最も韓国人を知らないのは
そのコラムは、大切にしていた腕時計を、ソウルの時計専門店を自称する時計屋のでたらめな修理で台無しにされたとご立腹の記者が「李明博大統領は最近「先進一流国家」や「国家の品格」という言葉を使い、韓国が目指す国家の姿を訴えている。でも、くだんの店の主人のような品格なき人がいる限り、一流国にはなれない?」とまとめたものですが、その最後の一文が韓国人どものお気に召さなかったご様子。
「ソウルにあるたったひとつの時計屋の主人たったひとりを見て、韓国全体を判断するとはけしからん」ということで、要は例の、韓国人100人に聞けば120人ぐらいが言うであろう「ひとりを見て全体を判断しないでください」という理屈です。しかし、韓国人のこの常套句に丸め込まれるのは、韓国人を知らない人ぐらいでしょう。
仮にこのコラムを書いたのが、生まれて初めてソウルに2泊3日で訪れた外国人観光客であれば、「ひとりを見て全体を判断しないでください」という御託は、わずかながらでも説得力を持つかも知れません(個人的には「くだんの店の主人のような品格なき人」が、堂々と「時計専門店」の看板を掲げて営業出来るという時点で、【韓国ではそういう人物を違和感なく受け入れている=一般的】と看做しても良いと思いますがw)。
しかし、これを書いたのはソウルに駐在する日本人新聞記者です。韓国や韓国人について、少なくとも日本在住の日本人よりも詳しく知っているであろうことは、想像に難くありません。おそらく彼女は韓国に住んでいる間に、幾度も幾度も幾度も幾度も、類似の経験をしていることでしょう。つまり「たったひとりの時計屋の主人」だけが、彼女の判断の対象ではありません。紙面の都合か、それともあまりにも当然過ぎる前提だから端折ったのかはわかりませんが、それを踏まえてのあのコラムであり、最後の一文なわけです。
それでも「日本人なんかに、ましてや日本の代表的右翼新聞(=韓国における産経新聞の代名詞w)なんかの記者に、韓国の何がわかる!」というのが、韓国人の率直な感情なのでしょう。この類の台詞は、日韓チャットでも非常に頻繁に言われる台詞です。
私が日韓チャットで韓国や韓国人について論うと、彼らは最初「日韓チャットの韓国人だけを見て何がわかる」と言います。そこで、韓国を訪れたことがあると言えば「一度や二度韓国を訪れたぐらいで何がわかる」と言います。さらに「韓国を訪れたのは、一度や二度じゃないんだけど」と言えば「韓国に住んでみたことがないのに何がわかる」と言います。
仮に韓国に住んだことがあると言っても「1年や2年韓国に住んだからって何がわかる」となり、最後には「韓国人でもないのに何がわかる」となるでしょう。さらには、もし仮に、韓国から一歩も出たことのない生粋の韓国人が私と同じことを言っても、韓国人は「お前は本当に韓国人なの?韓国人なのに何故韓国人のことがわからないの?」と言うでしょうw
そもそも、「韓国や韓国人を理解する」というのは、韓国人的にはどういうことでしょうか。先日日韓チャットで、韓国人にこの辺りについて質問してみました。
外国人が韓国で悪い韓国人に嫌な目に遭わされた時、その外国人が、「韓国人はこんな人だ」と言えばどう思いますかと聞いたところ、その場に3人いた韓国人全員が口を揃えて、「ひとりを見て全体を判断するのは良くない」と言い切りました。これは予想通りです。
では逆に、外国人が韓国で良い韓国人に出会って大変親切にしてもらったので、「韓国人はこんな人だ」と言えば、どうでしょうか?と聞いてみました。これは単に、先の質問をひっくり返しただけですから、彼らの謂にならえば、「ひとりを見て全体を判断するのは良くない」とならなければなりません。
ところが、その場にいた韓国人全員が「それはその通りだと思うべきだ」と言って、何らの疑問も矛盾も感じていないようなのです。
そこで私が「それは変ですよね。さっきあなたたちは「ひとりを見て全体を判断してはいけない」と言いましたよね。ひとりの韓国人が良い人だったからと言って、その韓国人を見て、全部の韓国人がそうだと思うのは良くないのではないのですか?」と聞くと、韓国人どもは澄まして「ものごとは肯定的にとらえるべきだ」と言います。
つまり、韓国で100人の悪人に遭ったとしても、もし1人の善人に会うことが出来たなら、その1人の善人を韓国人の標準だと見るのが正しいと彼らは主張するのです。
この考えは、実は韓国人には極めて標準的です。彼らは、彼らの脳内に「理想の韓国人」を持っており、それを韓国人の標準だと思っています。
先日、韓国のテレビ番組がyoutubeにUPされておりました。その番組では、外国人がソウルの往来で韓国人に英語で道を尋ねるという、至って単純な実験をしておりました。ただし、その実験を行なう外国人は二人。ひとりは見るからに白人の欧米人、もうひとりは見るからに東南アジア人です。
番組ではこの実験に先立って、数名の韓国人に実験結果の予想をインタビューしておりましたが、全員が全員、判で押したように「人種や国籍で、対応に差異があるとは思いません」「どこの国の人であっても、対応は同じだと思います」という回答をしております。番組的な面白さを狙うなら、たとえやらせでも「人種によって対応に差があると思います」と言う回答者を入れても良さそうなものですが、そう答えた韓国人はひとりもありませんでした。
実際に実験してみると、欧米人が道を尋ねると、韓国人はかなり親切に応対します。ところが東南アジア人が相手の場合、たとえ迷惑そうな態度で一言二言しか発しなくても、反応する韓国人はまだ良い方です。酷い場合にはその東南アジア人を存在もろとも無視します。弊ブログでも幾度か申し上げてきましたが、この「存在もろとも無視」という態度は、韓国人にとっては、直接罵倒するよりも酷い態度なのです。
もし私があの東南アジア人だったら、あの「存在もろとも無視」という態度を、連続して3人の韓国人からされた時点で、「韓国人とはそういう人々だ」と結論づけます。親切な韓国人を見つけるまで、根気良く尋ね続けるなどということは、絶対にしないでしょう。
結局そのテレビ番組では、散々に無視され続けた東南アジア人も、最後の方でやっと親切な韓国人に巡りあいます。韓国人の考えでは、「これが本来の韓国人の姿である」ということになるのでしょう。
この番組のように、韓国人も結構頻繁に韓国を批判し、韓国人を非難します。しかしそれは、彼らが考える「理想の韓国人」としての振る舞いを怠る韓国人に対してのものであって、本質的に韓国を理解しての批判や非難ではないのです。
ですから、客観的に韓国を見る外国人、即ち韓国人たちが共有する「脳内の理想的韓国人」を持たないであろう外国人から韓国や韓国人を批判されると、彼らは激昂します。その外国人が日本人であれば、尚更です。逆に言えば、彼らの共有する「脳内の理想的韓国人」を共有していることを明らかにしていれば、彼らは外国人からの批判や非難も、ある程度受け入れるから面白いのですが。
結局、自らの姿や現実に目を向けず、そうやって彼らの脳内の理想的韓国人を標準的韓国人だと頑なに信じている韓国人こそが、おそらく世界で最も韓国人を知らない人々だろうと、私は考えております。
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