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マンネリのその先に

前回のチャットログのコメントに「管理人、よくこんなの相手にしてるな!」というご意見が多数で吹きました。ちなみに、私も全く同意見ですw

それなのに、何故いまだに日韓チャットに居座っているのかと言うと、以前も申し上げたことがありますが、まず現実から目を逸らさないためです。

ああいう生き物が千万単位で一衣帯水の地におり、年間百万単位で日本に押し寄せ、十万単位で日本国内に棲息しており、しかも恐るべきことに、一瞥しただけでは日本人と見分けが付かない外見で、更に彼ら自身が、自分たちを日本人と変わらないと確信しているなどということが現実だとは、出来れば信じたくありません。

人は信じたいことを信じようとするのと同じぐらい、信じたくないことは信じようとしません。それは私も同じです。しかし、信じようと信じまいと、現実は厳然と存在します。信じたくないからと言って現実から目を逸らし、願望でこねあげた妄想の中に閉じこもるようになったら、それは韓国人と同じ穴に陥ることと同義だと思います。

また、韓国人を多少知っている人でも、彼らもいつか成長するだろうとか、そのうち変わるだろうと思っている(あるいは思いたい)人は少なくありません。そのため、リアルタイムでウォッチし続けないと「かつては、彼らもそうだったかもしれないが、今は違う(だろう)」と思ってしまう人が少なくないということもあります。

あるいは以前も書いたように、日本人が韓国(人)から関心を失えば、韓国(人)そのものを跡形もないほど忘れ去ってしまうということもあります。

これまで日本では、韓国(人)に対して忘却と再発見を繰り返してきました。そのため、韓国(人)に対する知識の蓄積や再利用は、あまり上手く行なわれておらず、再発見のたびに同じようなことを繰り返しているように見受けられます。これはリスク的にもコストの面から見ても、あまりにも無駄が多いと言わざるを得ません。

例えば、かつて日本で、「朝鮮人のような真似をするな」と言えばすぐに誰にでも通じたニュアンスが、今日の日本では朝鮮(人)の忘却と共に、「サベツ」という思考停止の呪文で通じなくなりました。

「朝鮮人のような真似をするな」という言葉を「サベツ」と言われないように言い換えるとするならば、「無作法な真似をするな」「見苦しい真似をするな」「恥知らずな真似をするな」というのが幾分近いかもしれません。しかし、「作法」をよく知らない者に「無作法な真似をするな」と言ってもピンと来ないでしょうし、「見苦しい真似」「恥知らずな真似」と言われても、具体的にどのようなことなのか、何故それが見苦しいとか恥知らずと言われるのかを説明し、理解させる必要があります。

これには、大変多くの言葉を必要としますし、一所懸命多くの言葉を費やして説明しても、聞く相手の精神年齢によっては、理解が困難な場合もあります。

しかし「朝鮮人のような真似」は、朝鮮人の行動を多少なりとも見知っていれば説明不要です。「生ける悪い見本」、あるいは「反面教師」としての朝鮮人の優秀さは、朝鮮人を知る人ならば誰でも理解が可能でしょう。

更に、彼らの「薄くて浅くて上っ面」は、私たちの想像を絶します。長年彼らをウォッチし続けている私でさえ、「本当に彼らはこんなに薄くて浅くて上っ面なのか?」と思わぬ日はないほどです。韓国人を知らない人や、韓国人とあまり接触する機会のない人であれば尚更に、彼らの「薄くて浅くて上っ面」加減を理解するのは難しくて当然だと思います。

つまり、私が日韓チャットを続けているのは、彼らを観察することで、彼らのような、私たちの想像を絶する生き物が実在し、日本(人)に干渉しようとしているという現実から目を逸らさないようにすることでもあります。

日韓チャットの常連同士毎々韓国談義を繰り広げていると、ある常連韓国人からは、「倭人軍団のマンネリ談義」と揶揄されたり、弊ブログコメント欄でも「修行の一種だろうか」と仰っておられた方がいらっしゃいましたが、それも当たらずとも遠からずと言えますw

しかし螺旋階段を昇っていると、目に映るのはいつも同じ風景のように見えるものですが、昇り続けている限り、同じ場所に留まっているということはありません。たとえマンネリであろうとも、続けることによって得られるものがあると私は信じております。って言うか信じてないとやってられませんw

もっとも慣れというものは恐ろしいもので、長年日韓チャットに居座っているおかげで、連中の手の内も腹の中もだいたいわかっているため、毎度変わらぬ彼らの病身舞にうんざりすることはあっても、打つ手に困るということは意外にないものです。



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