真相はビビンバの中
さて、日本国内では現在子供手当て法案が通るや否やの子供手当て騒動です。しかしこれは、当然と言えば当然の現象で、改めて驚くことではないでしょう。
この子供手当て、確か本来は日本の少子化対策という名目だったはずなのですが、この状況を見て「これで安心して子供を産み育てることが出来る」と考える日本人が増えるとは、到底思えません。はっきり言って、日本の子供たちの将来を子供手当てで売ったも同然なわけですから。
もっともこの状況を見て、「これで安心して子供を産み育てることが出来る」と考えられる日本人が多数派を占めるようになったら、その方が少子化なんかよりも日本の将来にとってずっと危険ではないかとも思いますがw
子供手当てを目当て日本に流れ込んでくるような外国人が、日本に多額の税金を納めるような富裕層であるなどということは、まずあり得ません。むしろ貧困層に近い人々の方が多いでしょう。
日本の場合、日本人よりも圧倒的に在日外国人の方が生活保護を受給しやすいのが現実ですが、更に日本国内に在住しない子供の分まで子供手当てが支給されるとなれば、今後公的生活支援目当ての外国人が日本に大量に流入する可能性は、十分考えられます。
その場合、日本と距離的に近い国から流入する割合が高くなるであろうことは、当たり前過ぎるほど当たり前です。その上、日本国内に既に生活基盤がある在日外国人や帰化人の親類縁者ならば、来日ハードルは更に低くなります。
それらの条件に最も当てはまりやすいのは、言うまでもなく特亞とか反日御三家と言われる国々です。要するに日本という国は、と言うか現政権与党は、日本人よりも反日国の子供を育てたいのでしょう。何のためにかは知りませんが。
気分が暗くなる国内関連から目を移して韓国関連についてですが、ホットイシューはやはり例の軍艦沈没破裂騒動です。
しかしこれはいまだに情報が錯綜中なために、日韓チャットでこの話題が出ても、どうしても想像を元にしたネタ談義にしかなりません。
故盧武鉉前大酋長の投身自殺騒動の時もそうだったのですが、証言者や目撃者、状況を説明するための証拠や資料が全くないわけでもない(どころか、比較的豊富だったりする)のに、状況把握や原因解明がなかなか進まないという事件は、韓国関連では全く珍しくありません。
証言者は証言を二転三転させ、そこへ嘘の目撃談や本気の妄想が投げ込まれ、時間の経過と共に証拠の幾つかは消滅し、あるいは隠滅され、翻弄される者とする者がその時その時で入れ替わり、やがて真相は執拗にこねくりまわされたビビンバの中となります。
そうなればしめたもので、それぞれの立場の者がそれぞれの都合の良いように「真実」を作り上げ主張します。そうして成り立っているのが、韓国社会です。
基本的に韓国人は自らの誤りや過ちを認めようとしません。成功は他人のものでも自分のものにしようとしますが、失敗は全て他人のせいです。今回の軍艦沈没破裂騒動に関しても、責任逃れに必死になっている者が話を一層ややこしくしている可能性は高いと思います。
以前にも「反省は敗者の屈辱」という記事を書いたことがありますが、彼らが自ら進んで失敗を認めたり反省したり、ましてや失敗から教訓を得るなどということは、ほぼ絶対にありません。
ウリナラチラシなどで一見反省しているように見える記事やコラムを見ることも稀にありますが、あれは自分以外の読者に対して反省を促しているものであって、それを書いている記者自身が反省しているわけではないのです。
勝ったり成功したりしている内はそれでも良いのですが、一旦負けたり失敗したりすると、彼らは必死でその事実から逃れようとします。事実から逃れることが出来ない場合は、その責任から逃れようとします。そういう彼らの基本行動が今回のような事件の場合、真相をどんどん闇の中へ押し込め、なかったことにするのでしょう。
わずか数日前のことでもこうなのに、それが何年、何十年、あるいは何世紀と時間の経ったことならば尚更です。
日韓歴史共同研究において、長年やっているにも関わらず日本と韓国の認識が全くかみ合わないのは、韓国人がそういう習性を持っている生き物だということを、日本側が認識していないこともあるのではないかと思います。
もっともそれを認識してしまったら、韓国人と共同で歴史についての研究なんて、バカバカしくてやっていられないでしょう。
あるいは、あえてそれを認識した上で、日韓の歴史よりも韓国人という生き物の生態や思考を研究する方にウエイトを置くという手はあります。韓国ウォッチブログを書いている私の立場では、それはそれで決して無駄な研究ではない(どころか、むしろ歓迎w)とは思います。
しかしそれは、歴史を研究する日本人には激しく畑違いであるということと、あまりにも精神的苦痛の大き過ぎる研究になるのではないかと憂慮する次第です。
所詮は日本人的理解
日韓チャットの韓国人によると、この件については、韓国内でも情報が非常に錯綜しております。
何しろ願望を事実のように語るのが韓国人の常ですから、「北朝鮮からの攻撃ではないと思いたい」が、「北朝鮮からの攻撃の可能性は低い」にナチュラルにすり替わったりするのは、極めて普通です。ですから、たとえそれが公的機関や主要言論機関からの発表であったとしても、にわかに信じることは出来ません。
日韓チャットの常連日本人会員が、「韓国という国は相互不信で成立している社会だ」と喝破しましたが、こういう状況を見ると、全くそのとおりだと思います。
社会を構成する全ての層が互いに信用し合わないことで成立する社会という、日本人からすれば想像を絶する社会が、日本の隣にあるだけで結構背筋が涼しい気分になります。もっとも、最近はそれが日本社会の中にも紛れ込み始めているような気がしなくもありませんが。
「相互」も「不信」も「成立」も「社会」も全て日本人には理解が容易な単語だと思うのですが、それらの言葉を組み合わせて「相互不信で成立する社会」と言うと、それがどのように成立している社会なのか、日本人にはにわかに理解が難しいと思います。
このように「一見理解が可能に見えて、実際には理解出来ない、あるいは理解が困難なこと」は、韓国関連では珍しくありません。
前回の記事でも「日韓相互理解は不可能だという相互理解を目指そう」と書きました。すると日韓チャットの常連日本人から、「あれでは日本人側は韓国を理解している、あるいは理解出来ると思う人がいるかもしれない」と言われました。
なるほど言われてみれば、そう誤解される余地もあるかも知れないと思い、蛇足かもしれませんが前回の記事について、少々言葉を補っておこうかと思います。
日韓の場合、一言で「相互理解」と言えば、日本人が韓国人を理解しようとする姿勢の方が、韓国人が日本人を理解しようとする姿勢より、確かに大きいだろうとは思います。しかし、日本人がどこまで韓国人を理解したとしても、それは所詮日本人としての理解でしかないことを、私たちは忘れてはいけません。
「私たちは忘れてはいけません」などと偉そうに書きましたが、実はこれは私自身が、しばしば日韓チャットの常連日本人に厳しく指摘されることだったりします。
日本人である限り、韓国人についてどれだけ長く深く考察しようとも、所詮は日本人としての視線、日本人としての理解、日本人としての結論の域を出られません。
