今更ですが、映画「韓半島」について
「日本が韓国の技術を学ぶ」と言っても、韓国の技術の多くは日本から移転したものです。即ち「日本の技術を韓国に無償で与える。韓国はその技術のライセンスを日本に与える。日本はその技術の使用料を韓国に支払う」というのが、韓国人の考える理想的な日韓友好の姿なのでしょう。本当に寄生虫としか言いようのない考え方ですが、韓国人は至って大真面目です。
あれで「日本好きです」「日本を愛してる」と本気で言い、おそらく本当にそう思っているのですから、韓国人という生き物は、反日より親日の方が厄介な場合があるということを、よくご理解いただけるのではないかと思います。
あと「韓国は」ではなく「韓国国民は」と言った方が良いのではというご意見も頂戴いたしましたが、【韓国人は「韓国は」と言えば即ち「韓国国民一人残らず一切の例外なく」という意味で理解する】と主張する韓国人が、少なくとも2名おりました。
もっともそれを否定する韓国人が1名おり、その時点で二重の意味で【韓国人は「韓国は」と言えば即ち「韓国国民一人残らず一切の例外なく」という意味で理解する】という主張が口からでまかせであると証明されております。いずれにしても【韓国人は「韓国は」と言えば即ち「韓国国民一人残らず一切の例外なく」という意味で理解する】というのが、単なる朝鮮減らず口ということは最初からわかってるので、それ以上の追及はしませんでした。
「韓国は国家として」と言った方が的確かもしれないと思いつつ、どういう表現を用いようとも、結局連中は朝鮮減らず口でマジェマジェするに決まっているとわかっているので、「韓国は」で統一しております。
さて今回は日韓チャットからちょっと離れたお話です。前回記事のコメントにもありましたが、それ以外の記事でも時々、映画【韓半島】を見てみたいというコメントを頂戴いたします。私はずいぶん前にWeb上で全編を見たことがありますが、あれは案外面白い映画だと思いました。
何が面白いかと言うと、まず全編にみなぎる【朝鮮思考】に【朝鮮話法】及び【朝鮮作法】が筆頭にあげられます。それから日本の海上自衛隊が韓国へ向かっただけでガクブルの韓国軍。韓国大統領からの電話に、悲壮な決意を語る韓国軍司令官。結局一発の弾丸も発せられることなく、ただ単に韓国へ向かっていた日本の海上自衛隊が日本へ踵を返しただけなのに、号泣しそうな勢いで欣喜雀躍する韓国の軍人等々、頭から尻尾まで韓国人らしさがみっしり詰まっている点です。
前回のチャットログでは華麗にスルーしましたが「 日本の模範だと言わなければならない韓国の長所なら、私の考えでは造船技術と軍隊を行って来た韓国男性たちの強い忍耐力だと思います」という発言に象徴されるように、韓国人(特に韓国人男性)は徴兵制度のない日本(特に日本人男性)を惰弱だと言いたがることがよくあります。
常々韓国人の、韓国の軍事力に関する吹きっぷりも結構なもので、それを見慣れている私などは、映画内の韓国軍の描写を見て「おまいらそれで良いのか、普段の吹きっぷりはどうした、チョッパリの群れなど我が軍の精鋭にかかれば瞬殺ですぐらいのことは言えないのか」と小一時間問い詰めたくなるのですが、不思議なことに韓国人的には何の問題もないようです。
予告編などでは盛んに映画内の韓国大統領の台詞「日本国を世界の法廷に立たせる」を取り上げて、さも韓国が正当で優位で強気な設定の映画のように見せかけていますが、実際の映画内では、韓国は果てしなくショボくて情けなくて弱い国として描かれています。それはある意味、彼らの本音でもありましょうw
この映画は、韓国を知る人の間では反日映画としても名高く、確かに日本人が見れば反日としか言いようがありませんが、韓国人にとってあの映画は、全く反日的ではないだろうと思います。あの映画は「強くて阿漕で傲慢で横暴で理不尽なチョッパリ(日本や日本人に対するこういう意識は、韓国人的には全く反日ではありません)に蹂躙されそうになっても、韓国内部の裏切り者の陰謀に陥れられようとも、決して屈せず正義と矜持を守り抜く、か弱くも健気なウリナラマンセー」映画だと私は思いました。
おそらくこの映画は、仮に日本語吹き替えが可能であったとしても、脚本に大きな改竄と言うか、歪曲と言うか、ぶっちゃけ台詞がことごとく改変されてしまう可能性が極めて大きいと思います。そうなれば作品そのもののニュアンスも変化してしまうわけですから、日本語版が日本で発表される可能性は限りなく小さいでしょう。それに日本人があの映画を面白いと思って見るには、かなりの朝鮮人理解が必要です。もし朝鮮人をよく知らない日本人があの映画を見れば、反日表現ばかりに目を奪われてしまい、最大の見所であると言うべき【朝鮮思考】や【朝鮮話法】に気づくことさえ出来ないでしょう。
映画の中で描かれる韓国政府内部のゴタゴタは、おそらく李朝末期の状況をかなり意識したものだと思われます。その辺りの知識があると、この映画に中で韓国大統領が李王に、韓国総理が李朝期の親日派重臣に擬されているらしいということも察せられて、現在の韓国人的李朝末期の解釈を垣間見ることが出来るでしょう。
そういう意味であの映画は、韓国ウォッチャーにとってはそれなりに楽しめますし、韓国における【朝鮮思考】や【朝鮮話法】がどのように行なわれるかを、ビジュアルで見ることが出来る興味深い映画ではないかと私は思っております。
もちろん、映画の内容そのものや設定の矛盾、明らかな誤謬、意図的な歪曲にいちいち突っ込むという楽しみ方もありますが、その辺りに目くじら立ててると際限がないのはこの映画に限ったことではありません。その辺は【韓国的お約束】として見るのが、色んな意味でよろしいのではないかと思います。
しかし映画の中のこととはいえ、発掘作業の乱暴さだけは、見ていてハラハラします。実際の韓国の発掘現場も、あんなに乱暴なのでしょうかねえ・・・。