同胞と共生出来ない人々と、何故日本人が共生出来ると思うのか
朝鮮学校に子弟を通わせている保護者、朝鮮学校に現在通っている生徒、更には北朝鮮本国も、朝鮮学校の無償化対象除外に、日本政府に対して強く非難と抗議をしております。
この件で一番笑えたのは、朝鮮学校の生徒が「保護者は税金を納めているし、インターハイ出場も認められ、日本の高校と変わらない」などと訴えていたことです。
参政権でも「納税」という単語を振りかざしておりましたが、朝鮮学校の無償化でも同様の主張をするとは、彼らにとって「納税」とは、それを唱えさえすれば日本人と同じか、それ以上の立場を得られる魔法の呪文なのでしょうか。
税金は、その国の公共サービスの対価ですから、その国に住んで一定の収入を得ていれば、納めるのは当然です。これは別に日本だけの話ではなく、およそ世界中のほとんどの国でそうでしょう。外国人観光客の買い物が免税なのは、その国に住んでおらず、その国で収入を得ていないからです。
納めて当然の税金なのに、二言目には納税納税とどや顔で言う彼らを見ていると、私などは「そんなに日本に納税しているのが自慢(or不満)?」と思ってしまいます。外国人にそう言われてしまう日本人の立場としては、「だったらとっとと祖国へ帰れよ」としか言えなくなってしまうのですが。
それから朝鮮学校のインターハイ出場についてですが、これは1993年に、全国高体連が各種学校や専修学校も未加盟のままでインターハイに参加することを承認しました。これによって朝鮮学校も全国高体連にインターハイに参加出来るようになったわけですが、それは結構何年もの間朝鮮学校がウリも参加させろとゴネ続け、ついに全国高体連が折れた形になったためのようです(「朝鮮学校 インターハイ」というキーワードで検索すると在日挑戦―朝鮮高級学校生インターハイへの道
その当時の私は、今と比べると全く朝鮮全般に知識も興味も関心もなく、故に普通に「知らない国は好きな国」でしたから、韓国にも北朝鮮にもそれほどの嫌悪感情はありませんでした。また戦後左傾教育の影響もまだ強く残っていた頃でしたから、明らかに左巻きだったのですが、確か同じ頃に指紋押捺問題でも日本側がじわじわと折れさせられる形になっていたこともあって、朝鮮学校のインターハイ出場が可能になったという報道を見てかなり不快に思ったことを覚えております。
そうやって無理やり日本側にインターハイ出場を認めさせておきながら、「インターハイにも出場を認められているウリハッキョ(朝鮮語で「我々の学校」という意味。朝鮮学校生が好んで使う)なのだから、日本の高校と同じように無償化しる」とは、まさに「一歩譲れば全てを譲れと言う」の典型例です。
彼らはいつもそうです。在日の公務員採用を認めないのはサベツだと泣き喚くので認めれば、今度は公務員の管理職になれないのはサベツだと泣き喚き、朝鮮学校在籍者に大検受験資格がないのはサベツだと泣き喚くので受験資格を与えると、朝鮮学校卒業者に大学受験資格がないのはサベツだと泣き喚き、2世までとされていた永住資格が3世以降も与えられないのはサベツだと泣き喚くので今後何十世になろうとも永住資格が与えられるようにすると、「ウリが出国する際に再入国許可を取らなければならないのはサベツだ」と泣き喚きます。
これで参政権を認めれば、彼らは120%以上の確率で、ウリに国政選挙権や被選挙権がないのはサベツだと泣き喚くでしょうし、もしそれが実現すれば、今度は「ウリ候補者を選挙で落とすのはサベツだ」などと言いかねません。
昨日、日韓チャットで何気に「日本人は相手がどのように考えるかを考え過ぎるし、韓国人は相手がどのように考えるかを考えなさ過ぎる」と言ったところ、一所懸命話の腰を折ろうと努力してた韓国人が即座に「おー、正しい言葉だね」と言いました。
きっとその韓国人は「日本人は相手がどのように考えるかを考え過ぎるし、韓国人は相手がどのように考えるかを考えなさ過ぎるから、両者はお互いを補い合って、良い関係になれる」と思ったのでしょう。私が続けて「両者は永遠に相容れないね」と切り捨てると、その韓国人は無言で出て行ってしまいましたが。
おそらくは在日も、その韓国人と似たような考えなのでしょう。「ゴネまくれば日本人はウリの言うことを聞く」と考える彼らの期待に、実際に日本(人)は必要以上に配慮し、応え続けてきました。その結果、在日どもが「ウリは日本人に配慮する必要はないが、日本人はウリに配慮する必要がある。それでこそ、ウリと日本人はバランスが取れて、良い関係になれるのだ」と考えているとしても、私は全く驚きません。
日本にとって、そんな在日そのものの問題も決して小さくはありませんが、それ以上に「多民族共生」などという美名に酔い痴れて、在日に与する日本人が存在するということが、最も重大な問題だと思います。
互いに思いやり譲り合い助け合うことの出来る人種であれば、「共生」もあるいは可能かも知れません。しかし朝鮮人の場合は、絶対にそれを望むことが出来ません。それは朝鮮の歴史で明白に証明されておりますし、また在日が祖国へ決して帰ろうとしないのも、それがためでしょう。
知らなければ良いというわけではありませんが、在日に与する日本人がそれを知らないのであれば、まだ情状酌量の余地があるとは思います。しかしそれを知った上で尚、在日に与する日本人は、外患誘致の確信犯であると断じるべきだと、私は考えています。