私は非常にしばしばそれを失念して、「何故あいつらはこうなんだ!」と驚いたり腹を立てたりしています。そのたびに、日韓チャットの常連日本人会員からは、「あなたは相変わらず日本人的視点から抜け出せていない」と笑われております。
例えば、彼らの発する言葉には意味がありません。これを日本人が真の意味で理解するのは、極めて困難だと思います。日本人にとって、言葉とは意味があって当然だからです。だから彼らの言葉に意味があると思って聞いてしまい、彼らの言葉にころころと転がされます。
「韓国人は息をするように嘘を吐く」とよく言われますが、それさえもやはり日本人的解釈であって、彼らにとって言葉は意味がありませんから、彼らの嘘は嘘としての意味さえないのです。それが証拠に彼らは非常に頻繁に、全く意味のない嘘を吐きます。
彼らが発する言葉だけではありません。彼らの書く文字や文章も同様です。彼らにとって文章とは、単に彼らの発する音を写しただけのものだということを日本人が本当に理解するのも、かなり難しいでしょう。ハングル専用によって生じる思考の浅薄化に気づいた時、私は心の底からぞっとしましたが、もちろんそれも所詮「日本人的理解」でしかありません。
喩えて言うならば、鶯のさえずりを「春の訪れを告げる声」などと理解するのは人間側の理解です。鶯側は別に、人間に春の訪れを知らせるつもりなど全くありません。また鳥によっては「求愛のダンスを踊る」などと言われている種がありますが、それらもやはり人間的な解釈です。鳥自身に「求愛」や「ダンスを踊る」などという意識や概念はないでしょう。
日本人的な韓国人理解も、それと似ているのではないかと思います。
もちろん「日本人的理解」でしかなくとも、それが全くの無駄だとか、悪いことだとは思いません。思ってたらこんなブログ続けていられませんw
韓国人を観察する場合、たとえそれが「日本人的理解」であっても、無いよりは有った方が良いと思います。また日本人同士で韓国人について話す場合、「日本人的理解」であっても、それを共通の概念として話す方が、間違いなく話の通りは良いでしょう。
ですが、その「日本人的理解」を以て、本当に韓国人を理解した、あるいは理解し得ると考えるのは、極めて危険です。以前にもご紹介したことがある、野生のグリズリーを愛した男が、結局グリズリーに食われたという話を思い出してください。
日本人が韓国人を理解した、あるいは理解しようとしているというのは、あくまで「日本人として」です。それによって得られた理解は所詮「日本人的理解」であり、韓国人を本当に理解したわけでも、理解出来るわけでもありません。
「象使いは象に殺される」という言葉もあります。彼らを理解出来ないことよりも、「彼らを理解出来るはず」あるいは「彼らを理解した」と思い込み、「日本人的理解」で接することの方がずっと危険な場合もあるということを、ここで改めて強調しておきたいと思います。
日韓相互理解は不可能だという相互理解を目指そう
さて昨日、第二期日韓歴史共同研究の結果報告が公表されました。ちなみに論文等の原文はこちらから閲覧及びダウンロードが可能です。が、報告書は膨大な量なので、全てを読破するのはなかなかに骨でしょう。私もまだざっと目を通しただけです。
読むだけでも骨なのに、これを作成した委員会の、殊に日本側のメンバーの労苦は察するに余りあるものがあります。
一次史料が豊富に残っている近現代史においても、恣意的な解釈による捏造や歪曲が行われることが珍しくありません。ましてや文献や遺物の乏しい時代であれば尚更です。更にそこへ学術的好奇心とは全く別の邪心が混ざれば、学術研究が、例えば政治の道具に用いられることもしばしばです。そして、韓国における歴史は、まさに学術的好奇心よりは明らかに民族的感情や政治利用が優先されております。
「群盲象を撫づ」という言葉があります。「大勢の盲人が象の体を撫でて、それぞれが自分の撫でた部分だけをもって象全体を評すること」の謂です。
確かに、全知全能の神ならぬ身の人間には、全てを正確に知り尽くすことなど能力的にも時間的にも不可能です。しかし、限られた能力、限られた時間しか持たない人間であっても、それぞれがそれぞれの出来る範囲で調べ、知り得た情報を持ち寄り、それを再構築することで、見えない巨大な象の全体の姿を把握することは可能です。
人間は、そうやって見ることも触れることも出来ない宇宙の謎にさえ迫ってきました。時の彼方に流れ去り、今となっては誰も見ることが出来ない時代についても同様です。
ところが韓国人には、それが出来ません。彼らにとっての「共同研究」とは、自分が撫でた(しかも多分に感情と願望を厚く塗り重ねた)部分こそが唯一絶対の真実であると、共同研究者に何が何でも認めさせることです。特に日本が相手の場合、彼らのその傾向は極めて強く激しくなります。
今回の詳しい研究報告については、私もまだ斜めに目を通しただけで、じっくり読むのはこれからですが、興味深かったのは、とりあえず流し読んだ日韓双方の序文や、今回の共同研究における回顧と展望でした。そこには日本側のメンバーの消耗と憔悴が目に浮かぶような所感と、日韓チャットの韓国人の態度を彷彿とさせるような、韓国側のメンバーの所感が載せられておりました。
「日韓チャットの韓国人を彷彿とさせる」というのは、例えば「歴史対話は相互間の尊重と信頼が前提とされ、相手方の研究成果に耳を傾けようとする真摯な姿勢が備わったときに、はじめて成功裏に進めることができると言われる。われわれはこのような事例を、今日のドイツとフランスの歴史対話、ドイツとポーランドの歴史対話などを通して充分に確認することができる。筆者はこれらの歴史対話を見ながら、特に歴史の前では謙虚であろうという、彼らの成熟した姿に感服した」という韓国側委員長の序文にも見ることが出来ます。
今はさほどでもありませんが、一時期日韓チャットで非常に頻繁に聞かれた「日本はドイツを見習え」という話は、ここでも言われております。と言うかおそらくは、こういった連中が唱えたことが日韓チャットの韓国人どもに流れ着いていたのでしょう。
更に、日韓チャットの韓国人は今でも非常に頻繁に「理解」「尊重」「信頼」「信用」などとほざきます。しかし彼らがそういう類の言葉を口にするときは、一方的に自分だけが理解され、尊重され、信頼あるいは信用されるべきであるという主張です。
日韓歴史共同研究における韓国側委員長の序文におけるこれらの用語も、同様のニュアンスを持っていると、私は感じました。
結局、日韓両国政府の肝煎りで何年も掛けて行われた日韓の共同研究の成果とは、日本側の各社報道でも「 【日韓歴史研究】「共同研究は不毛」 共通認識形成にはほど遠く 」や「社説:日韓歴史研究 対立乗り越える努力を」という表現が見られるように、「日韓の(歴史認識における)相互理解は極めて困難(率直に言えば不可能)」というものかもしれません。
私はこれまでに何度となく「日韓チャットなんかに来る韓国人は、10代の子供ばっかりだから、対話にならなくてもしかたない」などと散々言われました。しかし何のことはない、日韓学識経験者の歴史共同研究における日本側のメンバーも、日韓チャットに参加した日本人と同じような感想を抱いたわけです。
それでもまだ、「いや、これは歴史認識に限ってのことで、それ以外なら日韓は理解し合える」などと言い張る人も、日韓双方にまだウジャウジャいるのだろうと思うと、本当に気が遠くなります。
