あっても使わないなら、無いのと同じ
「韓国人に対するイライラ」というのは、かなりの部分で韓国人という生き物に対する「慣れ」が大きく作用すると思います。韓国人の生態に慣れているほど、イライラを感じる度合いは下がると思いますが、ずいぶん慣れているつもりでも、韓国人にイラッとすることは非常に頻繁です。私ももちろん例外ではなく、日韓チャットで韓国人にイラッとしない日の方が珍しいぐらいです。
私の場合で申し上げますと、それに耐える精神的余裕がある時は、イライラしながらもそれを韓国(人)考察の方へと振り向けることで昇華させることが出来るのですが、精神的余裕がない場合は、韓国関連とは全く関係のないことへ意識を向けるようにしております。
こんなブログを書いているせいもあって、100%とまではいかなくとも、私の意識や関心の大部分は韓国関連で占められていると思い込んでおられる方は大変多いのですが、実際のところは、私の意識や関心の中の韓国関連部分は、それほど多くも大きくもありません。
韓国人に対するイライラと言うのは、概ね「何故こいつらはこうなんだ」というもどかしさや憤りが元になっていると思います。少なくとも私の場合はそうなのですが、基本的には「何故もへったくれも、こいつらはこういう生き物なんだ」という理解に基づいてウォッチし、それが限界になれば、韓国から意識を逸らして他の興味や趣味に没頭するのが、私の韓国イライラ対処法です。
さて、前回記事について、「韓国語に細かい分類のある言葉と言えば、罵倒語があるではないか」というご意見多数で吹きました。
これについては、既にコメント欄でお答えくださってる方がいらっしゃいますが、確かに、韓国語(not 朝鮮語)における罵倒語のバリエーションは、世界一と言って良いほど豊富であることは事実です。ただ、それは単に語彙数が豊富なだけで、収集も分類もされておりません。その場その場で泡沫のように浮かんでは消え、消えてはまた浮かんでくるだけのものです。
細かい分類とは、単にバリエーションが豊富と言うだけではなく、それを適宜分類し、使い分けているかどうかが重要ではないかと思います。韓国罵倒語が如何程多いといえども、種類や特徴に応じて細かく分類され、韓国人がそれを状況や用途に応じて使い分けているとは思えません。ただし、もし韓国人による「韓国罵倒語辞典」というものがあるなら、あるいは今後出版されることがあるなら、多少考え方を改める用意はあります。
牛肉の部位の話も出てきましたが、昔私が読んだことのある在韓日本人が書いた韓国についての本には、「韓国では肉は部位を分けずに売ってる」と書いてあったと記憶します。そもそも韓国では、牛肉はさほどに食べられておりませんでした。
牛肉以外では「コメはどうですか?」というご質問もありましたが、コメも同様です。一度韓国人に「韓国でコメと言えば、どんな品種のコメが美味しいと言いますか?」と聞いたことがあります。彼らの答えは「コメは、品種ではなく、産地(何でも、平澤産が最高だとか)です」でした。
実際のところは、韓国人と料理や食べ物の話をするほど虚しいことはありません。日本人同士であれば、食べ物関連の話は無難且つ確実に盛り上がる話題のひとつですが、韓国人相手の場合は、どんな料理や食事の話をしても、返ってくる言葉は「美味しそうね!」「試食したいです!」ぐらいです。
日韓チャットで、日本人が料理や食べ物について、「どこのものが美味しいか」「どのように美味しいか」や「どう工夫すればより美味しくなるか」など、微に入り細を穿ちつつ歓談していると、韓国人も最初の内こそ「美味しそうね!」「試食してみたいです!」と一所懸命合いの手を入れて参加しようとはするのですが、その内話についてこれなくなり、やがてあからさまにつまらなさそうな態度になり、たいてい最後は黙って出て行きます。
食べ物について韓国人は、美味しそうか美味しそうでないか、食べたいか食べたくないか以上の興味も関心もありません。たかが食べ物に、何故日本人がそこまで熱心に細かく分類し、楽しく語ることが出来るのか、彼らにはどうしても理解出来ないのです。
これは別に食べ物に限ったことではありません。例えば以前韓国人に「どんな音楽を聞きますか?」と聞かれたことがあります。これに対してごく普通に、「ポップスやニューミュージック、オールディーズ、フォークソングなどが好きです。クラシックを聞くこともあります」と答えたのですが、その答えに韓国人がかなり当惑します。
何を当惑しているのかと思ったら、やがてその韓国人は「日本の音楽は分類が多くて気難しいですね」と言いながら「私は日本のホニャララという歌手が好きです」と言い出しました。つまり、どうやらこの韓国人、「どんな音楽を聞きますか?」というのを、「好きな歌手は誰ですか?」という意味で聞いたようなのです。
食べ物や色や音楽や、その他の様々な事象について、韓国語の辞書を引けば、幾つもの細かい表現があるにはあると思います。しかし以前に「韓国では【箇所】という単語は辞書に載ってはいるが、現在ではほぼ用いられなくなり、【部分】という言葉に統括されている」と申し上げました通り、韓国ではたとえ辞書に載っていても、実際には使われなくなっている言葉があります。それは、大意は同じでもニュアンスの異なる単語を駆使して、微妙な機微を文章で表現しようとする努力をしない韓国人が一般的だからだと思います。
日韓チャットでは、大雑把な単語と、たとえ初対面でも、聞き手が自分の心の機微を読み取るのが当然と言わぬばかりの、主語や述語を大胆に省略した文章で、彼らは対話しようとします。そういう会話において、逆にこちらが言葉の意味や話の真意を丁寧に問い詰めていくと、彼らは必ず狼狽します。最後にはたいてい「何故そんなに細かいことを突き詰めるのか。何となく楽しく話せばそれで良いではないか」とこちらを責めます。
確かに、彼らの会話はそうです。相手の言ってることの詳細にはあまり頓着せずイメージで受け取り、それによって発生した自分のイメージをそのままぶちまけ、相手がまたそれをイメージで受け取り、イメージで解釈してまたイメージだけの言葉を垂れ流す、というのが彼らの会話です。
そんな彼らの会話には、単語の「細かい分類」など必要どころか、邪魔以外の何物でもないのでしょう。