嫉妬と羨望は同じ意味
我が家のベランダは、気象庁発表の気温より2度近く高いことが多く、実測なら20度超えてたんじゃないでしょうか。数日前に薄っすらとは言え、今冬初の積雪があったとは思えません。
さて、今日も今日とて韓国のお話です。
日本と韓国では、全く同じ言葉を用いながら、その言葉のニュアンスが異なることがしばしばあります。有名な例では「八方美人」という言葉があります。
日本では「八方美人」と言えば「誰にでも良い顔をする節操のない奴」という非難のニュアンスを持ちますが、韓国では「誰からも好かれる良い人」というニュアンスの褒め言葉であったりします。
以前に弊ブログで述べたことがありますが、「臨機応変」という言葉も、日本では「その時その状況に応じて、柔軟に対応する」という意味で用いますが、韓国では「危機が迫った時などに、機転を利かせて対応する」というニュアンスになるようです。
また弊ブログの人気記事、「約束の意味」でも述べた通り、日本と韓国では「約束」という言葉の意味も異なります。
このような単語の微妙なニュアンスの違いに対する誤解や無理解は、成人してから外国語を覚えた場合、ある程度相手の言葉に慣れてくると陥りやすい部分だと思いますが、日韓の場合は語順が似ている上に、全く同じ単語(中には、日本語が語源のものもあります)が用いられていることが多いので、尚更に微妙な点で行き違いを生じる可能性があります。
先日も、韓国人と話していて「おやっ?」と思った単語がありました。それは「嫉妬」と「羨望」です。このふたつの単語は、日本人には明らかにニュアンスが異なりますが、韓国人にとってはほぼ同じニュアンスで用いる言葉のようなのです。
それに気づいたのは、ある韓国人が「友人が海外旅行をすると聞いて、嫉妬して泣いた」と言ったことからでした。そこで私が「何故それで泣くのかわからない。って言うか何故嫉妬するのかわからない」と言うと、「だって私は海外旅行なんか出来ないのに、その友人は私を羨ましがらせたから」と答えます。
そこで、「羨ましいなら、率直に「羨ましい」と言えば良いのではないか?何故嫉妬するのかわからない」とこちらが答えたところ、翻訳が「羨ましい」と「嫉妬する」を全く同じ言葉で翻訳していることに気づきました。驚いた私は「韓国では嫉妬と羨望は同じ意味なのか?」と聞いたところ、韓国人は「そうだ」と答えました。
その時はその韓国人に「嫉妬」と「羨望」の日本語的ニュアンスの違いを話すことで終わったのですが、先日何気に、別の韓国人とそういう話になったので、思い出して聞いてみることにしました。
「韓国では「嫉妬」と「羨望」は同じ意味だと聞いたが、事実か?」と聞いたところ、その韓国人は「嫉妬は誰かを羨むこと、羨望は誰かを羨むこと」と言いました。
「嫉妬」も「羨望」も、後半が全く同じ文章になっているので、これは翻訳のせいなのかと思って原文を確認したところ、原文でも一字も違わない、全く同じ文章でした。ですから韓国では、「嫉妬」と「羨望」をイコールと認識している可能性が極めて高いと思われます。
先述した通り、韓国人にとって「嫉妬させられる」ということは耐え難い感情的爆発を招くようです。自分には得られなかったものを他人が得ることは、彼らにとって不幸としか認識出来ないのでしょう。即ち、嫉妬させられるということは、韓国人的には「不幸な状態に陥れられる」ということに近いようです。
他人の幸運や努力の成果に対して、多少の嫉妬の思いを抱くことは、日本人にもあると思います。しかし、それが得られるべくして得られた幸運や努力の成果であれば、嫉妬よりは祝着や賞賛の気持ちが優ると思います。日本人的「羨望」の場合は、どちらかと言えばその祝着や賞賛の意識の方が強いのに対して、韓国人的「羨望」にはそれらの要素がないために、「嫉妬」とまるっきりイコールでとらえられているのでしょう。
知識として「韓国では嫉妬と羨望は同じ」とわかっていても、日本人ならこれを使い分けたくなるように、どれほど堪能に日本語を操る韓国人であっても、そういう単語単語の微妙なニュアンスまで理解出来ているかどうかは、まことに疑わしいものがあります。
最近しばしば産経新聞ソウル支局長の黒田さんが韓国言論やネチズンのやり玉に上がっておりますが、それらもおそらくは、そういう日韓の単語に対するニュアンスの相違によって生じているものが少なくないのではないかと思います。
蛇足になりますが、韓国人が日本に対して抱く感情には、韓国人的「羨望」が大きな割合を占めているということを付け足しておきます。
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