日韓は相互且つ永久に、あらゆる面で、決して理解し合えないということを一日も早く互いに理解することが、少なくとも日本にとっての今後の日韓関係をより良い方向へと前進させることになると、私は考えております。
その理解が、せめて日本側だけにでも得られなければ、100年前の悪夢が、100年前よりも酷い形で再現される可能性があると、ここに改めて警鐘を鳴らしたいと思います。
韓国人の発信する情報を見る時の心構え
弊ブログは、筆者が記事を書くだけで一杯一杯なために、コメント返しはもちろん、宣伝活動らしいこともほとんどやっておりません。ですので、結構長く続けてる割にはあまり知られてないみたいですw
そんな弊ブログにもかかわらず、長らくご覧戴いている常連読者の皆様、最近弊ブログを発見してくださった皆様、読むだけではなくコメントまでしてくださる皆様には、改めまして深く御礼申し上げます(なお『中華的生活「多少銭?」』ですが、弊ブログの右サイドバーの「リンク1」からも辿れます。コメント欄でお尋ねだったので、とりあえずお知らせまで)。
さて、弊ブログの執筆に際し、日韓チャットの量産型を見てるばかりではなく、書籍を読んだりネットの巷を徘徊することも多いということは、前回記事でも申し上げました。ネットの巷を徘徊する時は、弊ブログで「ウリナラチラシ」と呼んでいる韓国言論サイトを見ることも頻繁です。
「ウリナラチラシ」と言えばその代表格は、朝鮮日報・中央日報・東亜日報の、いわゆる朝中東三紙ですが、何故か日韓チャットの韓国人は「朝中東は信用出来ない」と口を揃えて言います。では、どの言論機関が信用出来るのかと彼らに聞けば、これまた何故か口を揃えて「ハンギョレ」と答えます。
ハンギョレには日本語版がないのですが、韓国人がそう言うのだからと、私も一応ハンギョレを見ております。しかしその偏向性もさりながら、記事の信頼性という点で「朝中東」とどう違うのか、正直私には全くわかりません。
先日も、「日本は日帝被害者に対する責任認めるべき」と題した社説を、ハンギョレで見かけました。読むと、それが事実なら日本でもニュースになっていないはずがないようなことです。慌てて私は、日本側のニュースサイトを漁ってみました。
ところが日本側に、そんなニュースはどこにもありません。こういうネタなら真っ先にラインナップされそうな2NNの見出しにも、とりあえず見当たりません。もちろん日韓チャットの韓国人も、そんな話はおくびにも出しません。
何だかキツネにつままれたような気分でしたが、日本側でニュースになっていないなら、よくある韓国人の寝言か妄想だろうと思って、深く追及しませんでした。
それが3月15日のことだったのですが、その後前回記事のコメント欄でもあったように、3月18日に日本外務省が聯合ニュースに対して「個人請求権は解決済み」と回答しております。結局のところ、ハンギョレの社説に対する「よくある韓国人の寝言か妄想」という私の理解と判断は、間違ってなかったということになります。
ウリナラチラシは少し前にも、「鳩山総理が非公式に韓国に賠償すると表明した」という記事を飛ばしたりしておりましたが、このところ何だか妙に韓国側の日本に対するこの手のオネダリが頻繁になっております。
それらは、とにかく日本から何とか毟りたいという彼らの願望からくるもので、個人請求権だの韓国への賠償だのは、単にその正当化のための脚色でしかないのでしょう。読者に対し、日本から毟るのはウリナラの当然の権利という刷り込みを行なうために、色々と愚にもつかないネタを飛ばしているのではないかと思います。
一度解決したり決着したことでも、それが自らの気に入らなければ、平気で忘れたフリをしたり、あるいは言いがかり同然の解釈やなりふりかまわぬ嘘で、結論を反故にしたりひっくり返そうとしたりするのは、彼らの常套手段です。またこうして記事にすることで、「かつてこういう記事があった」という潜在意識を読者側に刷り込むという効果を狙っている可能性もあります。
嘘でも何でも一度記事にしてしまえば「記事になった」という事実を作ることが出来ます。「記事になった」という事実を、記事の内容が事実であるかの如くすりかえる卑怯で姑息で陰険な手段は、朝鮮人の得意とするところです。
人の好い日本人は、こういう手練手管に簡単に引っ掛かる人が少なくありません。また韓国人にしても、彼らの願望に沿ったニュースであれば、何らの検証なく鵜呑みに信じるのが一般的です。ましてやそのニュースが、彼らの信仰する「日本=悪役」という図式に則っていれば、韓国人の間では疑う方が悪いという空気さえあります。
そういう事情を勘案すれば、日本が関連する韓国人の願望に沿ったニュースについては、どんな公的機関からのものであろうと、どんな権威が背景にあろうとも、発信者が韓国人である場合は、眉に唾を付けてから聞くという姿勢を崩さぬようにする習慣を、私たち日本人は身につけるべきではないかと、痛切に思う今日この頃です。
在韓補正
韓国・朝鮮関連の書籍類を読むのは当然として、過去に、実際に韓国を訪れたことも一度ならずありますし(ちなみに、パッケージツアーで行ったのは数度訪韓した内の一度だけで、それも往復航空券と空港送迎、宿泊だけがセットになった、いわゆる「フリータイム型」と言われるタイプのパッケージツアーです)、周囲に生朝鮮人や生在日が少ないとは言え、接したことがないわけではありません。もちろん、鶴橋にも新大久保にも行ったことがあります。
ネットでは日韓チャット以外に、MSNやスカイプなどのメッセンジャーで韓国人と会話をすることもありますし、某巨大匿名掲示板のハン板は言うまでもなく、日韓翻訳掲示板やブログも参考にしています。
中でも在韓日本人が書いているブログは、一般的な日本人の目の高さで見た韓国(人)がリアルタイムで発信されるので、大変参考になります。
もちろん、「一般的な日本人」と言っても人ごとに違いますw
頭の先まで親韓どっぷりで、韓国人がそう言えばカラスも白だと言いそうな日本人もいれば、日韓のはざまで可能な限りニュートラルであろうと努めているのがよくわかる日本人もいます。シニカルに韓国をぶった斬るけれど、返す刀で日本もぶった斬ってる日本人もいます。
いずれの日本人にも共通するのは、「韓国だけを一方的に悪く言ってはいけない」という強い意識です。
韓国について厳しい意見を述べれば、それを埋め合わせようとでもするかのように、必ず韓国について述べた厳しい意見と同じか、それ以上のウエイトの褒め言葉を並べようとします。韓国について批判的なことを書いても、「でも日本だって、こういうところは言えた義理じゃないしな」と言って、必ずバランスを取ろうとします。
その気持ちはわからなくもありません。
まず日本人的な感覚では、対立する二者のどちらかだけを、一方的且つ絶対的な悪役にすることを強く厭います。更に「判官贔屓」という言葉があるように、もし対立するどちらか一方が明らかな敗者や弱者であれば、善悪を度外視して敗者や弱者に肩入れしたがる日本人は多いと思います。
韓国(人)に対し「判官贔屓」的意識を持つことは即ち、韓国(人)を弱者や敗者として見ているという証左だと私などは思うのですが、日本人的善意に満ち溢れた人々は、自らのそういう意識に気づくことは少なく、仮に気づいてもそれを悪いとは微塵も思いません。むしろ「弱者や敗者を擁護する自分」に酔い痴れるでしょう。
