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私は如何にして嫌韓になりし乎

私が韓国に興味を持った最初のきっかけは、ハングルでした。その頃の日本では、一般に韓国について詳しく知っている人は非常に少なく、当然私の周囲で韓国が話題になることなどほとんどありませんでした。在日朝鮮人も、もしかすると周囲にいたのかもしれませんが、意識されることはほとんどありませんでした。

その頃の私にとってハングルは、アラビア文字かサンスクリット文字と同じ程度に解読困難な文字でした。朝鮮語が日本語と同じ語順の言語ということさえ知りませんでしたし、ハングルが読める人や朝鮮語について知ってる人は、周囲に皆無でした。少なくとも「韓国について詳しい」とか「朝鮮語がわかる」と公言する人は、全くいませんでした。

人は、誰も知らないことを自分ひとりだけが知っているという状況に、一種の優越感を感じる場合があります。それが中二病真っ盛りのクソ生意気なバカ子供であれば、尚更というものでしょう。

私がハングルに興味を持ち、その流れで韓国に興味を持ったのは、つまりはそういう理由でした。

私も戦後左傾教育真っ盛り育ちで、ハタチ過ぎぐらいまではどこに出しても恥ずかしい立派な左巻きでした。当然、「かつて日本は中国や朝鮮に悪いことしたよね」的思想もばっちり刷り込まれておりました。もちろん「サベツイクナイ!」「人類皆平等!」という意識も、標準で装備されておりました。

私に限って言えば、この「サベツイクナイ!」「人類皆平等!」という意識を、そのまま支那人や朝鮮人にも当てはめていた点が、標準的な左巻きとは少し違っていたかもしれません。日本人が支那人や朝鮮人をサベツするのはもちろんいけないが、それと同じぐらい支那人や朝鮮人が日本人をサベツするのも許されないと思っていました。

左巻きであるにも関わらず、在日朝鮮人に関する私の考えが、その存在を知った頃から現在に至るまで、ほぼ一貫して「日本に住むなら日本の法律に従え」「日本の法律に従うのが嫌なら祖国へ帰れ」「日本の法律に干渉したいなら帰化しろ」というものであるのは、朝鮮人に対するサベツ意識の無さ故でもあったと思います。

今から振り返っても、当時の私はまことに無邪気に韓国について好意を持っていたと思います。もし、韓国についてそれ以上踏み込まずにいれば、私は今でも無邪気に韓国に好意を持っていたでしょう。

2002年の春、知人が韓国へ旅行するということで、韓国に幾度か訪れたことのある私に色々質問してきました。しかし韓国に幾度か訪れたことがあると言っても、その時点で既に10年も昔の話です。そこで私は知人の質問に答えるために、ネットで情報を検索することにしました。

その流れで日韓チャットに辿り着いた私は、ナマの韓国人の言動に接し、驚愕仰天します。これほどまでに激しく罵られ、憎まれなければならないほどに日本は悪いことをしたのかと、最初は思いました。

しかし、幾度も幾度も繰り返される罵倒と謝罪の要求に「日本は本当に朝鮮に対してそんなに酷いことをしたのか?」という疑問が浮かぶようになりました。

何しろ彼らの主張をそのまま聞いていれば、日本人は史上最悪の植民地支配を行なった極悪非道残虐無比な民族であることは間違いありません。そんな人々が、いくら戦争に負けたからと言って今現在のような、間抜けなほどのお人好しになるものでしょうか。

おかしい、何かおかしい。韓国人の罵詈雑言を浴びれば浴びるほど募る思いに衝き動かされるように、私はネットで、本屋で、日韓関係や韓国、朝鮮の資料を漁りました。

日韓チャットの韓国人たちが口走る日本糾弾の内容やパターンが、文字通りの異口同音であることも奇妙に思われました。戦後左傾教育全盛だった私の世代は、日本人自身の戦時中の苦難や悲劇についてもたっぷり叩き込まれておりますが、だからと言ってそれをまるで自らが体験したかの如く語るということはありません。ところが韓国人たちは日帝統治の悲惨さ残虐さを、まるで昨日自分が体験したかの如くに語ります。

韓国人が日本について非難し、糾弾し、罵倒すればするほど、私の違和感は膨れ上がりました。

竹島問題にしてもそうですが、韓国人が騒ぎ立てれば騒ぎ立てるほど、日本人は疑問を抱くようになります。疑問を抱けば、それを調べる人が出てきます。さらにその結果を共有し、拡散しようとする人が出てきます。ネットの普及は、それを極めて容易にしました。

一方的に押し付けられた知識や情報よりも、自ら進んで探し求め獲得した知識や情報の方が確実に、深く身に付くものです。韓国人のように罵るが如き激しい口調で押し付けても、相手の同意や共感を得るのは、一定の条件下以外では逆効果でしかないでしょう。それについては、弊ブログのコメント欄で報告されている通りだと思います。誰かから押し付けられたのではなく、自分で獲得した理解であるからこそ、揺るぎない確信を持って主張出来ると思います。

もし身近に親韓な人がいても、それでその人が幸せならば、あえてその幸せを崩す必要はないと思います。しかし、もしそうでないなら、あるいは近い将来そうでなくなることが明らかならば、その人に自分で考えるように誘導してあげることは悪いことではないと思います。ただその場合、「一定の条件」が得られないのであれば、激しい言葉や乱暴な言い回しは、逆効果になる可能性が高いことに留意した方が良いでしょう。

最後に、親韓経験のある人は、無い人よりも踏み込んで韓国を理解しようとしたことがある分、より現実的な韓国を理解することが出来るようになると思います。少しずつ蓄積されるアレルゲンが、やがて突発的に花粉症を引き起こすように、韓国や韓国人に接することで蓄積される小さな違和感は、何かのきっかけで突然クリアになります(花粉症と同じく、一生ならない人もいるのが難ですがw)。

かつて親韓であったことが恥ずかしいと思うお気持ちはよくわかります(私もそうでしたからw)が、その経験があるからこそ、より深く韓国を理解することが出来るのだという自信をお持ちになっても良いかと、私は考えています。



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