと同じぐらい支那人や朝鮮人が日本人をサベツするのも許されないと思っていました。

左巻きであるにも関わらず、在日朝鮮人に関する私の考えが、その存在を知った頃から現在に至るまで、ほぼ一貫して「日本に住むなら日本の法律に従え」「日本の法律に従うのが嫌なら祖国へ帰れ」「日本の法律に干渉したいなら帰化しろ」というものであるのは、朝鮮人に対するサベツ意識の無さ故でもあったと思います。

今から振り返っても、当時の私はまことに無邪気に韓国について好意を持っていたと思います。もし、韓国についてそれ以上踏み込まずにいれば、私は今でも無邪気に韓国に好意を持っていたでしょう。

2002年の春、知人が韓国へ旅行するということで、韓国に幾度か訪れたことのある私に色々質問してきました。しかし韓国に幾度か訪れたことがあると言っても、その時点で既に10年も昔の話です。そこで私は知人の質問に答えるために、ネットで情報を検索することにしました。

その流れで日韓チャットに辿り着いた私は、ナマの韓国人の言動に接し、驚愕仰天します。これほどまでに激しく罵られ、憎まれなければならないほどに日本は悪いことをしたのかと、最初は思いました。

しかし、幾度も幾度も繰り返される罵倒と謝罪の要求に「日本は本当に朝鮮に対してそんなに酷いことをしたのか?」という疑問が浮かぶようになりました。

何しろ彼らの主張をそのまま聞いていれば、日本人は史上最悪の植民地支配を行なった極悪非道残虐無比な民族であることは間違いありません。そんな人々が、いくら戦争に負けたからと言って今現在のような、間抜けなほどのお人好しになるものでしょうか。

おかしい、何かおかしい。韓国人の罵詈雑言を浴びれば浴びるほど募る思いに衝き動かされるように、私はネットで、本屋で、日韓関係や韓国、朝鮮の資料を漁りました。

日韓チャットの韓国人たちが口走る日本糾弾の内容やパターンが、文字通りの異口同音であることも奇妙に思われました。戦後左傾教育全盛だった私の世代は、日本人自身の戦時中の苦難や悲劇についてもたっぷり叩き込まれておりますが、だからと言ってそれをまるで自らが体験したかの如く語るということはありません。ところが韓国人たちは日帝統治の悲惨さ残虐さを、まるで昨日自分が体験したかの如くに語ります。

韓国人が日本について非難し、糾弾し、罵倒すればするほど、私の違和感は膨れ上がりました。

竹島問題にしてもそうですが、韓国人が騒ぎ立てれば騒ぎ立てるほど、日本人は疑問を抱くようになります。疑問を抱けば、それを調べる人が出てきます。さらにその結果を共有し、拡散しようとする人が出てきます。ネットの普及は、それを極めて容易にしました。

一方的に押し付けられた知識や情報よりも、自ら進んで探し求め獲得した知識や情報の方が確実に、深く身に付くものです。韓国人のように罵るが如き激しい口調で押し付けても、相手の同意や共感を得るのは、一定の条件下以外では逆効果でしかないでしょう。それについては、弊ブログのコメント欄で報告されている通りだと思います。誰かから押し付けられたのではなく、自分で獲得した理解であるからこそ、揺るぎない確信を持って主張出来ると思います。

もし身近に親韓な人がいても、それでその人が幸せならば、あえてその幸せを崩す必要はないと思います。しかし、もしそうでないなら、あるいは近い将来そうでなくなることが明らかならば、その人に自分で考えるように誘導してあげることは悪いことではないと思います。ただその場合、「一定の条件」が得られないのであれば、激しい言葉や乱暴な言い回しは、逆効果になる可能性が高いことに留意した方が良いでしょう。

最後に、親韓経験のある人は、無い人よりも踏み込んで韓国を理解しようとしたことがある分、より現実的な韓国を理解することが出来るようになると思います。少しずつ蓄積されるアレルゲンが、やがて突発的に花粉症を引き起こすように、韓国や韓国人に接することで蓄積される小さな違和感は、何かのきっかけで突然クリアになります(花粉症と同じく、一生ならない人もいるのが難ですがw)。

かつて親韓であったことが恥ずかしいと思うお気持ちはよくわかります(私もそうでしたからw)が、その経験があるからこそ、より深く韓国を理解することが出来るのだという自信をお持ちになっても良いかと、私は考えています。



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月見櫓 韓国 日韓
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