また「日本人の謝りたがり癖」もあります。夏目漱石が作中で「人の尻を自分で背負い込んで、おれの尻だ、おれの尻だと吹き散らかす奴が、どこの国にあるもんか」と皮肉っていますが、その「どこの国」が日本なのです。
「何ンに付け一応はスミマセンと言うのが癖です」と節を付けて歌いたくなるぐらい、日本人は何かあれば謝ろうとします。
「対立する二者のどちらかだけを、一方的且つ絶対的な悪役にすることを強く厭う」という日本人気質において、「スミマセン」という言葉が互いを無駄に傷つけ合わぬための魔法の呪文になり得ることは、日本人には理解出来ます。しかし、外国人にそれは通用しません。もちろん韓国人にも通用しません。にもかかわらず日本人は、ついつい「スミマセン」と言ってしまいます。
そんな日本人が韓国で韓国人から理不尽な責められ方をされれば、「だって日本は過去に韓国に悪いことしたもんね」と思って素直に謝ってしまうのです。更にそれを「日本人は皆反省しようよ」とブログに書いちゃうわけです。
更に在韓日本人は、現実に韓国に住んでいるという点も勘案しなければならないと思います。
「住めば都」ということもありますし、韓国に住む者が韓国の現実を直視するということは、精神的なダメージが極めて大きいということもあります。誰しも、今自分が住んでいるところが糞壷の中だとは思いたくないでしょう。それがために韓国人は、韓国の現実から目を逸らして脳内に理想の韓国(人)を作るか、あるいは実際に国外へと脱出することで韓国の現実から逃避しています。
ところが在韓日本人は、「広義の強制連行」で韓国に在住している人もいますが、自ら進んで好き好んで韓国に住んでいる人もいます。ブログを書いている在韓日本人には、そういう人が少なくありません。
そういう人が韓国について書くときに、遠慮会釈の無い率直な韓国批判を書けるかと言えば、まず無理です。「だったら日本に帰れ」と、誰に言われるまでもなく、自分で思ってしまうでしょう。
事情は人それぞれとは言え、自ら好き好んで韓国に住んでる以上、水野俊平氏のように、結果的に日本に帰ることになろうとも、韓国の現実を直視し、それを指摘しようとする人ばかりではありません。むしろ、たとえ嘘だと薄々わかっていても、欺瞞だと密かに気づいていても、韓国擁護をせざるを得ない人の方が普通でしょう。
だから在韓日本人のブログに的外れな韓国擁護や珍妙な日本批判があっても、それを見てモニターに向かって「アホか」とつぶやくことはあっても、私はそれを文章化して非難するつもりはありません。
但し、日本人がそういう在韓日本人のブログを読む場合、そこには上記のような在韓補正が掛かっているということを、きちんと勘案して読むべきであるとは思います。
悲しいことに、そういう但し書きも、在韓日本人には書けないでしょうけれど。
日本人と話さない方が良いと思います
まず、別の部屋で日本人に殴られたらしい韓国人が、私の部屋に入るなり泣き言を言い始めます。
私は基本的にこういう泣き言には付き合わない方針ですので、初手から冷たくあしらうと、その韓国人は突然火病り始めます。火病った韓国人が出て行った後、残った韓国人に「あれは韓国の作法か?」と聞くと、別の韓国人が「あれは障害者だ」と言います。
その韓国人が、「韓国に正常者は多い、理解しろ」と言うので、「あなたは正常者か?」と聞いたら、何故かこの韓国人も火病り始めます。
この韓国人、散々人を罵倒しておきながら、しばらくすると頭が冷えたのか、今度は執拗に容赦を求めます。
まことに韓国人は不可解な生き物です。
tss00059(K) さんが入場しました。
tss00059 (K) : こんにちは
tss00059 (K) : 私戦って来ました
Youngsik (K) : 会えて嬉しい kkkk
tss00059 (K) : そうだよ kkk
Youngsik (K) : お前日本語専攻するの?
tss00059 (K) : 何よ
tss00059 (K) : 高慢なふりをするのに
tss00059 (K) : 今日本当に日本人たちにがっかりしました
tss00059 (K) : fetia様
tss00059 (K) : 日本の人々は皆大日本帝国
tss00059 (K) : 屠漢国 (筆者註:誤打)
tss00059 (K) : 小寒国 (筆者註:「小韓国」の誤訳)
tss00059 (K) : こんなに呼ぶんですか?
fetia (J) : 何を言ってるのかわからない。>tss
tss00059 (K) : うん、そうですね
tss00059 (K) : 実は私が先ほど他の部屋で
fetia (J) : とりあえず、わけのわからない話をしたいなら、そういう部屋を作ると良い。
fetia (J) : さようなら^^ (筆者註:最初から聞く気皆無)
tss00059 (K) : 大日本帝国どうしてする日本の方に会いました
Youngsik (K) : 高慢な振りをしながら
fetia (J) : さようなら^^ (筆者註:もちろん、「出て行け」という意味)
tss00059 (K) : 狂った
tss00059 (K) : けだもの
tss00059 (K) : セックス
tss00059 (K) : セックス
tss00059 (K) : セックス
tss00059 (K) : オオー
tss00059(K) さんが退場しました。
Youngsik (K) : あ....
fetia (J) : あれは、韓国の作法ですか?
Youngsik (K) : あの方は 障害者です
fetia (J) : なるほど。
fetia (J) : 理解しました。
Youngsik (K) : 理解してください
Youngsik (K) : 正常は多いです wwwwwwwwwww
fetia (J) : そうですか。
Youngsik (K) : 当たり前です
fetia (J) : あなたは正常者ですか?
Youngsik (K) : あなたは?
hj1989 (K) : FETIAさんは韓国に関心がありますか ^ ^?
fetia (J) : 何故韓国人は質問に質問で返すのだろう?
Youngsik (K) : お前はいくら偉かったのか
hj1989 (K) : 私に正常者と尋ねたことですか ?
Youngsik (K) : 知りたくて
fetia (J) : それは韓国の作法ですか?
Youngsik (K) : fetia様
Youngsik (K) : マナーがないですね.....
fetia (J) : 初対面の外国人には半言葉を使うのが、韓国の作法? (筆者註:半言葉=パンマル、ぞんざい語。相手を見下すために使う言葉)
Youngsik(K) さんが退場しました。
hj1989 (K) : 腹立ちましたか?
fetia (J) : 彼は正常者だったのだろうか?
hj1989 (K) : 腹立ったら私が代わりに
fetia (J) : 別に腹は立ちません。
Youngsik(K) さんが入場しました。
fetia (J) : ところで、あのような態度は、韓国では正常?
Youngsik (K) : お前は?
hj1989 (K) : 正常ではないです..
Youngsik (K) : あなたが先に考えをしてください
Youngsik (K) : なにとぞ
fetia (J) : じゃあYoungsikも、障害者ですか?
