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「インドネシアの少数民族にハングル」の続報

以前弊ブログでも取り上げましたが、文字を持たないインドネシア少数民族がハングルを採用したというニュースの続報が、先日ありました。案の定と言うか当然と言うか、現地では妙な軋轢を生じさせている模様です。

某SNSでこのニュースが掲載された時、ニュースについての意見を見ていると、やはり圧倒的に韓国に対して批判的な意見が多かったのですが、稀に「韓国というだけで見境なく中傷するな」という意見を散見することがありました。それらは概ね「文字を持たない民族に、たとえそれが朝鮮文字であろうとも、利便性の高い文字を提供することの何が悪い」という主旨のようです。

確かに、「純粋に文字を持たない民族に利便性の高い文字を提供する」というだけの話なら、闇雲な批判は単なる中傷と受け取られてもしかたないかもしれません。しかし、それはあくまで「純粋に文字を持たない民族の利便のために文字を提供する」場合の話です。

韓国人の主観において、「文字」と「言語」は峻別されておりません。即ち彼らの主観においては、「ハングルを使用する」=「韓国語を使用する」ということになります。実際、この件についての情報をウリナラチラシで渉猟すると、何故か「韓国語や韓国の文化を教える」という話が出てきます。もし純粋に「文字のない民族に文字を提供する」のが目的であれば、韓国語や韓国文化を教える必要はありません。

即ち、韓国人によるインドネシアの少数民族に対するハングルの提供とは、「インドネシアの少数民族の言語を守るために、純粋に文字だけを提供する」のではありません。では何のために、彼らはハングルと韓国語と韓国文化をセットで教えようとするのかと言えば、その背景には前述したように、韓国人の「軒を借りて母屋を乗っ取る」という習性がありありと透けて見えます。

中央日報のコラムでも、「世界の言語学界は消滅危機にある少数民族の言語を保存し、教育するのに力を入れている。ハングルが担当すべき役割がここにある。独自の文字がない少数民族の言語をハングルで記録することで、人類の文化の多様性を維持するのに寄与できるという意味だ」などと言っております。

しかしそれが上っ面だけの話であることは、同じコラム内の「ハングルの優秀性が表記手段の側面にだけとどまってはいけない。チアチア族がハングルを受け入れるのには韓流の力が大きかったというように、ハングルで疎通できる質の高い文化コンテンツを開発していくことが重要だ。文字の科学性だけ強調する代わりに優秀なコンテンツで韓国と韓国文化に対する好感度を高めることがハングルの世界の礎石になるということだ」という文章にはっきりと現れております。

こういった韓国人の「軒を借りて母屋を乗っ取る」という行為を、前回記事で「戦略」と理解された方がコメントしていらっしゃいましたが、同じくコメント欄にて「あれは戦略ではなく本能だ」と解説されておられた方がいらっしゃったように、彼らのこの習性は理屈ではありません。

彼らの主観において、自身が主体となる他者との同一化は、他者に対する全身全霊全力の好意なのです。それが、たとえ相手の立場では、多大なる迷惑だとしてもです。

例えば、リアルであれバーチャルであれ、韓国人と接する機会があると、かなりの確率(ほぼ100%と言っても良いでしょう)で、「韓国文化のようなもの」を押し付けられます。その「韓国文化のようなもの」は韓国式の対人関係であったり、あるいは韓国ドラマや韓国歌謡曲などのサブカルチャーであったり、あるいは韓国語そのものであったりします。

日韓チャットで言うならば、こちらが聞いてもいないのに「韓国語を教えてあげます」とか「韓国について知りたいことがありますか」などと言う韓国人は、穿いて捨てたいほどいます。あるいは、ある程度親しくなった韓国人の知人がいる人なら、前触れもなくいきなりメールやメッセンジャーで、韓国歌謡曲や韓国ドラマのファイルを送り付けられたという経験を持つ人も、さほど珍しくないでしょう。

またその逆に、いきなり「日本を旅行する時にガイドしろ」とか「日本のホニャララを送れ」と言うこともあります。これは彼らの脳内の前提に「もし自分が頼まれたら、当然喜んでしてあげることだから」というのがあるようです。

更には、先日「日本と韓国は全然違います」という記事でご紹介したとおり、韓国が主体となるのであれば、日韓再併合を望む韓国人は実在するのです。

これが嫌がらせなどの明白な悪意がこもっているとわかるものであれば、その場で殴るなり蹴るなりすることも出来ます。しかし、それが彼らの全身全霊全力の好意であることがわかっている場合などは、それがかなり迷惑だとしても、私たち日本人は殴ったり蹴ったりはもちろんのこと、無碍に断ることさえなかなか出来ません。

しかし、彼らはそこに付け込んできます。いや、「付け込んでくる」などと言えば、またそれが戦略であるかのように聞こえるかもしれません。正確には、彼らはそれを「同一化出来た」と理解するのです。

そうなれば、彼らにとって他者は他者ではありません。自分の意のままに、自由に便利に使って良い手足です。更に言えば、自分にとって都合が悪くなれば、いつでも切り捨ててしまえる存在です。彼らはこれを、理屈ではなく本能で理解します。ですから、こちらがいくら理を唱えても、彼らには絶対に通じません。

彼らには、一歩たりとも譲ってはいけないのです。彼らは「相手が一歩しか譲らなかった」ということが理解出来ないのです。

もし一歩でも譲れば、彼らの意識には「譲らせた」という事実だけが残ります。その「事実」は、彼らの脳内で瞬時に「権利」と化します。その権利は彼らに都合の良いように拡大され、その履行を阻害されれば、彼らは自動的に「被害者」となります。

彼らにとって「被害者」になるということは、「加害者」に対して、謝罪と賠償をほしいままに求める権利を得た(優位の)立場になったと理解されることは、日韓の歴史を知る人であれば誰でも容易に想像が出来るでしょう。

韓国人によるインドネシア少数民族の言語レイプについて、日本(人)はとりあえず口出しする立場にありません。ですが、これを他山の石とするためにも、私たちは韓国(人)が何を行なっているのかを、正しく見聞きし、理解する必要があるのではないかと思います。

「韓国(人)だからと言って無闇に中傷しない」という自戒を持つこと自体を悪いこととは全く思いませんが、「無闇」ではない批判さえも、「無闇な中傷だ」と決めつける行為は、韓国人の侵食行為に加担する行為です。

それによって韓国(人)に侵食されるのが侵食行為に加担した方ご本人だけならば、それは単なる自業自得ですから、ご随意になされば良いと思います。しかしそうすることによって、ご本人以外に迷惑がかかったり被害に遭うようなことが絶対にないようにと、広く深く配慮する気持ちだけは、その方の国籍あるいは血統さもなくば精神が日本である限り、是非とも失わないようにと心から願う次第です。



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