Youngsik (K) : お前は娼婦じゃないの
Youngsik (K) : お前は娼婦なの
Youngsik (K) : 私は障害者なら
fetia (J) : とりあえず、障害者にどうやって対応したら良いのかわからないので、謝絶しますね^^
fetia (J) : さようなら^^
Youngsik (K) : だれが見てもあなたの過ちがもっと多いですが
violet22(K) さんが入場しました。
violet22 (K) : こんにちは!
Youngsik (K) : こんにちは!
fetia (J) : こんばんは
fetia (J) : 誰が見ても?
Youngsik (K) : そうだこのやろう
Youngsik (K) : 畜生、私が汚らしいか
fetia (J) : hj1989が見ればあなたは正常ではないようですが。
Youngsik (K) : 腹立つようにして
Youngsik (K) : デージルだと尋ねて (筆者註:「デージル」とは韓国語辞書によると「痔疾」の古語らしいのですが、韓国人は罵倒語として用いている模様)
Youngsik (K) : 病身め
violet22 (K) : はっと...
Youngsik (K) : ウウウウウ
fetia (J) : こういう人は、韓国では正常ですか?
Youngsik (K) : 腹立つようにして
Youngsik (K) : 韓国を無視して
fetia (J) : 「誰が見ても正常」というなら、理解しますよ^^
Youngsik (K) : 私は韓国で正常なの?
violet22 (K) : エググング....
Youngsik (K) : うん??
Youngsik (K) : Yes or No
fetia (J) : 回答を待っています。
Youngsik (K) : 私の考えは
hj1989(K) さんが退場しました。
Youngsik (K) : 日本人が腹立つようにすれば
Youngsik (K) : 韓国人は激腹立って落ち着くこと大変です
fetia (J) : そうですか。 じゃあ日本人と話さない方が良いね^^
fetia (J) : さようなら^^
Youngsik (K) : 病身だね
Youngsik (K) : そうだから
Youngsik (K) : 日本が猿国だ
Youngsik (K) : 犬病身よ
Youngsik (K) : 傷病身
Youngsik (K) : 死んでみるか?
violet22 (K) : ウワー,,,アア...
violet22(K) さんが退場しました。
Youngsik (K) : 気違いよ
Youngsik (K) : 消えて
fetia (J) : クスクスw
Youngsik (K) : wwwwwww
fetia (J) : 消そうか?w
(ご希望通り蹴り飛ばしました)
hj1989(K) さんが入場しました。
hj1989 (K) : 大丈夫ですか?
fetia (J) : おかえり
hj1989 (K) : ただいま.
Youngsik(K) さんが入場しました。
(蹴り飛ばしました)
Youngsik(K) さんが入場しました。
Youngsik (K) : あのー
(蹴り飛ばしました)
Youngsik(K) さんが入場しました。
(蹴り飛ばしました)
Youngsik(K) さんが入場しました。
(蹴り飛ばしました)
Youngsik(K) さんが入場しました。
Youngsik (K) : ゴメンネ
(蹴り飛ばしました)
Youngsik(K) さんが入場しました。
Youngsik (K) : ゴメン
(蹴り飛ばしました)
hj1989 (K) : 一つ問って見ても良いです ~~~?
fetia (J) : はい
hj1989 (K) : 韓国に興味がありますか~?
fetia (J) : いいえ (筆者註:ちょっと迷って、「いいえ」と答えてみました)
hj1989 (K) : あ, そうだったら、こちらに加入はどのようにすることになったことか? (筆者註:そしたらやっぱりこう聞かれます(´・ω・`)メンドクサイ)
fetia (J) : 知人がこのチャットを利用しているからです。
hj1989 (K) : あ~
hj1989 (K) : 知人は韓国に関心があるんでしょうか?
fetia (J) : そういう人もいるでしょう。
hj1989 (K) : 嬉しいですね~ (筆者註:「関心がある=好意を持っている」と無条件で考える韓国人が圧倒多数です)
fetia (J) : そうですか。
hj1989 (K) : はい~
hj1989 (K) : FETIAさんも韓国に興味を持つようになれば良いと思います
fetia (J) : 持たないと思います。
hj1989 (K) : ユユ (筆者註:「ユユ」は、ハングルAAで、泣いてる顔文字です)
hj1989 (K) : すぐそういう人々のため?
fetia (J) : そういう人々?
hj1989 (K) : すぐ悪口を言うとか ;
hj1989 (K) : やっぱり気持ちが良くなかったんです
fetia (J) : いや、慣れています。
hj1989 (J) : そうですか.
fetia (J) : 韓国に関心がないのは、韓国に関心を持つべき部分がないからですよ。
fetia (J) : 単純にそういうことです。
hj1989 (K) : はい ~ それならここで何をしたいですか ~~? (筆者註:このように、「韓国に関心がない」と答えると、必ずいつまでもしつこく「何故日韓チャットに来るのか」と聞かれます)
fetia (J) : 知人と雑談。
hj1989 (K) : それなら知人を待っているんです ?
fetia (J) : あとは、韓国人観察。
hj1989 (K) : そうだね~
hj1989 (K) : 今日はありがとうございました ! 明日学校のため寝なければ
fetia (J) : さようなら。
ログ採取日 2010年3月5日午前0時半~1時頃
朝鮮半島の中心で友愛を叫べ
さて前回記事のコメント欄に、在日関連の情報を頂戴いたしました。こういう情報は大変参考になります。ありがとうございました<(_"_)>
で、早速両方覗いてきました。
何と言うか、もう全力でトホホ。こんな生き物が日本に数十万も棲息しているとか、悪い夢でも嫌すぎるのに、これが現実なのですから、助けてください
確かに、こんな生き物が日本に数十万も棲息してるってことも、更に日本に忠誠を誓うことを拒みながら日本に帰化している者や不法滞在者を入れれば、その数は100万を優に超えるであろうことも、知識としては十分知ってました。
しかし幸か不幸か、現在私の周辺に、本国在日を問わず、生朝鮮人は存在しません。ですから、朝鮮人の発言は主に書籍やチャットや掲示板やブログやツイッター等の、文字情報でしか見ません。その文字情報を見るだけでも、十分過ぎるほどうんざりげんなり出来るのに、更にyou tubeで音声まで聞いた日には、マジで吐き気がしました。
在日の聞くに堪えない火病発作を聞きながら、もう良いから、お前の気持ちは十分わかったから、だから帰れ。今帰れすぐ帰れ直ちに帰れとっとと帰れ。釜山港でも仁川港でも元山港でも、どこでも良いからお前の祖国へ、可及的速やかに帰れ。祖国に帰るのが嫌なら帰らなくても良いけど、とりあえず日本からは迅速に出てけとしか言えませんでした。って言うか、正直に言うと最後まで聞いていられませんでした(もっともこれは、日韓チャットで、火病った韓国人はサクサク蹴り飛ばす癖がついているせいかもしれません)。
しかも日本国民が、日本国民よりもこんな生き物を優遇する政党を先の選挙で選択したという現実を思うと、本当に心の底から萎えます。
「一度民主党にやらせてみれば良いじゃないか」とか、「民主党なら何とかしてくれる」とか、今議論になってる子供手当てに目がくらんだとか、もう本当に、日本を潰す気ですか?>民主党に投票した方々
それでも、自分が選んで自分が結果を負うだけなら、自業自得というものです。それが納得尽くであろうとなかろうと、自分で選んだ以上はしかたないと諦めることも出来るでしょう。しかし今の民主党連立政権がこれからやること今までやったことは、必ず次の世代以降に禍根を残します。
今議論になっている子供手当てにしても、朝鮮学校の無償化についても、要は日本の税金で朝鮮人を養育するということです(子供手当ては朝鮮人だけが対象ではありませんが、朝鮮人が在日を使って組織的に悪用するであろうことは火を見るより明らかです)。しかし日本の税金で育った朝鮮人が、日本に感謝したり恩義を感じたりするということは、絶対にありません。結局、日本の国費で将来の反日工作員を養育するようなものです。
国内問題だけではありません。先日ウリナラチラシで、鳩山総理が非公式に韓国に賠償すると表明したとかいう報道がされておりました。
複数のウリナラチラシを見比べると、どうやらニュースソースは今年初めに日本を訪れたとある米国下院議員からの伝聞という話です。ちなみにちらっと調べてみると、今年初めに日本を訪れた米国下院議員って例のマイク・ホンダ議員だったりするんですけどね。
この話は、韓国の社団法人太平洋戦争犠牲者遺族会の民間請求権訴訟代理人マイケル・チェ弁護士からの伝聞ということで、話の真偽は全く不明ですし、日本政府はウリナラチラシの報道を公式に否定しましたが、彼らが我意を通すためなら、嘘をつくことに全く躊躇がなく、しかも自分でついた嘘に自分で騙される連中であることは、弊ブログをお読みの皆様なら痛いほどご存知だと思います。
このように朝鮮人は、どこに住んでいようとも、どこの国で育とうとも、朝鮮人でしかありません。本国だろうと在日だろうと在米だろうと、朝鮮人は朝鮮人なのです。
その朝鮮人に迎合する政党を選んだ人は、私にはマジで日本を終わらせたい人としか思えません。
もちろん、個人的には「良い朝鮮人」というのもいるかもしれません。いや「良い」というのは、何に対してとか、誰に対してとか、何処に対してとかで相対的に変わり得るので、語弊があるかもしれません。ですから「まともな」と言う方が良いでしょう。
「まともな朝鮮人」の存在を否定する気は、全くありません。しかし韓国人が「ひとりを見て全体を判断してはいけない」と異口同音に言うように、ひとりやふたりや、あるいはたとえ100人や200人の「まともな朝鮮人」が居たとして、それが韓国という国を、北朝鮮という国を、在日という社会を変えることが出来るでしょうか。
そういう朝鮮人がひとりやふたりや100人や200人居たとしても、朝鮮人社会の中のそういう朝鮮人は、良くて沈黙するだけです。普通は朝鮮人社会に迎合するでしょう。結果として、まともな朝鮮人が居ようと居まいと、朝鮮人社会は永久に変わらないわけです。
逆を言えば、ひとりやふたりや100人や200人の異常な朝鮮人が居たとしても、朝鮮人社会がそれを糾すことが出来るならば、望みはあると言えます。しかし、それを朝鮮人社会に望むのは無理無駄無茶であるという教訓を、今から100年前に私たちの先祖が、高い授業料を払って得たはずです。
その教訓を忘れて、友愛とか日韓友好とか多民族共生とか地球市民とか言いたい人は、ご自身が朝鮮半島へ移住して、その中心で仰れば良いのにと、しみじみ思う次第です。
韓国人の上っ面に迎合するなかれ
「今、何をしますか?」と言われても、チャットルームに居りゃチャットしてるに決まってんじゃん?ということで、私の場合は、そう聞かれればぶっきらぼうに「チャット」と吐き捨てるのが常です。
しかしごく稀に、私の機嫌が良ければ、愛想良く「本を読んでいます」とか「動画を見ています」とか「音楽を聞いています」とか「ゲームをしています」などと答えることもあります。
先日、機嫌良く音楽を聴いていると、チャットルームに入ってきた韓国人に「今、何をしますか?」と聞かれたので、素直に「音楽を聴いています」と答えました。
「今、何をしていますか?」と聞いて、「音楽を聴いています」という答えが返ってくれば、次は「どんな音楽ですか?」と聞くのが普通だと思いますし、それでこそ話が弾むというものです。私もその時はそのつもりで、「問いかけに答えた以上は、どんな音楽を聴いているのか説明しなきゃなあ」なんて考えておりました。
ところがその韓国人は、私の答えを聞くや嬉しそうに「私もです!」と言いました。私に質問してきた相手にそう言われてしまうと、私としては「そうですか」以外に答えようがなく、その後の私のご機嫌が斜めに急降下したのは言うまでもありません。
そうやって、とにかくどんな話題であっても無理くりに自分を話題の中心にしようとする韓国人は、全く珍しくありません。別に中心にしてやっても良いんですが、彼らの場合、話題の中心に無理やり乱入しておきながら、肝心の話題を弾ませる努力は周囲の者がするべきだと思っておりますので、話が全然弾みません。
基本的に彼らは薄くて浅くて上っ面ですから、何事にしても掘り下げた話になりません。音楽なら音楽で、何故それが好きなのか、どういうところに魅力を感じているのかを他人にわかるように説明することが出来ないのです。結果として、部屋は静まり返り、自分を中心に話題を盛り上げてもらえないことに不満を感じた韓国人は、無言で出て行くことになります。
しかし、ごく稀に会話の真似が出来る韓国人もいます。
先日もやはり「何をしますか?」と聞く韓国人がいたので、全く期待せずに「今は好きな歌手の動画を見ています」と答えました。すると意外にも「好きな歌手は誰か尋ねてみても良いですか?」と、比較的真っ当な問いかけが返ってきました。
私が「中森明菜
韓国人としてはこれぐらいが限界のようで、この韓国人もこの辺で「私は山口百恵のコスモス(秋桜)が好きです~」と自分に話題を引き寄せようとし始めます。普段なら話題を自分に引き寄せようとする姿勢を見せた時点で見限るのですが、その韓国人が続けて「コスモスは、元々はさだまさしの曲ですね」と言ったのが、運良く私の関心と一致しました(さだまつりも絶賛続行中)。
その韓国人は、私がおとなしく話を聞く姿勢を見せたのに気づいたのか、それともこちらの姿勢など最初から気にしていないのかわかりませんでしたが、続けて「さだまさしの曲も好きです」と言いました。
彼らの話題展開は基本的に自分中心です。こちらがおとなしく聞く姿勢を見せれば、自動的に気が済むまで彼らは勝手にくっちゃべります。
その韓国人も例に漏れず、こちらが聞いてもいないのに「償いという曲が好きです」と言いました。さらに聞いてもいないのに、「歌詞を直接解釈してみました」と自慢げに言います。
「償い」という歌は、2002年に裁判で引用されたことで一躍話題になりましたが、この歌詩の解釈は、日本人以外には極めて難解だと思います。いや日本人であっても、はっきりと「こうだ」という答えを明示しているわけではないこの歌詩を明確に解釈をすることが出来る人は、そう多くないでしょう。しかし日本人であれば漠然とでも、何か感じ取ることが出来るという歌だと思います。
それを自慢げに「歌詞を直接解釈した」と言うので、私は興味津々で「どういう意味の歌でしたか?」と聞いてみました。するとその韓国人は、「ある事件を批判する話かな・・・」と答えました。この時点でもう歌の意味がわかってないのが丸わかりです。
「償い」という歌そのものは、1982年のアルバムに収録されているもので、シングルでは販売されておりませんし、爆発的に売れたわけでもない30年近く前のアルバムを韓国人が持っているということも考えにくいので、この韓国人がこの歌を知ったのは、ほぼ間違いなく、2002年に日本の裁判で引用されたことで話題になってからでしょう。ですから、この韓国人はこの歌を、2002年の報道の内容とマジェマジェして、「加害者が実際に反省しないので、この歌を聞いて反省しろという意味の歌」だと思っていたのです。
韓国人が「日本のホニャララを知っている」とか「日本のホニャララに興味がある」あるいは「日本語が出来る」などと言う場合は、大抵このパターン、即ち「上っ面だけを見て知ったつもりになっている」という場合がほとんどです。彼らはそれを日本人相手に披露したがります。それを見て「うわー、凄いねー、よく知ってるねー」などと手放しで持ち上げる日本人が少なくないために、彼らは益々つけあがります。
そんな日本人に、それは韓国人を付け上がらせるからやめれと言っても、「韓国人は外国人なんだから、日本人ほど日本のことを知らないのは当たり前。日本人と同じレベルの理解を求める方が間違ってる」「反日の韓国人が、少しでも日本に好意的な関心を持ってくれるのは良いことじゃないか」などと言います。
しかしそういう日本人は、彼らが日本人に「うわー、凄いねー、よく知ってるねー」と言わせることで、「ウリは日本人にも認められるぐらい日本のことを良く知っている」=「ウリは日本人と同じ」という意識を持つことまでは、きっと知らないのでしょう。
韓国人が日本人に「日本のことをよく知っている」と言わせたがるのは、「日本と韓国は全然違う」と日本人に言われると彼らが激怒するのの裏返しのようなものです。
そうやって韓国人の上っ面に迎合して彼らの勘違いを助長し、彼らを付け上がらせることこそが日韓友好だと思う日本人は多いようですが、そうすることが日韓共に良い結果に至るとは私には思えないということは、今までにも幾度となく述べてきました。
それでも、どうしても、何が何でも、是が非でも「日本のことに詳しい」と自慢する韓国人を褒めてやりたいと言う人は、出来るだけ正確に、極力誤解を招かぬように「外国人のあなただから、日本人のレベルには決して到達出来ないのはしかたがないし当然のことだけれど、韓国人にしては日本のことをよく知ってる方と言えなくもないかもしれないね」ぐらいに留めるべきでしょう。
とにかく、彼らが安易に「日本人と同じ」という意識を持つような言い回しは、厳に戒めるべきだと思います。
同胞と共生出来ない人々と、何故日本人が共生出来ると思うのか
朝鮮学校に子弟を通わせている保護者、朝鮮学校に現在通っている生徒、更には北朝鮮本国も、朝鮮学校の無償化対象除外に、日本政府に対して強く非難と抗議をしております。
この件で一番笑えたのは、朝鮮学校の生徒が「保護者は税金を納めているし、インターハイ出場も認められ、日本の高校と変わらない」などと訴えていたことです。
参政権でも「納税」という単語を振りかざしておりましたが、朝鮮学校の無償化でも同様の主張をするとは、彼らにとって「納税」とは、それを唱えさえすれば日本人と同じか、それ以上の立場を得られる魔法の呪文なのでしょうか。
税金は、その国の公共サービスの対価ですから、その国に住んで一定の収入を得ていれば、納めるのは当然です。これは別に日本だけの話ではなく、およそ世界中のほとんどの国でそうでしょう。外国人観光客の買い物が免税なのは、その国に住んでおらず、その国で収入を得ていないからです。
納めて当然の税金なのに、二言目には納税納税とどや顔で言う彼らを見ていると、私などは「そんなに日本に納税しているのが自慢(or不満)?」と思ってしまいます。外国人にそう言われてしまう日本人の立場としては、「だったらとっとと祖国へ帰れよ」としか言えなくなってしまうのですが。
それから朝鮮学校のインターハイ出場についてですが、これは1993年に、全国高体連が各種学校や専修学校も未加盟のままでインターハイに参加することを承認しました。これによって朝鮮学校も全国高体連にインターハイに参加出来るようになったわけですが、それは結構何年もの間朝鮮学校がウリも参加させろとゴネ続け、ついに全国高体連が折れた形になったためのようです(「朝鮮学校 インターハイ」というキーワードで検索すると在日挑戦―朝鮮高級学校生インターハイへの道
その当時の私は、今と比べると全く朝鮮全般に知識も興味も関心もなく、故に普通に「知らない国は好きな国」でしたから、韓国にも北朝鮮にもそれほどの嫌悪感情はありませんでした。また戦後左傾教育の影響もまだ強く残っていた頃でしたから、明らかに左巻きだったのですが、確か同じ頃に指紋押捺問題でも日本側がじわじわと折れさせられる形になっていたこともあって、朝鮮学校のインターハイ出場が可能になったという報道を見てかなり不快に思ったことを覚えております。
そうやって無理やり日本側にインターハイ出場を認めさせておきながら、「インターハイにも出場を認められているウリハッキョ(朝鮮語で「我々の学校」という意味。朝鮮学校生が好んで使う)なのだから、日本の高校と同じように無償化しる」とは、まさに「一歩譲れば全てを譲れと言う」の典型例です。
彼らはいつもそうです。在日の公務員採用を認めないのはサベツだと泣き喚くので認めれば、今度は公務員の管理職になれないのはサベツだと泣き喚き、朝鮮学校在籍者に大検受験資格がないのはサベツだと泣き喚くので受験資格を与えると、朝鮮学校卒業者に大学受験資格がないのはサベツだと泣き喚き、2世までとされていた永住資格が3世以降も与えられないのはサベツだと泣き喚くので今後何十世になろうとも永住資格が与えられるようにすると、「ウリが出国する際に再入国許可を取らなければならないのはサベツだ」と泣き喚きます。
これで参政権を認めれば、彼らは120%以上の確率で、ウリに国政選挙権や被選挙権がないのはサベツだと泣き喚くでしょうし、もしそれが実現すれば、今度は「ウリ候補者を選挙で落とすのはサベツだ」などと言いかねません。
昨日、日韓チャットで何気に「日本人は相手がどのように考えるかを考え過ぎるし、韓国人は相手がどのように考えるかを考えなさ過ぎる」と言ったところ、一所懸命話の腰を折ろうと努力してた韓国人が即座に「おー、正しい言葉だね」と言いました。
きっとその韓国人は「日本人は相手がどのように考えるかを考え過ぎるし、韓国人は相手がどのように考えるかを考えなさ過ぎるから、両者はお互いを補い合って、良い関係になれる」と思ったのでしょう。私が続けて「両者は永遠に相容れないね」と切り捨てると、その韓国人は無言で出て行ってしまいましたが。
おそらくは在日も、その韓国人と似たような考えなのでしょう。「ゴネまくれば日本人はウリの言うことを聞く」と考える彼らの期待に、実際に日本(人)は必要以上に配慮し、応え続けてきました。その結果、在日どもが「ウリは日本人に配慮する必要はないが、日本人はウリに配慮する必要がある。それでこそ、ウリと日本人はバランスが取れて、良い関係になれるのだ」と考えているとしても、私は全く驚きません。
日本にとって、そんな在日そのものの問題も決して小さくはありませんが、それ以上に「多民族共生」などという美名に酔い痴れて、在日に与する日本人が存在するということが、最も重大な問題だと思います。
互いに思いやり譲り合い助け合うことの出来る人種であれば、「共生」もあるいは可能かも知れません。しかし朝鮮人の場合は、絶対にそれを望むことが出来ません。それは朝鮮の歴史で明白に証明されておりますし、また在日が祖国へ決して帰ろうとしないのも、それがためでしょう。
知らなければ良いというわけではありませんが、在日に与する日本人がそれを知らないのであれば、まだ情状酌量の余地があるとは思います。しかしそれを知った上で尚、在日に与する日本人は、外患誘致の確信犯であると断じるべきだと、私は考えています。
監視はするが関心はない
私は現在、まとめWikiやまとめブログを見るばかりで、「2ちゃんねる」そのものにはほとんど出入りしておりません。ですから「2ちゃんねる」が落ちても何の影響もなかったのですが、その韓国人的には、ネットをする日本人は全て「2ちゃんねる」をいつも見ていて、今回の件できっと地団駄踏んで悔しがっているに違いないとでも思っていたのでしょう。
今回のことで韓国は、ただでさえ嫌韓の多い「2ちゃんねる」ユーザーの多くを力一杯敵に回した形になったわけで、個人的にはむしろ喜ばしいことであったと思っております。日本人に、韓国人についての理解を促すには、私などが百万言を費やすよりも、彼ら自身のこういう行動の方が、よほど効果があるというものです。
あとは、「2ちゃんねるをF5攻撃で落としたら、何故かウリナラのF5戦闘機も落ちたでござるの巻」にはちょっと笑わせていただきました。本当に彼らは、素が一番面白いと思います。
さて、日韓チャットでは、入室してきた韓国人が話の取っ掛かりを求めて「韓国に関心がありますか?」と聞くことが非常によくあります。これに対して、今まで私はだいたい「はい」と答えてきました。しかし最近は、その問いかけに対して「はい」と答えることに、いささかの躊躇と抵抗があります。
この質問に「はい」と答えると、たいていの韓国人が「では韓国について質問してください。教えてくれますよ^^」といった類のことを言います。しかしその言葉を真に受けて、韓国(人)について質問しても、まともな答えが返ってくることはほとんどありません。
例えば「韓国人」について質問すると、どんなことを聞いても、全て「人ごとに違います」という言葉で終了です。「日韓チャットにはこういう韓国人が多いが、それは韓国人としては一般的か」などと具体的に聞いても、必ず例の「一人を見て全体を判断しないでください」「一般化しないでください」という答えが返ってきます。
韓国全般について質問しても、全く答えられないか、あるいはネットで検索したことをべたべたと貼り付けるだけです。しかもたいていの場合、彼らはその検索結果を全く吟味せずに貼り付けるので、まるっきり的外れな回答であることが珍しくありません。
そもそも検索してわかる程度のことであれば、私もインターネットに接続しているパソコンを所有しておりますから、わざわざ韓国人にインタビューしなくても、自力で検索出来るのです。
さらに言えば、韓国は基本的に浅くて薄くて上っ面です。私はここ数年、少なくとも三日に一度は、幾ら韓国だからと言っても、こんなに浅いはずがない、こんなに薄いはずがない、こんなに上っ面だけのはずがないと、必死でこねくり回しているのですが、新しいことなどほとんど見つかりません。
それでも、わかったつもりになってはいけない、きっとまだ私が見落としている部分があると自らを戒めて、日韓チャットで韓国人にインタビューをしてみるのですが、やはり毎度毎度の金太郎飴です。そのせいで、弊ブログは毎度毎度同じことのくり返しですw 目新しいことを書きたいのは山々なのですが、無い袖は振れないのです。
以前日韓チャットで、私の質問を量産型が散々に話を混ぜくり返しまくったことがありました。静かにムカついた私が皮肉を込めて、「韓国人の傾向としては、率直で思ったことをそのまま言うけれど、礼儀正しく、長幼の序を重んじる人だと思っていましたが」と言うや否や、その韓国人は間髪を入れず「ほとんど当たる」と答えたぐらい、彼らは自分自身を直視出来ていないのです(ちなみにその後続けて「あなたのように、思ったことを歪めて、回りくどく話して、礼儀がなく、長幼の序をわきまえない韓国人も多いという理解で良いでしょうか?」と私が言うと、その韓国人は反論も出来ず火病発作も起こせず、「あなたは私を傷つけた」と言って半泣きで出て行きました)。
そんな彼らに韓国(人)のことを聞いても、得られるもののあろうはずがありません。また「飽韓」という言葉は字義通り、韓国についてさまざまに調べ考察した結果、飽きてしまっているわけです。関心を持ちたくても、その余地が極めて小さくなってしまっているのです。
韓国人にしてみれば「日本人が韓国に関心を持つ」ということは、チビるほど嬉しいことのようです。そんな韓国人に「韓国に関心ありますか?」と聞かれた日本人が「はい」と答えるということは、言ってみれば彼らにエサをやるようなものです。
「エサをやる」と言っても、そのエサが彼らの望むようなエサではないということを、こちらは最初からわかっています。彼らに与えるエサが、彼らの望むようなエサではないことを知っているということに、私は微かな欺瞞を感じており、それも躊躇と抵抗の一因になっています。
かと言って、「韓国に対する関心は、全くない」と言ってしまえば、「韓国に関心がないのに何故日韓チャットに居るのか」とか、これは私限定の話ですが「韓国に関心がないのに何故韓国ウォッチブログを書いているのか」とか言われてしまうわけです。
つらつら考えるに、確かに韓国に対して素直に「関心」と呼び得る気持ちは、もうほとんどありません。しかし、関心がないからと言って、韓国から目を離す気にもなれません。彼らから目を離すということは、山中で突然熊と出くわした時に、背中を見せて逃げるに等しい行動だと知っているからです。
それに韓国から目を離してしばらくすると、まるで彼らの存在そのものが、嘘か悪い冗談か何かの間違いのように思えてしまうということもあります。韓国に対してそう思ってしまうこともまた、危険なことであるということは、以前にも述べたことがあると思います。
つまり私が韓国(人)から目を離さないのは、韓国(人)に関心があるからではなく、監視と警戒心の維持と観察のためということになろうかと思います。
もっとも、韓国人に「韓国に関心ありますか?」と聞かれ、今述べたようなことを彼らに説明したとしても、彼らがそれを理解することが出来るとも思えず、結局また若干の躊躇と抵抗を覚えつつも、「はい」と答えるのでしょうけれど。